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ハッシュトブレイク  作者: 齋藤月子
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研究者たるもの

 ユレグと葉月が出て行って、ラタンはため息をついた。そして苦しそうに息をしているキワメをひっくり返してやった。ついでに頭の下にタオルを畳んでいれてやる。

「なんだかんだいって優しいよね」キワメが細い声で言った。「もっと乱暴にしてくれてもいいのに」

「非常事態だからね。早く回復してもらわないと……うっかり鳴らしちゃったんだよね?」ラタンは聞いた。キワメは笑みをもらした。

「やだなぁ。僕が予想外に指を引っかけてしまうなんて思う? わざとに決まってるじゃん」

「信じられない。ばかじゃないの本当に。何考えてんの」ラタンは心底呆れた顔をした。

「心配ありがとう。大丈夫、この感じならもうすぐ動けるようになる」

「こんなときに、無意味に自分から身動き取れない状態になるなんてどうかしてるって言ってるの」

「だって毛を変えてもダメだったら、もう何を変えてもダメな気がしちゃってさ。僕にはどうすればいいかわからないもの」

「……まぁ、わざとだろうとは思ったけど」ラタンは自分に言うように呟いて、なんとなしに棚を見て回った。

「いつも試してて慣れてるから、どれくらい違うのかなって。比べてみたいじゃないか。わかるでしょ?」キワメは当然のように言った。

「自分が消えちゃうかもしれないとか思わなかったの?」

「そんなこと。消えたらそれまでだよ」キワメは笑った。

「楽器がまだ眠っているという事実に賭けたんだ。あんな音だったし、本領発揮とはいかないだろう、とね。でもなかなか面白い結果が得られたと思うよ。弦を弾いただけでここまで体の自由を奪われたのは初めてだから。さすが伝説の楽器」

「やりたがらない研究者が多い中、進んで楽器作りと試験をやるのは尊敬するけどね」

 ラタンは部屋の隅に両開きの戸が付いた棚を見つけた。片方半開きになっていて、そっと開けると戸が外れて落ちて少し埃が舞った。

「ちょっとラタさん何やってんの」とテーブルの向こうからキワメが笑ったような声がした。

「ごめん。見たことあるなぁと思って。蝶番がダメになってたみたい」

 中にはバイオリンが二台、背中合わせで立てて固定されていた。

「自動演奏機、完成したの?」

「あぁそれね。結局いくつか作ったけど、録音と同じでなんの役にも立たなかった」

「今も動かせるの?」

「横に大きなゼンマイネジがあるから、向かって右下の穴に刺して何回か回すだけ。でも百年近くほったらかしにしてるから、ちゃんと動くかな。錆び付いてるかも」

 言われた通りにすると土台部分で何かが動く音がした。そして、バイオリン二台を囲む一つの輪が回転し始め、曲が流れ始めた。バイオリンが固定された支柱が僅かに角度を変え、横から伸びる細い棒が弦を抑えた。

「おーすごい、ちゃんと鳴るね。輪っかが弓になってるんだっけ」

「そう。バイオリンの本体の角度を変えることで移弦するんだ。調整するの大変だったよ」

 どこか悲愴感の漂うメロディーに耳を傾ける。

「これって一曲だけ?」

「いや、五曲ぐらいあったはず。真ん中のつまみで変えられるよ」

 つまみの横には五までの数字があり、今は一だった。ラタンはつまみを二に合わせた。

「あ、でもギアチェンジが上手くいかないから諦めたんだった」

「え、回しちゃったよ!?」ラタンがそう言ってつまみを戻そうとしたとき、何かがはじける音がして自動演奏機は止まった。恐る恐る中を覗くと、部品が飛び出してきた。ラタンが反射的に避けると、後ろで「あだっ」と声がした。

