第305話 負けヒロインと焼き塩鯖と−196無糖と
「我をここに導いたストゼロはこの世から消えたのであるな」
「消えたわけじゃないですけどね。−196って名前に変わりましたね。まぁ、流石にネットミームになりすぎて、イメージが先行して悪くなりましたから、ストゼロ。その人気で売れてた時は良かったですけど、あえてのリニューアルでしょうね。9度と6度の二種類ありますし」
「勇者、ストゼロ、ちょー好きぃ!」
「ミカンちゃん、炭酸ならなんでも好きでしょ?」
「しゅわしゅわ、マジェスティ!」
どういう意味よ? ストゼロが偉大なの? それとも炭酸が王! みたいな意味なのかしら? まぁ、いつものミカンちゃん構文よりも……
「大きな鯖一本。これどうしようかしら?」
「もらったのであるか?」
「はい、お魚屋さんがミカンちゃんにって、何したのミカンちゃん?」
「魚屋のババアが屋根の修理をしたいと申してり、勇者の魔法で修理せり?」
「めっちゃいい子じゃないミカンちゃん、ババア呼び以外……にしても流石に一本丸々は厳しいわね。塩漬けにして今日は焼き鯖にしましょうか?」
「うおー! さかなー!」
「想像だけで美味いのが分かるであるな」
異世界の人ってほんと魚好きよね。まぁ、美味しいけど。全体に塩を塗りこんでサバが腐敗しないように準備をしていくわ。このときの塩の量は多ければ多い方がいいわね。少なかったら腐る時があるけど、塩辛すぎてもいくらでも水で塩抜きはできるから。今日食べる分の切り身はいい感じの塩梅になるわね。
「しかし、色といい大きさといい中々のサバね。というか、デカすぎるけど」
「うむ。70cmくらいあるであるな」
「鯖ってこんな大きくなるのかしら? しばらく鯖には困らなくていいけどね。−196度もあるし、焼き塩サバをつつきながら一杯やりましょうか?」
「では、我は大根おろしでも用意しようであるな?」
ガチャリ。
さて、今日はどんな人かしら?
「これで……良かったのよね……だって二人が笑っているのを見てるのが私も嬉しいし」
なんだろう。
もうすでに地雷臭を感じるけど、私も手慣れたものね。玄関を見に行くと、あら? なんか普通の同い年くらいの異世界の普通の女性がいるわ。
「こんにちは、私は犬神金糸雀。この部屋の家主です」
「えっ? なんで誰かの家に? 私、さっきまで公園に……」
「どうしたであるかー?」
「きゃああああ! モンスター!」
まぁ、そうなるわよね。首だけのデュラハンが普通の家にはいないもの。ミカンちゃんはソファーでひっくり返ってゲームしてるし。私の部屋のいつもの風景を見て、女性はイマイチ状況が掴めていないので私が、ここにはいろんな人が迷い混んでくるので気にせずくつろいで欲しい事を伝えると……
「私はリザリー。あの……私には幼馴染がいるんです」
「あー、はい。リザリーさん宜しくね」
「何もないのどかな村だったんですけど、ある日見たこともない魔物に襲われたんです」
「おぉ、それは大変であったな。しかし、魔王様の命令であったとしても区画整理の為の侵攻で基本人命を危険にさらす事はないと思うのだが」
それただの工事よ!
「あれは、意思を持った魔物じゃありませんでした。そんな時、天空より一人の女の子が降ってきたんです。そして、偶然私の幼馴染と……その、契約して村を救ってくれたんです」
「すげー! 幼馴染主役級なりぃ!」
「で、でも。契約が……その女の子と幼馴染が言えないような事を」
「それなんてエロゲなり?」
「契約の為なんでしょ? 仕方がないんじゃない?」
この話、いつまで続くのかしら?
