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クライ(CRY)マックスはわたし

 空高くに打ち上がった彼が(きり)()み回転しつつ落下する。

 そして、彼が墜落する。この衝撃によっておぞましい姿だった牡羊座(エーリエス)の変身が解け、顔に包帯を巻く本来の彼が現れた。

 気を失っている彼。黄道の精霊を宿した沙門とコスモスの戦いは、リングレットの勝利で幕を引いたのだが、


「……はあっ! はぁっ、はー」


 蠍座(スコーピオ)の変身を解いたリングレットが大きく息を吐き、崩れるように片膝を突いた。

 両手も突くリングレット。唾を()み込む力もなくてよだれを垂らす。黄道の精霊の行使は体にとてつもない負担がかかる。これは精霊と行使した者の相性が良くとも逃れられず、更に彼女は自傷技まで使ったため、その体は限界を迎えていた。

 そしてリングレットは勝利に(あん)()している。彼を倒した彼女だが、強気の発言は全てブラフであった。右腕と右足を凍らされたときは内心で焦っており、ポリシーから行使を避けたかった蠍座の力で凍結は治したが、その後の彼が魔人へと変容を遂げた二度目の変身には力で負けていた。もし油断していたら負けていた可能性が高く、かろうじて勝ちを拾えた結果に彼女は胸をなで下ろしている。また、前に会ったときからよくもここまで、と彼の力に感服している。

 全力を出し切って何とか倒した。できるものなら寝転がりたいリングレットだが、彼女にはまだやらなければならないことがある。そのため、彼が起きぬうちに、と体に(むち)打って立ち上がる。


「やっぱり、この男の子って、あのときの」


 仰向けに倒れている彼にリングレットが唾を呑み込みながらつぶやいた。

 五月の連休前、一人の男の子が親友に近付いた。何故か既視感がその男の子にはあり、大事な親友を奪われそうな焦りを感じた。だから男の子を排除したリングレットだが、いま目の前で倒れている彼こそがその男の子であることを彼女は前から勘付いていた。

 なぜ勘付いたのか。これは既視感による。連休前に感じた既視感と同一の印象を、胸騒ぎから駆けつけた八月の自衛隊駐屯地で会った彼から感じたのだ。もっとも、駐屯地では親友と会わせてはいけないという危機感までで確信はなかったが、後日「やっぱりあの男の子は」と思い直している。


「…………」


 後はとどめを刺せば終わるのだが、リングレットは無言で彼を見つめていた。

 連休前に会った彼は普通の男の子だった。それが包帯で顔を隠す闇の一員になっている。リングレットは闇の者と幾度も交戦している経験から、闇の者が闇に身を()とす事情を抱えていることを知っており、五月から八月までの間に起きた彼の不幸を察して同情していた。

 ()しくもリングレットも五月二日の(そう)(じょう)事件で(めい)を失っており、それが彼への同情を誘ってしまう。そして、彼は悪く言えば甘い、良く言えば優しい男の子だった。牡羊座によって理性を失うまで自分を殴ろうとしなかった男の子を殺すことが、果たして本当に正しいことなのか、リングレットは迷っている。


「でも、やらなきゃ! 殺さなきゃ、……奪われる!」


 奪われたくない。あの子はあたしだけのもの――。リングレットが彼の心臓に狙いを定めて拳を振り上げた。

 後は振り下ろすだけ。だが、振り上げた体勢で止まるリングレット。振り下ろしてしまったらもう戻れぬ葛藤が、いま彼女の心の中でせめぎ合っている。


(奪われたくない。でも、あの子は……)


 五月の連休前の日曜日をリングレットが振り返る。

 先輩二人、そして親友と、スイーツをたくさん買っておしゃべりしていた日曜日。そこへ彼が現れ、親友に「友達になってくれませんか?」と近付いた。

 彼とは初めて会ったはずなのにどうしてか見覚えがあった。そして親友は彼に目をキラキラとさせていた。この時だった。親友と彼に運命のような何かを感じ、「敵わない」と思って嫉妬した。

 親友は口には出さないが、彼に会いたがっている。そんな親友の恋を自分勝手な思いで壊していいのか。それに、彼を殺そうとした事実がもしバレたらどうなる。そうでなくとも疑われている、バレたら本当に終わり、本当の独りぼっちとなる――。


「…………」


 己の愚かさに気付いたリングレットが振り上げた拳を下ろした。

 親友の幸せを壊していることにリングレットは今ようやく気付いた。それと彼を消そうとした事実が親友に露見することを恐れている。もし露見すれば親友との関係は壊れ、独りぼっちとなってしまう。

 また、彼と手を合わせたリングレットには確信があった。彼は自分と違って自分を追い出す真似はしないだろう、と。リングレットは彼を認め、狭量で嫉妬深かった自分を恥じた。

 今までしてしまったことは全力で謝ろう。そして、あの子に会わせよう。そうリングレットが反省したときだった。彼女が彼にした仕打ちはもう許されない。彼を徹底的に追い詰めてしまっており、


「……あ、うっ!」

「うううっ!」


 突如として起き上がった彼に首を絞められた。

 歯をむき出しにして獣に似たうなり声を上げる彼。苦しむリングレットが戸惑いながら願う。


「や、やめて……」

「ああっ! うわあああっ!」


 彼がわめく。死の目前まで追い詰められた彼は既に正気ではない。

 そして、無我夢中の狂気が彼に奇跡を引き起こす。――否、災いと言うべきか。既に使い切ったはずの牡羊座を目覚めさせ、七つの眼が彼の右目に現れる。

 再び化物へと変貌した彼。そうして絞める首に牡羊座の力を最大まで注ぎ、リングレットがみるみると白く染まる。先に牡羊座の冷凍を破ったリングレットだが、同じ黄道の精霊・蠍座を宿していたからできたことである。今の限界を迎えた彼女に牡羊座は破れない。


「つ、みか……」


 リングレットの瞳に、己を殺さんとする七つの眼が焼き付き、親友の名をつぶやいたところでその体が完全に白く染まって停止した。

 つぶやきを聞いた彼が我に返る。その名は彼が(いま)だに忘れられない女の子の名前。彼が正気に戻るためのトリガーとして十二分に働いた。

 白く染まった戦士が光に包まれ、光から現れた美少女に、


「……えっ」


 彼が心の底から動揺する。


「うそ、だろ……。この子は確か」


 まだ彼が家族を失う前の日曜日。初めて恋をした女の子・庚渡紬実佳に近付こうとした彼に、「あんたみたいな男、絶対に認めない」と、漫画に現れる美少女のような子が因縁を付けた。

 庚渡紬実佳を忘れられず思い煩う彼の元に、その紬実佳から電話があり、彼女は「ひどいこと言ってごめんなさい」「悪い子じゃないんです」と因縁を付けた子を弁護した。これを聞いた彼は、それほどまでに思い合っている親友と言うべき二人の関係を羨ましく感じた。

 彼は(つい)にコスモスの子を殺してしまった。しかも殺してしまった子の正体は、彼が未だ忘れられない庚渡紬実佳の親友。


「そんな、そんな、そんな……」


 取り乱して頭を抱える彼。もう戻れない、()えない――。


「うあああああああっ!」


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