「大丈夫?」

「僕は平気だけど、演奏機は大丈夫?」

 キワメの頬には黒い汚れがあり、顔のすぐ横に黒い金属のネジのような物が落ちていた。

「うわ、くっさ」二つの声が重なる。キワメはネジから顔を背け、ラタンは自動演奏機が吐いた黒い煙を排出するため急いで窓を開けた。部屋から苦くて吐き気のする臭いがなくなるまで、ラタンは外で待った。この異臭がオトナリに有毒だったらと不安になって、マリンバを鳴らして風を送った。心が少し落ち着いた。

「ねぇ、ちょっとこれどっかにやってくれない?」

 テーブルの横に倒れたままのキワメは黒いネジから顔を背けたまま言った。ラタンも顔を背け、雑巾でそれをつまみ上げて窓から外に放った。

「ありがとう。それで、演奏機はどうなったの?」

「わかんない。さっき黒い煙が出てたけど……」ラタンは不安そうに言った。

「あー僕の数十年の努力の結晶が」キワメは落胆の声を上げた。

「ご、ごめんね。でも直せるでしょ」バイオリンは無事そうだったが、近づくと変な臭いがする。

「そんなのわからないよ。希少な材料も使ってたし、さっきのネジだって変形してたし。つまみさえ回さなければこんなことにならなかったのに」

「本当にごめんね」ラタンは静かに戸を閉めた。落ちていた方もどうにか戻した。

「こんなときに暇つぶしがてら演奏機を鳴らすからだよ」

「うん、私が悪かったよ」

 キワメが自動演奏機の製作に苦労していたのを知っているので、ラタンはもの凄く申し訳なくなった。もともと研究者としては尊敬できる部分の多い相手と思っていたのだ。はじめは。

「何か、埋め合わせはす……」

「前みたいにキワさんって呼んでよ」

「えぇそれは……」ラタンは顔をしかめた。

「研究者志望の子に今度見せてあげる約束をしてたんだけどなぁ。楽器作りが好きな子でさぁ、目をキラキラさせてたなぁ。これじゃ、約束を果たせそうにない。あー残念だなーがっかりするだろうなー」キワメが悲しそうに言った。

「わ、わかったよ。気をつけるようにする」

「ありがとう、ラタさん。これで少しは気持ちが楽になるよ」

「嫌だなぁ。だってなんか仲良しコンビみたいじゃん」ラタンはため息交じりに言った。

「あぁぁいいね。ついでにちょっと踏んでくれる? できればハイヒールで」キワメが嬉しそうに言うのでラタンは少し怒った。

「そういうとこだよ。何なの? ホントにさ、嫌だって言ってるのに」

「僕はピンヒールが一番痛いんだ。スニーカーじゃダメなんだよ」

「そうじゃなくて! なんで踏まれたがるの」

「だから、痛みを感じたいんだよ」

「それがわからないって言ってるんだけど」

 ふむ、とキワメは一息置いた。

「オトナリが感じる肉体的苦痛は人間に比べるとかなり少ないのはラタさんも知ってるよね。物心ついてからろくに怪我をしたことのない人間から生まれたオトナリはほとんど痛みを感じない。僕らが感じられる痛みは人間の経験と記憶に左右されているから。僕はね、オトナリにとって、これは貴重な感覚だと思うんだ」

「確かに、私たちには怪我も病気もないけど……」

「僕らが苦痛を感じている状態というのは、生み出した人間の記憶を思い出している状態だと思うんだよね。自動演奏機の音を聞いたでしょ。空っぽだよ。僕らが取り込める音には恐らく人間が不可欠なんだ。彼らに依存しない方法を考えるには、つまるところ彼らのことをより調査する必要がある。僕が痛みを求めるのはその一環というわけ」

「な、なるほど……。そんなことを考えてたんだ」ラタンは感心したように言った。

「だから僕が踏まれたがっているのも、ラタさんがヒールで僕を踏んでくれるのも、おかしいことは一つもないんだ。むしろオトナリの未来のために絶対必要なことなんだ」キワメは熱を込めて言い、ラタンは頷いた。

