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コドモ⇒オトナ 恥じらいのメタモルフォーゼ

 待ちに待った日曜日がやってきた。

 十時に待ち合わせした僕。しかし、十時十五分を過ぎても彼女がやって来ない。

 遅れる連絡はまだない。「またか」と、僕が軽く息を吐くと、


「鈴鬼くーん。遅れてごめーん」


 彼女が走って現れた。


「はあ、はあっ……」

「そんなに息を切らして。また〝パジャ麿(まろ)〟観てたの?」

「ううん、今日はね、お姉ちゃんのトイレが長かったの」


 お姉さんの所為(せい)にし始めた彼女。

 彼女には、(とし)が四つ上のお姉さんと、社会人のお兄さんがいる。お兄さんにはまだ会ったことがない。


「お姉ちゃん朝から〝心の種〟が止まらなくて、トイレがずっと占拠状態だったの。もうヤになっちゃうよね~」


 笑って話す彼女だが、僕の目はごまかせない。

 彼女のつぶらな目が泳いでいる。いや、仰いでいる。ひらひらヒラヒラと、「ひかりたもれ~」と。

 僕が彼女の瞳をじっと見つめる。すると彼女の額から、一筋の汗が左頬へと流れた。

 これはダウトだ。正直に話せばいいのに。


「ど、どうしたの鈴鬼くん?」

「どうして、ウソをつくかな?」

「えっ」

「分かっちゃうんだよね。庚渡さんってウソ下手くそだし」

「めちょっく。ええっ、だってぇ、またパジャ麿(まろ)観てて遅れた、なんてさすがに言えないよぉ」

「……はあ」


 僕がため息をついた。

 ごまかせると思ったのか。僕がどれだけ君を見ていると思っている。


「……つも鈍いくせに、どうしてこんなときばっか勘が」

「え? 何か言った?」

「い、いえ、なんでもありません」

「次から待ち合わせの時間ちょっと遅らせようか?」

「ええ、それはダメ」

「なんで?」

「だって、少しでも早く遊びたいじゃない?」

「……うん。それはそうだね」

「ほんとにごめん鈴鬼くん。次こそは努力と根性で間に合わせるから」

「努力と根性でどうにかなる問題なの? そんなに観たいなら録画すればいいのに」

「いやぁ、所詮CMだから、録画するほどじゃないんだよね」


 てへへ、と彼女が舌を出すようにして謝った。

 遅らせようか、と言った僕だが、待ち合わせの時刻を遅らせたところで、彼女はどうせまた遅れるだろう。

 クリスマスの日、新幹線発車五分前に着いた前科がある。だが、僕はこんな彼女が好きなので諦める。


「じゃあ庚渡さん、今日はどこへ行く?」

「あ、決めてなかった」

「別に行きたい所がある訳じゃないんだ」

「じゃあ、鈴鬼くん()に行きたい」

「僕ん家? うーん、今日は妹の友達が家に来てて、騒がしくなりそうだから勧められないかな」

「そうなんだ、ざんねーん」

「とりあえず、ぷらぷらしようか」

「うん」


 特に行き先を決めず彼女と歩き始めた。

 彼女の部屋にはお邪魔した事ある僕だが、まだ彼女を自分の部屋に招待したことはない。

 部屋は片付いている。彼女に見られて困る物もない。彼女が「行きたい」と言ったのだから良い機会だったが、今日は妹の友達が家に来ているために諦める。

 さて、彼女の服装を見ると、今日はセーターの上にショートのダッフルコートを羽織り、長いスカートとくるぶしまでを覆うブーツを履いている。

 やはり、前とは違う。年を越してから三学期が始まるまでの間に一度彼女と遊んでいるが、今日の装いはそのときとは異なっている。


「庚渡さん」

「ん? なに?」

「庚渡さんって、オシャレだよね」

「え? やだ、どうしたの急に。私なんか全然オシャレじゃないよ。たまちゃんの方がずっとおしゃれだし」

「そうかな? いつも違う格好してるし、今日の格好もものすごく似合ってるよ」

「えっ、ええー。やだ、鈴鬼くんに褒められるなんて思ってもなかった。すっごくうれしー、幸せゲットだよー」


 彼女が、顔を赤くして喜んでいた。

 意外だった。今日の服装を素直に褒めただけなのだが。そこまで喜ぶことなのだろうか。

 両手で鼻と口を覆って下を向く彼女に僕が、


「庚渡さん。オシャレって、なんなんだろう」


 理解が全然できないが、それでも理解しなければならない概念について、つい尋ねてしまった。


「え? 鈴鬼くん、オシャレさんになりたいの?」

「うーん、どうなんだろう。このまえ師泰と丞とそんな話をしてたんだけどさ、オシャレってのがよく分かんなくて」

「へー」

「ファッション誌を立ち読みしても全然わからないし。庚渡さんはどんな格好がオシャレだって思う?」


 僕の問いに彼女が、上を向いて顎に人差し指をあてて考えた。

