第三話 月も隠れる混ざりものたちの歓談
藤原頼丸が安倍晴明の屋敷を訪れたのは、丑一刻の時であった。別に好きで真夜中に出歩いているわけではない。自分の屋敷からはかなり遠い場所に住む実兄に呼び出されたので致し方なく徒歩で向かい、話を聞き、流れで酒を飲んでいたら爆睡し、夜になっていただけなのだ。酒に弱いというのに、飲めぬわけでもなければ嫌いなわけでもないのでどうしてもこういうことが度々起きてしまう。悪癖だ。それは重々承知なので、こうして震えながらすぐ傍にある安倍邸を訪れているのだ。
「あれ……?」
いつもは一条戻橋で晴明の使い魔に声をかけていくことにしているのだが、今日は見当たらなかった。見るたびにため息をはいてくるし顔面殴打してくる銀狼ではあるが、いつもいるのがいないとなると少し寂しくなるというものだろう。
「せいめー、せいめーいるかー?入るぞ~?」
声をかけて入れば、奥でばたばたと音がする。珍しいこともあるものだと足を進めて建物の中へ上がりこみ音のしていた場所へ足を進めた。
「晴明、いるなら返事をしたらど……お、お前ついに血を吸うために人を!?」
「勝手に殺すでない。まぁ、吸うためは否定しないけれども」
「人でなし!」
「元より混ざりものだ。それにその言葉そのままお前に返してやろうか?」
「ひどっ……」
クゥンと下がる耳と尻尾は狼のもの。頼丸が自分の屋敷に帰らずここに来たのは酔ったおかげで正体がでかかっている上に、きちんと戻せていないからだ。藤原頼丸は人狼である母と人間である父との間に生まれた。しかし、母親は頼丸を産んだあと肥立ちが悪く亡くなったためか、どうにも酔うとすぐにこの有様になる。さすがに往来をどうどうと歩いて帰れなくなって、いつも安倍邸に泊まりにくるというわけだ。実兄の屋敷にいればいい?残念ながら実兄の屋敷にその状態でとどまっていたら、お叱りでうっかり骨を折られかねないので遠慮申し上げる。
つまり、晴明に投げた言葉はそのまま返されるととても痛い。
「召喚術を試していたのだが……邪念が混じってしまったようでな、異界からこの者を招いてしまった。試作が故に、正しい還し方がわからなくてな」
「お前がそんな失敗するとはなぁ……して、この子はどうする?いかにこの魔境の都中の秘境安倍屋敷とはいえ、人間一人増えてたら流石にそのうち噂になるぞ」
「魔物は私が退ければいいのだが、人の噂はどうにもならん。というか、すぐに消し飛ばしていい有象無象の魔物どもよりも、殴るのすら問題になる人間の方が困ってな」
「晴明、俺はずっといっておるがそれは両方問題だぞ」
「そこでお前のことを思い出したんだ。頼丸。だから来てくれてちょうどよかった」
緩く細い月のように弧を描く唇が楽し気にそう音を乗せる。燭台の微かな光で照らされる宝玉を通り越して拍動する血のように赤い瞳が、俺を捉える。幸い人間は半分ほどなので、吸血鬼特有の目に宿る魅了の類はあまり効かないのだが、こいつの場合はわかっているので俺相手に使ってくることはない。そこではない、問題点は。
とても楽しい遊びを思いついた子供のような笑みを浮かべた時の晴明から吹っ掛けられることで、頼丸が迷惑をこうむらなかったことがないことだ。
「俺は、関わらんぞ」
「では、満仲殿に申し上げねばならんな……また弟御がうちに丸出しでお越しになりましたと」
「語弊があるのだが!!やめよ!?今兄上に聞こえるかもしれないであろうが!?俺を殺したいのか!?」
「では……聞いてくれるな?」
「あい」
癖のある髪で覆われた頭がぐったり下に垂れたのを見て笑いながら、晴明は話し出す。
「私もそろそろ夫を持とうかと思ってな。されど、ただでさえ混ざりものだというに表では男として通っているこの身に添うてくれるものなどこの世界にはおるまいとおもっていてな。それに…ただ養子を迎えるだけではとても……私に母親ができるとは思えんしな」
「晴明……。」
なんでもありといえばありな都だ。大抵のことはなんとかなる。俺も先日、橘の家の娘を妻に迎えたばかりだ。半人狼であっても妻帯ができる。けれども、流石に男になっている奴が正式に夫を迎えるというのは難しいものだ。
「故に、この者を私の夫にしようと思ってな」
「話をいきなり飛ばすな。ちゃんと途中を話せ」
