第10章~日本に住む人として~
3日、火曜日の夜のこと。その晩はKとサンガンピュールの2人ともがM宅にお泊まりだった。サンガンピュールはMと詩織のふう夫婦と一緒に寝た。Kはリビングルームで雑魚寝だ。稜は自分の部屋で寝ており、サンガンピュールと稜が顔を合わせることは無かった。これは稜に変な戸惑いを与えたくない詩織の方針でもあった。だが深夜0時頃のこと。
「うぅ・・・うぅ・・・うぅぅ・・・」
サンガンピュールはうなされていた。知っている人が誰もいない空間で寝るのがおそらく初めてだったかもしれない。それに気づいた詩織が起きた。年頃の少女ということで配慮をしたつもりだった。
詩織「サンガンピュールちゃん、どうしたの?」
質問を投げかけてみた。しかし、
サンガンピュール「Kおじさんは?Kおじさんは?」
彼女がKの名前を出したことから、Kのことが恋しくなったのではと察した。しばらくしてリビングルームに移動させ、Kと一緒に寝かせようとした。Kは偶然にも、これから寝ようとしているところだった。
K「そうか・・・。いつも俺がそばにいてあげられなかったから・・・」
声を震わせた。
K「ごめんね・・・、不安な気持ちに気付けなくてごめんね・・・。俺ってまだまだだ・・・」
育児経験がないとはいえ、自分だけでは絶対に乗り越えられないと悟ったKであった。
サンガンピュール「おじさん・・・それでも・・・ありがとう」
その晩はリビングルームにて2人で眠りについた。
7月4日、水曜日。この日のKは朝7時前に仕事へ出かけていった。今回は最寄り駅である寺原駅まで歩き、そこから関東鉄道常総線、JR常磐線、地下鉄千代田線というルートで通勤だ。だがいつもは東京からより遠い土浦駅からの通勤となっているので、体が少しばかり楽だ。Mと詩織夫婦には、「今夜またサンガンピュールの様子を見に来る」とだけ伝えておいた。
7時過ぎのこと。サンガンピュールはまだリビングルームで寝ていたままだった。6時半頃には起床していた詩織はこの光景を見て、とあることを思い出した。
詩織「はっ・・・、私としたことが・・・稜にまだ伝えてないわ」
そう、息子である稜にはまだサンガンピュールのことを伝えていないのだ。年頃の少年・少女となるので、変な意味でショッキングな出来事にならないようにと気を使っていたのである。すると、
サンガンピュール「う・・・うぁああぁ・・・」
起床してしまった。彼女は毛布を払い、立ち上がった。身長130センチほどの小さな身体を思いっきり伸ばした。そこへ、タイミング悪く、リビングルームに通じるドアがガチャッと開いた。
稜「おはよ・・・って、うわぁぁぁっ!!」
息子が朝から大声を出してしまった。思った通りだ。
詩織「やっぱりだわ・・・」
稜「お母さん、誰、その子は?ひょっとして隠し子!?」
詩織「うっ・・・こらっ!滅多なこと言うもんじゃないわよ!」
突拍子もない「隠し子」という言葉に、詩織は思わず口からコーヒーを吹き出しそうになった。ひとまず冷静になり、簡単に紹介する。
詩織「この子はサンガンピュールっていうの」
稜「サ・・・サンガン・・・」
やっぱり特殊な名前のせいか、すぐには脳に認識してもらえない。
詩織「ちょっとした事情で、Kおじさんが保護している女の子なの。10歳よ。しばらくの間だけど、友達になってあげてね」
稜「・・・変なの」
8歳の稜にとっては事情がすぐに呑み込めないのは当たり前のことである。
ひとまず朝食を取らせた。Mの家では、家族全員そろっての朝食が基本だった。メニューはトーストパン、ハム、チーズ、ジャム、コーヒー、牛乳といったところだ。8時過ぎには稜は小学校に行き、Mは市役所へ出勤した。M宅には詩織とサンガンピュールの2人が残された。詩織はサンガンピュールのことをじっくり観察することにした。
その日の夜9時過ぎ。
K「サンガンピュール~、いい子にしてたかぁ~」
Kが朝よりやばい状態になってM宅に寄り道してきた。
サンガンピュール「た・・・ただいま」
日本語で挨拶をしてみた。最初の時より少しずつはっきり発音できている。
K「おおおっ!凄いじゃん!日本語で挨拶できるようになったのか!?」
いい意味で親バカになっているKに対し、詩織は呆れていた。何が「いい子にしてた?」よ。こっちは家事で忙しい状態の中、簡単な挨拶や言葉も教えたってのに。少しは私の身にもなってほしいわ。仕事で一日中家を空けていて、保護している子どもの面倒も見切れないなんて、だったらあんたが育てるなんて無理な話よ。
こんな一日の過ごし方が結局、週末まで続いてしまった。
7月8日、日曜日の夕方。
サンガンピュールとKは、Mの提案で外食をすることとなった。Mの車に乗り込む際、彼女は一種の恐怖心に襲われた。私って、この家族に嫌われちゃったのかな・・・。ロンドンで両親を亡くした嫌な思い出が蘇ったかのようであった。当時の彼女にとってKはまだ完全に信用することのできない男であった。
Mの愛車のマーチには、Mの家族3人とK、サンガンピュールの計5人が乗っていた。彼らは取手の家から国道294号線、国道6号線を経由してどんどん北上する。しかしこれらの動きは彼女にとっては不安でしかなかった。
一行が到着したのは土浦市内の回転寿司店だった。時刻は18時頃であった。駐車場に車を止め、全員で入店した。「はい、いらっしゃいませーっ!」という寿司職人の威勢が聞こえてきた。彼女には何のことだか分からないまま、案内された席に着いた。
K「寿司を食べたことあるかな?」
サンガンピュール「ないよ。でもテレビとかで見たことはある」
K「そうかい、本場のお寿司だ。詩織さんから聞いたよ。言葉も少しずつ覚えてきたんだってね」
サンガンピュール「そう…だね」
K「それって凄いと思うよ。今日はリラックスして楽しもうよ」
サンガンピュール「そうなんだ…。ありがとう、おじさん」
K「いえいえ。僕は何も特別なことはしてないよ。さあ、何から食べる?」
このやりとりで、サンガンピュールはほっとした。こんなに自分のことを気遣ってくれるなんて。本当にいい人なんだなあ…と。もうKに対して自分を本当に守ってくれているかどうかを聴くのはやめた。そんなことをしたら逆にKに「まだそんなことで悩んでるのか?」と言われるかもしれないと思ったからだ。初めて見る寿司を食べながら彼女はそう思った。




