彼氏いらない宣言をした直後に運命の人に出会ってしまいました
「おまたせ〜!遅れてごめんね!」
今日は久しぶりに学生時代からの友人たちと女子会という名の飲み会に行く。
店の前に到着したのは美樹が最後だった。
じんわりと暑さを感じる中、待たせて申し訳ないと思うも久しぶりに会う顔に笑顔が抑えられない。
「それにしても美樹から誘われたの久しぶりだよね。」
そう言うのは小野愛芽莉。
彼女は大人の色気があるが明るく溌剌としている。
「前にこっちから誘ったときは泣きながら断ってたよね? なにか環境の変化があった?」
掘り返して欲しくない話題を振ってきたのは東山雅。
ほんわかした雰囲気を持つがかなりの酒豪だ。
「そうなの〜! ついに彼氏と別れました!」
答えるのは山科美樹。
先日晴れて、3年付き合った彼氏と別れることに成功した。
別れ話を成立させるのに3ヶ月もかかったのが思わぬ誤算だったが。
このところ解放感にあふれ、清々しい気分で日々を過ごしていた。引越しもして、まさに心機一転だ。
「美樹にとってよかったことみたいね。おめでとう。」
お祝いの言葉をかけてくれたのは東野麻耶。
穏やかに微笑んでいることが多いが、時々不思議な言動をする面白い人だ。
3人とも本日の酒の肴が積もりに積もった元彼の愚痴だと察したようだ。
リアルタイムではないが、やいのやいの言いながらお酒が飲めるのでいいだろう。
店に入るとき、美樹は『嫌なことがありそう』と感じた。
これはちょっとした未来予知のようなものだ。
分かることは、受け取った福引券が当たるだとか、天気予報が外れるだろうといった些細なものばかりだ。
原理はわからないが、言葉がぱっと脳裏にひらめく。
知りたいときに知りたいことに対しての予知ができるわけでもなく、唐突に言葉が直感のように脳裏に閃くので使い勝手のいい能力というわけでもない。
それでも美樹はそう感じたからと行動することも多いので、本人が思うよりその力の影響は大きい。
小市民な自分には大層な力は使いこなせないのでこれくらいの力がちょうどいいと思っているのも事実である。
ところで元彼と別れることを考えているときは『今じゃない』と感じていた。
それを無視して別れ話を切り出した結果、生まれたのが3ヶ月もの間だった。
些細なこととはいえ予知を無視することにいい思い出がないので、できるだけ従っておこうというのが美樹の行動指針である。
…であるが、一緒にいる3人の顔を見ては行動指針はないも同然だった。
ちなみに今朝は日付を確認ときに『落ちる』と感じたことを思い出した。
これに関しては曖昧なので、いつも以上に階段やちょっとした段差に気をつけて過ごしていた。
お酒を飲むので帰りにどこかから落ちる可能性もあるので、忘れないでおこうと気を引き締める。
席に座るとすぐに注文をする。
暑さに負けて全員が注文したビールとおつまみのししとうがくると、乾杯して早速ジョッキを空にする。
雅がすぐに追加のビールを人数分頼んでいた。
美樹はつまんだししとうが『辛い』と予知したが既に口の中。
辛さに悶えているうちに新たなジョッキが来たのでグイッと飲み干す。
美樹のあまりの飲み食いっぷりに3人は呆然としていたが、涙目の美樹を見て笑いがこぼれた。
3人には美樹が様々な感情を抱いていることはお見通しだろうが、目から溢れた涙はししとうの辛さのせいにする。
まだ始まったばかりだと言うのに、こんなに楽しい夜は久しぶりだ。
「ほんと、美樹と飲むのは久しぶりだね。」
「あんな男に振り回されて大変だったでしょう。こっちもいい迷惑だったわ。」
「ほんと別れてせいせいしたわ。」
「美樹が元気そうで何よりだよ。」
そう口々に言って酒を煽る。
元彼の束縛が酷く同性との飲み会すらまともに参加できなかったので感慨もひとしおだ。
このときにはすでに、予知のことは頭からすっぽり抜けていた。
しばらく歓談し、お腹が満たされた頃。
