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ハッシュトブレイク  作者: 齋藤月子
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静寂の調べ

 自分の息も鼓動も聞こえない、無音の世界に体が浮いていた。暗闇に色とりどりの星が輝いて、花火のように散ったり、集まったりしている。ゆっくりと回る体は、白い火花の渦に吸い込まれていき、胸をざわつかせた。それは、恐怖と期待が混じるようなよくわからない感覚だった。

 一変して視界は明るくなり、風音と甲高くやかましい音が響いた。それが自分の悲鳴だと気付いたのは、悲鳴を上げるのに疲れ始めたときだった。

 平らな場所に放り出されて、葉月はしばらく起き上がれなかった。頭がくらくらしたし、息が切れていた。じっとしている間、ずっと楽しそうな笑い声が聞こえていた。

【ね、楽しかったでしょ?】

 確かにこれまで乗ってきた絶叫系では群を抜いていた。めちゃくちゃ怖かった。

【君たちがいなくなって、とっても退屈してたんだよ】

 ジェットコースターは安全が確認されたレールの上だから恐怖を楽しめるのだ。未知の生命体に咥えられて飛び降りなんて、安全のアの字もない。楽しむも何も、そもそも足が滑って崖から落ちたようなものだ。死ぬかと思った。でも走馬灯は見なかったな。

【これくらいで死ぬわけないでしょ】と笑い声。

 むかつく。こいつむかつく。絶対友達になれないタイプだ。

【そんなこと言っちゃって、本当はちょっと楽しかったでしょ?】

 うざ。やめてほしいと言っても、真面目に聞かないどうしようもない人間だ。

【だって、人間じゃないもの】

「あれ?」と葉月は落ち着きを取り戻したので起き上がった。数メートル離れた所に巨大な目があった。銀色にきらめく光彩に、大きな瞳孔。ときたま横線が上下に動くのは瞬きだろうか。

【そうだよ。透明な瞼があるんだ】

 心を読まれているような気がする。

【何をいまさら。でも君は声に出してよ。とっても素敵なんだから】

 褒めてごまかすつもりか。細長い魚類め。

【わかったよ。ごめんね。謝るよ。だってそんなにびっくりすると思わなかったんだ】

 言葉と共に申し訳なく思う感じが伝わってきた。表情なんて全くないのに不思議だった。

【これがエルベレスの会話なんだよ。でもエルベレスは人の声が好きだから、君にはしゃべってほしいな】

「じゃ、さっきみたいなのは二度とやらないでよ。約束して」

【わかった。君が嫌だと言うことはしないよ】

 葉月は息をついて辺りを見回した。相変わらず下には雲の海が広がっていて、立っているのは大きな円盤の上だった。見上げると大小様々gな薄緑の丸が幾重にもなって浮いている。葉月がいるのはその集合の下端らしかった。

「さっきの場所に帰りたいんだけど」

【宙返りすればすぐだよ】

「またあれ?」

【雲の下を通るのが一番速いよ。上だとけっこうかかる】

 ハグレベレスからは期待が伝わってきて、葉月はイラッとした。この生き物はもう一度宙返りをしたいからわざわざ遠い場所に来たのだ。それしか選択肢がない場所に。

 そのとき、遠くに何か聞こえた。耳を澄ますと音楽が聞こえてきた。

「上の方に誰かいるのかもしれない」葉月は別の選択肢を見出した。オトナリがいるなら、助けてもらえるかもしれない。

【え、どこにいくの。上には誰もいないよ】ハグレベレスは驚いて首を縦に動かした。

「うっさい。ちょっと確認してくる」

 宙に浮く円盤は厚さが十センチくらいしかなかった。反発するように支えもなくその場に留まっている。葉月は、どうにか登れる高さで重なっている所を探しながら上へと進んでいった。様々な色味の緑が重なり合った一見綺麗な所だが、代わり映えのない先の見づらい景色でどれくらい進んでいる気がしない。それでも次第に音楽がはっきりと聞こえてきたのが救いだった。それはフルートとピアノの音で、一緒に弾いているわけではないようだった。明らかに別の曲だし、聞こえている方向も少し違った。ただこの場所はよく響くようで、どこから聞こえているのかよくわからなかった。

