第6章~新天地へ~
重大な決断を下したら、後はその勢いに乗って実行してしまうことが大切だ。高校・大学受験の時もそうだったし、今回のイギリス出張もそうだった。みんなに喜んでもらえる、最新情報を盛り沢山に詰め込んだガイドブックを作りたい。その一心でこのプロジェクトに志願した。だからこそ、今、Kはロンドンにいる。だが、急に増えた新メンバーのことをどうするか。それが彼の一番の気掛かりだった。
帰国する前日の6月29日、金曜日。Kは思い切って聞いてみた。
K「一緒に日本に行こう!大人になるまでの生活は全部僕が面倒を見るから」
サンガンピュールは、どう答えたら良いのか分からなかった。
サンガンピュール「バ・・・バカじゃないの?あたしがなんでその知らない国に行かなきゃいけないの?サッカーもめっちゃ弱いし」
日本は1998年、サッカー・ワールドカップ本大会に初出場を果たしていた。当時、日本はトゥールーズ、ナント、そしてリヨンで試合に臨んだ。特にサンガンピュールの生まれ故郷であるリヨンでの試合(対ジャマイカ戦)では、日本にとって大会初ゴールが出たことで有名だ。
しかしサンガンピュールにとっては、優勝した地元・フランスと比べると全く魅力的ではなかった。落雷で身体が丸っこくなる前から、彼女はオリンピック・リヨン(フランス語では「オランピク・リヨネ」)という地元のサッカーチームに興味を持っていた。これは亡き父の影響が強いものの、リーグ戦3位や2位が当たり前という状況から、「弱い者には興味が無い」という性格を形作っていたかもしれなかった。
だがその「サッカーもめっちゃ弱い」日本への移住の提案である。いずれにしても戸惑うのは無理もなかった。だが、彼女にとってはイギリスどころかフランスに残る理由は無かった。
サンガンピュール「・・・でも、パパやママはとっくに死んじゃったし・・・。おじいちゃん、おばあちゃんのこともよく分かんないし・・・。でも、おじさんはいい人そう。今のあたしが知っている人であたしの診方は、おじさんだけに見えるよ。
うん、行こうよ、日本へ」
Kは感動した。異国の地で出会った見知らぬ少女は、前向きでしっかりとした意志を持っている。
K「分かったよ、僕は君が立派な大人になるまで応援していくことを誓うよ。君はもう一人じゃない。よろしくね!分からないことがあるなら、どんどん僕に聞いて」
しかし、である。彼女のパスポートはどうなっているのか?一瞬気になったKは彼女に聞いてみた。
K「すっかり忘れていたけどさ、パスポートは持ってる…よね?」
サンガンピュール「うん、持ってるよ。ホテルにパスポートと、服と、食べ物を入れたリュックがあるよ」
K「ありがとう。それだけで十分だ」
イギリスがシェンゲン条約に加盟していないことに感謝すべきだったかもしれない。日本人としてKはそう思った。もしパスポート不要のシェンゲン条約に加盟していたら、彼女のパスポートの問題などで大わらわになっていたのは目に見えている。よって、彼女がちゃんとパスポートを持っていることに安堵したKなのであった。
2001年6月30日、土曜日。
ロンドン・ヒースロー空港の第3ターミナルに、Kとサンガンピュールの姿があった。日本人にとって6月は観光のオフシーズンとはいえ、土曜日に現地発、日曜日に日本着となる便はとても人気が高い。サンガンピュールの座席を見つけるのにかなり苦労した。まだ小学生の子どもを一人だけで飛行機に乗せるわけにもいかず、結局、Kが自腹で定価のエコノミークラスの座席を買うことしかできなかった。
成田空港に向かう日本航空・JL402便は予定より30分遅れでヒースロー空港を離陸。約11時間の空の旅。サンガンピュールと付き添いのKは、エコノミークラスの窮屈な座席で一夜を過ごした。