第147話 ヘラクレスと牛丼と神の河と
「あー、カナはいいや」
世の中にはナイフよりも人を傷つける言葉という物があるのよ。相手にとっては何気ない一言だったとしても言われた方は一生その言葉を背負って生きていく事になるの。
イジメとかはそうね。加害者の方は段々と子供の頃の懐かしい記憶程度に収まっていき、被害者の方は人生を棒に振るくらいのトラウマを植え付けられるみたいな感じね。
いろはさんが朝っぱらからやってきて、ミカンちゃんとアズリたんちゃんとニケ様を連れて出て行ったのよ。なんでもモデルに欠員が出たので急遽三人を貸してとの事で、私も化粧をして準備をしてついて行こうとしたら言われた一言。
“あー、カナはいいや“
いろはさんってそういうところあるんですよね。なんというか言っていい事と悪いところを知らないんですよ。
「そう思いませんか? デュラさん!」
「金糸雀殿。よくない方に酒が入っているであるぞ。まぁ、我が言うのもなんであるが、金糸雀殿はその中々に魅力的であると思うである」
もうね。デュラさん、言ってほしい言葉をそっと入れてくれる。そして私のヤケ酒にも付き合ってくれるし、やっぱ最高の呑み友よね。
ガチャリ。
「あー、お腹すいた。犬神さ、じゃなくて金糸雀。何か食べさせてくれー」
やってきたわね。ニケ様並に私が警戒しているハイエルフ。セラさん、決して弱いわけじゃないんだけど、自分の限界量知らずにあるだけ呑んでしまう酔いどれエルフ。ウチは子ども食堂じゃないのよ。
「セラさん、そんな感じで入ってきて兄貴にブチギレられませんでした?」
「そりゃ犬神さんのキレ散らかし方はとんでもなかったさ。二、三度水責めにされたよ。私がハイエルフじゃなかったら死んでたかもね」
きっと兄貴をそこまでキレ散らかさせたセラさんに非があるんでしょうね。でも兄貴、美人のセラさんと同棲してたのになんかこう、ドキドキする話の一つでもないのかしら?
「セラ殿。お茶である」
「デュラハン……これ、中身を焼酎のお茶割りに変えてくれないかい?」
日本が長かったにしても緑茶ハイ飲みたがるエルフなんて聞いた事ないわよ……それにしても何を食べに来たのかしら。私とデュラさんは二人で冷蔵庫の中を覗き込んで出した答え。
「牛丼でも作ろっか?」
「牛丼が作れそうであるな」
息ぴったりね。
牛丼、一般的に牛丼という食べ物はサラリーマンや運動系の部活に通っている学生のガソリンみたいなものよね。いいおつまみになるんだけど中々女子一人ではお店に入りづらいのよね。そこで自家製ね。
「おぉ! 牛丼、私は好きだぞ! パチスロで全額お金をすった時に泣きながら食べたっけ、あの時は犬神さんにめちゃくちゃ叱られたなぁ」
セラさん、ロクでもないエルフだなぁ。兄貴、酒にタバコもやるけど、博打とか大嫌いだもんね。セラさんはテレビをつけて夏の甲子園野球を見ると微笑んでるわ。昔、ここに住んでたなら懐かしいのかしら?
「昔、ロキとかベルゼブブとかみんなで野球賭博したっけ、あの時は犬神さんから放り出されたなぁ。なついなぁ」
このエルフ、早くなんとかしないとダメね。デュラさんなんかちょっと引いて、料理に集中しちゃってるじゃない。
「金糸雀殿、少し我風アレンジをしてもよろしいであるか?」
「全然全然、どうするんですか? とりあえず玉ねぎくし切りにしますね」
私一人ならすき焼きのタレか割下で簡単に作っちゃうけど、デュラさんといるとちょっと手間かけちゃうのよね。お酒、味醂、醤油、お水、そして生姜と……私の料理用に私や兄貴が使う飲んでもクソ美味しい。ヤクザの酒・剣菱じゃなくて、デュラさんは、安い白ワインを超能力でふよふよと持ってきたわ。
「日本酒の代用品に白ワインはいかがと思ったである」
「あぁ、案外美味しいかもですね。作ってみましょうか」
「じゃ、じゃあ私はその剣菱いただいておこうかな……」
「セラさんは静かに待っててくださいね。あと麦茶飲んでてください」
ガチャリ。
「誰か来たんでセラさんお出迎えしてもらっていいですか?」
「あぁ、任せておけ」
玄関に行くセラさんが「おぉ、久しぶりじゃないかぁ! いつにも増していい身体してるなー」とか世間話してるけど、誰が来たのよ?
