第176話 最古の魔術師とバターピーナッツとバット69(旧ボトル12年)と
日本が戦争に負けて18年。随分周辺の復興、そして戦前よりも様々な面で技術が進歩したんだろうと思う。
私、こと犬神鶺鴒は歴史の転換期にいながらも島崎東村先生の同人誌※【今で言うところの真似た小説ね】を書いたり、詩吟を読みながら過ごしていると、気がつけば20という婚期を逃したわけである。
意外と戦争の被害の少ない地主の家に生まれた三女、いや実際の三女は3歳くらいの時に死んだと聞かされたので一応四女だったか? である私は上の姉二人の結婚の後に安堵して逝った両親が残したそこそこ広い家で自由気ままに親の虎の子を食い潰して生活しているわけだ。
こんな時代にも楽しい事の一つや二つはあるわけで、頼み込んで上野旅行に行った際に売ってもらったウエスケ(ウィスキー)があるのだ。
「よぉーし、一杯やるか」
自他共に認める落伍者である。お酒のつまみは主張してはならない。これは私の持論である。裏切り者ドイツ国のウェンナァやクラッシックバーのポティトチップゥスなどもってのほかだ。そもそもあんな高級品をしょっちゅう食べれる奴はGHQの連中くらいだろう。
そういう観点からウエスケのおつまみは落花生のバァタァー炒めに限るという事になる。レコードはモダンジャズに限る。
嗚呼、我ながらなんという最先端の楽しみ方をしているんだろうか? バットをグラスに小指頭分注ぎ香りを楽しむ。
ガラガラガラ!
「ギユニィウ屋さんかな? はいはーい。待っておくれ。んん? んん! 誰ぞ貴様ら!」
そこには、運動服を着た同い年くらいの娘と、えらい長い杖を持った。長髪の男の二人組。
「ちょ、ナナシさん。全然元の時代に戻れないじゃないですか! あの、私は犬神金糸雀と言います。あのですね。信じられないかもしれませんけど、未来からやってきたりしてる感じの」
「未来……仮定したとして、私は犬神鶺鴒。この家の家主だけど……同じ犬神性ってまさか」
目の前の娘がブワっと泣き始めた。
「おばあちゃん!」
「だ、誰がお婆ちゃんだ! いや、そう言う事? ちなみに金糸雀は何年後からきたん?」
「ええっと、2023年です。もう終わりかけですけど」
「なるほど、56年後には私はもういないのか……」
「いえ、普通に田舎にいるよ。と言うかこの家、当時はこんな感じだったんだ」
仮定すると未来の孫がやってきた。えっと? という事は婚期を逃した私は結婚するのか……しかし、髪の色がキツネみたいにえらく明るい。
「もしかして、金糸雀の両親のどちらかは異国人か?」
「あー、髪色ですか? これ染めてるんですよ」
「で、察するにこの男のせいで元の世界に帰られないと」
「いやー、誰も信仰してくれないんで、力がねぇ。昔はこれでもあれよ? 選定の剣とか教えて王様に抜かせたりしてたんだけどねぇ」
優男が、言い訳ばかりしそうな感じだな。それにしてもさっきから金糸雀が私のバットを見ているのだが、
「金糸雀はやる口なのか?」
「いやぁ、もうそれはやる口ですね。しかもこの時代にウィスキーってお婆ちゃんハイカラー!」
「それほどでも! んじゃ、戻れないならここに泊まればいいし、一杯付き合いなよ。そこのお前、ナナシだっけ? 今落花生炒めっから」
バターと塩で剥いた落花生を揚げ炒め、簡単・最速のおつまみの完成だ。
皿に乗せて、グラスを人数分用意。レコードも再生して、
「じゃあ未来の孫とその孫に迷惑をかける優男に乾杯!」
「わー、乾杯!」
「乾杯でーす」
未来の孫はウエスケの味を知っているみたいだなぁ。それにしても口の中で転がしてから、
「これが旧ボトルのバットなんだぁ! 美味しい」
「バットは飲んだ事あるのか?」
「うん、あるよーというか部屋に何本かストックがあるかな」
「え! 金持ち?」
いやいや、このバット。私もちびちびやるのに1年くらいかけて飲もうと思ってるんだけど……
「海外のウィスキー。ある時点からめちゃくちゃ安くなるんだよ。だからこのお酒も子供のお小遣いくらいで買えるようになるけど、味が全然今のと違うよ。こっちの方が美味しい」
「うーん、確かに鶺鴒さんが入れてくれたから美味しいのかもしれないなぁ」
はぁああああ! なにコイツ、そんな事あると思うけど……さては私に惚れているな。
「ほれほれ、落花生も食べなよ」
「あー。お婆ちゃんのバタピーだ! これ、私大好きなのよね! いただきまーす! うまー!」
ポリポリと食べて喜んでいる金糸雀。それにしても私の家は女子には鳥の名前をつける取り決めでもあるのか? 一番上の姉は斑鳩、二番目の姉は翡翠だしなぁ。
「察するところ、優男の魔術、妖術の類で金糸雀がこっちにきたわけだよな? だったら、私の蔵書にある宿曜術の書や、古本屋で買った魔術書が何かヒントになるかもな。持ってこよう」
どさどさと私が用意した本を優男が手に取って震え出したぞ? なんだコイツ酒に溺れてるのか?