「自分の体でとことん実験しようというんだね」

「理解してくれてありがとう。さ、遠慮なく僕を踏みつけて」

「それはできないけどね」ラタンはきっぱりと言い放った。

「なんで!?」

「嫌なものは嫌だもん。何を言われようとね」

「あ、そう」キワメはがっかりして力のない返事をした。そして、よろよろと体を起こした。

「もう大丈夫なの?」

「まだ力はあまり入らないけど大分マシになった」と彼はため息をついて椅子によじ登ると、テーブルに突っ伏した。「あーだるい」

 ラタンはもう余計なことはするまいと、実験記録と思しき書類を眺めていた。しばらくして、キワメがゆっくり顔を上げた。

「そうだ。ラタさん、ちょっと頼みたいんだけど。いや踏む話じゃなくて。調べて欲しいことがあるんだ」

「何を」

「もしかしたら、破理の楽器で吹き衣を落としたオトナリがいるかもしれない。普通とは違った経験をしてるかも」

「可能性はあるね。でもエナツさん、今そんなこと聞ける状態じゃないと思うよ。それにここを離れるわけにもいかないし」何か進展があったら連絡してもらうことになっていた。まだ音沙汰がないし、キワメも万全ではない。

「いろいろ終わってからにしたら?」

「いや、今じゃないとダメなんだ。それにでかける必要はない。あっちのパソコンにデータ入ってるから」

 奥の作業机には書類と本が山積みになっていたが、その奥にノートパソコンがあった。

「うわーいけないんだ。絶対許可取ってないでしょ。取れるわけないもん」と言いながらラタンはそれを引っ張り出した。

「だって便利なんだもん。使い方わかる?」キワメは言い訳した。

「ちょっとなら」開くと起動した。パスは掛かっておらず、すぐにデスクトップ画面になった。銀のとげが付いた黒いハイヒールの画像だった。ラタンは気にしないようにした。

「デスクトップに通過者っていうフォルダがあるでしょ」

 ラタンはいくつか並んだフォルダの上にカーソルを滑らせた。途中で『踏まれ日誌』なるフォルダがあったが見なかったことにした。目当てのフォルダを開くとファイルが六個並んでいた。七から十二までの数字がタイトルになっている。ラタンは七のファイルを開いた。一番上には『七限』とあり、その下には十数名の名前が並んでいる。その横に日時や楽器などの情報が続く。

「これは限ごとってこと?」

「そう。十二のファイルを開いて」

 ラタンは七を閉じて十二を開いた。さっきとは桁違いの行数が埋まっていた。スクロールしても中々終わらない。一番上の行には『十二限』とあり、その隣にさっきはなかった『検索』という文字があった。

「一番上の青い太枠の中に葉月の名前を入れて、隣の検索をクリックしてみて。多分漢字かな。楽器の持ち主の項目があるから。ちょうど三ヶ月前に更新したし、該当者がいれば表示される」

「エナツさんは知ってるんだよね、これ」ラタンはキーを人差し指で一つずつ押しながら言った。

「これは知ってる。擦弦楽器系オトナリの増減傾向を知っておこうと思って。僕なりに分析をしたかったんだ。ノートに書き写しては入力してさぁ。もの凄く面倒くさかった。十限からは人数も一段と増えたし、追いつくまでしんどかったよ」