元彼の愚痴や別れるに至った経緯などを一通り話し終え、美樹は話の締めに入っていた。
そして『言わない方がいい』と感じた言葉が、口をついて出る。
「もうしばらく彼氏なんていらない!1人の時間をめいっぱい楽しむんだから!」
と、そのタイミングで大きめの人影がテーブルに落ちた。
「会いたい人の声が聞こえると思って顔を出したんだけど…。」
その声の主はまさに今話題にしていた人物であり、最も私が会いたくない元彼――石田だった。
偶然と言われてもそれを素直に受け取れないほどには、目の前の男のことを信じられなくなっている。
駅から後をつけてきたのではないか、GPS監視されているのではないか。
そんな恐怖が心をよぎる。
背が高くて顔が小さいモデル体型でイケメン。
美樹とは話が合い、一緒にいれば何をしても楽しい。そんな関係だった。
それがいつから上手くいかなくなってしまったのだろうか。
初めのうちは言葉だけで心配を伝えているだけだった。
けれどその心配ゆえの行動は次第にエスカレートし、美樹を苦しめていった。
その苦しみから逃れようとする美樹をさらに束縛し…という悪循環だった。
別れ話を持ちかけたとき、3ヶ月後の3年記念日までは付き合っていてほしいとゴネられた。
お祝いを一緒にして、その日を最後に別れるといって譲らなかった。
仕方なく了承して猶予の3ヶ月間はなるべく連絡をとらず、会わないようにしていた。
別れるその日、出されたケーキは心を無にして一緒に食べ、真顔でクラッカーの紐を引っ張った。
彼は始終笑顔で、心から楽しんでいるように見えた。
帰り支度をしている最中、片膝を床につき手に持つ指輪をケースごと向けられた。
「結婚しよう。」
女性なら一度は憧れるであろうシュチュエーションだが、鳥肌が立つのみ。
断らなければと思うのに声が出せない。
呼吸の仕方も忘れたように苦しい。
「俺は永遠に美樹を愛してるよ」
目の前の男の執着に恐怖を感じた。急いで逃げなければ。
「関わるのは、今日で、最後です。さよなら。」
なんとかそれだけ告げて逃げるように外に出た。
それが数日前の出来事である。
おっと、いけない。石田が現れたことから現実逃避してしまっていた。
気が付けば石田が勝手に席につこうとするのを愛芽莉が押しとどめている。
別れた日の話をすでに3人にしてたので剣吞な雰囲気になるのも当然だ。
雅は我関せずと言わんばかりに飲み続けてはいるが、その視線は鋭い。ちょっと怖い。雅は怒らせたくない人だ。
麻那は口を半開きにして凝視していた。目玉が落ちそうなほど目を見開いてる。
驚いて言葉も出ないという様子だ。共感しかない。
次第に騒ぎが大きくなり、他の客やお店の人がこちらの様子をうかがうようになっていた。
美樹が一言、声をかければ収まるのかもしれないが言葉を交わしたくない。
石田がこちらにチラチラと視線を送ってきていることは感じてるが、視線が合わないように細心の注意を払っている。
なにがきっかけで「まだ俺のこと好きでいてくれたんだ」となるかわかったものではない。
この場をどうやって収めようかと悩んでいたところに1人の男性が現れた。
「そこら辺でやめておきましょうよ。皆さんの迷惑になっていますよ。」
思わぬ助け船が来た。見知らぬ男性の声に大声で揉めてた2人が押し黙る。
「問題を起こしたのはこちらの男性のようなので、皆さんは先にお店を出てください。」
「なっ…!俺は美樹に用があるんだ!」
「それは騒いでいい理由にはならないでしょう。」
石田と男性が言い合い始めた隙に、美樹は店員を呼び騒ぎを詫びながら4人分のお会計を済ませる。
男性が石田を諌めている横を4人でペコペコ頭を下げながら通り抜ける。
「おい、美樹!話があるんだ!」
店を出る時も石田の声が追いかけてくる。
店内の様子が気になったが振り返るのを堪えて店を出た。
4人はなんとなく居心地が悪いまま解散した。
