2、憑いてきた
大きく深呼吸し、乱れた呼吸を整える。
それから僕は自宅の扉の鍵を開け、そそくさと家に入った。
後ろ手に扉を閉め、そこにもたれかかるようにしゃがみ込んでから、
「……一体、何がどうなってるんだ?」
僕は困惑を口にした。
検査のために病院に連れて行こうとする男に断りを入れ、それから幽霊と称する女の子から逃げるように、背後も振り返らずに僕はダッシュで帰宅していた。
事故にあったショック。
体験してしまった超常現象。
そして、男の目には映らない、不思議な女の子。
それらのせいで僕は気が動転し、一刻も早く逃げ出したいと思ったのだ。
数秒間、僕は下を向いて蹲る。
一体全体、どうなってるんだ?
……あの幽霊、ついてきてないよね?
そう思った僕は、恐る恐る扉を開いて、外を見る。
そこには――、
誰も、いなかった。
見慣れた光景が広がっているだけ。
……そうだよね、幽霊なんているわけない。
さっき起こったことは、事故のショックで色々と勘違いがあっただけ。
そう納得して、僕は扉を閉め、玄関で靴を脱いで、家に上がろうとして。
目の前に、先ほど出会った彼女がいることに気が付いた。
「ここが君のお家? 急に走り出すからびっくりしたよ」
頬を膨らまして、怒ったように彼女は言った。
その言葉を聞いて僕は、
「ほげぇぇぇぇぇええええ!!!!!!」
心臓が止まるかと思った。
大小問わず、色々と垂れ流すかと思った。
がちがちと歯を鳴らし、僕は恐怖に晒される。
「……え、えと。怖がりすぎ。別に何もしないよ」
呆れたように、彼女は言った。
しかし、流石にその言葉は信じられない。
ここまで付いてきた、というよりも憑いてきたのには、それなりの理由があるのだろう。
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無……」
僕は一心不乱に念仏を唱える。
仏壇に手を合わせるような殊勝さはないけれど、こんな時には恥ずかしげもなく縋れせてもらいます、仏様。
「もー、私の話を聞いてってばー」
面倒くさそうに彼女は言ってから、投げやりに僕に肩パンをしてくる。
その力は、人並み外れたものではなく、ただの少女のようなか弱さで。
「わ、わーーっ!? 肩パンっ、肩パンされっ!! ……ん?」
殴られた方を擦りつつ僕は叫ぶが……全く痛くなかったため、ふと冷静になった。
「……いや、なんで肩パンなの? 普通そこは幽霊らしく、呪いの力とかはないの?」
何だか恐怖心も薄れ、自然と少々ズレたツッコミをしてしまう。
「失礼だなー、君は。これでも私、命の恩人……恩霊? とにかく、君を助けた人だよ?」
「お、おん……やっぱり怨霊!?」
彼女の言葉に、僕は今一度取り乱すが、「ここまで怖がられるとは……」と呆れた様子の彼女が、続けて言う。
「呪い殺すとかできないよ。ていうか、殺すつもりなら、そもそも最初から助けないし、見殺しにするし」
不意に、彼女は物憂げな表情でそう言った。
……幽霊なのだとしても、今の彼女は、僕の目にはただのか弱い少女にしか見えなくて、途端になんだか後ろめたい気持ちに襲われた。
「……あの、本当に君が僕を助けてくれたの?」
「君は、車に轢かれそうなときに、咄嗟に三回転半の大ジャンプをできるような運動神経の持ち主なの?」
「一応平均的な男子高校生だと思っているから、それは無理だね。……それじゃ、やっぱり君が僕のことを助けてくれたんだ」
彼女の言う通り、僕にそんな金メダリスト並みの運動能力はない。
だから、彼女が幽霊ならではの超自然的能力で、僕を助けてくれたのだ。
しかし、彼女はどうやって僕を助けてくれたのだろう?
