恋するアスタロトと赤い本
第1話 逆転チャンス
ガシャン! パリン! ミシッ。
「もーっ! ルシファーちゃんもベルゼブブちゃんもほんっと頭に来るんだからーっ!」
悪魔の超三王の中の一柱であるアスタロトは、怒りにまかせて自宅のマンスリーマンションで、物に八つ当たりをしていた。
景気よく食器、家電を無惨に破壊していく。壊れた掃除機からは死んだゴキブリが一面に散らばった。
「あいつら、またあたしのことをバカにして! なにが『あなたには所詮六キングを統制するのは無理だったようですね。大人しくたかだか四十程度の下級の悪魔を使役していればいいのです』だ! ルシファーちゃんはいつもそうやって人をバカにして! 自分が人間に一番もてはやされてるからってちょーしに乗ってるよね!」
ルシファーとは別名「サタン」と呼ばれる人間界で一番有名な上級悪魔、皇帝ルシファーのことである。
「傲慢」の称号を持つ悪魔らしく、自分より下の相手を見下している。 さらさらの黒髪ロングで体型はスラッとしていて巨乳。なぜか人間の女学生が着るブレザーを愛用している。
「ベルゼブブちゃんも酷いよ! 一人だけルシファーちゃんに全然見下されないし、なにが、『わたしはよくわかっていますよ、あなたが大した悪魔じゃないってこと。たった六柱程度の悪魔へのプロデュースひとつ出来ないなんてこと、むしろ貴方らしさだってこと』だよ! 「出来ない」んじゃなくて、「やらない」の! あたしは「怠惰」なんだから!
ベルゼブブとは、ルシファーと同等の地位と「暴食」の称号を持つ上級悪魔だ。
緑髪ショートボブで、日本の着物を着ている。友禅染で一番高級なものだ。おっとりとした性格だが、毒舌。たまに喋ったかと思うと、その時一番言われたくないことをピンポイントに言ってくる。ちなみに胸はルシファーより大きい。
蠅の王、また、スカトロ趣味があると呼ばれるのを相当嫌っている。万が一それに関することを言うと顎を外して頭から食べようとしてくるため、ベルゼブブと会話をする時は発言に気を付けなければいけない。
彼女は、最後に家電量販店から盗んできた東芝REGZA58インチのテレビを必殺のチョップで破壊すると、幾分か気持ちが落ち着いた様子になり、灰茶色の一人掛けソファーにドカッと音を立てて座った。
「はぁ……はぁ……少し落ち着いたわ。全く。そもそも『六キング』なんてアイドルグループ自体なんか気持ち悪いのよ。『人間があがめ奉る偶像を作り上げて信仰を手に入れる』って発想はいいけど、あんな下等の生物たちのために握手だのライブだの、こっちが奉仕するっていうのが気に入らないわ! そんなもんのためにこのアスタロト様があくせくプロデュース活動なんて面倒くさいことをしなきゃならないっていうのも本当に気に入らない!」
現代の人間界は事件が多発し、治安が悪く、世に不安が溢れていた。
昔はそういった時、神様への信仰が多くなる傾向があったが、全然助けてくれない神様に近頃の人間たちは愛想を尽かし始め、なんと悪魔を信仰するものが増えていた。
その空前の悪魔信仰ブームに乗り、人間の姿に形を変えた上級六大悪魔のルキフグス、サタナキア、フルーレティ、ネピロス、アガリアレプト、サルガタナスが、ルシファーの命に依って「六キング」というアイドルグループを結成。
今をときめく大ブームとなり、人間界から多くの信仰を手に入れることに成功した。
アスタロトは超三王の中でも一番地位が低いため、プロデューサーという面倒な仕事を二柱から押し付けられているのであった。
「あいつら全然言うこと聞かないし、愚痴は言ってくるし、勝手に人間と付き合い始めたりするし手に負えないわ! あたしだって彼とまだ付き合えてないのに平気でディープな恋話してくるし、ほんとイライラしちゃうわっ!」
六キングは全員個性的な性格のため、言うことを聞いてくれなかったり、勝手なことをしたりする。
一応恋愛禁止という規則を設けているにも関わらず、適当な人間の男性を見つけて、自分のものにしようとしたりするのだから困りものだ。悪魔の癖に人間への興味が強すぎる。