とんだ飲み会になってしまったと思いながら美樹は一人帰路につく。
途中、川にかかる橋の半ばでふと足を止めて川面を眺める。
店に入るときに『嫌なことがありそう』だと感じていたことを思い出し、予知は無視しないのがよさそうだとしみじみする。
夏も間近だというのに夜の川面をなでる風はどこか冷たく感じられ、意識が思考から浮上した。
河川敷に目を向けると、川べりで涼んでいるのか遊歩道にちらほらと人影が見える。
川面に目を向けると橋の上の街灯の明かりを反射しきらめいていた。
橋の下の川面がどう見えるのか、なんとなく気になって欄干に手をかけ身を乗り出すようにしてのぞき込む。
「うげぇっ」
ぐっと肩のあたりに衝撃を受け思わず変な声が出た。
続けて慌てた様子の男性の声が響く。
「ダメです!早まっちゃだめです!落ち着いてください!!」
美樹は何が何だかわからない。
混乱している間に声の主は美樹の体を軽々持ち上げて…いわゆるお姫様抱っこをして歩き出した。
「ちょ…ちょっと!やめてください!離してください!」
その願いは黙殺され、おろされることなく進んでいく。
周囲の視線が痛い。好奇の目に晒され羞恥心が募っていく。
ようやく美樹が降ろされたのは、河川敷の遊歩道に降りる階段のそばにあるベンチの前だった。
解放されるや否や振り返った美樹は、相手の顔をしっかりと確認する前に『この人だ』と直感する。
理解しがたい予知に内心混乱するが、その意味を考えることは叶わなかった。
肩を掴まれ激しく揺さぶられて思考に浸ることができるだろうか、いやできない。
「何を考えているんですか!?詳しい事情はわかりませんが、川に身を投げようとすることはないでしょう!?」
どうやら川面をのぞき込んでいるのを身投げしようとしていると勘違いされたらしい。
男性の慌てように納得した。納得したのでとりあえず揺さぶるのをやめてほしい。
「ちょ、ちょっと、待って、揺さぶらないで!川を見ていただけで、身投げしようとは思ってませんから!」
「あっ、すみません…。僕の勘違いだったんですね、よかったぁ。」
「こちらこそ、勘違いさせてしまってすみません。」
一気に脱力してしまい、近くのベンチに腰かける。
川風が冷えているので涼しく感じられた。
そういえば今朝は『落ちる』と予知したのではなかったか。
あのまま川を覗いていたら落ちていたかもしれない。気をつけようと思っていたのに油断していた。
予知が現実になる前にこの男性に助けられたようだ。感謝しなければ。
男性がお詫びだと言って、近くのカフェでアイスコーヒーをテイクアウトしてくれたので少しは落ち着けそうだ。
「先ほどは騒ぎ立ててしまい、失礼しました。」
その言葉に、美樹は橋の上で川面をのぞき込んでいただけで勘違いであることを改めて説明した。
「こちらこそ、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。」
手に持っていたコーヒーをベンチに置いて立ち上がり頭を下げる。
相手の勘違いとはいえ多大な迷惑をかけたのは事実だ。
「いえ、そんな…頭をあげてください。勝手に勘違いをして騒いでしまい、むしろ僕の方が迷惑をかけましたよね。」
「でもそもそも勘違いさせるような行動としていた私が悪いですし…」
などと謝罪合戦をしていると、なんだか無性に笑えてきてしまい思わず噴き出した。
「あははっ、こんなに謝り合っても埒があきませんね。この話はこれでおしまいにしましょう。」
いきなり笑い出した美樹に呆気にとられたのか、男性はポカンと口を開けたままだ。
それを指摘すると恥ずかしかったのか顔に朱が差していく。
美樹にはそれが可愛らしく、好ましいと感じられた。
そんなことよりも美樹は目の前の男に伝えなければいけないことがある。
落ち着いて顔を見て、やっと気がついた。
「言うのが遅くなってしまったのですが…お店では助けていただきありがとうございました。」