「いや、この者は元の世界に帰れもせぬ、そしてこの世界には身寄りなど何一つない。そしてこの魔境たるこの屋敷はまだしも都に放り出されればすぐに死ぬだろう。それはさすがに……あらぬ噂がたちまくり面倒だ」
「うん、お前に世間体叩き込んどいてまだよかったなと思った」
「なら……どこぞの家に養子にいれ世間的にはそこで女として出し、妻として迎えれば立場的には我が屋敷にずっととどまっていても何も困るまい?」
確かにそれならいけるのがわかるから頭が痛い。胃も痛い。そして胃の中の酒が同意しに口からでそう、ひっこんでいろ。
「……どの家に養子にやるつもりなんだ。」
「満仲殿か、橘の家に頼もうかと」
「どうして俺の周りで探すのだ!?晴明、お前それでよいのか。俺が義理の兄になるんだぞ」
「お前は私を置いていくのがだいぶ先だろうからなぁ、よしということで」
「……弱いとこをまたついて……お前というやつは」
「はっはっは。で、どちらがよいのだ。頼丸よ」
単衣に帯を巻いただけの姿の晴明からはふわりと薬草の匂いが漂う。眠っている青年からも同じ匂いがするからおそらく薬湯にでも入れたのだろう。敷布の上に置かれ衣を一つかけられた程度でもぐっすりと眠っているのだから、おそらく精神的にも疲労したのだろう。俺もわかるとも、この友人のことは大事に思っているが疲れるよな。
「養父に頼もうと思う。俺の弟…いや、妹か一応。それでもかまわないか?」
「ほう……ふむ、満仲殿か橘の家の方が安心だと思ったが……お前がそういってくれるのであればその手もあるな。しかし、一応お前の事情も告げてから幸に判断してもらったほうがよいだろう」
「幸というのか。……お前のことは?」
「告げたとも。だが体がかなり弱っていたのに混乱で気づいていなかったようでな。告げるのと同時に魅了をかけてすぐさま薬湯へ沈めたのでどこまで覚えているかは定かでないな」
「雑なのよなぁ……お前なぁ……。」
ほんと大変だなぁと幸の髪を撫でようとしたとき、ばちっと手に痛みがはしりすぐさま手を放す。気のせいかともう一度手をのばし、頬に指先が触れる前にまたばちっと脳に雷の姿が映り、思わず飛びのいて距離をとってしまった。
「このこ……なんだ……?」
「竜神と人との合いの子だろう。世界を跨いでもなおこれほどの加護があるのだ。母神は余程幸を溺愛していたとみえる。まぁ自覚はないようだが」
「お前、よく……この子を薬湯になぞいれられたな」
「おかげで今両腕が使い物にならないな」
まさかと晴明の単衣の袖を捲れば、腕は赤くなっておりただれてこそはいないが竜がまるで彼女の細腕を締め上げるように稲妻のような紋様が浮かんでいる。
「また無茶をしおって……いくら人外の血が混ざっているとはいえ、お前も俺も半分は人なのだぞ?晴明」
「わかっているさ……でもなぁ……この子は私が怖くないのだそうだ。嫌いでもないのだそうだ。助けてほしいと、自らこの私の腕の中に全力で飛び込んできてな。……邪心なく縋られたのは初めてだったんだ」
人狼の血を引いているが故に、天皇の血を引く父にも引き取られず魔物であるからと寺にも拒否された結果、養子に出された。養父母たちは十分に俺を可愛がってくださったが、実兄からの冷たい目はどうしようもない。晴明も母の顔を知らず、父君ももうこの世を去ってしまわれている。師匠である賀茂殿がいるとはいえ、結局晴明は身寄りがないに等しいのだ。そして陰陽師としての才がなまじあるがゆえに、疎まれてもいる。
「……それは……仕方あるまいなぁ……俺でもそれは面倒をみたくなってしまうぞ」
誰かに純粋に助けて欲しいと言われて縋られるなんてこと、我らにはそうそうあることではない。いやむしろ、常ならばない。他人との関わりが世界一面倒だ、人間なんてすぐに死ぬだろうがといって人をよせつけない晴明がこれほどまでに世話をするわけが納得がいった。
眠る子よお前の自覚はないかもしれないが、名前の通りよい運を持っているぞ。生命力にだいぶふってはいるが。
「この私の我儘をまた聞いてくれるか、童子よ」
「致し方ないな、童子の頼みであるのだから」
お互いの幼名を言い合えば、耐えきれずに笑いだす。
雲に隠れた月もまた、きっとこの様を見ながら笑っていることだろう。
人狼の子と、吸血鬼の子の歓談を子守歌に、竜神の子は何も知らずにただただ幸せそうに眠っていた。