彼女は近くのキャビネットからスマホを掴んで、自分が最近本気で付き合えないかと狙っている人間の男からLINEが来ていないか確認して、来ていなかったので落胆し、その後ディープネットに繋ぎ、「悪魔の専用掲示板」を開いた。
「悪魔の専用掲示板」とは文字通り悪魔にしか接続できない特別なサイトだ。
しかし、優秀な魔法使いがたまにこのサイトにアクセスしてきて、「救援求ム! 二十四歳の魔法使いです。契約お願いします」なんてスレッドを立てていることがある。
これに契約できると、召喚者から強い信仰を集める事が出来て、悪魔としての力が高まるので、スレッドが立った瞬間に身の程知らずの低級悪魔たちがここぞとばかりに『初級悪魔です。人が殺せます。特技は拷問です。宜しくお願いいたします。呼び出す呪文は……』などとレスを付けたりする。
そのあさましさを見てアスタロトは馬鹿笑いをして、日々のストレスを開放していた。
「プッ、またクロケルちゃんが『自分は悪魔ですが天使にもなれます。お得ですよ』とかレス付けてる。意味わかんないし! おもしろー」
彼女がソファの上で下品にM字開脚をして、パンティー丸出しで他のスレッドを見ているときだった。
ピコン。
新しいスレッドが立った。
「お、新しいスレね。なになに……えっ?」
それを見た瞬間彼女は、身体に電流が流れたかのような錯覚を覚えるほどの、衝撃を受けた。
「『バアルです。アッピンの赤い本をなくしてしまいましたー』って、えっ、マジ?」
アッピンの赤い本とは、ソロモン王に封印された七十二柱の悪魔の中でも人間たちから一番信仰を集め、全盛期にはキリスト教徒に一番の目の敵にされていたという、名誉な経歴を持つ悪魔のバアルがいつも持ち歩いている本だ。
その本には、「世の万物全ての真の名前」が記されており、それを唱えるとどんな存在でも絶対服従をさせることが出来るという逸品だ。
バアルはいつも茶色のベレー帽をかぶり、茶色の髪を三つ編みにして瓶底メガネをかけて、ドジっ娘で、強者の余裕なのか野心がなく、その本の力を他の悪魔に使うなどという発想がないピュアな性格をしている。
そのため、別に持たせておいても問題ないと、周りから奪われるようなことは今まで一度たりともなかった。それが、なくした?
彼女はすぐにスレッドを開いた。
1:バアル@本物ですぅ
「スレタイの通りですぅ。本をなくしてしまいましたぁ。わたしったらドジで、この前日本に旅行に行った時にどこかで落としてしまったようですぅ。大至急探して欲しいですぅ。見つけてくれた方にはアッピンの赤い本を差し上げますぅ。わたしが持っていても使わないし問題ないですけれど、あれがアーガイル君のときみたいに人間に渡ってしまったら大変ですぅ。重ねて至急お願い申しあげますぅ。」
彼女はわなわなと慄いた。
「こっ、これは……大チャンスなんじゃないかしら! うだつが上がらなかったわたしにもようやくツキが回ってきたわ! 絶対に手に入れて、ルシファーちゃんとベルゼブブちゃんにわたしの足を舐めさせ、部屋を片づけさせ、六キングの仕事を押しつけるチャンスだわ! ぜったい、絶対に手に入れてみせるんだからぁ!」
彼女は携帯をスカートのポケットに入れて、ソファを勢いよく立ち上がった。
「それと、新しく72柱の悪魔どもを六キングよろしく、AKM72とかにして、新たにルシファーやベルゼブブに押し付けるのもいいわね! あと、そうね、あ、あいつをわたしに振り向かせるためにいろいろと使ってみるもいいわね、うん」
彼女は最後の方だけ小声で呟いた。耳まで真っ赤になり、赤面している。雑念を振りあ払うようにかぶりを振ると、早速身支度を始めた。
第2話 駆け引き
アスタロトは地獄にある自宅から欄千葉駅に降り立った。
スレッドを見ると、もう三スレ目に到達している。この機会を逃してなるものかと、数々の悪魔がスレッドで、バアルに落としたと思われる場所について尋ねていた。
散りばめられた情報をまとめると、こんな感じだった。
①日本に落とした可能性が高い
