効率化すると楽になる……訳が、ないだろう?~一度で良い、ちゃんとした生産性の話をしよう
効率化と省力化を、間違って理解している人が、もしかしたら、多いのかもしれない、と思う昨今。
効率化とは、そも、なんぞや?という話を、今回は、書いていこうと思います。
はい、こんにちは、ふりがなです。
効率化や、生産性について、知っておきたい人もいるでしょう。
効率化のような、理解に苦しむ、難しい概念は、単純化すると、その本質が見えてきます。
あ、効率化しても、その分仕事が増えるだけだから、楽にならない、という話では、ありませんよ。
もちろん、効率化した分、仕事は増えますから、それが、間違っているという話にはなりませんが。
まずは、簡単な単純労働の効率化を、考えてみましょう。
例えば、効率化という事で、肉体労働の現場では、無駄を省くため、動線を小さくしていきます。
故に、動線を利用した効率化では、究極的には、動線0、歩く必要の無い現場が、最高効率となるのです。
では、一度、動線0の、最高効率の世界線を、考えてみましょう。
その、究極に効率化された世界線が、言うほど楽になるのかという話です。
重い物を運ぶ仕事なら、一切歩かずに、上げ下げするだけの、仕事となりますね。
まぁ、腰が逝くんじゃないかな、と察する人も、居るんじゃないでしょうか。
もちろん、腰が逝きます。
工場作業なら、一切歩かず、作業を黙々と熟す事になります。
まぁ、こちらも肉体的にきついんじゃないかと思いますが、忙しい所では、動線のある現場よりも、頭がこんがらがるのではないか、と察する人が、居るのではないでしょうか。
もちろん、動線があるよりも、頭はこんがらがるのです。
最高効率、動線0の世界線では、熟せる仕事の量が増えます。
しかし、言うほど、何かが楽になっているのかと問われると、肉体的に、キツくなってる気がしますよね。
これ、当たり前なんです。
そもそも、効率化という概念は、どうにかして、労働強度を上げて、生産性を高めるという物です。
労働強度とは、労働の激しさの程度を指した言葉です。
最高効率を目指すという事は、自ずと、この労働強度を、最高にするという事になるのです。
労働強度が、最高であるという事は、肉体的に最高に辛くなるという事になります。
例えて言うと、労働者は力をうまく伝えるための、ギアで、遊びを少なくすれば、より力は大きく伝わるが、ギア、つまり労働者への負担が大きくなる、と言えば、解りやすいかもしれません。
皆さん、今までは、どのように効率化を考えていたでしょうか?
効率的に、力を伝える方法、と考えていた人は、少ないのでは無いでしょうか。
つまり、単純労働では、動線を無くしていき、最も肉体的にキツくなるやり方が、最高効率となりやすい。
効率化すると、楽になるのではなく、効率化すると、熟せる仕事量は増えるが、肉体的には辛くなる。
という当たり前の事が、成立するのです。
これ実は、生産性の定義からも、出すことが出来ます。
投下労働量を増やすには、労働強度を、上げれば良いとあります。
ここに、普段語られない、効率化の概念を、足せば良いだけです。
効率化すれば、労働強度が上がるのですから、投下労働量は増えますよね。
実は、投下労働量を増やしているだけなので、定義上の生産性は変わっていませんが、労働強度を考慮する経営者は存在しません。
ですから、経営者にとっての、生産性は上がっていることになるのです。
効率化すれば辛くなる、これには、驚いた方もいるでしょう。
では、何故、経験則や、生産性の定義を無視した、効率化すると楽になる、という勘違いが生まれる事になったのでしょうか?
その勘違いは、これが原因となります。
――頭を使えば楽になるだろう
何故なら、頭の利用は、労働強度と無関係だからだ
頭は、どんなに使っても疲れない。
そう、普通では有り得ない超人的な勘違いを、単純労働とミックスさせると、この勘違いは生まれるのです。
頭脳労働は、労働強度と関係なく、どんなに頭を使っても、人は疲労しないのか?
