4、リリーの実家に訪れた当然の結末
実家からの手紙は、リリーの従兄、トーレスター伯アルフレッドからの手紙に同封する形で送られてきていた。
リリーは実家の者には自分の居場所を知らせていなかった。ただ従兄の伯爵アルフレッドだけは手紙のやり取りがあった。彼女が家を追い出された後しばらくして、彼に手紙で事情を知らせるとリリーの話を疑わずに受け取ってくれたので、それから信頼して定期的に手紙を送るようになったのだ。
実家の人間も、アルフレッドならばリリーと連絡がとれると踏んで、手紙を転送するよう頼んだのだろう。
実家からの手紙には、一言でまとめると、今なら弟の結婚を邪魔した件は許すから帰ってこい、という内容が書いてあった。
今更何を言っているのだろう? と、リリーは思った。
しかも、許すってなんだ?
そもそも私は、結婚の邪魔などしていない。何もしていないのになんで謝る必要があるのか。
リリーは話にならない、と思った。
彼女は、新しい場所での生活が忙しいので帰るつもりはないという返事を出した。
しかし何日かすると、また実家からの手紙が送られてきた。
今度は、バラ生産の収益をリリーに前より多く分配するつもりだから帰ってきて欲しい、という内容だった。
言葉遣いも前より丁寧な文面だった。
あんな態度で追い出した人間が、こんな丁寧な手紙を送ってくるということは、つまりリリーがいなくて何か困っていることがあるのだろう。
わかりやすいな。
でも追い出しておいて、困ったら帰って来いって、それは自分勝手すぎるだろう。
リリーは当然、断りの返事を出した。
それから何度も同じような手紙が実家から送られてきたが、そのたびに、あれをあげる、こうしてあげる、とかリリーが帰った場合の見返りが増えていった。どうしても帰ってきて欲しいようだ。
しまいには、お前の言い分を認めるからどうにか帰ってきて欲しい、と懇願する内容になった。こちらが謝るから、どうかお願いします、とまで書いてあった。
リリーはそれを見て苦笑した。
本当に今更だな。
本来は、最初からその内容で送ってくるべきなのだ。
多分、実家は今、相当追い込まれているのだろう。だがそうなって始めて、しぶしぶ私に譲歩したというようにしか思えない。
明らかに実家で何か問題が起きているようだ。
リリーはどんなことが起きているのか大体想像がついたが、今更、助けてあげようという気持ちは湧かなかった。
それに、ここでの生活に私は満足しているのだ。
実家での日々と、ここでの生活を頭の中に思い浮かべて、比べてみた。
リリーは苦笑いして、首を振った。
彼女は帰る意志はないし、それは今後も変わらないと返事をした。
意外にも、その手紙を最後に、実家からの連絡は途絶えてしまった。
実家に何が起きているのか気になりつつも、わざわざ調べる気も起きないし、ウェリック男爵家の方でやることがたくさんあってそのままにしていた。それからしばらくして、実家で何があったのかを知らせる手紙が、アルフレッドから送られてきたのだった。
アルフレッドからの手紙には、自分も最近詳しく知ったことだが、リリーにも関係のあることなので、何があったか伝えておくと書かれていた。
実家で起きていた問題は一言で言うと、リリーが思った通り、バラの生産がうまく行かなくなったということだった。
要約すると、今年生産したバラがまるで売れず。さらにキャスリーンが無茶な投資などを繰り返した結果、莫大な借金を背負ったという内容だった。
バラの生産において、重要な作業に剪定がある。
リリーが生産していたバラの品種は、うまく育てられれば大きな花が咲く代わりに、気温や日当たりなどについて繊細な管理が求められるものだった。そのような要求のために、剪定は重要な作業だった。
それなのにキャスリーンは思いつきであの枝を切れとか、剪定に口出しをして、花芽のついた枝までばっさり切り落としたので、花自体が咲かないバラの木が続出したそうだ。
