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プロ編4

 試合が終了した。何とか勝つことができた。ガレン大阪に勝ったことで、チームやサポーターの喜びは爆発した、終了時ピッチにいることができたのは幸せなことだった。監督やコーチ、岡田さんをはじめとしたチームメイトとがっちり握手をかわす。サポーターの所に行き挨拶をすると、僕の名前も呼んでくれた。良いデビュー戦だった。


 試合後、テレビ放映もされていたため、いろんな人からお祝いのメールが届いていた。僕は一人一人にしっかり感謝の気持ちをこめて返事をした。その試合の後から、新潟の人達にサインを求められることも増えた。それがきっかけというわけでもないが、そこから今まで以上に、普段の立ち振る舞いを正した。僕が外で適当な行動をすると、「アルビの選手が」と言われてしまう。どんな所を見られてもいいように、しっかりと行動した。


 デビュー戦の後、また出られるチャンスがあるかなと思ったのだが、同じポジションのオリンピック代表選手が怪我から復帰したため、僕の序列は下がり、また出番のない日が続いた。

 当然腐ることなく練習を続けたが、結局このシーズンは終盤に順位が決まった後の消化試合で1試合出られただけだった。初のスタメンだったが、前半で交代という屈辱を味わう。僕はシーズンの通算出場時間が90分にも満たないまま最初のシーズンを終えた。プロとしての意識は学んだが、完全に能力も経験も足りなかった。


 シーズンの終わり頃、僕はフロントに呼ばれて、来シーズンの話をされた。

 チームとして新人は2年か3年は見る方針らしいので、来年も契約することは可能ということ。しかし、このままだと来シーズンも出場時間が限られる可能性が高く、出場機会を得るために他チームへ移籍をしてはどうかという話にもなった。

 僕の元には、J2のクラブからレンタル移籍のオファーが来ていた。

 もう一つの選択肢としては、アルビレオン新潟・シンガポールというアルビレオンがシンガポールリーグに出しているチームに行くことらしい。ここなら契約はアルビレオンのままだし、結果次第では新潟に戻れるかもしれないということだった。


 僕は数日考え、シンガポールに行くことを決めた。

 それを電話で両親や友達にも報告した。


 僕の場合、自分を追い込んで、もっと精神的に強くならないといけないと思ったからだ。シンガポールリーグはJリーグよりレベルは落ちるが、激しいリーグらしい。また、逃げ道のない海外で生活することで、より成長できるのではないかと考えた。

 僕はフロントに伝え、移籍の手続きをした。そしたら、何と良太と岡田さんもシンガポールに行くと言う事だった。岡田さんはシンガポールリーグで一年やって引退するつもりらしい。



 そしてオフシーズンに入り、僕は一年ぶりに仙台に帰った。僕の両親は、僕のデビュー戦を観に来てくれた。現金なもので、父親も喜んでいたらしい。まあ親に良いところ見せられて良かった。久しぶりの実家のご飯は美味しかった。海外に移籍すると改めて伝えたら、


「もう好きに生きなさい」


 と2人から言われた。やっと一人の大人として認められたのかなと思った。両親に今シーズン僕の使っていたユニフォームをプレゼントした。


 剛と祐佳にもいつも通り会って、飲んで話した。しかし、祐佳だけ飲んでない。いつも飲むのに……。僕がお酒をすすめても、剛が、


「こいつはいいんだ」


 と言ってくる。もしかして……。

 それ以上は触れずにサッカーの話をした。2人とも僕の話を喜んで聞いてくれる。剛たちにも僕のユニフォームをプレゼントした。剛はめちゃくちゃ喜んでくれて、すぐにそれを着て写真撮影をしていた。