そうこうしてる間にデュラさんの白ワイン牛丼の具が煮たってるわ。ほぐした国産牛バラ半額も煮込んで完成ね。
「ういっす犬神さ……」
やだイケメン! ちょっとガテン系入ってる爽やかなジムトレーナーとかしてそうな筋肉質のとにかくイケメン。
「ええとぉ、兄貴の妹のぉ、犬神金糸雀です」
「おい、金糸雀どうした? なんかキモいぞ」
セラさんもだけどなんで異世界の人はすぐにキモいキモい言うのかしら……それにしても兄貴のお友達?
「犬神さんの妹か、どうりで別嬪だ……妹さん、離れて、強力な魔物だ」
「デュラさんはウチの同居人なので安心してください」
「うむ、戦場で相対すればどちらかが朽ちるまで戦う事になろうが、我はこの場では無駄な戦は好まぬである。共に元人から神になったか大悪魔になったかの仲、ここは矛をおろして同じ酒を喰らおうではないか? ヘラクレス殿」
ヘラクレス。流石に私も知ってるわ! というか元々人だったのね。
「ふむぅ、成程分かった。自己紹介が遅れたな。妹さん、そちらの旦那の言う通りヘラクレスってんだ。これでも一応神警やってて、ニケの姐さんを」
“逮捕しに来たんだ“
暗い顔でそう言ったんだけど、私とデュラさんは笑いを堪えるの必死だったわ。もう多分ニケ様逃げられないわよ。
どんぶりを取り出すと、私は炊き立てのご飯をよそってデュラさん特製牛丼の具を乗せる。
お新香、生卵、紅生姜を用意すると、さっきまで私がヤケ酒していた神の河をみんなで飲みましょう。
「おっ! 懐かしいねぇ。妹さん、犬神さんもそれよく飲んでたよ。いいちこより、俺はかんのこってさ」
兄貴言いそう……基本ブランデー派の人だから洋酒っぽい日本のお酒が好きなのよね。ウィスキーみたいな味わいの朝倉とか神の河とか飲んでたわね。
「牛丼と神の河はベストマッチですよ! 先割りのトゥワイスアップやオンザロックでもいいんですけど……ここはレモンピールを入れたハイボールにします」
深めのクラフトビールを飲むグラスを用意してそこにロックアイスを二、三個。神の河を4、ソーダ水を6。たまに焼酎ハイボールは半々を推す人がいるけど、焼酎ハイボールはやや度数を抑えた方が美味しいのよ。ウィスキーハイボールが大体8%から12%くらいだけど、焼酎ハイボールは4%から6%くらいね。
その代わり、スパイスを足して味付けするのもいいわね。今回はレモンピールでスッキリ感アップね。
「ニケ様は今、何も知らずにモデルとしてチヤホヤされて喜んでると思うので、しばらくすれば帰ってきますからその間、私たちは牛丼をおつまみに乾杯しましょう!」
デュラさんが超能力でグラスを掲げると、
「ヘラクレス殿、戦場で出会わなくて良かったである。同じ酒を飲める悦びに、乾杯である!」
「「「乾杯ー!」」」
うん、いいわね。神の河のハイボール。中々の味わいよ。
「うまっ! 妹さん、うまいよ」
「ほんとだな。金糸雀は酒の入れ方上手だ」
「金糸雀殿は酒知識のプラチナランクであるからな!」
いやいやいや、そんな褒められるとニヤけますって……こんな美男美女に囲まれて、そして私は流石はセラさんとヘラクレスさんが兄貴の友達だなぁって思ったわ。
「食べ方完璧ですね……」
「うむ、我もそういう食べ方なのであるなと驚いた次第である」
そう、私が言おうか迷った牛丼をおつまみにする際の食べ方。牛丼の具をちょこちょこつつきながらお酒を飲むのよね。
「かー、うめぇ! 妹さん、オンザロックでお代わりいいかい?」
「あ、はいはい。ヘラクレスさん、お酒好きなんですか?」
「あはは、よく犬神さんに叱られたもんだね」
えっ? 今なんかとんでもないワードを聞いた気がするんだけど……気にしなーい。イケメンが美味しそうに食べている姿を見るだけで眼福よ。
「おぉ、確かに牛丼の具は至高のおつまみであるな。しかしご飯が無くなってしまわなくないであるか?」