「て、天使ラジエルの書……なんでこんなところに」
「この前、日本が負けた戦があったんだよ。その時に金持ちの家の蔵書が売りに出されてな。誰も買わないから私が買ったんだよ。何それ有名なの?」
「あー! これ私も知ってる! お婆ちゃんがカップヌードルの蓋に乗せてた! お婆ちゃんカップヌードル大好きなんだよ!」
へぇ、カップヌードルが何か知らんけど……なんか未来の私、あんま変わりなさそうだな。と言うか金糸雀、めんこいな。よく見ると私に似ているぞ! と言う事は私もめんこいわけだ! 少しキツめの瞳に、薄い唇、胸は……それなりにあるな。しかし未来の人間、米人みたいな体型してるんだなぁ。
ウエスケをクイっと飲み干す気概。
「なんか分かったか優男?」
「うーん、分かりました。金糸雀ちゃんを元の世界に戻せます」
「良かったじゃないか! じゃあ最後に乾杯と行くか? 金糸雀に一杯、私に一杯、最後に優男に一杯ってな! エギリスの言葉だ」
私たちはカチンとバット69を合わせて飲み干す。未来の孫と呑むか、未来の私は今もこの金糸雀と飲んでいるのかね?
「大魔法を発現させますよぉ! この魔法を使うと定期的に異世界と繋がるようになっちゃうみたいですけど、まぁしゃーなしですね!」
えっ? 何それ怖い。
私が止める前に優男は魔術を使って門を開いた。
「天使ラジエルよ。主神マフデトガラモンへの道を開きたまえ! アーメン・ソーメン・ナンマンダブ!」
これ大丈夫なやつか?
と心配する私をよそに天井に光の門が現れたが? 金糸雀はその力に吸い込まれていく。もちろん私が出したお酒を飲み干してだ! さすがは私の孫。
「おばーちゃん! また一緒に飲もうね! 今度ジョニ黒持っていくよ!」
未来すげぇ! ジョニ黒なんて一回くらいしか飲んだ事ないぞ。
私は孫に手を振りながら、一人で飲み直すかと思ったが……
「おい優男」
「なんです鶺鴒さん?」
「お前は帰らんのか?」
「いやぁ、さっきも言った通り、金糸雀ちゃんは元の時代に戻せるって話ですね。あとタイムパラドックス的な問題で」
何それ? コイツちょいちょい横文字使うの腹立つな。しかし帰れなくなると言うのはなんとかしてやらんといかんだろうが……
「金糸雀ちゃんですね。お爺ちゃんの顔知らないんですよ。金糸雀ちゃんのお兄ちゃんまでしか会った事ないのかな?」
「へぇ、よく知ってるな。金糸雀の知り合いか? ところで優男。お前、本当の名前あるだろ? なんてんだ?」
「えぇ、名前はですねぇ」
日本には絶対になさそうな響きと名前だなぁ。外国の優男だしなぁ。コイツの帰る方法を調べないといけないだろうから少しくらいは家に置いてやるか。
「鶺鴒さん」
「何?」
優男が私より頭を下げて、私の手を取ると、左手の薬指に指輪をはめた。そして懐から大きなコップみたいな容器を二つ取り出したぞ。
「これ、さっき金糸雀ちゃんが言ってたカップヌードルです。あと四年後くらいに日清より発売されます。金糸雀ちゃんの部屋から拝借してきました。ははっ、あの金糸雀ちゃんがいたので言えませんでしたが、私。金糸雀ちゃんのお爺ちゃんです」
おーおーおー! そんな感じはしていたんだけど……いやいや、お爺ちゃんと言っても母方、父方とあるからな。
私は昔から思慮深い子と言われてきたんだ。
「コホン、で? その優男の奥方は?」
「貴女です。鶺鴒さん。結婚してください。色々な運命を全て捨てて貴女に会いにきました」
こいつ、ヤバい奴だな。
まぁ、とりあえず……
「その“かっぷぬぅどぉるぅ“ってのを食べながら話を聞こうじゃないか、と言うかこれが食べ物とか信じられんけどな」
私が思うにこの優男は、アンリ・ブルイユが描いとされる最古の魔術師だろう。マーリーンなんかもあれのモデルだと私は持論があるしな。
さて、そんな優男が何故極東片田舎の地主の家にやってきたのやら。
戦後に流行った外国人結婚詐欺を半分私は疑いながら、鼻歌を歌ってお湯を沸かしている優男の背中をしばらく見つめていた。