 僕は、


「Jリーグでいろんな選手を間近で見たけど、オレが一番尊敬する選手は昔から剛だよ」


 と言ったら、


「当たり前だろ」


 と、ドヤ顔していた。

 それで気分が良くなったのか、久しぶりに僕と飲んだからなのか、酒が進む進む。

 剛は酔っぱらいながらアルビの試合のビデオを見て、僕はもちろん他の選手にもダメ出しをしていた。

 この日、剛はベロンベロンになった。

 僕が帰る時、玄関に見送りに来たのはいいが、一人でこけていた。祐佳がそれを見て、


「キモッ」


 と言ったのがうけた。剛は倒れたままだったので、僕は祐佳に、


「元気な赤ちゃん産めよ」


 と言った。


「何で分かったの?」

「飲まないんだもん。そりゃあいろいろ考えるさ。でも、2人の態度とか、剛がいつも以上に気を使ってるのを見て、そうゆうことかなって思った。剛が自分から皿取りに行ったり、台所に動いたりするわけないじゃん(笑)もう長い付き合いだからな」

「出発前に心配させたくなかったから産まれてから言うつもりだったのに……」

「確かに心配だけどな。お腹触っていいか?」

「いいけど、まだ動いたりしないよ?」

「いいんだよ」


 僕は祐佳のお腹に手を当てて言った、


「元気に産まれてくるんだぞ」

「うん、何か大丈夫な気がする(笑)」

「祐佳、剛のことよろしくな。お前も体に気を付けて」

「私も頑張るから、頑張ってきなさいよ!」

「OK! じゃあまたな」


 そう言って僕は家に帰った。


 広陵のサッカー部とは、僕以外の全員が無事大学生になったこともあり、年末に総勢16人での旅行をした。日中にスキーをして、温泉に入り、部屋でみんなで飲んだ。僕の話をみんな聞きたがっていたので話した。


「でも、頑張れたのは新潟に行った日、みんなからの『栄光の架橋』があったからだわ。あれは本当に電車の中で泣いたからね(笑)」


 優太が得意気になっていた。

 高校時代の話や、選手権の決勝の話など、会うと同じ話をするのだが、何回話しても楽しい。

 ひとしきり話が済んだ後、僕等はウノを始めた。負けた人が湯飲み茶わんでイッキをするという罰ゲーム付きで。僕はなぜか負け続けた。シーズン中にそんな飲んでなかったということもあり、すぐ酔いが回って気持ち悪くなった。我慢の限界が来て、僕はトイレで吐いた。もうベロンベロンだったため、トイレに寄り掛かった拍子に、ウォシュレットのスイッチを押してしまったらしい。そして、僕はウォシュレットを顔面に浴び、そのままびしょ濡れになった。その一部始終を見た洋介が、爆笑しながら動画を撮っていた。実際ほぼ覚えてないのだが、その映像を後から見せられバカにされたのである。


 そんな感じで充実したオフを迎えていた。もちろんリフレッシュも必要だが、体をなまらせすぎるわけにはいかないので、毎日ランニングは欠かさなかった。

 後は、高校のサッカー部の練習にも顔を出した。学校にサインを置きたいから、書いてくれと言われ、昇降口には僕の写真と色紙が飾られた。


 僕はオフの間に海外に行く準備をした。当時はまだスマホはなかったため、海外に携帯はいらないということになり、一度携帯を休止し、パソコンを持って行くことにした。そのため、アドレスが変わるので、知り合いに一斉メールを送った。ただ、光莉にだけは、個別に、


「海外移籍でアドレス変わります。今度から何かあればこっちにメール下さい」


 とメールしたが、相変わらず返信はない。



 いよいよ出発の日、僕は成田まで高速バスで行くことになった。夜中に出発して朝着くバスである。

 夜中にもかかわらず、両親はもちろん、多くの友達が見送りに来てくれた。ヨーロッパのリーグに挑戦するわけじゃないが、一応海外挑戦である。またしばらく帰って来られない……日本の味と言うことで、なぜかスルメを渡され、バスで食えと言われた。僕はみんなにお別れをし、バスは出発した。バスの中で、旅立ち系の音楽を聞き感傷に浸っていた。


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