中学編1
中学1年生の夏休み明け、担任との面談で
「プロサッカー選手になりたい」
と言った。
サッカーボールに初めて触れたのは、確か3、4歳の頃だ。祖母がプレゼントしてくれたゴムのサッカーボールを家の庭で蹴り始めたのが最初のサッカーとの出会い。
家の近くのサッカーチームが小学校3年生からしか入れなかったこともあり、幼稚園から小学校2年生までは体操教室に通いながら、サッカーは休み時間に学校の友達と遊びでやる程度だった。体操教室も楽しかったが、ちょうど僕が小学校3年生の時にJリーグが開幕し、プロサッカー選手が子供たちの憧れになった。そのこともあり、小学校3年生から迷うことなくサッカーチームに入った。
そこからはサッカー一筋である。ただ、チームで一番上手かったとか、地域のトレセン(選抜)に選ばれるくらい上手かったわけではない。レギュラーだけどチームの中心にはなれないという程度だった。
それでもサッカーは大好きだった。小学校の学活の授業の際、担任の先生が体育館でもグラウンドでも好きなところに行って自由に過ごして良いという時間があった。クラスメイトは僕ともう1人の友達を除いて全員が体育館で図工の時間に作った当時流行っていたミニ四駆で遊んでいた。僕はそんなことよりサッカーがしたく、友達1人を誘ってサッカーをしていた。
それくらい好きだった。ちなみに小学校卒業するときに『10年後の自分へ』という作文を書いた。そこにはサッカー選手になっていますか? と、今でも剛、遥香、祐佳と仲良しですか? というようなことを書いて埋めた。
僕は基本的に自分勝手でわがままな性格である。気分が態度にハッキリ出るし、思ったこともすぐに口にしてしまうので、「毒舌だよね」とか、「ツンツンしてる」と言われていた。感情を隠せないタイプの人間なのだ。逆に自分で言うのもなんだが、良いところと言えば、正義感や責任感が強く、やると決めたら何が何でもやる人間だった。活発で友達にも恵まれていたと思う。仲良くなるとよく、「なんだかんだ言って優しい」と言われていた。自分ではあまり「優しい」とは思わないのだが、確かに困っている人を放っておけないというのはあった。
歳を重ねるごとに性格が丸くなっていくのだが、基本的にこの性格はずっと変わっていないと思う。
「中田英寿みたいに無名校の進学校から全国に出てプロになるのがカッコいいんじゃない?」
プロサッカー選手を目指していると言う僕に、中1の際の担任の先生は、面談中こう言った。
福山雅治が好きな女の先生だ。
その当時は、インターネットの情報などほとんどない時代で、何も知らなかった僕は、日本代表のエースは無名校出身で頭も良かったのだと思った。このことを高校生まで信じていた僕は、中学卒業後の進路に県内外の強豪私立高校という選択肢はなくなった。公立に行って、私立を倒し全国に出るのだと思った。
もちろん先生としては、当時成績もまあまあ良く、定期テストの順位で学年一桁に入っていた僕にサッカーだけではなく、進学校という選択肢を与えたかったのだろう。
だが、後に分かることだが、中田英寿の母校の韮崎高校は確かに公立の進学校ではあったが、サッカーもめちゃくちゃ有名な学校で全国大会に何度も出場している強豪校であった……。
そんな進路の話を担任の聡子先生としたが、面談の目的は別に進路の話をしたかったわけではなかった。上級生とケンカをして呼び出されたのである。その説教のついでに将来の話になったというわけだ。
中学1年生の夏休み位から、僕は思春期特有の中二病に早くもかかった。
小学校からの幼馴染であり、サッカー仲間だった剛と、夏休みに、
「カッコ良いんじゃね?」
と言って髪を染めた。金髪にしてライオンみたいな頭になった。
でも、
「オレらはヤンキーじゃなくて、サッカーは真面目にやって、暴走族とかには入らないでいよう」
と言っていた。自分たちなりに不良とかヤンキーとの線引きをしていた。僕らの中で、ヤンキーは暴走族に入り、カツアゲをしたり、タバコを吸って、そのタバコを下級生に買いに行かせたり(昔は簡単に自販機でタバコが買えた時代)、部活中バイクでグラウンドに入ってきて部活の練習の邪魔をしたりする連中だと思っていた。
実際にうちの中学校のヤンキーと呼ばれていた人達はそんな感じなのである。僕らはそこまで「ワル」にはなりたくなかったが、髪を染めたり、大人や学校に反抗してみたりはしたいと思っていた。要は背伸びした言動をしてカッコつけたい中二病である。
そんな感じで中学1年生なのに調子に乗っていたものだから、夏休み明けの8月下旬、昼休みにヤンキーの先輩に体育館裏に呼び出され、4人に囲まれてヤキを入れられそうになった。体育館裏への呼び出しとはベタなものである。
