表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

彼女は勉強する

作者: 朱(あさひ)

実話にささやかな装飾は施しましたが、ほぼ実体験です。

 むかし。

 亡母に言われた事がある。

 《人は生涯 修学の徒である》と。

 学校を出たらもう勉強はしなくて良い―と思うのは大きな間違いだと。

 社会に出れば社会のルールを学び、成人すれば大人の社交を学び法律を知り、伴侶を得れば新たな生活の変化を味わいつつ伴侶を深く知り、家族が増えれば育児を学び更なる世界の扉が開かれる。

 昨日まで知らなかった事が、今日一日の体験で学習し身に付いていく。

 《それが、成長するという事ぞね》


 彼女もまた、学びに貪欲であった。


 休日に溜めてしまった録画番組を消化しようと、先ずはテレビ台の前に積み上げていたVHSテープの黒い山の中から、背面に《◯◯講座一》と書いてある一本を引っ張り出す。

 カバーを外して、それを銀色のビデオデッキの挿入口に押し当てる。僅かな抵抗感が伝わるも、ゆっくり中へ消えていく。

 次にテレビのリモコンのビデオ切換ボタンを押して、視聴画面からビデオ画面に替える。それから今度はビデオデッキのリモコンを手にした。

 すると、それまで私の背後で全く興味無さそうに背を向けていた彼女が、音も立てずにテレビに近付いて来た。

 おや?と思いながら、巻き戻しボタンを押す。このテープに録画したのは三十分程度の一番組なので、あっという間に巻き戻しが終わった。その短い間に、彼女はあろうことか私の席のすぐ前を陣取った。

 フローリングの床にちょこんと座った彼女は背筋をぴんと伸ばして準備万端だ。

 何故だろう、私より真剣にビデオ画面に向き合っている。

 ともあれ再生ボタンを押す。テーマ音楽が流れ出し番組名が表示される。そして、全く飾りっけのないスタジオの中に単色の背景と大机が一つ。既に座っている初老の男性が机の上で両手を組んだままゆっくり頭を下げる。

 顔を上げたのは数学者だ。どっかの大学で先生をやってるらしい。

「こんばんは」

 本放送は深夜前だったので仕方がない。

 今は午後二時。ビデオなのだから仕方がない。

 今日観る番組の内容は、数学史の講義第五回。ピタゴラスやアルキメデスといった有名な数学者が如何にして有名な公式や数学的理論を導き出したか、という歴史を解りやすく説明してくれる。

 時に、その有名人の『ちょっと残念な話』もあったりして、なかなかに面白い。面白いから、ついテキストを探して書店を梯子して買って来た。

 だが。

 講座の内容は面白いが、三十分間ただひたすらに講師が喋り続けるのを観るのは大変だ。民放局の番組ではない為、コマーシャルがない。

 息抜きに一時停止させて、ちょっとトイレ休憩に…と思っても、切れ間なく説明が続くのでビデオを停めるタイミングが難しい。

 結局、途中で眠気に襲われて首がガクンッと揺れたら、少し巻き戻して視聴し直しだ。

 十二分程経ったか。

 ふわぁ…。眠いなあ。

 そう思ったら、ふいに彼女がこちらを振り返る。金色の両瞳がしっかり訴えて来る。

 《さっきの所、ちゃんとメモ、しときなさい》

 と。

 何の為にテキストを買ったのか?と言われた気がして、慌てて余白に講師が口にした言葉を書き込んだ。

 顔を上げたら、彼女はまた画面に釘付けになっている。

(変わってるなぁ…)

 誰に似たんだか。

 学習は勉強は、嫌いじゃない。手にする知識が増えるのは楽しいから、学生時代は割と真面目に授業を受ける方だった。

 でもガリ勉ではない。

 下校時間ギリギリまで図書室で粘る方だったけど、勉強の為ではない。帰宅して夕飯もそこそこに自室の学習机に噛り付いて、数時間も予習復習に試験勉強をした…なんて覚えはない。

 宿題だって、時には授業が終わった直後の休み時間中にこっそり済ませる私だ。間違っても、ガリ勉ではない。

 なのに彼女は今、学ぶ事に全力集中している。そのやる気に私は感動すら抱いている。

(本当に、誰に似たんだろう…)


 視聴中に、何度か彼女に《起きろ》とご指摘を受けつつも、無事に三十分乗り切った。

「では今夜はここまで。また来週お会いしましょう」

 数学者は指し棒を畳んでから、また大机の上で両手を組んでから頭を下げた。下げたままの講師を別の遠目からのアングルで映して、番組は終わった。

 再生を止めて、テープを最初に巻き戻す。

 来週分をすぐに録画できるようにする為だ。眠気を払うべく、今度はアニメ作品を観ようかなとビデオテープの黒山に近寄ると、彼女は立ち上がりテレビから離れていく。

 あれ?次、アニメやるけど、観んの?

 とスマートなスタイルの彼女に声掛ける。ほっそりした背中のラインが何とも…羨ましい。

 だが彼女は私に振り返る事なく返事した。

 にゃあ~。

 回答には充分であった。

(完)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