天が与え給うたホワイトスノーチャンス
「いくわっ!」
ムーンライトが水の中に飛び込み、尾鰭と化した下半身を使って水瓶へと吶喊した。
水をかき分けるムーンライト。尾鰭が生み出す強い推進力と、違和感なくすんなりと泳げている自分に驚いている。
幻想にして女児あこがれの生物「マーメイド」。ムーンライトが幼きころ絵本で読んだその憧れは彼女とて例外ではなく、自在に操れる尾鰭はまるで自分の足のようであり、そんな憧れになれた彼女が戦いの最中ながらも感動を覚えていた。
水の中を突き進むムーンライトが水瓶に接近し、
「ばあああっ!」
水中のために発音が濁ったが、気合いの裂帛に併せてガントレットを突き刺す。
(ヒビが入った。これなら)
水瓶に初めて亀裂が走り、ムーンライトが光明を見出した。
ムーンライトが一旦水中から浮上する。昔は散々いがみ合った仲だけど、今は最大の友人にして理解者に、攻撃が通じたことを知らせるために。
友人は巨大タコと戦っている。苦戦しているようなら助けもしなければ。そう思っていたムーンライトだったが、
「こんな触手なんか、こうして……、こうだぁっ!」
その友人サンシャインはタコの触手二本を固く結んでいた。
元気の良い友人にムーンライトが呆れながらもほほえむ。そして、遠くではトゥインクルが、鈴鬼小四郎を抱えて水面に浮上し、これを確認したムーンライトが水瓶破壊に専念する。
「タコめ、参ったか。ムーンライトの邪魔はさせないぞ。……うっ、お」
二本の触手を封じたサンシャインだったが、まだタコは健在な触手を五本備えており、これが彼女の手足を捕らえた。
タコが触手を広げ、サンシャインの手足を引き千切ろうとする。大の字にされた戦士の姿は磔刑の如し。肉の繊維がブチリと切れ、体がミシリと軋む。
手も足も出ないサンシャイン。しかし何ら動じておらず、むしろ罠と言わんばかりに口角を上げている。そして、痛みをこらえる戦士の体から蒸気がもくもくと上がる。
「オーヴァードライブ!」
サンシャインが己の体を燃やし、これにタコが耐えられず触手を放した。
手痛い反撃にタコがまごつき、これを勝機と見たサンシャインが高く飛び上がる。湯気から現れた彼女が挟む両手には、メラメラと燃える火球が形成されている。
胸を反らして火球を振り上げるサンシャイン。目指すはダメ押しとなる決勝点。
「今夜はタコ焼きパーティーだぁ! 〝バーンダンク〟!」
勝敗が決した。サンシャインがバスケットボールのダンクシュートさながらに火球をタコに叩き付けた。
タコが水に沈む。そして水の中でも、今まさに戦いの幕が下りようとしている。
「カプリコーン! これで最後よ、私に力を貸して!」
水瓶に無数のヒビを入れたムーンライトが、目を閉じて合掌した。
合わせた両手のガントレットが黄金色に輝く。山羊座の精霊がムーンライトの想いに呼応するように。
この一撃で終わらせる。そう手に力を込めたムーンライトがまなじりを決し、
「〝ムーンライトサンクスフォーザミール〟!」
合わせた両手を水瓶に深く突き刺す。
――ヤクサァァイッ!
水瓶が刺された箇所から瓦解し、それに伴って放出していた水を一気に吸い込んだ。
街を浸していた水が、まるで水洗トイレのように吸い込まれて引く。これに併せて沈んでいたタコも消失する。
みるみると水が引き、街が元の姿を取り戻す。
「アクエリアスが、敗れるとは。……ゴホッ! ゴホッゴホッ」
元に戻った街の光景にショックを隠せない黒ずくめの男が、咳を隠しながら逃亡した。
空高くを飛ぶ男。コスモスの三人にとって男は因縁の深い相手だ。命を脅かされる戦いを幾度となく仕掛けられている。いい加減に捕まえ、このしつこい戦いに終止符を打つべきであろう。
しかし、今は男を捕まえるよりも優先すべきことがある。サンシャインが、
「ムーンライト!」
四つん這いに苦しむ友人の元に駆け寄った。
「はあっ、……はっ、は、うっ」
「大丈夫?」
「な、なんとか。この力は、か、軽々しくは使えない。ここぞというときだけにすべき、……ううっ」
「ムーンライト!」
ムーンライトが吐いたため、サンシャインが背中をさする。
精霊カプリコーンによる変身が解けたムーンライトの心臓は、いま激しく脈を打っている。呼吸もままならず、内臓は熱さで煮えくり返っている。
息も絶え絶えに苦しむムーンライトを、
「ムーンライト、おつかれベエ」
現れた妖精がねぎらう。
「べーちゃん。や、やったわ、私、倒したわ」
妖精の賭けに乗ったムーンライトが勝利を伝えた。
先に妖精は、精霊の行使は寿命が縮まると忠告した。今の行使でどのくらい縮まったのだろう。
「べーちゃん、ムーンライトの寿命って」
「いやーそれが、相性が良かったのか、大して影響なさそうだベエ」
サンシャインが訊いたが、妖精は明るく答えた。
「えっ、ホント?」
「うむだベエ。精霊を体に宿す行為は臓器の移植に似てて、合わないと最悪死に至るから勧めなかったベエが、まさかムーンライトとカプリコーンが、ここまではまるとは思わなかったベエ」
「でも、辛そうだけど」
「問題ないベエ。今でこそムーンライトは苦しんでいるベエが、これは単にカプリコーンの力を最大限に引き出したことによるものベエ。ボクの予想ではアクエリアス打倒の可能性は半々だったベエが、これは嬉しい誤算だったベエ」
「おおっ。とりあえず問題ないんだね。よかった、ムーンライト!」
ぐったりとする友人をサンシャインが強く抱きしめた。
妖精が続ける。精霊の多用は禁物、今のムーンライトのように使ったらそれまで、とも。
だが、水瓶撃破の喜びでサンシャインとムーンライトは忘れていた。トゥインクルが青ざめた顔で鈴鬼小四郎を抱えて現れる。
彼を静かに下ろしたトゥインクル。仰向けに寝る彼は、息をしていなかった。
「鈴鬼くん息してない。やだ、やだよ……」
トゥインクルが膝を落とし、そのまま泣き崩れた。
間に合わなかったか。サンシャインとムーンライトが視線を伏せる。しかし、妖精だけは冷静に彼を見ており、
「まだ生きているベエ。人工呼吸をすれば」
普通の男女ならためらうワードを言った瞬間だった。
まさに獲物を襲う肉食獣の如し。飛び掛かるように彼に被さったトゥインクルが、その半開きの唇に口を付ける。そして、変身がもたらす強化された肺をもって、とても熱い想いが詰まった濃密な息を吐き続けた。
溶け合うように唇を重ねるトゥインクルとその彼氏。
「うわわっ」
サンシャインが顔を真っ赤にして慌てた。
呼吸が少し落ち着いたムーンライトが、友人に抱えられながら所見を述べる。
「あの子、迷いなかったわね」
「……うん」
「トゥインクルって、危なっかしいくせに思い切りはいいのよね」
「スズキ君をリープゾーンに引き込んじゃうくらいだからねぇ」
こうして、溺れた鈴鬼小四郎だったが、トゥインクルの熱い人工呼吸によって息を吹き返した。
鈴鬼小四郎に知らされることはなかった。彼のファーストキスは、本人の知らぬ間にトゥインクルスターこと庚渡紬実佳に奪われた。




