失敗した… 認められない恋の裏返し
彼女に恋をした日から一週間が経った。
「はあ」
学校からの帰り道。僕は下を向きながら深いため息を吐いた。
空を見上げれば、白と灰色の雲が広がっている。青空はあまりうかがえず、ちょうど一週間前もこんな空だった。
周囲を見渡すと、これもまた一週前に見かけた、明倫中の制服を着た男女が仲良く手をつないで歩いている。僕は取り返しのつかない大失態を犯した。だからいま手をつないでる男女が心底羨ましかった。
――あの信じられない出来事が次々に起き、そして僕が彼女に恋をした日の、次の日の事だ。
僕は前日のこと、そして彼女が僕に見せた笑顔が忘れられなかった。クラスで僕は彼女と席が離れているのだが、その日ぼくは彼女を遠くからずっと眺めていた。
彼女との交際を想像した。もしも一緒に遊ぶならどんな所がいいだろう、買い物か、水族館か、それとも自分の部屋か、などと。しかし想像は止まらずに次から次へと生まれだし、夜景の奇麗な場所を思い浮かべては彼女とドラマチックなキスをする場面を、僕は幸せな気分に浸りながら独り思い描いていた。
妄想にふけるアホ面を浮かべた僕を友人は見逃さなかった。何の取り柄もなく、女の子に縁のない僕だけど、それでも同性なら友人はいる。
「おいコシロー」
小学校の頃からの友人、茶籐師泰が吐いたデリカシーのない一言により、僕は失敗を犯してしまった。
「お前さ、今日一日、庚渡紬実佳のことずっと見てね?」
師泰が彼女を指して僕に言った。
突如として土足で踏みにじられた僕の恋心。つい僕が、
「はっ!? な、なにを」
と、条件反射的に戸惑ってしまい、これに師泰が、
「ふくくっ、なーに素っ頓狂な声だして慌ててんだよ? なにおまえ、あのロボ女のこと好きだったの?」
ニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべ、泡を食う僕に尋ねた。
そして、返した言葉が最悪だった。からかう師泰にムキになった僕は、死んだ方がマシな程の最低な答えをしてしまったのである。
「なっ、なに言ってんだよお前! あんな女、好きなわけないだろ!」
これが失敗だ。僕は教室に響く程の大きな声で好きな彼女を否定してしまった。
彼女は素知らぬ顔をしていたが、絶対に聞こえていただろう。「好きだ」なんて素直に言えるわけがないが、「好きな訳がない」なんて声を張り上げて言う必要なんかなかった。「僕が彼女を好きな訳がない」という誰にとっても益のない誤解を、僕は彼女に与えてしまったのである。
男二人で勝手に彼女の話をして、あまつさえ彼女の価値までおとしめて。これが自分の立場であったなら間違いなく腹が立っただろう。否定するにしても、彼女に聞こえない声で鷹揚に返せば良かった。
師泰が「ロボ女」と言ったが、これは彼女の顔を隠すような髪型と丸眼鏡な外見に起因する、彼女をからかうための蔑称である。
主に男が陰で呼んでおり、僕は中学に入学してから彼女と出会ったために知らなかったが、どうやら小学生の頃から呼ばれているらしい。彼女はおとなしい性格なのでからかわれ続け、僕も好きになる前は周囲に流されて蔑称を陰で呼んでいた。
原因を作ったのは師泰だ。しかし、最悪の言葉を吐いたのは僕である。僕が百パーセント悪い。僕は好きな彼女を無駄に傷付けてしまう失敗を犯した。
そして、傷付けた翌日に僕は、
「か、庚渡、さん」
学校の廊下ですれ違った彼女に、前日のことを謝るべく声をかけた。
しかし無視された。いや、そもそも聞こえていたかどうか怪しい。だって彼女を呼んだ僕の声は、ひどく不審で弱々しかったから。
廊下で彼女を見かけたとき、心臓がビクンと跳ねた。それから心拍数は瞬く間に上昇、心臓がドクドクと大きく脈打ち、破裂しそうだった。声をかけて良いものか何度も迷い、だからすれ違うまで声をかけられなかった。
彼女に嫌われたくない、その思いだけが心の中を占めていた。それで勇気を振り絞って声をかけ、結果ぼくは撃沈、謝る機会すら得られなかった。好きになる前なら普通に呼べただろう。「なんであんなことを」と僕は、彼女を否定してしまった前日を心の中で何度も悔いた。
「はあ」
謝れず今日に至り、真っ直ぐ帰る気になれなかった僕が、公園のベンチに腰を掛けてまた深いため息を吐いた。
時刻を確認すると、公園に立つ時計は四時半を指している。隣のベンチではおばさん二人が談笑している。
「あそこの家、これで子供七人目なんですって」
「ええー、七人目って。旦那さんも旦那さんだけど、産む奥さんもすごいわねー」
「この不景気によくやるわよねー。養育費とかすごいことになってそう」
気を落とす僕の耳におばさん達の会話が入り込む。聴く気など全くないのだが。
仲が良さそうで何よりで。そう心の中で悪態を吐いてから公園内を見渡すと、こんもりと盛られた山型遊具では、小学校低学年くらいの子供たちが集まって何かを見ていた。
ゲームでもしているのだろうか。僕が子供たちをぼんやりと眺めていると、輪を作って何かをのぞき込んでいる子供たちからバカ騒ぎとも言える大きな笑い声が上がり、それが落ち込む僕の心を遠慮なしに貫く。
程なくして柴犬を連れたおじいさんが現れ、僕の前を過ぎようとする。僕に振り向いた柴犬が「ハフハフ」と舌を出しながら僕に近寄り、そんな寄り道をする犬をおじいさんが「こら」と手綱を引っ張る。
みな動いている。公園の樹々が風に揺れ、歩く柴犬が尻尾を振っている。――止まってくれ、と僕が彼女とのつながりを望み、一週前の時が止まった現象を願ったときだった。
「……あれは」
胸が強く跳ねた。公園の外を歩く彼女の姿が、僕の目に映っている。
彼女はバッグを抱えて下校している。好きな彼女の姿に僕は、この謝るチャンス逃してなるものか、と意を決してベンチから立ち上がった。