 頭上のひときわ大きな円の真ん中に黒い影が見えた。グランドピアノだ。ゴールが見えると力が湧く。辿りつく頃には汗だくになっていた。

 女の子が、一心不乱にピアノを弾いていた。彼女の視線の先には楽譜ではなく、黒い地球儀のような物が置いてあった。殆ど瞬きもせず凝視している。所々不協和音の入った不思議な雰囲気の曲だ。

 葉月は彼女の横顔がはっきり見えたとき、近づく足を止めた。

「花菜多……?」

 ピアノを弾いていたのはよく知っている友人の姿だった。中学生の頃の制服を着て、長い髪を下の方で二つに結んでいる。

 葉月は驚いて動けなくなった。幽霊か、他人のそら似か幻か。懐かしさと切なさが入り交じる中、その横顔を見つめていた。

「ハルカー! もういいよー!」とよく通る女性の声が飛んできた。そして目の前に人が現れた。突然おでこがくっつきそうな距離で見つめられ、葉月は驚いて尻餅をついた。金髪でポニーテールの女性が怪訝な顔で葉月を見下ろしていた。

「人間? どうしてこんな所に……」彼女は警戒するように辺りを見回した。

「カジカちゃーん、どうしたのー?」ふんわりした声がして、葉月ははっとした。雰囲気は違うが確かに花菜多の声だった。

「花菜多、なの?」

 カジカの後ろから現れた少女は葉月の顔を見て「葉月ちゃん!」と驚いた顔で言った。花菜多はそんな風に呼ばない。

「私、ハルカだよ。ほら、花菜ちゃんの妹の。妹って言っても花菜ちゃんにしか見えてなかったけどねぇ」ふふふ、とハルカは笑って手を差し出した。

「ハルカ、思い出した。……本当に、いたんだ」彼女の手を取って立ち上がる。

「知り合いなの? ハルカ、どうやってこの子を連れてきたの?」カジカは言って、ハルカは首を横に振る。「私、知らないよ。ずっとこれを弾いてたの聞いてたでしょ? 無理だよぉ」ハルカは抱えた黒い地球儀を指先で叩く。