実は僕と剛は小学生の時から年上とケンカばかりしてきた。
4年生の頃、校庭全てを6年生が独占し、それに文句を言いに行ってケンカになった。5年生の頃、6年生が蹴ったサッカーボールが同級生の祐佳に当たり、それに謝らなかった6年生に剛が切れた。剛は祐佳のことが好きだったからいつもより怒ってケンカになった。ちなみに僕はその友達の遥香のことが好きだった。一緒にいた遥香もなぜか泣いてしまったので、一緒になって6年生に飛び掛かっていた。
そんな、昔から強気で負けず嫌いな性格、正義感もそれなりにあったこともあり、ただでヤキを入れられるわけにもいかず、剛と2人で上級生に反抗した。
「お前ら1年のくせに調子こきすぎなんだよ」
4人いたヤンキーのうち、一番偉そうなデブの金髪ヤンキーが言った。
「誰の許可取って髪染めてんだこら? 髪染めるってことはオレらの仲間に入るってことだぞ? 分かってんのか? オレらの下に着くなら、それなりのことやってもらうぞ」
僕は、めんどくさかったこともあり、何て論破してやろうか考えていた。が、隣の剛がいきなり、
「何で先輩たちの許可必要なんすか?」
と若干キレ気味で言った……。おーい、その態度は後に引けなくなっちゃうやつだよ。僕は心の中で突っ込んだ。
「なんだその態度は。殺されてぇのか!」
「すいません、こいつアホなんで。でも、別にうちらはヤンキーになるつもりも仲間になるつもりもないですよ。ただ、やりたくてやっただけです。それは自由ですよね?」
僕はとりあえずフォローしてみた。
「じゃあ勝手なことしたケジメとして、明日まで坊主にして、今タバコ買ってこい。あと、罰としてここにいる全員から肩パンくらって土下座しろ」
だめだ……こいつらまともに話ができない人種なんだ。きっと最初から脅してビビらせて、自分達の言いなりにさせるつもりなんだ。だいたい肩パンってなんだよ。めんどくさいな……。
僕もだんだんイライラしてきた。その態度が顔に出たのか、ガタイの良い茶髪のヤンキーが僕の胸ぐらをつかんで、
「舐めてんじゃねーぞ。さっきからてめーが一番むかつくんだよ」
と顔を近づけて言ってきたので、僕も相手から目をそらさず、逆に睨みつけるくらいの視線を送り、
「うるせーよ、お前ら何様だよ」
と言って、胸ぐらを掴まれた腕を振り払い、足元をおもいっきり蹴った。
不意打ちと言うこともあり、見事にこけさせることに成功した。柔道なら一本だろう。ただ、ケンカは一本取っても終わらない。逆にこの行為が始まりのコングを鳴らしてしまった。
剛はもうすでに金髪デブに飛び蹴りをかましている。僕が急にスイッチを入れたため、奇襲には成功したが、当然数的不利な状況なので、基本はやられそうになる。後ろから蹴られたり、不意に顔面を殴られる。口の中がキレて血の味がする。体中痛くなってきたが、簡単にやられるわけにはいかない。殴られながらも相手の下腹部にミドルキックを入れ一人悶絶させる。サッカー部の蹴りはそれなりにきくらしい。後ろから一人が抑えてこようとする。相手が多い中、捕まったり、倒れたりしたら終わりなので、何とか引きはがし、壁を背に闘う。
さすがに漫画のように相手をダウンさせることはできないが、なんとか2人ともやられずに闘う。運動神経が良くて、怖がらなければ、ケンカは何とかなる。これが僕と剛の持論だった。
そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけた先生たちが集まってきて、引き離され、顔や体が傷だらけのまま面談が始まったわけである。まずは治療だろ……と思ったが、そんなこと言える雰囲気でもない。ヤンキー達もどこかへ連れていかれた。
僕等の中学はまあまあ大きくて1学年7クラスあった。僕は5組で剛は1組だった。そのため、剛は1組の先生が面談していた。
元々僕らは弱い者いじめみたいなことをする、ヤンキーが嫌いだった。カツアゲ、脅し、暴力など、同級生たちが受けていた仕打ちに反発したのもある。担任の聡子先生も、そこは分かってくれていたらしく、あんまりきつく怒られることはなかった。それどころか、将来の話も聞いてくれた。そして、
「あなたはかっこいい顔してるんだから、変に髪を染めるより、黒髪の方が似合うしモテるわよ」
と言ってくれた。それもあったし、サッカー部で金髪では試合に出せないと言われたので、すぐ黒に戻した。とりあえず、一回金髪にできたので満足した。
そして、この時からずっと髪は黒くしていた(高校の卒業アルバムの撮影と卒業式で目立つため一瞬だけ染めたのを除いて……)