僕たちが流れ星? ありえない
満開だった桜の花びらが散り、うららかで暖かい陽気が、これから始まる一年の兆しを告げる。
四月も中旬を迎えた朝。僕が学校の正門を抜けると、
「コシロー」
「おはよう師泰」
「おいーっす」
「おはよう丞」
小学校からの友人・茶籐師泰と、中学で出会った友人・高波市丞に、声をかけられたので返事をした。
僕の名前は鈴鬼小四郎。明倫中学校に通う中学三年の男である。
「なあなあなあ、昨日の流れ星みたか?」
「おー見た見た、すごかったな」
丞と師泰が妙な話をしている。
流れ星とか、この二人にそんなロマンチストな趣味あったか、なんて思った僕だが、流れ星なんてそうそう見られるものじゃない。見られるなら観ておくべきだろう。
「そうなの?」
知らなかった僕が二人に尋ねる。
「ああ、最近よく見るぜ」
「俺、いっぱい願い事しちまったぜ。カワイー女の子たちとの素晴らしき、モッテモテのハーレムライフをよぉ」
丞が陽気な春の青空を見上げてアホな願いを語った。
ハーレムライフって、可愛い女の子たちに言い寄られればそりゃ嬉しいだろうが、実際そんなことになったらとてつもなくめんどくさそうな気がする。まあ、丞も本気にしてはいないだろうが。
何にせよ流れ星の事は知らなかった。二人が知っているということはニュースで報じられているのだろうか。何々流星群、とか言って。
「へえ。全然知らなかった」
昇降口に着き、僕が靴を上履きに履き替えながら流行に乗り遅れていることを打ち明けた。
僕に師泰が続ける。緩んでいた顔を僅かに引き締めて。
「でも、流れ星って不吉なことが起きる前兆って言うよな」
「そうなんだ」
別に博識をひけらかす訳ではなく普通に話した師泰に、空返事をした僕だが、流れ星と言えば願い事だけと思っていただけに少し驚いた。
――僕は、無味無臭。かつて師泰にそう言われたほどパッとしない男だったが、最近は自分で言うのもおこがましいと思うが、それなりの自信が付いている。
僕と師泰は柔道部に所属している。明倫中の柔道部は全国大会の切符を度々手にする強豪校として知られているが、僕と師泰は去年、強豪校の一員として全国大会に出場したのだ。
学業も昔は決して褒められた成績ではなかったが、コツコツと基礎から学び直し、今では学内なら上位の方まで上がっている。あと、オシャレに関しても勉強し、僕なりにちょっと分かった気がしている。
僕は中一の頃、取り柄らしい取り柄など自分には無い、とばかり思っていた。自分で言うのも何だが「変わるものだ」と驚いている。ただし、背の低さと音痴なのは相変わらずなのだが。
「じゃ、お先にー」
廊下で僕と師泰が丞と別れた。
僕たち三人は中一の頃、同じ一年四組に属していたが、中二では別のクラスに別れた。それで中三に進級し、師泰とは同じ三年三組になったが、丞は一組に編入となった。
一組の教室に向かう丞。その背を見送った僕と師泰が三組の教室に入る。
「あっ、師泰おはよー」
「……おう」
「鈴鬼くんもおはよー」
「うん、おはよう」
丞の代わり、というわけではないが、僕にとっては新たなクラスメートの友達ができた。
僕にとっては、と前置きしたが、師泰にとっては違うからである。なんと新たな友達は異性で、師泰にとっては彼女だからだ。
朗らかに挨拶した僕よりも背の高い女の子。切れ長く大きめな目に、シュッとした面長の輪郭、ストレートの長い黒髪をなびかせる子の名前は田名河於市さんと言う。
師泰と田名河さんは最近付き合い始めた。それでだろうか、師泰は田名河さんと目を合わせず、先の返事も素っ気なかった。そもそも師泰は小学校の頃、「女と遊ぶ奴なんかチャラい野郎だ」なんて豪語していた。中一の頃にはその心境にも変化が訪れたのだが、そんな友人が見せる初々しい反応に僕が苦笑していると、
「今日も一緒。仲いいよねぇ君たちって」
田名河さんが僕と師泰の長い縁についてからかう。
「まあ、小学校からの付き合いだからね」
「えー。あたしも小学校一緒じゃない。鈴鬼くんひどーい」
「ごめんごめん」
口をとがらせた田名河さん。怒っちゃいないだろう。
今でこそ僕は話せて師泰は交際しているが、別に田名河さんとは仲良くなかった。昔は小学校が同じだっただけで顔見知り程度の仲だった。
それにしても、僕と師泰と丞の勝手な印象になるが、僕たちは一年の頃、田名河さんにキツい性格の印象を抱いていた。しかし接してみると割とフレンドリーで、人を勝手な印象で判断してはダメだな、なんて僕は反省している。
「ねえねえ師泰。昨日の流れ星、すごかったよねー」
「ああ」
尋ねた田名河さんに師泰が相変わらず素っ気ない返事をした。
照れている師泰に僕が、優しい返事くらいしろよ、なんて感じる。まあ、田名河さんは学内で人気ある女の子だ。「明倫中で最も可愛い子は?」なんて男どもが噂すると、しばしば名前が挙がる程である。そんな子と学内で仲良くするなんて照れる気持ちも分からない訳ではないが。
師泰は昨日、田名河さんと一緒に流れ星を観たようだ。別に田名河さんがどうとかいう訳じゃなく、好きな子と一緒に、と言うのがちょっと羨ましい。
「知ってる鈴鬼くん? 流れ星っていうのは、宇宙を漂っている小さな星屑なんだよ」
「へえ。そうなんだ」
「地球の重力に引っ張られて、上空100キロメートルくらいで大気の摩擦で発光すること。昔の人は、そんな不思議な光景を見て、流れ星に願い事を託したんだと思うんだ」
田名河さんが昨日の感動を伝えたいのか、僕にうんちくとロマンティックな願望を語った。
僕が、師泰に先ほど言われたことを思い出す。
「流れ星って、不吉な前兆って聞いたけど」
「へえ、そう言われてることも知ってるんだ鈴鬼くん。でもね、不吉なことを考えるより、願いが叶う方がいいんじゃない?」
「それもそうだね」
「そうだよきっとー。いいことが起こるかもね」
確かに不吉なんて言われるよりはポジティブに捉えた方が良い。田名河さんが笑って話を奇麗に締めくくった。
それにしても、田名河さんは流れ星が不吉と言われていることも知っていた。ひょっとしたら先の師泰の言は、田名河さんの受け売りなのだろうか。
僕が師泰に目を向ける。しかし、師泰は不満をあらわにして、
「何がいいことだよ。市、おまえ兄さんが連れてかれちまったじゃねえか」
付き合い始めた彼女に水を差すがごとく告げた。
途端に田名河さんが顔を曇らせる。先ほどまでの朗らかだった様相が一転して。
「うん……」
「国もひでえことしやがるよな。いきなり徴兵なんてよ」
やり場のない憤りを師泰が表した。
僕は師泰から聞いていた。二十歳になった田名河さんのお兄さんが、兵役の義務を課せられ、軍の訓練所に連れて行かれたことを。
徴兵制度。満二十歳を迎えた日本国籍を有す男に、三年のあいだ兵役に服する義務を課すことを、今年の一月に内閣が全国民に向けて矢庭に発した。
僕が中二に進級してからの一年間。このたった一年で日本は、いや、世界は大きく変わった。