言うや否や先ほどよりも深く頭を下げる。
石田と言葉どころか視線を交わすことなく店を出ることができたのはこの男のおかげだ。
後始末を任せてしまったという負い目もある。
「頭をあげてください。僕が勝手に首をつっこんだだけです。それにあなた方が店を出た途端に静かになって店側にも謝罪してたので大したことはありませんでした。」
事の顛末を確認するとどうやら石田は騒ぎになったことを店と客に詫び、店の片付けを手伝うことになったという。
それならば帰り道に尾行されることもなさそうだ。
話もひと段落したことだし家に帰ることを伝えると最寄りの駅まで送ってくれるという。
心配がない訳ではないので、ありがたくお願いすることにした。
最寄りの駅までと言っていたが、同じ駅で降りる。
電車内で二条と名乗った男性は美樹と同じ道を進む。
「ご自宅はこちらに?」
「え、ええ。どうやら同じ方向のようです。もしかしたらご近所さんかもしれませんね。」
どうやらお互いに家路についているらしい。
道中、話が弾み時間はあっという間に過ぎる。
気がつけば美樹が住むマンション前にたどり着いていた。
もう少し話していたいという気持ちが芽生えていたが、美樹はそれを振り払う。
二条が実は石田の友人で引越し先を突き止めるためについてきたのでは、と思い至ったのだ。
どこまで一緒なのかと不思議に思っていたが、初対面の男性相手にもっと警戒すべきだったと反省していた。
楽しい時間を過ごせたことで少々気が緩み過ぎていたようだ。
「あの…私ここなんです。今日は」
ありがとうございました、と続ける前にとてもか細い声が聞こえた。
「…僕もここなんです…。ストーカーじゃないですよ…。」
どうやら警戒心が顔に出てしまったらしい。
少し青ざめて見える顔で弁解していた。
「いえ、ストーカーだなんて思ってませんよ!まさか同じマンションに住んでいるなんて出来過ぎだとは思いますけど…。」
フォローにならない言葉が口からでた。
ストーカーではないことを証明すると言い張る二条に、彼が住む部屋へと案内されることになった。
「ここが僕の部屋です。どうぞ。」
ドアを開けて待つ二条。入れということのようだ。なぜ。
家に上がることに抵抗はあるものの、美樹はお邪魔することにした。
もう少し話していたいという気持ちは振り払い切れていなかったようだ。
二条の部屋は清潔感があり、家具はダークブラウンで揃えられ、落ち着いた雰囲気だった。
思わず素敵な部屋だと褒めると照れるように笑った。
「明日はお休みですか?よかったらこのままうちで飲み直しませんか?お店であんなことがあった訳ですし…」
美樹ははたと思い当たる。これは油断していると危ないのではないかと。
それでも二条は店では庇ってくれ、その後に自分の心身を気遣って案じてくれた人だ。
帰りも会話は弾み、ふさぎ込んでいた気持ちを晴れやかにしてくれる楽しい時間だった。
「明日は休みです。お言葉に甘えさせていただきます。」
いつの間にか恋に落ちていた。
そこでふと思い出す。『落ちる』と予知していたことを。
「こっちの落ちるかぁ〜〜〜!!!!」
思わず額に手を当てて叫んでしまった。
自覚したのは日付が変わってからだが、恋に落ちたのは…二条を好きになったのはいつだろうか。
いきなり大きな声を出した美樹に何事かと二条が驚いていたが何とか誤魔化す。
「まずはお友達から始めましょうか!」
果たして誤魔化しのきく言葉になったのかは疑問だが。
二条は笑顔で了承してくれた。
その後は2人で語り合い、飲み明かし、気がつけば空は白み始めていた。
本当に一晩中、お互いの話や他愛のない話をしていた。
二条が窓を開け朝日を拝む。美樹も二条の隣に立ち、それに倣う。
二条を見ればこちらを向いて微笑んでいた。美樹も思わず笑顔になる。
これまでとは比べものにならない程に楽しい日々が始まることは、予知能力がなくてもわかると美樹は思った。