②欄千葉の喫茶店に置いてきた可能性が高い
③おそらくパンダ珈琲店に置いてきた
バアルが思い違いをしている可能性もあるので、実際のところはわからないが、とりあえずパンダ珈琲店に行ってみることにした。
千里眼の能力を持つ、赤髪ロリ体型のヴィネや全体的にコーディネートが黒いアンドロマリウスに尋ねてみるということも考えたが、二柱ともスレッドにコテハンでレスを書き込んでいたので、この騒ぎに参加している、つまり嘘をつかれる可能性があるため止めておいた。
悪魔の世界では騙すことは正義なので、騙されても文句は一切言えないし、むしろ誉められる行為なのだ。
また、超三王の一人として、下の悪魔に頼ったあげく見つけられなかったとなると、今よりさらにイメージが低下するような気がしたのも理由だった。
「誰も信用できないところが悪魔の辛いところよね……そういう意味では味方にするなら人間がいいわね。手っ取り早く適当な人間を手懐けよっと」
ちなみに今の彼女の服装は、デニム生地のキャップに、髪は細くて赤いリボンでツインテールをつくり、トップスは黄色に白地でagreement! とプリントされたTシャツ、ボトムスはドクロのベルトを着けて、ダメージジーンズ。履いているのは黒のニーハイと、ワンストラップのパンプスだ。少し遊びたがりの活発ロリをイメージしている。
人間を使役するには、まず自分に十分な感心を抱かせなければならない。心の隙が出来た瞬間に、悪魔の名に応じて命じるのだ。
彼女は不本意ながら、自分のロリ体型が様々な男性に需要があるということを知っているので、意図的にこういうファッションを人間界では心がけている。
闊歩する人間たちの中から小太りでチェック柄のカーディガンを羽織ったオタクっぽい男性に目を付けた。
「よし、まずはあいつにしよっと」
彼女は小走りで近づいていった。
「ねーねーおにいさんっ! あたしロッテっていうの! 一目見て気に入っちゃった! あたしとこれから遊ばない?」
アスタロトは精一杯愛嬌を振りまいて言った。
だが、その男から返されたのは冷たく事務的な言葉だった。
「駄目です。わたしは悪魔『ダンタリオン』様の名のもと、行動しています。他の悪魔の方の要求は受け付けられません」そう言って、男はその場から去っていった。
アスタロトの眉がピクピクと動く。
「マ、マジですか……ダンタリオンちゃん、行動が早いね……」
ダンタリオンは白のブラウスに灰色のパーカーを着た、黒髪ストレートロリだ。思考操作が得意で、本好きで、厭世的な性格。
ほとんど外には出ないタイプだと思っていたのに……。何かしたいことでもあるのだろうか。
「やばい、もしかしてあたし出遅れてるのかな? ちょっと目を凝らして周りを見てみよう……」
上級悪魔ともなれば集中して人間を視ることで、他の悪魔との契約状態がわかる。普通の人間は悪魔と契約なんて出来ないので、普段は人間界で使わない能力だ。
見渡せば、なんと周りの人間の三割以上は誰かしらの悪魔に既に使役されていた。
「ちょっ、これやばくない!? みんなどれだけ手が早いのよ! むきーっ! これじゃまるであたしがおくれてる悪魔みたいじゃない!」
地団駄を踏んだアスタロトの左肩に、背後から細くて白い手が置かれた。
「あなたはおくれてる悪魔よ。普段からそう自覚させてあげてるじゃない」
彼女がはっとして声が聞こえた方向を向くと、もっとも服従させたい悪魔の中の一柱が人をバカにしたような表情をして立っていた。
「ルシファー……あんたまで参加してるの」
見慣れた長身黒髪の巨乳女、ルシファー。
「あらあら、まあ。アスタロトちゃんまでこんな騒ぎに参加しちゃって……おかげで柱が足りない地獄は今、罪人たちの休憩タイムと化してるわよぉ」
おまけにベルゼブブまでいた。
「ベルゼブブまで……」
「驚いたのはこっちも同じよ。まさか『怠惰』のあなたまでこの騒ぎに参加してるなんて、思わなかったわよ」
「アスタロトちゃん、どうしたの? そんなに服従させたい人がいるの? それとも、服従させたい柱かしら? まさか、わたしたちとかー?」