 程なくして、僕に振り向いた彼女が、彼女なりのオシャレについて回答する。


「いいんじゃないかな? とりあえずは今のままで」

「今のままで?」

「うん。例えば鈴鬼くんがファッション誌を参考にして服を買うとするよね? でも、何て言うか、身の丈に合わないよね?」

「そうだね。あーいう雑誌に載ってる人みんな大人だし」

「私たちまだ中学一年生なのに、〝これ一万円もしたんだー〟なんて高い服を着て来られても引いちゃうもの。だから今は、そのままでいいんじゃないかな?」

「うーん、そうなのかな」

「そうだよきっと。それに、ファッション誌に載ってるような服屋に行ける自信ある? 私たちみたいな子供が行ったところで追い返されそうじゃない?」

「確かに」


 彼女の言葉は一理あり、僕が納得した。

 まだ気にする齢じゃない、ということか。しかし、だからと言ってそのままでは良くない。将来のためには気にしなければならない。

 僕は男なのだ、背伸びしたい年頃なんだ。大好きな彼女に男として認めてもらいたいんだ。


「でもさ、恥ずかしい話、親が選んだ服なんだよね、これ」


 今日の服装における恥を僕が彼女に打ち明けた。

 今までは恥と思わなかった。でも、このまえ丞がオシャレについて口にし、急に恥ずかしいと思えてしまった。

 幻滅しただろうか。丞にも師泰にも明かせなかった恥だ。しかし、彼女は優しい。


「そうなんだ。でも変じゃないし、悪くないと思うよ」


 こんな僕の恥を恥と思わないでいてくれる。


「中学生にもなって、親が買ってきた服とか恥ずかしくない?」

「そんなこと言ったら、私だってお姉ちゃんのおさがりばっかだよ」

「お姉さんのおさがりとは話が違うよ」

「そうかなぁ? 私は可愛ければ、親が買おうが構わないと思うけど」


 そうじゃないんだ。僕は僕が選んだ服を着て君に褒められたいんだ。そうもどかしく思ったところで僕が気付く。 

 僕と彼女の間に、微妙な齟齬(そご)が生じているが、これは当たり前であった。彼女はきっと、自分が選んだ服でなくとも気に入れば構わないのだ。

 親が買ってきた服を着る僕の恥ずかしい気持ちと、誰が買っても可愛ければ構わずに着る彼女の気持ち。この齟齬は僕の男としてのプライドによるものだった。

 しかし彼女は、そんな僕のチンケなプライドを()み取り、


「それじゃあ、次からは自分で服を選んでみたらどう?」


 もっとも現実的な案を僕に提示してくれる。


「自分で選ぶ、か。自信ないなぁ。変なの選んじゃいそうで」

「そこはお父さんやお母さんに見てもらえばいいじゃん。鈴鬼くんの私服いままで見てきた感じ、変にはならないと思うよ」

「そうかな?」

「うん。頑張ってオシャレさんになってね。私、応援するから」


 にっこりと励ます彼女に僕は決心した。

 まずは親に()こう。急に僕が「服を選びたい」なんて言えば、間違いなくうちの親は勘付くだろうが。

 入院したとき、うちの親は毎日見舞いに来てくれた彼女のことを知っている。妹は顔を合わせてもいるし。だが、それでも恥を忍んで尋ねよう。彼女が「変じゃない」と言う以上、今は親のセンスを信じるしかない。

 いつかは「カッコいい」って彼女に褒められたい。――と、僕がふと気付く。彼女にはお兄さんがいる。


「庚渡さん、参考に訊きたいんだけど」

「うん」

「庚渡さんのお兄さんはどんな格好してるの?」

「えっ。えっと、お兄ちゃんは、あんまり勧めないかなぁ」


 だが、彼女はお兄さんの紹介を濁した。


「どうして?」

「お兄ちゃんはやんちゃだったから……。今も()り込み入れた丸刈りで、うさんくさいチョビひげ生やして、金の派手なネックレスをいつもぶら下げて威嚇してるから、全然お手本にはならないよ……」

「そ、そうなんだ」

「鈴鬼くん、お兄ちゃんだけはぜーったいに真似しないで。鈴鬼くんはどうかそのままでいて」


 訴える彼女に僕が思い出した。

 背が小さくて運動神経も良くない彼女は、学校の女子から「鈍くさい」と陰で言われている。そんな彼女だからいじめの的にされそうではあるが、彼女はいじめとは無縁だった。

 彼女がいじめられない理由としてお兄さんの存在があった。十年ほど前、彼女のお兄さんはこの辺りでかなり知られたやんちゃな人だったそうで、それは今も波及している。

 庚渡家の者には手をだすな。そのような暗黙の了解が僕らの世代にも伝わっていて、だから彼女はいじめの的とならないらしい。そんな話を僕は、彼女と同じ小学校に通っていた丞から聞いたことを思い出した。


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