第140話 オーディンと鰻丼とスプリングバレーと
“塩対応“そんな文字が書いてある痛Tシャツを着ているミカンちゃん。XLサイズの為かワンピース風。癖毛がなんともあざとさを醸し出しているわね。まぁ、本人にその気がないんだろうけど、ある意味童貞を殺害する風貌の一つだと思うのよね。あくびをしながらノートパソコンを叩いているミカンちゃん、最初は私の中古パソコンを触ってた筈なのに、今や目が飛び出るくらい高額なノートパソコンをいつの間にか購入して自分専用機にしているそんな朝。
「勇者! また朝から“ぱちょこん“ですか? 不健康極まりないですよ? そもそも貴女は勇者なんですからいいかげん魔王討伐の旅に戻ってはどうですか?」
これまたベビードールを着たクソえっろいニケ様が起きてきて意外と早起きなミカンちゃんにそう注意してる。まぁ、ニケ様の言い分は間違ってないかもしれないんですけど、ニケ様はもう何も言えるような立場じゃないのよね。というか今現在ニケ様を女神と言っていいのかも私には分からないわ。
ガチャリと扉が開く。最近扉が開く度に異世界の人が来たかと思うんだけど、今のはアズリたんちゃんね。リュックにデュラさんを入れて24時間スーパーにお買い物をお願いしてたの。ある意味リュックに生首が入っていると思うと少し笑えないわね。
「クハハハハ! 今帰ったぞ! 者共出迎えよ!」
「お帰りなさいアズリたんちゃん! 外暑かったでしょ?」
私は氷の入ったカルピスウォーターをアズリたんちゃんに渡すとアズリたんちゃんはそれと上品にストローで啜ると、いつも通りニコニコ笑う。
「余は耐熱、耐冷共に神々の領域である! が、金糸雀の世界は暑い! わしゃわしゃと虫ケラも中々に煩くて面白し!」
ミカンちゃんもクソ暑いなりぃと言ってたので、加護とか貫通してくるのかしら? 日本の夏ヤバいわね。
アズリたんちゃんに買ってきてもらった物は……超高級品。うなぎよ! たまにはスタミナがつくものを食べないと! という事で中国産の特大鰻を五人前買ってきて…………こ……
「国産……アズリたんちゃ……」
一匹1780円の特売で五匹。これでもまぁまぁの出費だったんだけど、国産鰻四千円を五匹、二万円……
「クハハハハハ! 余の生まれ持っているアルティメット鑑識眼で見たが、こちらの方が圧倒的にうまい! して、家来に美味い物を食べさせてやりたい余の宇宙よりも広い厚意である! 涙せよ!」
「ブワッ! 殿下ぁ!」
うん、デュラさんはアズリたんちゃんがそう言えば涙するでしょうね。私も……何故だろう。今月の食費を予定外に随分使った事で涙が出てきたわ。
「クハハハハ! そうかそうか、そんなに嬉しいか! 良い、面を上げよ」
アズリたんちゃんご満悦。これが日本のお母さんなら発狂していたかもしれないわね。まぁ買ってきてしまったものは仕方がないし、アズリたんちゃんが言うようにクソ美味しいのは間違い無いからまぁいいか。
「いいお酒を飲みましょう。アズリたんちゃんはウェルチよ!」
「クハハハハ! キレ散らかしている母君を黙らせる飲み物か!」
うん、そういうCMをYoutubeで見たのね。あーいう世の中のズレって一体なんなのかしらね。ドラマの会社員とかあんな会社員いねーし、あんな仕事ねーよ! みたいな空間だし……テレビ関係者って社会を知らないのかしら?
そういえば異世界に行っていた間のライン……
おぅ……男性アイドルグループのライブのお誘い。それもチケット奢りとか……スルーしちゃってる。ニケ様、恨むわよ!
ガンガンガン
あら、誰か来たわね。今回は異世界の住人ぽそうだけど……アズリたんちゃんが嬉しそうに嗤い、ミカンちゃんとデュラさんがやばそうな顔をしてる。
「金糸雀ちゃん、その扉開けない方がいいと女神は思いますよ?」
貴女、以前私が無視してたら異世界の人が助けを求めて開いているかも知れないとか言ってたのに、よく言えますね! という事でガチャリと開けてみる。
「人間の住処か、こんぬつわ」
「こ、こんにちは」
髭を蓄えた、田舎の貴族みたいな人きたけど、ご立派な燕尾服に恰幅のいいお腹。
「あーいだいだ。ニケさんよぉ、あんたやらかしちまったねぇ?」
「お……お……オーディン。何しに来られました?」
「そりゃあんだぁ。やらかしだから連れ戻しにアテナさんに言われ遥々来たんだがや?」
オーディン。北欧神話の最高神。私でも知っているビッグネームがやってきたわね。それもニケ様を連れ戻しに、
「おい貴様。余と力比べをせよ! クハハハハハハ!」
「魔王の娘か? 今はこのよたろうな女神連れてかにゃならんから遊なら今度だぁ」
ミカンちゃんとデュラさんの表情が明らかに笑顔に変わってるわね。二人も……知ってたけど酷いわね。まぁ、一番酷いのはニケ様なんだけど、
「お、オーディン。そうです! お酒。そして美味しい食べ物があるんですよ それを食してからでもよくありませんか?」
「酒かぁ……いやいや、仕事中だ」
ニケ様は私の部屋をさも自分の家かのように冷蔵庫から目ざとくキリンビールの現在のプレミアムビール。スプリングバレー。
「ほら、金糸雀ちゃん。先ほどの鰻を食べましょう!」
「物乞い女神よ。これは今日の夕飯だ。愚か者め!」
そうそう、アズリたんちゃんが言うように晩ごはんなんだから、ニケ様が私にてへぺろで「金糸雀ちゃん、今日は女神の顔を立ててください!」いやいやいや、もうそういうの無理って分からないんですかね?