ベルゼブブは全てを見通しているかのようにふふっと微笑んだ。
「ぐぬぬ……そうよ! あんたたち二人にあたしの足を舐めさせてやるためにね! 絶対にアッピンの赤い本を手に入れて、ひーこら言わせて服従させてやるんだから!」
アスタロトはあっかんべーと舌を出した。
ルシファーはふんっと鼻を鳴らした。
「どうしてそんなに怒っているのか、わたしにはわからないけど。まあ、せいぜい頑張りなさい。わたしたちならともかく、バアル以外の悪魔にあの本を手に入れられるのはいささか危険な気がするわ。わたし直属のルキフグスとかなら別にいいけど」
「アスタロトちゃん、お望みなら足を舐めてあげてもいいわよぉ。その代わり、そのままもぐもぐと頂かせてもらうけどねえ」
ベルゼブブが不気味にじゅるっと音を立てて舌なめずりをした。
「ふんっ、食べられるのはごめんだわ! あたしはあんたたちが全裸で泣きながら、あたしの足を舐めるのを見たいのよ! ついでに面倒な六キングのプロデュースも押し付けてやるわ!」
アスタロトは負けじとない胸を張って答えた。ノーブラなので、二つのつぼみが服の上からくっきり浮いて見えている。
ルシファーはその右胸の先端を人差し指でポチッと押した。
ぷにっ。
「きゃっ! 何すんのよばか!」
「別に……なんとなくよ。まあ、さっきも言ったけどせいぜい頑張りなさい。わたしたちは様子を見に来ただけで、参加する気はないわ。あまり地獄を空けておくのはよくないもの」
「えっ、そうなの?」
「そうよお。わたしは無様な悪魔たちの争いがどこまで広がってるのか見に来ただけ。結構大変なことになってることはわかったからもう帰るわあ。アスタロトちゃん、あんまり騒ぎになることは止めてよねえ。目立つことをすると忌まわしき聖職者たちがうるさいんだから。見つけるんならさっさと見つけて帰ってきなさいよお」
ベルゼブブは母親が子供をたしなめるように言った。もちろん嫌味を込めてわざとそうしている。
アスタロトは頬を膨らませて怒った。
「むきーっ! またガキ扱いして! ……まあいいわ。言われなくてもさっさと見つけるわよ」
「そうして。じゃあ、また。グッバイ」
ルシファーは指を鳴らすと周りに風を巻き起こし、黒い煙となって地面に吸い込まれていった。
「六キングについての報告書、明日には提出してねえ。じゃあ、またねえ」
ベルゼブブは地面に沈み込むようにしてその場から消えた。
一人残されたアスタロトはため息をひとつ付くと、顎に手を当てて考えた。
集中して周りの音が一切聞こえなくなる。
これだけの悪魔たちが既に欄千葉駅にいるということは、既にパンダ珈琲店には誰かしらが行った可能性が高い。
ポケットからスマホを取り出して、スレッドを開いた。六スレ目に突入している。
バアルは記憶が頭打ちのようで、他にはピザを頼んだ気がするとか、大のトイレには行っていないなどというしょうもない返信しかしていなかった。また、パンダ珈琲店で赤い本を見つけたというレスは付いていない。
既に何柱かの悪魔はパンダ珈琲店に行ったり、人間を使役して行かせたりしているだろう。しかし、その結果どうだったかというレスは一切なかった。
これはおそらく時間稼ぎのためだ。実際に行ってみて何もなかったと書き込むことは、敵に塩を送る行為にすぎない。もしあったのなら、声高々に勝利宣言をするだろう。少なくとも自分ならそうしている。と、なれば。
「パンダ珈琲店には無かったのね、赤い本……」
アスタロトは憮然とした。無駄足だったということだ。
「じゃあ、いったいどこにあるのかなあ。今までのバアルの動きや発言から推測できないかなあ」
彼女は今までのバアルとの会話を思い出した。