そう考えていると、
「まだ信じきれてないみたいだね。それじゃ、これを見たら、信じてくれるかな?」
彼女が悪戯っぽく笑う。一体どうしたのだろうかと思っていると、突如として、足元にあったはずのスニーカーがひとりでに動いた。
それから、玄関に置いてあった写真立てや鏡、マットが浮かびあがる。
「……ナニコレ!?」
「ポルターガイスト、ってやつかな? ……さっき君にしたみたいに、人を浮かせるのは普段しないんだけど。あの時は火事場のバカ力でできたみたい」
ポルターガイスト。
誰も触れていない物体が、勝手に浮かび上がる超常現象。
彼女曰く、先ほど僕を助けたのもこの力らしい。僕は口を開いたまま、ぷかぷかと浮かぶ鏡を見た。
その鏡面には、間抜けな顔で驚く僕が一人いるだけで……彼女の姿は、見えない。
……ここまで見せられたら、納得しないというのは逆に難しい。
「流石にこんなものを見せられたら、信じるしかないね。……改めて、ありがとう」
そう言うと、彼女は笑顔で頷いてから、「どういたしまして」と言った。
そして、先ほどまで周囲を浮かんでいたものを、定位置に戻した。
頭の中は混乱しっぱなしだったが、それでも彼女が僕を助けてくれ、そして今も害意がないことは十分に理解できた。
全面的に信用できたわけではないけれど、それでも、恐怖は随分と薄れた。
「……あれ? そういえば。僕のことを呪っているわけじゃないなら、なんで君がここにいるの? お礼を言われて無かったから、怒って着いてきたの?」
ふと抱いた疑問を、彼女に向かって告げる。
「そんなしょうもない理由じゃないけど。まぁ、ついてきちゃったていうか……」
どこか照れくさそうに笑いながら、彼女は言葉を続けた。
「君に、取り憑いちゃったみたいなんだよね」
☆
女の子を自分の部屋に招き入れたのは、初めてだ。
ヤケクソ気味に僕はそう思うのだが、現実は決して呑気している場合ではなかった。
「つまり、事故に遭う僕を助けたいと思った君は。結果として、僕に対して強い執着を持ったことになって、こうして憑りついちゃったわけなんだね」
「うん、多分そういう事だと思う」
彼女曰く、この世界に未練や執着がある人が、死後幽霊となってしまうらしい。
元々はただの『浮遊霊』だった彼女は、心底僕を『助けたい』と願い、そうした結果。
見事、『背後霊』にジョブチェンジしてしまったようだ。
そして、元々霊感なんてなかった僕に彼女が視えるようになったのも、事故を目前にし、死を間近に感じた時に、霊的な力を身に受けたため、『チャンネル』が開いてしまったのが原因らしい。
県境で隣の県のラジオの電波が拾えるようなもの? って聞いたら、『どうゆうこと?』って首を傾げられたけど、きっとイメージ的には違わないと思う。
「……あの。それで君はいつまで僕に憑りつくことになるの? 1時間半くらい?」
それ以上はしんどいんだけど。
いや、既にもう一人にして欲しいんだけど、そう思っている僕は、彼女に問いかけた。
「君よりも執着するものを見つけるか……私が成仏するまで?」
「なら、君はいつ成仏するの? ……今でしょ!?」
勢いだけはいっちょ前にそう宣言したけれど。
「え、そんなのわかんないよ」
素で返事をされてしまい、僕はいたたまれなくなった。
「ていうか私、生前の記憶がないんだよね。だから、自分自身の未練も、分からないの。成仏しようがないんだよ」
弱々しい笑顔を浮かべた彼女は、ここにきて重大な秘密を、意外なほどさらっと打ち明けた。
「え? 記憶喪失ってこと?」
「うん。ここら辺の幽霊界の長老みたいな人にも聞いたんだけど、生前のことを思い出したくなかったり、衝撃的な事故で死んじゃったりの幽霊は、そういうパターンがあるんだって」
幽霊の長老ってどんな存在なの? というツッコミはせず、彼女の言葉を反芻する。
生前のことを思い出したくない、もしくは衝撃的な事故が死因かもしれない。
そのせいで、記憶を失ってしまった、なんて。
……僕は、彼女に向かって口を開く。
「記憶喪失の幽霊なんて、またベタだね……」
「今気づいたけど、君ってデリカシーないよね? 友達いる?」
「ご明察、僕に友達はいないよ。ところで君の今の発言も大概デリカシーに欠けると思うんだけど、お友達っているのかな?」
「記憶喪失だから思い出せないだけで、いっぱいいるから、友達!」
「友達がいないことを思い出したくないから、記憶喪失になったんじゃない?」
僕は鼻で笑いながら言う。
そして、彼女は無言・無表情で僕の肩をパンチしてきた。
「いてて……。でも、困ったな。君の記憶がないんじゃ、どうやって君を消し……成仏させたらいいか、分からないね。……とりあえず塩でもふりかけたら良いのかな?」
「君、もう全然私のこと怖がってないね。それ自体は歓迎すべきことだけど、命の恩人をナメクジ扱いすることに、私は驚きを隠せないよ……」
やれやれ、と肩を竦めてから、
「……あれ? もしかして君、私が成仏するのを、手伝ってくれる気があるのかな?」
恐る恐る。でもどこか、期待を込めた声音で。
彼女は、僕に問いかけた。
「え、うん。君が何度も恩着せがましく強調するように、命を救われたわけだし。いつまでもこのまま憑りつかれているのも嫌だし。できることがあるなら、手伝おうと思っているんだけど」
僕が答えると、彼女は不満交じりに「恩着せがましく言ったつもりはないんだけど」と呟いてから――ふと、照れくさそうに小さく微笑んだ。
それから、僕へと優しい眼差しを向けてから、口を開く。
「記憶はないんだけどね。……行ってみたいところ、あるんだ」
「行ってみたいところ……?」
僕が彼女の言葉を繰り返すと、「うん」と呟き、首肯された。
……記憶を失ってなお、いきたい場所。
それこそが未練の正体なのだと、僕は自然と、確信を抱いた。
「分かった。……君の行きたい場所を、教えて」
僕は真直ぐに彼女を見つめ、そう問いかけた。
ゆっくりと頷いた彼女は、口を開いた。
「それは――」
☆
そして、僕は制服のまま家を飛び出し、数十分後には、彼女の行きたい場所へと到着していた。
しかし、僕の部屋で抱いていた未練の正体への確信は、見事に疑念へと変わっていた。
何故か? それは――。
「やっぱり平日だと、混雑も大したことないんだね」
無邪気に笑いながら言う彼女と共にやってきたのは。
どこにでもあるような、何の変哲もない。
ただの、映画館だったからだ――。