「そうよね。でも他にオトナリの気配はずっとなかったし、何か見逃した……?」

「私エルベレスにさらわれたんです」葉月はこれまでの経緯を簡単に話した。カジカは納得したように頷いた。

「あの生物が。災難だったわね」

「すごいね! 葉月ちゃんバイオリン始めたんだね!」ハルカは嬉しそうに言った。

「まーまだ全然だけど。それにしても、花菜多にそっくりだからびっくりしたよ」

「だって花菜ちゃんから生まれたオトナリだもん。もとになった人間と同じ姿になるんだって。後で知ったことだから花菜ちゃんには言えなかったんだけどね」

「どうして花菜多にだけ姿が見えてたの?」

「それはよくわかんない。ミーナは才能だって言ってた。たまにいるんだって。あ、ミーナっていうのは私を見つけてくれた人でね、天才発明家なの」

 確かに花菜多の姿をした別人だった。しゃべり方が全然違うけど表情はあまり花菜多と変わらない。双子の妹みたいだ。

「ひょっとして、私の楽器に眠ってるオトナリも私と同じ顔ってこと?」

「そうだよ! 前に使ってた人がいなければ」

「あり得るのはお母さんか。確か新品を買ったって言ってたし。弾いてたときの姿なら今よりずっと若いはずだから、それはそれで面白いかも」

「楽しそうなとこ悪いんだけど」とカジカが切り出した。「私たちはそろそろ行かないと。残念ながらあなたのことまで世話しきれないわ」

「でも私は飛べないし、できれば一緒に連れて行ってもらいたいんだけど……」

「それなら地球に帰る? 試奏のために連れてこられたって言ってたよね。それなら、もう地球の時間は動き始めたから代わりの人はいくらでもいるはずよ」

「え、そうなの?」

「それに、雲に落ちて無事だとは誰も思ってないと思うの。私もちょっと信じがたいくらいだし」

「死んじゃうんだもんね」

「えぇーやだよぉ。折角会えたのに。もうちょっとお喋りしてちゃダメ?」ハルカがカジカの袖を引っ張った。「私すっごく頑張ったよ。一回も間違えなかった。それにこれは奇跡だよ。葉月ちゃんと会えたなんて。だからお願い、もうちょっとだけ一緒にいさせて」お願いお願い、と半泣きでハルカが言うのでカジカは折れた。「少しだけよ。ミーナに連絡しておく」

 向こうで笛を吹く背中を見てハルカはくすっと笑い、目尻の涙を指先で拭う。

「カジカちゃんは泣きに弱いの」

「花菜多も嘘泣きが上手だったよね」と葉月も笑った。

「うん。あぁ、花菜ちゃんも一緒に三人でお話ししたかったな」

 その言いようで、花菜多が既にこの世にいないことを知っているのだと気付いた。葉月は不意に湧き上がった涙を止められなかった。思えば死の知らせを受けてから、花菜多を知っている人と話をするのはこれが初めてだった。

「どうして、花菜多が……」言葉に詰まる葉月をハルカは抱きしめた。

「葉月ちゃん、大丈夫だよ。次はきっと、大丈夫」そう言って背中を優しく撫でる。少しの間、そうしていた。ハルカの言葉の意味を考えていたらすぐに落ち着いた。

「何、次って」と体を離す。ハルカは笑顔だった。

「これから、世界はやり直しなの。だから花菜ちゃんは次はきっと死なない。そしたら、私がそばにいてあげるの」

「待ってよ、世界のやり直しって何なの」

「歴史が変わるの。ほら、葉月ちゃんの特別な楽器の力だよ」

「つまり……伝説の楽器で歴史を変えて、人類滅亡の危機を逃れるって、そういうことか」

「どこから変わるのかはわからないけど。私は、次は花菜ちゃんが死なない歴史になるって信じてる」

「でもそんな、それって、生まれるかどうかすら怪しくなるってことじゃないの?」葉月は考え込む。

「葉月ちゃんは伝説の楽器を生み出した強運の持ち主だからきっと大丈夫だよ」ハルカは励ますように言った。本当にそう思っているようだ。

「いやそんなこと言ったって。それじゃ、ここにいるこの私はどうなるの?」

「消えるのよ」と言ったのはカジカだった。「なかったことになるんだから」

「……ここにいたら消えなくて済んだりする?」

「消える。あなたは地球に属するものだから。パラジオにいたって関係ないの」

「やだ。どうにか消えない方法はないの?」

「ないわ。今まで色々試されてるけどね」カジカは即答した。まずいことを言ってしまったと、隣でハルカがおどおどしていた。

「葉月ちゃん、ごめんね、私そんな、がっかりさせるつもりじゃ……」

「いいよ。あんまり信じられないというか実感がないし、現実味のない場所にいるからかもしれないけど」と葉月は苦笑した。本当のことだった。

「ただ、どうせ人生やり直すならこの記憶を持ったままがいいなと思って。またなんとなくぼんやりと子供時代を過ごすのは勿体ないもん」

「葉月ちゃん……」

「ねぇ、もしかしたら、エナツは何か知ってるかもしれない」カジカが言った。

「本当?」

「あの人は一番長生きだし、私たちにも重大な隠し事をしてた。あなたが残る方法も知ってるかもしれない」

「その人に会える?」

「羽の遺跡に連れて行ってあげる。そこにはエナツの研究室があるし、他にも沢山オトナリがいるから、誰かに連絡をつけてもらえばいい」

 隣の円盤に例のスタイリッシュ木馬のような水上バイクのようなシャープな乗り物があった。隣と言っても円盤は十メートル以上離れている。カジカは当たり前のように何もない空中を歩いていき、バイクに乗って戻ってきた。