「あれは確か三十年前かな、バアルが召喚者にどギツイセクハラをされたとかで、うちの家まで泣きついてきて、アスタロトさんは話しやすいとか、超三王様の中でも親しみがあるとか不名誉なことをぬかしてきて、朝まで人間界のアニメを見ながらお酒を飲んで……しばらくしたらあたしがDVDがないことに気が付いて、バアルに連絡したら、『すみません、わたしが酔って持ってきちゃったかもしれないですぅ』と言ってきたから怒って探させて、見つからないとか言い出したから速攻で電話切って、ムカついてクローゼットを叩き割ったら裏からDVDが出てきたってことがあったっけ……あれには参ったというか、さすがに部屋を掃除しなきゃなーとか、バアルもバアルで余計なこと言うなよなーって思ったことがあったけど……ん?」
アスタロトは一つの可能性に行き当たった。
「もしかしてあいつ、本当は外でなくしたんじゃなくて、家でなくした癖にパンダ珈琲店でなくしたかもしれないと早とちりをして、スレッドを立てたんじゃないのか? ……そうよ! それに違いないわ!」
アスタロトは人目もはばからず、歩道の真ん中で高笑いをした。
「ということは、バアルの家にある可能性が高いわね。で、それをこっそり忍び込んで見つけて、あたかも外で見つけたかのように振る舞えば……なんて名案なの! あたしってやっぱり天才ね! さっそくバアルの家にいかなくちゃ!」
彼女はバアルの家が地獄の東二丁目六の六六にあるのを知っていた。
バアルはコミュニケーションが苦手なので、交友範囲が限られている。住所まで知っているのはアスタロトを含め、それほど多くないはずだった。
「早速行ってみましょう! えいっ!」
アスタロトが右足でトンッと地面を叩くと、紫色のシルクのカーテンが彼女を包み、その場から姿を消した。
第3話 発見
ここは地獄の東二丁目。空は赤く、おどろおどろしい重低音が辺りに鳴り響いている。
悪魔には心が落ち着くクラシック音楽と変わらないが、地獄のあちこちで刑罰を受けている人間にとっては、苦しみを倍増させる不協和音だ。
周りを見渡すと、低級悪魔に特大の金棒を尻に挿れられていたり、特大のデーモンの肉棒に奥深くまで二穴を貫かれていたり、首輪を着けて引きずられている人間が多数いた。
現世で罪を犯した人間や、悪魔に魂を売った人間が死後ここや八大地獄に連れてこられて、罪滅ぼし、あるいは悪魔のお遊びとして人間の倫理的には許されない責め苦を味あわされているのだった。
「こんな田舎に来るのも久しぶりね! あいかわらず寂れて活気がないわね。人間の悲鳴もほとんど聞こえないじゃない」
地獄界は九つに分かれていて、一つを除いて八大地獄と呼ばれている。
八大地獄は悪魔の勤務地であり、悪魔向けの出店や居住地もあることから人間界の呼び方をもじって死多町と呼ばれている。円状にそれぞれ位置していて、その中心にあるのが無間地獄という、上級悪魔の主な居住区がある。
無間地獄は北地獄、東地獄、西地獄、南地獄と分かれていて、北地獄は超三王が住み、南地獄は六王が住んでいる。
東地獄と西地獄は、七十二柱がそれぞれ好きなように住んでいる。それぞれ文化もある。
人間界で言う関東と関西のようなものだ。
アスタロトは超三王の中の一柱なので、当然北地獄に家を構えている。しかし、あ
まり帰らずに普段はよく人間界をうろついている。
最近は人間界の六キングのプロデュースに忙しいため、なおのこと自宅に帰らず、最近付き合おうと狙っている人間の男の家や、ネットカフェで過ごしている。むしゃくしゃしたらマンスリーマンションに帰って物を壊すのだ。
おかげでアスタロト家はかなり汚い。閑話休題。
「ここから六の六六に行けばいいのよね。それっ」
アスタロトは空を飛んで、目的地へと向かった。
「あー、あれいいわね。今度人間界で試してみようかしら」
左下を見渡すと、一面疑似的に作られた青い海が広がっている。そこでは人間の真似事でいくつかの悪魔かサーフィンをしているのが見えた。
「あっ、波に飲まれた。でも楽しそう。今度あいつも誘ってみようっと。おニューの水着も見せたいし……あっ、おそらくあの豪邸ね。バアルの家は」
アスタロトは目的地の玄関前に降りたち、彼女の背丈の二倍はあろうかという門から
屋敷を見上げた。ホワイトハウスのような西洋の豪邸。警備は必要ないのでいない。