更に、彼女主導で行った採花も、切り方が悪くて、商品として出荷した切り花が長持ちしなかった。
それで出荷量は激減、予約のあった分も出来の悪い花に返品も多く、バラの生産で得られる収益が激減したという。
当然、グラーブトン男爵家のバラのブランドもあっという間に低下した。
さらに追い討ちをかけたのが、キャスリーンが、バラ生産の規模の拡大のために、多額の借金をして土地をいくつも購入したことだった。
例年の収益ならなんとかなる算段だったが、今年の収益は激減してしまったので、多額の借金だけが残った。しかもグラーブトン男爵家の名目で借りていたので、家自体が危機に陥ってしまった。
それでパニックに陥ったグラーブトン男爵家は、リリーに助けを求めることにした。それで彼女に帰ってくるよう、繰り返し手紙を出したということだった。
リリーはアルフレッドの手紙に書かれた、そのような詳細を読んで、ああ、実家に帰らなくてよかった、と心底思ったのだった。
それから、どうすることもできなくなったグラーブトン男爵家は、爵位を返上して庶民階級になったらしい。
キャスリーンはというと、実家が借金を肩代わりする代わりに、ジョージとは離婚させられ、公爵家に呼び戻されたという。
しかし彼女も何のお咎めもなくという訳には行かなかった。それはそうだ。公爵家からしても、彼女は自分の家の評判を貶めるような行動を重ねたのだ。
キャスリーンはある辺境伯の当主のところに監視つきで嫁ぐことになったという。
その処遇は、貴族としてそれほど不名誉なものではなかったが、彼女は失意のうちにあるだろう。彼女のような貴族にとっては、華やかな生活のある王都で暮らすことが重要なのだ。それが辺境に縛りつけられ、監視のせいで勝手なこともできない。
彼女にとっては、つらい日々だろうな。
まあ、同情する気持ちは湧かないけど。
リリーはアルフレッドの手紙を読み終わると、大きなため息をついた。
実家は目茶苦茶になってしまった。それは一人の公爵令嬢のせいといえばそうだが、リリーの家族が一方的な被害者とも思えない。
リリーの両親も、もともと身に余る願望を持っていて、危険な果実に手を伸ばした結果でもある。弟も自分で考えずに、都合の良い言葉に耳を貸してそれを盲信した結果だ。
なにより家族である私を根拠のない噂を信じて追い出し、キャスリーンを信じた結果だ。
当然の因果なのだろう。
リリーにとっては実家の男爵家がなくなってしまった。
ということは、今の私も貴族でもなんでもない人間ということになるのだろうか。
いよいよエドガーの家から去る時期が来たのかもしれない。
だって男爵家が、貴族でもない一般の平民を滞在させる理由なんてもうないだろう。私も、こうなってもまだ、ずっとここにいさせてもらうのは肩身が狭いし。
庶民として新しい生活を始めるのも悪くない。
もともと、追い出された私には何もないのだから、今までの生活を捨てるのに迷いはないし、貴族としての身分にも、それほどこだわりはない。
リリーは机の引き出しから、今まで実家から送られてきた手紙の束を取り出してしばらく眺めた。
それから彼女は暖炉の方へ歩いて行き、その紙の束をすべて暖炉の火の中に投げ入れたのだった。
手紙はすぐに勢いよく燃えはじめた。
リリーはそれを見ていると少しだけ寂しさを感じたが、それよりもずっと、すっきりとした気分の方が大きくて、安堵感のようなもので心が一杯になった。
その時、部屋の外から物音が聞こえた。
「おい、リリー。準備できたか?」
そういえばエドガーと出かける約束をしていたのだった。手紙を読むのに夢中でずいぶん時間が経っていた。
「うん。今行く」
リリーの出ていった空っぽの部屋の、暖炉の中では手紙がすっかり燃えつきていた。それは今や、ただの灰の塊となって崩れていた。