涼しき風が吹き始めた季節に返り咲く銀色の烈花
夏に茂った緑葉がぽつぽつと落ち始め、空が朱に染まる時刻が日に日に早まっている。
十月を迎え、涼しい風が吹き始めた。そろそろ長袖をタンスの奥から引き出すべきか、と人々が衣替えを意識し始めた秋の季節に、
――ヤァクサァァイ!
厄災がまたも襲来した。
「ゆけ、〝リンクス〟! あの娘を切り刻め!」
今、とても大きなヤマネコが、街を縦横無尽に駆け巡っている。目にも留まらぬ速さで走り抜けたと思えば、壁を蹴って高く飛び上がり、軽やかな身のこなしで住宅の屋根に乗り移る。
とても大きな、と先に述べたが、この表現は決して誇張ではない。ヤマネコは人の背丈を上回る体格を誇り、それはもうネコと言うよりはトラと言った方が正しかった。しかし、トラに匹敵する大きさのネコが街を駆ければ人々は大騒ぎするだろう。それが不思議な事に誰も気に留めていない。
ヤマネコ以上の摩訶不思議な現象が街では起きていた。街の人々が、道路を走る自動車が、空をはばたく鳥が、みな一様に止まっている。まるで時が止まったように静止しており、だから異常なヤマネコに誰も気が付いていないのだ。
だが、皆が静止している中で、ヤマネコとそのヤマネコに先程「切り刻め」と命じた男、そしてヤマネコと相対する小さな女の子だけが動いている。
小さな女の子は、たくさんのフリルや飾りを付けた黄色を主とするドレスを身にまとっていた。彼女の名前は庚渡紬実佳と言い、光の戦士「コスモス」の一員にして「トゥインクルスター」と呼ばれる戦士である。普段の彼女は目立たない中学一年十二歳の女の子であるが、彼女は中学校に進学してしばらく経ったある日、現代の科学では説明が付かない変身する力を授かった。今の黄色いドレス姿は変身した姿であり、この姿がトゥインクルスターと呼ばれている。
変身にはとても大きな意味がある。変身すると空を飛べたりビームを撃てたりと、バトル漫画さながらの超常的な力を得ることができるのだ。有体に言うとドレスは戦闘用コスチュームで、彼女は悪と戦う変身ヒロインなのである。だが、そんな正義の変身ヒロインが、いま苦境に陥っている。
息を荒げる彼女。疲労の色を隠せない。街を跳ね回るヤマネコの速さに彼女は翻弄されている。
「……あつっ!」
屋根から飛び掛かったヤマネコの爪が彼女の左腕をかすめた。
彼女が引っかかれた腕を押さえ、すれ違ったヤマネコに振り向くが、もうヤマネコは遠くに退いている。
ヤマネコが二階建ての住宅によじのぼり、屋根の上から彼女を見下ろす。
「フフフ、トゥインクルスターよ、このリンクスの動き、捉えられまい」
先に「切り刻め」と命じた男が、ヤマネコの後ろから彼女に告げる。
「ゆっくりと、真綿で首を締めるように切り刻んでやろう」
黒のコートを着用し、黒の仮面をかぶる黒ずくめの男が彼女に宣告した。
黄色いドレス姿の彼女が跳躍する。やられっぱなしじゃいられない、と言わんばかりにヤマネコが座る屋根に飛び乗り、拳を振り上げるが、ヤマネコが跳んで拳をかわす。
かわしざまにヤマネコが後ろ脚で彼女を蹴る。彼女が吹き飛ばされ、屋根から転落する。
「いった……」
仰向けに痛がる彼女が、ある男子を心の中で願う。
(助けて、鈴鬼くん……)
彼女には好きな男子がおり、今までに二度、自分の変身した姿をその男子に見られたことがある。
一度目は見られていることを知らなかったが、二度目に後ろから見てもらったときは、彼女自身おどろく程の力を発揮した。言わば彼女は愛の戦士、その男子の存在は彼女にどんな悪でも打ち砕く底知れない力をもたらした。
しかし、今日その男子はいなかった。それ故に力をいまいち発揮できず、ヤマネコに苦戦している。
「……っ!」
尻もちをつく彼女が息を呑む。ヤマネコが牙を剥き出しに飛び掛かり、彼女に襲い掛かったのだ。
迫る牙。それは鋭く反り返っており、肉を深くまで抉る凶暴性を表している。
逃げられない――、と彼女が被弾を覚悟する。しかし、肉を裂く音ではなく、堅い金属を打つ高い音が鳴り響く。
「トゥインクル、大丈夫?」
「〝ムーンライト〟!」
思わぬ助けの登場に彼女が顔をパッと明るくして喜んだ。
つやのある長い黒髪をなびかせる、銀色の衣装を身にまとった背の高い少女が、手にはめる籠手でヤマネコの牙から彼女を守っていた。
「立てる?」
「はい」
現れた銀色の少女が声をかけ、これに黄色い衣装の彼女トゥインクルが立ち上がる。
腰まで伸びたストレートな黒髪と、肩まで伸びたこれまたストレートなもみあげをつやめかせる、トゥインクルを助けた少女は不思議な格好をしていた。裾がとても長い着物のような銀色の衣装をまとっているのだが、帯をしていないためにレオタードのような黒い肌着をのぞかせている。
不思議なのは衣装だけではない。遮光器のような黒のゴーグルで目を覆い隠しており、両手には「ゴツい」の一言に尽きる鋼鉄のガントレットをはめている。線の細い体格ゆえにガントレットが際立っている、このどこかアンバランスな格好の女の子は「ムーンライト」と言い、トゥインクルと同じくコスモスの一員にして光の戦士である。