デュラさんのその申し出に私が答えようとしたら、
「デュラハン。違うんだ。ご飯はシメなんだ。あくまで酒のアテで牛丼を食べる場合、私たちは牛肉と玉ねぎとお酒に集中すべきだろう? 金糸雀、私にはハイボールをお代わり。そこで、生卵さ。利口なデュラハンならもう分かるだろ? 犬神さんには食の楽しみ方を沢山教えてもらったっけ……」
「あぁ、あの人。親父……じゃなくてゼウス様相手でも物怖じせずに作法を教えてくれる人だったなぁ」
「ま、まさか。肉汁と牛丼のタレの」
そう、そのまさかなのよ。卵かけご飯とお新香とお味噌汁という究極のシメが待ってるの。そのシメですらおつまみなんだけどね。
ゴクリとデュラさんの喉がなったわ。今までかきこんで食べると思っていた牛丼の食べ方の新たな新説に驚いているでしょうね。
私も二杯目の神の河ハイボールをいただきながら、殆ど牛丼の具が無くなって来た頃、生卵をカツンと牛丼に落としたわ。
その時、嗚咽が聞こえる。
うっ、うっ、うっと……まさかセラさん、また? とか思ったら。
「どうして、ニケの姐さん……罪を犯したんだよぉ……うぉーなんでぇ、ぐすっ」
あっ、ヘラクレスさん泣き上戸だ。
「ヘラクレス殿、あやつの事は忘れるといい。アレはもうそういう現象や災害みたいなものと我も諦めている。魔王城にもよく物乞いに来ていたものだった。魔王様はお優しいからあのクソ女神とも飲み交わしていたらしいであるが……」
「魔王、あ。アズリエル? あいつは良い男さぁ……俺なんかともよくさぁ……飲んでくれて、犬神さんとアズリエルと、バーに連れて行ってもらってさぁ……うおーん」
そんなヘラクレスさんを見てセラさんが、
「全く、酒に飲まれるなんて一応君は神だろう。ふふっ」
とか凄いヤレヤレ感出してるけど、ヘラクレスさんの泣き上戸はそんな迷惑かけないんで別にいいんですよ。
「犬神さんの妹さん、こんな可愛いなら先言っといてくれよぉ……」
ほらぁ、こういう絡み方よ! こういうのできないのかしら!
「たっだいまーなりぃ! この匂いはぐぅどん(牛丼)!」
「クハハハハハ! 出迎えよ! 余がただいまを申しておる!」
「みっなさーん! 女神が来ましたよー。おかえりさないはないんですか?」
来たわ。
ウチのクソ、美人三姉妹。北斗三兄弟も実は四兄弟なんだからね! 私の名前を言ってみなさいよ!
でもこれで長女が逮捕されていくんで少し静かになるし、寂しくなるかな?
「ニケの姐さぁん……なんで? なんで罪を犯したんだよぉ! 貴女を、逮捕しますぅ」
「ヘラクレス……分かりました。ここでは皆が見ています。玄関へ、泣くんじゃありません! 男の子でしょ!」
「それはジェンダーハラスメントですよぉ。うわーん!」
神様の中でもマイノリティー殺しが広がってるのね。最近何でもかんでも敏感だけど男らしいとか女らしいと言われて嬉しい人だっているし、広義の意味では褒め言葉なんだけどね。
そんな事よりニケ様、やる気ね。
「さぁ、ヘラクレス、笑って見送ってあげます。私は元気な貴方が見れて嬉しかったですよ。私にとっては軍神ヘラクレスは息子や弟の様なものです! 私は勝利の女神ですから! 貴方たち下位の神々の規範として今後も精進して行きたいですね! はいさようなぁ」
ぎゅっとハグするとニケ様はヘラクレスさんを無理やり追い出したわ。
罪をどれだけこの人は上乗せしていけば気が済むんだろう。
「金糸雀ちゃん! 私も牛丼が食べたいです!」
そんなニケ様の逃亡劇がついに終わる時が来るとはこの時の私たちには知るよしもありませんでした。
神々の中でニケ様の神格を取り下げるかどうかの閣議決定が進んでいるなんて……そんなクソ面白いことになっているなんてね。
要するに海外逃亡して国会に出ない議員みたいな扱いね。