「さぁ、みなさん麦酒は行き渡りましたか? 魔王の娘は葡萄ジュースです。ではオーディンとの再会に乾杯でーす!」
「「「「かんぱーい!」」」」
くっ……自分がこれほどまでに飲兵衛だった事を悔やんだ事はないわ。ちくしょう。スプリングバレー美味しいわね。もうこうなったらいいわ。心ゆくまで鰻丼作ってあげようじゃない。私はやや硬めに早炊きしたお米に大葉と海苔を細く切ってその上に五匹の鰻を六人分の鰻丼にできるように綺麗に切り分けて、乗せていく。
「お待たせぇ! なんでこんな微妙な時間に鰻でビール飲んでいるのか分からないけど……山椒はお好みでかけてね」
ミカンちゃんがフーフーと冷まして、鰻とご飯をパクリ。
「ヌメヌメさかなぁあああ! うんみゃああああああああ! 脳がとろけれりぃ! ここで麦酒をんぐんぐなりぃ!」
ぷはぁあああとミカンちゃんの言葉を皮切りに、デュラさんも私の作った鰻丼を……
「これが国産の鰻であるか……心してかからねば……はぅ……うまさが四方八方から押し寄せて……勇者の言う通り、これは……気を確かにせねば持って行かれるである!」
何を? いや、多分、クソ美味いから見知らぬ空間に行っちゃうみたいなお話だと思うんだけど、アズリたんちゃんはスプーンでこれまた行儀良くゆっくりと食べて。
「クハハハハハハ! 余の見立て通り、美味い! しかしこれは葡萄ジュースより茶だな」
と風情ある食べ方をしているわね。ニケ様はリスみたいに頬張って……あぁ、
ほんと残念な美人、もとい女神。こんな事で神様騙せるわけないじゃない。
「そこな人間の女子」
「はい……えぇ!」
そこにはさっきの恰幅のいい田舎のおじさんじゃなくて、ドチャクソイケメンのおじ様。鰻丼を初めて食べるからか、お箸の使い方がぎこちなくて、口の端にご飯粒つけてるのがきゃわわ!
「い、犬神金糸雀。ここの家主ですぅ!」
「そうか、こんな美味い食事と酒をもらってタダで帰るわけにはいかないな」
まぁ、ニケ様連れて帰っていただければ私たちはそれでいいんですけど、スプリングバレーをグイッと飲み干して、
「あぁ、美味い。なんだこの麦酒」
「おかわりいりますか? まだまだありますよ?」
「いただこう」
「じゃあ私も、乾杯!」
鰻丼に山椒をかけてスプリングバレーで楽しむ。なんて贅沢なんだろう。そして私はニケ様がスプリングバレーに口をつけていない事に気づいたわ。
この女神様……確信犯ね。
もしかして、オーディンさんもニケ様と同じでお酒を飲んだらこんな感じ? むしろ永遠に飲ませていたいんだけど……ニケ様はミカンちゃんのタブレットを取り上げてる。
「ああーん! 勇者のタブに何をせり?」
パシャリ! ニケ様は何故か私とオーディンさんが一緒に乾杯している瞬間を写真に収めたわ。
そして……
「オーディン。フリッグ様にこの様子を見せたらどうなるでしょう? アテナ様に並ぶ最高位の女神であらせられるフリッグ様……きっと嘆き悲しむでしょう」
プシュ! そこでスプリングバレーを開けて勝ち誇ったようにニケ様はそれをぐいっと呑み。
「わかりますか? みなさん! 結婚などという妄言に取り憑かれればすぐにこうして浮気現場の一つや二つは出来上がるんですよ!」
「さ、最低であるこの女神!」
デュラさんが素で引いてるじゃない。もうニケ様、口を開かない方がいいですよ。というか、鰻丼食べながら話す女神様とかもう何もかもが手遅れな気がするわ。
「そもそもですねぇ! あっ、この麦酒。本当においしー! 金糸雀ちゃん、おかわり」
いや……嘘でしょ。なんなんだろう。このポジティブ女神様。ミカンちゃんはアズリたんちゃんを連れて寝室行っちゃったじゃない!
「……貴様を連れ戻すのが私の役目だが……フリッグを盾にされたとなれば、このオーディン。死んでこの不覚を!」
「早まらないでオーディンさん!」
「そうである! こんなクソ女神相手に死ぬ事はなしである」
巨大な剣で自害しようとするオーディンさんを私とデュラさんで必死に止めて、残りの鰻で……鰻重を作って。
「これフリッグさんにお土産どうぞ。なんならスプリングバレーも、みんなで楽しく飲んでただけって私たちも証言しますから!」
私たちはなんとか諭してオーディンさんにお帰りいただく。その後、ニケ様は勝ち誇ったかのように……
「さぁ、オーディンは尻尾を巻いて退散したので、この女神が闇魔界より現れた魔獣を退治したお話を始めますよ!」
ともう推定三十回は聞いた、くだらない過去の栄光を語るニケ様の酔いが覚めるまで私は待ってからお説教カウンターをしようと焼酎を飲みながらその時を待ったわ。
国産鰻を買ってきてしまったアズリたんちゃんに向けられなかった私の怒りと悲しみをとくとニケ様には受けてもらうわ!