正面から入れば窓から住人にすぐ視認されるのは間違いなかった。そのため、裏から入る必要がある。
「スレッドでバアルに直接今家にいるか確認が出来たらいいんだけど、そうしたらあたしの行動がみんなにバレちゃうからね。とにかくさっさと忍び込みましょ」そう言うと、アスタロトは再び空を飛び、裏から敷地内に降りた。
目の前には勝手口がある。豪邸なのに勝手口があるのは違和感があるが、地獄で犯罪を起こす馬鹿者はそういないので問題なく不動産が利便性を主として備え付けていることが多い。
ガチャ。
鍵はかかっていなかった。
アスタロトは小声で断りを入れて家の中に入った。
「おじゃましまーす」
バタン。
なるべく音が鳴らないようにそーっとドアを閉めた。
アスタロトは集中して、家の中の気配を感じ取った。中には特に誰もいないようだった。
「しめたわ。バアルは外出してるみたいね。それもそっか、あんな依頼出しといて自分だけ家でコーヒーブレイクだなんて、何様だって話になるもんね。じゃあ、とりあえず……」
彼女はまずダイニングを簡単に物色した。透明のガラスが張られた食器棚や、キッチン周りを見てみる。特に本がありそうな気配はない。
次にリビング。テレビの裏や、ソファの隙間、オーディオコンポの周りなど、ありそうな所を探したが、どこも全くピンと来るところがなかった。
その他の部屋も探してみたものの、どこにもそれらしいものは見つからず、一時間が経過しようとしていた。
「ないわね……となると、庭か、寝室かな?」
彼女は二階に上り、バアルの寝室と見られる部屋に侵入した。
「あたしの予想では、きっと寝ぼけてそこらに置いたんじゃないかと思うのよねー。例えば布団の中とか」
アスタロトは羽毛布団をめくってみたが、赤い本はなかった。その代わりに、表紙にDIARYと書かれた大学ノートが見つかった。
「なにこれ?」
悪魔なので悪いとは思わずに、ノートを開いた。
すると驚愕の事実が見つかった。
そこにはずらずらと、ある男性との日々が綴られていた。
「あはははは! こいつ人間の男と付き合ってるっぽいわね! 純情あふれることをたくさん書いてるわ! あはは!」
いつ手を繋いだとか、キスをしたとか、結ばれたというものがその時の感想と共に記されていた。甘酸っぱくて、見ているほうが赤面してしまう程緻密に書かれていた。
「バアルはアレね、人間に騙されて赤い本を奪われたことから、ちっとも学習していないのね! そんなことだからあたしに赤い本を奪われちゃうのよ!」
彼女はからからと笑ったが、自身も最近本気で付き合いたいと思っている人間の男がいることを思い出して、真顔になった。
魔法も使えない普通の人間の男だ。運命とは不思議なものだと最近思っていた。
「……まぁ、たまにはいいかもしれないわね。あたしも彼と付き合い出したら、バアルのことを笑えなくなるし……じゃなくて、本! 本はどこ!?」
目的を思い出して、寝室を探し回った。
「あとは、ベッド下ね。えっちな本じゃあるまいし、こんなところにある訳ないと思う……け……ど」
予想に反して視線の先には赤を貴重として装丁された本が置いてあった。
アスタロトは感動で手が震えた。
「あった! あったわ! やったあ!」
アスタロトは喜んで叫んだ。
「これで私の未来が、輝かしい未来が……」
ベッド下から手に取って、喜々としてペリッと一枚めくった。
そこから一枚の紙が下にふわふわと落ちた。
「ん? なによ、こ……れ」
それを見たアスタロトは絶句した。
書いてある内容はこうだった。
「残念だったわね、アスタロト。まぁ、お疲れさま。わたしに足を舐めさせるのはもっと先になりそうね」 byルシファー
「お疲れさまー。今度足くらいなら舐めてあげるわよー。もしあなたがわたしの足を舐めてくれるならねえ」 byベルゼブブ
聡明な二柱は最初からバアルは自宅でなくしただけだと見抜いていたのだった。さらにアスタロトが気づいてここに来ると予想して、こんなふざけた紙を残したのだった。