「そっか、このパソコン地球の物だから世界が更新されたら消えちゃうのか」

「そういうこと。誰かパラジオでパソコン開発してくれないかなー。僕には無理だ」

 検索ボタンをクリックすると下の空白に一行だけ抜き出して表示された。

「いた。一人。一年くらい前だ。名前はポポ、出身はバイオリンだってさ。備考はとくにないけど」

「あとはどうやって探すかだな。受付係の誰かは知ってるはずだから……」

 とりあえずメモしていたラタンは「あ」と手を止めた。

「この人、会ったことあるかも」

「本当に!?」

「ポポじゃなくてね。地球でこのコを誘導をした人。前の夏だったかな、よく覚えてないけど」

 ポポと会えるなら今すぐ会って話を聞きたいというキワメの頼みで、ラタンは誘導者と連絡をとった。その間、キワメが期待に目を輝かせて見つめてきたのでラタンはそっぽを向いた。会話を終えると彼はすかさず聞いてきた。

「どうだった?」

「今どうしているか確認して折り返してくれるって」

「やった! あぁ待ちきれない」キワメはノートパソコンを自分の方に引き寄せ、検索結果を見た。そして、ノートに何か書き始めた。「今回は記録することが山ほどある。一つも漏らさずに書き残しておかないと。いつもいつの間にか終わってるんだもんな」とぼやく。

「予定外に静寂の調べが演奏されたから、羽の遺跡にけっこう人が集まってるんだって。この人もそこにいるみたいで。エナツさんと受付の殆どは楽譜捜索に行ってるからとりあえず待機してるみたい」

「そっか。そりゃそうだ。もう演奏が始まってどれくらいたった?」

「わかんない。一時間くらいはたってると思うけど」

「もう消え始めてるだろうね」

「弾いてる人、もしかして知らないのかな」

「曲の効果を?」

「だってさ、吹き衣のコが消えちゃうって知ってて弾く? 前回使われたのは八回目のときだから、かなりのオトナリが未経験だったわけだし」

「そうかもしれないね。時間停止が何を招くか知らないというのは確かにあり得る。僕も痺れは取れたけど体力を回復させたいから早いところ演奏やめてくんないかな」キワメは弱々しく息を吐いた。

 ラタンは小さなギロを鳴らした。誰かから連絡が来た。

「ポポはどうしてるって?」キワメは書き物の手を止めずに言った。ラタンは首を横に振った。

「ユレグだった。破理の楽器の件は解決したから大丈夫だって」

「何それ、解決したって」キワメが納得いかないという表情をして言った。「オトナリが目覚めたってこと? 毛は替えたの?」

「よくわかんない。とにかくこっちは大丈夫だってさ。あと、葉月が雲に落ちちゃったって」

「え、うそお! 話聞きたかったのに!」キワメがあからさまに肩を落とした。

「ユレグ、なんか元気なかった気がする」

 そのとき、また連絡が入った。今はさっきの折り返しだった。ちらとキワメの方を見ると、左手で頬杖をついて右手の指をテーブルでぱたぱたさせている。何か考え込んでいるようだ。話が終わってもこちらを見向きもしない。

「ポポも羽の遺跡にいるって」と言うが気付かない。よっぽど集中しているらしい。

「ちょっと、連絡あったよ!」と目の前で手を振っても気付かない。彼の肩を叩こうとして、ふと直前で手を止める。ある嫌な考えが浮かんだのだ。

「……キワさん」と呼びかけると「なんだいラタさん」と即返事があった。満面の笑みである。

「そういうやり方は、どうかと思う」ラタンは苦々しく言った。

「え、何が? さてどっちに行くべきかな。エルベレスか羽の遺跡か」としらばくれ、彼はでかける準備を始めた。

「私はユレグのとこに行く」

「それじゃ、僕は羽の遺跡へ行くとしよう。何があったのか詳しく聞いておいてね。もちろん僕も本人から後で聞くけど。記憶は新しい方がいい」

「なんで私がそんな……」と言いかけたとき、自動演奏機の壊れた戸が落下した。中ではカラカラという寂しげな音が鳴り、あの謎の悪臭が漂ってきた。

「誰のせいでこんなことになったと思ってるの」キワメが憤慨して言う。

「ごめんごめんごめん、わかったわかりましたからもう行こう」とラタンは慌ててキワメを部屋から引っ張り出した。

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