怪しい扉
「ジン様、あの扉、なんか怪しいです」
ひそひそとアローナは小声でジンに言う。
「うむ。
調べるなら今だな」
とジンは言うが、ジンは動けない。
何故なら、圧倒的な迫力で美しいジンの一挙手一投足を男たちは舞を見ながらも、窺っているからだ。
うーむ。
都合はいいけど、不本意なり……。
男たちからノーマークなアローナは、すすすっと酒瓶を手に後退り、壁際に寄ると、そっとその扉を押し開け、中に潜り込んだ。
暗い……。
アローナはもう一度、少しだけ扉を開けてみた。
光が入るようにだ。
豪奢な柄物のカーペットの上に縛られた女が転がされているのが見えた。
「エンッ」
とアローナは小声で叫ぶ。
「やっぱり……」
と呟いた。
情報通のエメリアはアローナの兄、バルトの妻となる女が誘拐されたことに気がついた。
その一団がこの娼館に隠れて泊まることになったが、客の秘密はバラせない。
親切というよりは、アローナたちに恩を売りたいと思ってのことかもしれないが。
エメリアはアローナたちが自分で気づくという形にして、知らせたいと思ったようだった。
だが、アリアナは余計なことをするなと止めたのだろう。
アリアナが非情なわけでは決してない。
娼館経営者の判断としては、アリアナが正しいからだ。
「エン、此処から逃すから。
自力で逃げて」
そうアローナが言うと、は? という顔をエンはする。
「でも、我々が逃すとまずいから、自力で逃げて。
みんな全力で追うけどね」
とアローナが言うと、常に冷静なエンは、
「……じゃあいいです。
このまま此処にいます」
と言った。
アローナはともかく、大勢に全力で追われて逃げられるとは思えなかったからだろう。
だが、アローナは有無を言わさず、隠し持っていた小刀でエンが縛られていた縄を切った。
太ももに縛りつけていたナイフを取り出し、切る手つきが手慣れていたからだろう。
エンが、
「そんなの、いつも持ち歩いてるんですか?」
と呆れたように訊いてくる。
「この間、ちょっとした冒険の旅に出てからね。
いつでも備えって必要だなと思って」
と言ってアローナは笑った。
そっと扉から出たアローナは、
「きゃああああっ」
と突き飛ばされたかのように転んで見せた。
エンがその後ろから猛スピードで駆け出し、宴会のテーブルを飛び越えていく。
持ち上げても引きずる長いスカートで高価な宴会料理をなぎ倒しながらエンは出て行った。
「なんだかわからないけど、誰か逃げましたよっ。
追いましょうっ」
とアローナは叫んだが、エンをさらった連中は、酒と滅多に見ないような美女の集団に酔い、ぼんやりしていた。
お、おお……とのろのろと立ち上がっている。
「各国の王族を虜にする焼き菓子を焼ける娘が逃げたぞっ」
と男たちのひとりがようやく事態に気づいたように叫んだ。
アッサンドラの王子の花嫁になる娘だから誘拐されたんじゃかったのか……と思いながら、アローナは猛スピードでエンを追いかける。
シャナも遅れて参戦した。
エンが、ひいいいいいいっという顔で、階段を駆け下りていく。
「シャナッ、その辺から飛び降りてっ。
先回りできるからっ」
いや、あんたなに、本気で追わせてんだっ、という顔で、何度もエンが振り見ている。
だが、アローナは、いやいや、本気でやらねば騙せないだろう、と思っていた。
エンはすごい勢いで娼館の扉を跳ね開け、出て行く。
「さすが、全然衰えてませんでしたね。
子どもの頃、何度も悪さをしては逃げるお兄様に追いついては引き倒し、おしおきしてただけのことはあります」
とアローナはようやく出てきたジンに笑いかける。
盗賊たちは突然の逃走劇に、まだぼんやりとしているようだった。
そんなに凄腕でもなさそうだ、と判断したアローナはステファンを見る。
エンが押し開けていった扉のところに立っていた彼と目を合わせ、頷いた。
「おいおい。
娘が逃げたぞ」
「どうすんだ。
たまたま、いい獲物をゲットしたからって、大盤振る舞いしちゃったぞ」
とようやく酔いがさめてきて、揉めはじめる盗賊たちの許にステファンズが近づき言った。
「どうした、お前ら。
この辺りでは新顔だな。
なにかいい仕事でも探しているのなら紹介しよう。
ちょうど人手が足らなかったんだ。
アッサンドラの王子が各国への貢物にする蒸留酒の運搬をしてくれる連中を探している。
安全に素早く運べば、報酬はたんまり貰えるぞ」
そ、そうなのか? と男たちはエンを追うことを諦め、ステファンたちに詳しい話を聞きはじめる。
ジンと目を合わせて笑ったとき、銀の間から出てきたエメリアが囁いていった。
「これで、メディフィスとアッサンドラにかなりの貸しができたわねえ」
少し振り返ったエメリアが、にんまり笑う。
……困った人に借りを作ってしまったようだ。
相変わらず、がめついエメリアが優雅に階段を下りていくのを見ながら、アローナは苦笑いする。