「ムーンライト。〝サンシャイン〟は?」
「今日おなか壊しちゃって。何かおかしな物でも食べたみたい」
「ちょっとくらい腐ってても平気で食べちゃいますからね、サンシャインは」
「トゥインクル、今日は私に任せて。あのネコは私が仕留めるわ」
トゥインクルが首を縦に振って下がり、代わってムーンライトがヤマネコと相対した。
先制を仕掛けたのはヤマネコ。ムーンライトに飛び掛かり、爪を剥き出しにした右前脚を振り上げる。
爪も牙と同じく反っていた。その鋭さは人の肉など容易く裂くだろう。
「効かないわ、この程度」
だが、ムーンライトが両手のガントレットを斜めに交差し、ヤマネコの爪を難なく受け止めた。
攻撃を防がれたヤマネコが一旦下がる。そして、
「ヤァクサァァイ!」
威嚇するような叫びを上げ、縦横無尽に飛び跳ねた。
ヤマネコが壁を蹴って高く跳躍し、屋根から屋根へと飛び移っては駆け抜ける。俺の動きに付いて来れるか。そう言わんばかりに機敏な動きで撹乱を図っている。
しかし、ムーンライトは動じていない。飛び跳ねるヤマネコをゴーグルに隠れた目で追いながら右手をかざし、
「そこっ! 〝シルバーストリング〟!」
狙いを付けると、着物の右袖がなんと紐状に解けた。
新体操のリボンのように解けた右袖の紐をムーンライトが放ち、ヤマネコの着地した瞬間を狙って絡め捕る。
「もう逃れられないわ。観念しなさい」
ムーンライトが銀色の紐を握り、ヤマネコを引き寄せる。
あがくヤマネコだが、ずるずると引きずられ、この間にムーンライトが左のガントレットを構える。
構えるガントレットはいま貫手の形をしており、その先は鋭利に尖っている。そして、ヤマネコを十分に引き寄せたムーンライトが、
「刺す! 〝ギルティーメインディッシュ〟!」
左のガントレットでヤマネコの胴体を深く突き刺した。
ヤマネコが甲高い叫びを上げて消滅する。コスモスの二人は厄災に勝利した。
しかし、まだ敵はいる。ムーンライトが宙を見上げ、残る黒ずくめの男をにらみつける。
「〝メテオ〟。あなたが使役する精霊は解放したわ」
「フン。復帰したか。まずはおめでとう、とでも言っておこう」
「なに余裕見せてるの。あなたとの因縁もうんざりだわ。ここで決着をつけましょう」
「二対一では分が悪い、今は遠慮しておこう。ムーンライトよ、次は最大限のおもてなしを約束しようではないか。サンシャイン共々首を洗って待っているがいい!」
ムーンライトが「メテオ」と呼んだ黒ずくめの男が、空高くに飛んで逃げ去った。
男を見上げるムーンライトの元に、
「ムーンライト! 助かりました!」
トゥインクルが喜びをあらわに駆け寄る。
「やったベエ、ムーンライト!」
「〝べーちゃん〟」
突然、翅を生やしたウサギのような生物が二人のそばに現れた。
語尾に「ベエ」と付けるウサギに似た変な生物は、光の戦士コスモスをサポートする妖精である。名前は非常に長く誰も覚えられないため、コスモスの面々からは「べーちゃん」と呼ばれている。
「病み上がりだから心配してたケド、取り越し苦労で終わってよかったベエ」
「運が良かっただけよ。べーちゃん、精霊の回収は済んだ?」
「もちろんだベエ」
妖精が胸を張って返答した。
テレポートのように突然現れた妖精。この妖精こそがムーンライトとトゥインクルに変身する力を与えている。どこから現れたかも分からない謎の生物だったりするのだが、惜しみなくサポートするためにコスモスの面々は気にしていない。
ムーンライトがトゥインクルに振り向く。
「トゥインクル。私が怪我してる間、一人でご苦労様」
「そんな。私だってコスモスの戦士ですから、お礼を言われるほどでは」
「謙遜しないの。あなたは年下なんだから、素直に喜んでおきなさい」
「えへへ」
褒められたトゥインクルが喜んだ。
ムーンライトは今まで負傷しており、トゥインクル一人にしばらくの間コスモスとしての責務を任せていた。だから今日はリハビリを兼ねて戦いを受け持ったのである。
トゥインクルが懐から懐中時計のような銀色のオブジェを取り出す。
「それじゃムーンライト、変身を解いた後、時を戻しますね」
「ええ、頼んだわ」
了承したムーンライト。周りが止まっている理由だが、これはトゥインクルが持つオブジェによる。このオブジェは「ユニヴァーデンスクロック」と呼ばれ、この装置が周りの時を止めている。
今のヤマネコのような怪獣が現れれば街はパニックに陥る。これを防ぐためにコスモスの戦士は、この時計のような装置を作動させることにより、時と時との狭間に作動者と作動者がイメージする対象者だけが動けるプライベートな時間「リープゾーン」を挿入し、そのリープゾーン内で人知れず戦っているのである。
ゾーン内の止まった物質は硬く変質するため、余程の事がない限り周りに影響を及ぼさない。この装置も妖精から託された一品で、これはムーンライトも所持している。
「そういえばトゥインクル」
「はい」
変身を解こうとするトゥインクルを、思い出したムーンライトが呼んだ。
「〝スズキ〟って男の子をリープゾーンに入れたって、この前ベーちゃんから聞いたんだけど」
「あ……」