エスオーエス! 乙女のピンチ!
「はあ、はあ……」
心拍が激しさを増し、呼吸が乱れて荒くなる。
僕の目に映る光景は嘘じゃない、翼を生やした白馬が、曇り空から舞い降りている。
白馬が高度を下げ、僕の目に拡大されて映る。
「はあ、……はあっ」
嘘みたいに圧倒される光景。いま僕は発作に似た過呼吸を起こしている。
白馬の大きさは一週前のヤギと同じく、二階建ての家など踏み潰せるくらいに大きい。以前のヤギは信じられなくてまだ正気でいられた。しかし、これで僕は世界が終わったと思わせるような怪獣を二度目の当たりにし、しかも翼を生やした馬というあり得ない存在が、今この現実に現れている。
大きさが逃れられない恐怖に変わる。白馬からすれば僕など人を見上げるネコやネズミである。取るに足らない小動物である僕が、怖い以外を考えられずに立ち尽くしていると、
「あっ」
僕が間の抜けた声を発する。光線が白馬を撃ったのだ。
しかし、あまり効いていない。白馬が撃たれた方へ振り向き、その視線の先に僕も振り向くと、お姫様みたいな黄色いドレスをまとった彼女が空に浮かんでいる。
「フフッ。現れたな、トゥインクルスター」
白馬のそばに先程から浮かぶ、一週間前も見た黒ずくめの男の声が聞こえる。
「〝メテオ〟。この前やっつけたのに性懲りもなく」
「フッ、サンシャインとムーンライトが負傷している今なら、君だけでも始末できると思ってね」
「このっ、なめないで! はあああっ!」
彼女が拳を突き出し、白馬に突っ込んだ。
流星のような彼女の一撃。だが、これもあまり効いておらず、横っ面を殴られた白馬がお返しとばかりに頭を振る。
白馬の頭を彼女が高く飛んでかわす。そして右足を突き出し、高くから白馬の胴体にぶちかます。この突き刺すような蹴りに続けて彼女が、
「はあああぁっ!」
拳の連打を白馬に叩き込む。
目を見張るばかりの怒涛のラッシュ。これはさすがに効くかと思われた。
「……きゃあっ!」
しかし、白馬は意に介しておらず、背に生やす翼で彼女を叩いた。
反撃を受けた彼女が下がり、この彼女に黒ずくめの男が言い渡す。
「君がサンシャインの真似事をしても、この〝ペガスス〟にとっては蚊に刺されたようなもの」
「…………」
「この前のカプリコーンには劣るが、このペガススとて北天の精霊の一つ、甘く見てもらっては困る。さあ、子供の戯れはもういいから早く本気を出したまえ」
「このっ、言われなくても!」
宙に浮かぶ彼女が両手を突き出した。
彼女の両手に、渦巻く光が吸い込まれるようにして集まる。一週前にヤギを消し去った光の帯だ。
まるで魔法のような彼女の光。間もなくして、彼女の両手が強く輝き、
「終わらせる! いっけぇ、トゥインクルブラスト!」
先の光線よりも明るい光の帯が両手から放たれた。
光の帯が白馬を照らす。しかし、
「ハッハッハ!」
男の勝ち誇った笑いが響き渡った。光の帯は確かに白馬を照らしたが、消し去るとはならなかった。
彼女必殺の光線までもが効かなかった。全力だったのだろう、彼女が疲れた様子で肩を落としている。
「どうしたトゥインクルスター。いつもの技にキレがないじゃないか」
「うう……」
「満足したよ。その絶望した顔が見たかった。では反撃といこう。ゆけっ、ペガスス! あの女をいたぶってやれ!」
白馬が翼を羽ばたかせ、彼女に突進した。
突進を彼女がかわすが、白馬は巨大な形に似合わない機敏さで反転し、再び彼女に襲い掛かる。
二度、三度まで彼女はかわせた。しかし、四度目の突進を彼女は、
「ああぁっ!」
かわし切れず白馬の足に蹴られ、
「庚渡さん!」
気付けば僕は、落下する彼女の下へと駆けていた。
「頼む、無事でいてくれ……」
かなりの高さから落下した。僕が不安を振り払いながら走る。
先程まで僕は、小便を漏らしそうな程に怯えていたはずだった。でも、そんな僕から恐怖をいつの間にか忘れさせたのは、たった一人で戦う彼女の姿だった。
負けないで欲しい。そう彼女の無事と勝利を願いながらT字路を左に曲がる。確か、この辺りに落ちたはず。
息を切らしながら目を皿にして曲がった先を探す。すると、狭いY字路を右に入った所で、仰向けに倒れている彼女を発見した。
「庚渡さん!」
黄色いドレスをまとう彼女の元へ全力で走る。
「今まで楽しかったよ。ありがとうトゥインクルスター。そして、サヨナラだ」
頭上から男の声が聞こえた。大きな蹄が、彼女を踏み潰さんとしている。
もっと早く走るんだ、もっと、もっと早く――。今にも焼き切れそうな脚と肺だが、僕はしゃにむに走る。
そして、彼女まであと数歩となった所で僕が身を挺して飛び込む。僕と彼女がごろごろとアスファルトの上を横に転がり、間もなくして沈むような振動と音が僕と彼女の体を揺るがす。
――助かった。アスファルトの上に立つ蹄を僕が目にして息を吐く。
「す、鈴鬼くん」
声に振り向くと、彼女は驚きの顔を僕に向けていた。
つぶらな二重の目に、小さめながらも形の整った鼻。目と眉の間が空いていて、その間隔が優しげな印象を見る者に与える。
この顔が見たかった。僕がいま一番好きな女の子の顔。願わくばこの顔を、ずっと見ていたい――。
「鈴鬼くん、助けてくれたの?」
見とれている僕に彼女が尋ねたので、僕が転んだ痛みをこらえながら首を縦に振る。
「…………」
彼女が目を大きく開いて僕を見つめた。
驚きを隠さない彼女。まあ、それはそうだろう。何の取り柄もない一般ピープルの僕が、不思議な力で怪獣と戦う彼女を助けるなんて。
しかし、今は戦いの真っ最中。彼女が僕との視線を外し、すくっと立ち上がる。そして再び戦場へと赴く彼女が、小さな背を僕に向けながら告げる。
「ありがとう鈴鬼くん。絶対に守るからお願い。戦う私を、どうか見てて」
気のせいだっただろうか。立ち上がったときに垣間見た彼女の瞳は、潤んでいるように見えた。