第7章~初めての日本、そして生活への不安~
2001年7月1日の夕方。JL402便は無事に成田空港に到着した。Kは緊張感の連続だろうか、体の疲れが溜まっているかのように感じた。
だがそれ以上にサンガンピュールはとにかくぐったりしていて、疲れ果てた様子だった。11時間もの長旅は彼女にとって初めての体験なので当然だろう。そして何よりも、機内で交わされる不思議な言語に耳が痛くなるほどだった。わざわざ3種類、ときには4種類もの文字を用いてコミュニケーションを行う言語は日本語以外に無いだろう。そんな日本語は、アラビア語と同じくらいの全く訳の分からない言語だったであろう。
2歳頃という幼い年代で全く新しい言語を習得するのは簡単だ。そして年齢を重ねるにつれて、全く新しい言語を受け入れる素質が加速度的に落ちていってしまう。サンガンピュールはただ今10歳。フランス語しか話したことのない彼女にとって、日本語を定着させるのは至難の業だ。新しい保護者であるKの大きな悩みである。
JL402便はこの日、第2ターミナルのサテライトに到着した。そこからまた長い距離を歩かなければならない。シャトルシステムという乗り物で本館に移動し、またしばらく歩いた先に、入国審査場があった。審査を終えた2人はパッケージクレームで荷物を引き取った後に、高速バスのチケットを買った。
高速バスに揺られて、2人が土浦駅前に着いたのは19時30分頃のことであった。
茨城県土浦市は人口約14万人。Kはこの町で生まれ育った。大学を卒業し、東京・原宿でゴールデン出版株式会社に勤めている現在でもこの町で暮らしている。Kは未婚、しかも交際相手がいなくなって久しい。ゴールデン出版に入社して2年目に彼女ができた。しかし3年後の1990年、実兄の結婚とほぼ同時期にKと彼女は破局した。その事件をきっかけにKは「もう恋なんてしない」と決意した。
Kにとっては1週間ぶりとなり、土浦の自宅への帰宅である。だが今日からこのKの家に新メンバーが加わることは、全くもって予想されていなかった。
土浦駅西口から千束町方面へ徒歩で移動した。その道中、
K「今日からこの町で生活することになるけど、今日はもう遅いし、簡単にご飯を食べようよ。詳しい説明はまた明日にしようか」
と提案した。彼女も疲れていたので、同意した。2人は途中、サンドイッチといった簡単な食べ物を買うためにコンビニに立ち寄った。駅西口を出て15分、Kの自宅に到着した。
Kの実家は2階建ての一戸建て。1階にはダイニングルーム、リビングルーム、台所、水回りといった居住スペースが並ぶ。2階にはシャワーやKの寝室兼書斎といった、Kの仕事部屋がある。これは両親がKに贈与した物件だからである。また、トイレが和式からウォシュレット付きの洋式に変わっていたり、台所が改装されていたりと、小規模ながら家はリフォームされている。
帰宅後、Kは彼女にシャワー、トイレ部屋などを簡単に案内した。彼女はまだ慣れない国での生活に不安だったため、しばらくの間はKと一緒に寝ることになった。彼女は21時に、Kは22時にそれぞれ寝床に就いた。
寝ている最中、サンガンピュールは不安に襲われた。また、自分はロンドンにいたときのよう「神様みたいな何か」にささやかれるのではないか。そして、また人々をいとも簡単に殺してしまうのか、と。そもそもKとはどんな男なんだろうか。彼は本当に信頼できる男なのだろうか。彼女は不安で仕方がなく、時差ぼけもあってか、眠れない夜を過ごした。