この答えは、一億総ブラック社会とも称された、後の世代なら理解出来ると思います。
肉体的な労働強度だけではなく、頭脳的な労働強度もある、という事になりますよね。
労働が複雑化すると、頭脳労働の入る余地が増えます。
すると、労働強度は、肉体と頭脳両方が、関係するようになるのです。
肉体労働を、頭脳労働で肩代わり出来るようになるので、トータルでは労働強度は上がっているのに、肉体的には楽になる。
これが、効率化すると、楽になるという勘違いの正体です。
では、読者の皆さん、そのように複雑化した仕事での、最高効率は、どのように出せば良いと思いますか。
そう、肉体と頭脳の労働強度両方を、最高にしてみれば良いのです。
頭脳と肉体、両方を使うプロスポーツ、究極に効率化した世界を見て、視聴者は、プロのプレーヤーは、みんな楽をしているな、と思うでしょうか?
より、効率的に得点を取るという行為は、プレーヤーの力をどのように伝えるか、という話であり、間違っても、楽をするという話ではありません。
効率化を目指したなら、肉体的な負荷が増える場面は増えるし、頭脳的な負荷が増える場面もより多くなっていく。
それこそが、最高効率への道なのです。
ここまで読んだなら、最高効率を目指すと、労働者が壊れると指摘する人も、居るのではないでしょうか。
そう、仮に、効率化が労働強度に依存する物であるなら、労働者側には、耐えられる労働強度の限界があるので、自ずと、効率化の限界は、労働者の耐えられる限界の労働強度へと収束する事になります。
ここで一度考えてみてください。
一般的な労働者は楽をしたいのか、苦しみたいのか。
――これが僕の考えた最高の効率! みんな効率化して!
労働強度は、低い方が、とにかく仕事は楽になります。
もっとも、熟せる仕事量は減りますが。
という事は、労働者は、自分にとって、適正な労働強度、つまりは、経営者にとっての、非効率化を目指す傾向にあるのです。
――楽になるハズなのに何故あいつらは仕事を効率化しないんだ!
経営者の考える効率化と、労働者の求める効率化は、そもそもの目的が違うのです。
経営者の考える最高効率が、現場の負担を無視する、机上の空論となりやすい理由が、これです。
労働強度を無視した効率を設計すれば、現場は破綻するのです。
逆に、現場の求める効率化が、時折間違った方向に進むのも、これが理由となります。
労働強度を低くする事ばかり主張して、現場が非効率化します。
――あいつらはサボってばかりいる! もっと効率化出来るのに!
経営上の最高効率を定義すると、それは労働者の長期的に耐えられる、労働強度の限界に近くなります。
より良い労働環境が、最高効率を生み出す理由がここにあります。
労働者の耐えられる、労働強度を他の要因で底上げすれば、経営上の最高効率も、自ずと底上げされるからです。
効率化とは、間違っても、誰かが、楽になる話ではありません。
この考えてみると、当たり前の話が、解らない中間管理職、経営者が、非常に多いように感じます。
もちろん、労働者にも、同じ事が言えます。
これは足し算が解らないから、その先のあらゆる計算が出来ないのと一緒で、基礎的な学力としての、効率化を知らないが故の、弊害なのだと、私は指摘します。
必ずしも、基礎的な学力が、労働生産性を上げるとは言いませんが、効率化は、勘違いが、基礎学力のひくさの弊害を、より大きくしている、典型的な分野なのです。
目から鱗の人だけが、ポイント評価をお願いします。
因みに、機械の導入は、また違った効率化の話になりますが、原則として変わらないので、今回割愛させて戴きます。
以下は、本作品からの派生問題です。
Q1.とある労働で、理論上の最高効率があるとする。
その最高効率を出すことは可能か?
Q2.Q1の答えの根拠を述べよ。
Q3.本作品からは、肉体労働を頭脳労働で肩代わりする以外に、効率化したほうが、楽に思える条件が、導きだせるが、その条件とは何か?
Q4.労働者の耐えられる労働強度を、底上げする手段を、労働条件以外で述べよ
Q5.労働者の耐えられる労働強度を、底上げする、労働条件を述べよ
Q6.労働者の耐えられる労働強度を底上げしても効率化しない例を述べよ
Q7.Q1からQ6を鑑みた時、各々が、最も生産性を上げられるであろう手段を述べよ
Q8.機械を入れると効率化する理由を述べよ
下記リンク先で、回答、解説をしたいと思います。