「最初は感情なんて微塵も無かったあの女の子が幼馴染の前では笑うようになって、幼馴染もその女の子と一緒にいる時。見たこともない顔するんですよ! そもそも、人には言えない事してる癖に、偶然手が触れ合っただけで恥ずかしがったりして! おかしいでしょ?」
「「うん、おかしい」」
「エロゲや童貞作家にありがちな、倫理観狂ってる表現なりにけり!」
いきなりミカンちゃんが評論家みたいな事言い始めたわね。とりあえず飲ませておけばこの手の人は私の経験上黙らせる事ができる……とこの時は私も思っていたのよね。
「リザリーさん、とりあえず今からお酒飲もうと思ってたので、ご一緒に! (さっさと潰れて欲しいので)缶のまま行きましょうか? じゃあ、みんな! −196は持ったかしら? 乾杯!」
「おぉ、いきなりであるな! 乾杯」
「乾杯なりぃ! ぷひゃああ! うみゃああああ!」
「乾杯です。んっんっんっんっ! ふぅ、おかわりいただけますか?」
やばいわね。
ワクワクしてきたわ。リザリーさん、ただの村娘じゃなくて、飲兵衛のムラ娘だわ。
「はい、ロング缶でどうぞ」
「金糸雀さん」
「はい?」
「その女の子なんですけどね? 私の幼馴染の好きな物って何かな? とか聞きに来るんですよ? 私が一番、幼馴染の事知ってるからって……どういう感情で聞きに来るんでしょうね? あのメスガキぃ。私と戦争するつもりなんですかね?」
「……いや、どうなのかしらね? 私もそんなに恋愛に明るいわけじゃないんであれだけど……鈍感なのかしらね? リザリーさーん! ほら、焼き塩鯖できたわよ! 大根おろしに醤油かポン酢をかけてどうぞ」
リザリーさん、綺麗な人だと私は思うわ。スタイルだって悪くない。きっとモテるんでしょうね。でも分かるのよ。このリザリーさん、なんとなくだけど同世代と付き合う事も結婚する事もないんだろうなって、村の同世代はなんとなくこいつ彼氏いるんだろうなみたいな自分じゃ釣り合わないなーみたいな。で、リザリーさんはリザリーさんで受け身でいつかは幼馴染にプロポーズされて結婚するんだろうなーみたいな能天気な事考えてるからそんな未来はなくて、気がつけば年上の高給取りの人とお見合い結婚、異世界の場合は貴族かなんかと結婚するだろうなー、みたいな? だって、こんなに焼き塩サバを上品に色っぽ食べる村娘いる? みたいなこの無駄なオーラ。
なんて言うのかしら、この人。
「負けヒロイン……なりにけり……」
そうそう? えっ? なんて?
「文明を持つ前、子孫繁栄の為だけに雄と雌がいた時代が終わり、有史と呼ばれる時代には既にいたと古文書に記載されている存在であるな。ある種の信仰対象とすらされている“負けヒロイン“ここにあり」
「……恐るべし、ヒエラテックテキストなりにけり……ギャルが誰にでも優しいので弱者男子に夢を抱かせるのと同じく、負けヒロインなら自分もとか思わせてしまう蠱惑の存在なりにけり」
ミカンちゃんとデュラさんがかつてない程に恐れ慄いているわ。そんなミカンちゃんとデュラさんを見てリザリーさんが……
「それって、結局私があの女の子に勝てないって事ですよねー、金糸雀さーん。お酒お代わりいただけます?」
「何本でもどうぞ」
私はひとまずロング缶を3本、リザリーさんに手渡すわ。もう飲みなさい。飲んで忘れて、吐いて明日後悔するように飲むといいわ。私にしてあげれる事は介錯くらいだと思ってたらミカンちゃんが綺麗な長い指を振ったわ。
「チッチッチ! 甘し! 天津甘栗よりも甘し考えと勇者は宣言せり! 負けヒロインを消滅させりスペルが存在せり、そのなも領域・ハーレム展開なりにけり!」
ハーレム展開……ですって? ミカンちゃん、貴女……今日はなんでそんな良い子なの? 普段は地味に誰かをディスるのに……
「勇者様……くわしく」
ミカンちゃんは焼き塩サバに醤油をかけてパクリと食べる。「うみゃあああ!」と叫んだ後、まさかの大根おろしのみをぱくり。
そして−196を飲み干したわ。普通に美味しそうね。
「リザリー。焼き塩サバになれると思う事なかれ、大根おろしもまた、美味なりにけり! 強請るな! 分かち合えり!」
「あぁ……あぁ………ああああああ、勇者様ぁああああ!」
何これ? 要するに幼馴染に抱かれて来いって言ってるのよね? そもそも奥手なリザリーさんに出来るの? というか大根おろしってなんか分からないけど酷くない?
まぁ、でもこれで落ち着いたならそれでいいか。
「私、帰って幼馴染と話してきます! ご馳走様でした!」
「頑張ってね! リザリーさん」
「メインヒロインよりサブの方が人気がでり! レムりんなりにけり!」
「ご武運をであるぞ」
私たちが希望に満ち溢れているリザリーさんを見送った時、玄関の辺りで不穏な会話が聞こえたことだけは聞かなかった事にするわ。
「恋愛に勝てぬ哀れな魂よ。私の勝利の祈りにて、恋敵と差し違えてでも勝ち取れる聖なる力を与えましょう。この力により何もかも全てを滅ぼす事になろうとも貴女の願いは成就されるでしょう!」
「ありがとうございます! 女神様!」