「魔法でぱぱっと移動できないの?」

「できるけど、人に会いたくないから。今はいつもより混んでるみたいだし。さっさと乗って」

 カジカは座席の中に地球儀をしまった。その後ろに葉月、ハルカが乗った。ハルカはなぜか後ろ向きだった。理由を聞こうとしたがバイクが飛び上がってタイミングを逃した。

「ハルカ、燃料が半分切ってるから補充をお願い」カジカは言った。

「わかったー。隠れながらだね?」

「できる?」

「簡単だよ」

「やっぱりあなたも天才だわ」

 すぐに後ろから軽やかに弾む音色が聞こえてきた。葉月は首を回して少しだけ楽器を見ることができた。金属の弦が横に何本も張られており、それを細い二本の棒で叩いていた。後ろ向きに座ったのはこのためだったのだ。

「花菜多はピアノ以外興味ないのかと思ってた」

「花菜ちゃんは揚琴弾けないよぉ。オトナリは取り入れた音を出した楽器で相性がよければこうして演奏できるようになるんだー」ハルカは楽しそうに笑った。

「練習とかするの?」

「するよー。燃料補充の曲はちょっと難しかった。全然見つからなくてさー」

「何が?」

「曲がだよ。人によってメロディーが違うの。だから自分で探すしかないんだ」

「探すって、どうやって?」

「とにかく弾いて探すの。これかなーどうかなーって。なんとなく分かるときはわかるんだけどね」

「魔法を使うには、各自で呪文を考えなきゃいけないってこと?」

「そんな感じかな。ね、カジカちゃん」

「そうね。面倒だから殆どのオトナリは必要最低限しかやらないことよ」カジカが言った。

「ハルカは曲を見つけるのが早いし正確。普通は効果を混ぜるなんて即興でできない」

「へぇ、すごいんだね」葉月は感心したように言った。よくわからないが、ハルカは優秀らしい。なんとなく鼻が高い。

「ハルカ、このバイクはもうダメだわ。向こうに着いたらこれは置いてく」

「はぁい。了解でーす」

「まさか故障?」葉月が言った。

「わからないけど、妙に燃料の減りが速いの。今までこんなことなかったのに」

 前方には島が見えてきていた。灰色の岩山が横たわっている。島の縁から細い滝のようなものが雲へと流れ落ちていた。

「あれが羽の遺跡。岩山が羽みたいな形をしてるからそう呼ばれてる。上から見るとわかりやすいんだけどね」

 島の大部分はその岩山で、周りに少しだけ木々が生えていた。人の姿は見当たらない。カジカは木のばらけた所にバイクを止めた。柔らかい草がびっしり生えた場所だった。

「この岩壁に沿って歩いて行けば、入れる場所があるから。助けを呼んだら誰かしら気付くはずよ」

「ありがとう。行ってみる」

「ついでにこれを持って行ってくれる?」カジカは黒い地球儀を葉月に渡した。ずっしり重かった。

「いいけど、どうすればいいの」

「とにかく持ってって、わかる人が必ずいるから」

「あ、そう」

「頼んだわよ」そう言ってカジカは銀のフルートを吹き始めた。

「葉月ちゃん……」ハルカは葉月の手を握った。「会えて、嬉しかったよ」

「私も。なんか花菜多が言ってたハルカのイメージとまるっきり同じだったから、初めて会った気がしなかったよ」

 またね、と言って別れた。目の前に現れた光の門の先には切り取ったような別の場所が見えた。黒い岩肌に小さな紫の花が揺れていた。二人が門の先に進むとそれらは音もなく消えて、葉月は一人取り残された。

「行くか」と誰に言うでもなく呟いて、葉月は歩き始めた。

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