顔面蒼白になったアスタロトが本のページをめくると、それはアスタロトの写真がたくさん張られたアルバムだった。それも、アスタロトの自宅に置いてあるアルバムだ。
つまり、こうだ。アスタロトや他の悪魔たちがパンダ珈琲店に向かう間に、すぐ二人はアスタロト家に向かい、鍵が閉まっていないドアを開けてアルバムを回収。バアル家に行ってアッピンの赤い本を回収。アルバムとカバーをすり替え、ふざけた紙を挟む。そうして素知らぬ顔で欄千葉駅に行き、アスタロトに話しかける。アスタロトがバアル家に行く頃には、二人でお茶でも飲んで醜態をあざ笑っていたのだろう。
なんと鮮やかで、頭のキレる動きなのか。
アスタロトは怒りを通り越して、感心してしまった。
「……適わないわ、こりゃ……」
アスタロトはアルバムを手に取って、元のように勝手口から出て、自宅に向かった。
エピローグ
「レディースアンドジェントルメーン! お次はこのグループ! みなさんお待ちかねの、今人気絶頂中の『六キング』だ! どうぞ!」
アイドル衣装をバッチリ決めた六王が作り笑顔で、大勢の歓声と拍手の中、舞台袖からステージに出た。
アスタロトは腕を組みながら舞台袖で見ていた。
後ろから見知った二柱組に話しかけられる。
「六キングは好調。あなた結構プロデュース業頑張ってるみたいね」
「あらー。『怠惰』のアスタロトらしくないじゃない」
アスタロトは声のした方向を向いて、目を吊り上げた。
「うっさいわね! もう! 面倒くさいんだから、こんな仕事。あーあ、アッピンの赤い本さえあればなー、あんたたちに押しつけられたのになー」
「もうとっくに返したわよ」
ルシファーは事も無げに返答した。
「はあ!? 返したの? あんな凄い便利な本を?」
「そうよー。最強のわたしたちには必要のないものだものー」
ベルゼブブも平然とした様子で答える。
「嫌味なやつらね……」
アスタロトはうんざりした。
「そういえば、噂の彼とはどうなったのよあなた」
二人は誰にも言っていないはずのアスタロトの秘密を尋ねてきた。
アスタロトは顔面蒼白になって震える声で尋ねた。
「……なんであんたたちがそれ知ってんのよ」
ルシファーは含みのある笑みを見せた。
「わたしたちがあそこの本を取っただけで済ませるような悪魔だと思ってるの? 随分見くびられたものね」
続けるようにしてベルゼブブが言った。
「あのとき、布団の中に日記があったでしょ?」
「え? うん、あったけど……」
「あれを置いたのはわたしたちよ。近くの本棚にカモフラージュして置いてあったけど、わざわざ引っ張り出してあそこに置いたの」
アスタロトは行動の意味がわからないという様子だ。
「な、なんでそんなことを……」
ベルゼブブが頬に手を当てて言った。
「最近あなた人間界に入り浸りだったじゃない? だから、もしかしてバアルちゃんとか他の悪魔も結構そうなんだけど、いい男性でも見つけたのかなーって推測して、そのヒントをあそこで呟いてくれないかなーって思って、わざと置いて、近くに盗聴器をしかけたの。そこまで出来て、一流の悪魔。そう思わないー?」
アスタロトは顔を赤くした。
「あのねえ……あんたたちって……本当に悪魔ね」
「それはそうよ。今までなんだと思ってたの?」
ルシファーは自身の発言が面白かったのか、横を向いてフッと笑った。
「で、どうだったのー?」
「どうって……付き合ったわよ。悪い?」
アスタロトはそっぽを向き、柄にもなく耳を赤くして恥ずかしがりながら答えた。
ルシファーは無表情で囃し立てた。
「ひゅーひゅー」
ベルゼブブは微笑ましいといった様子を見せた。
「あらあらー。で、結ばれたの?」
アスタロトはため息をついた。
「結ばれたわよ。悪い? それもたくさん。毎日のように。何? 羨ましいの?」
ルシファーは即座に顔の前で手を振って否定した。
「いや別に……」
「即座に否定しないでよ。はーあ。もう能動的に動くのはたくさん。あたしは『怠惰』らしく、ダラダラと生きることにしたわ。改めてそう思ったわよ」
ベルゼブブが下世話なことを聞いた。
「へー。じゃあ彼氏とのえっちもマグロってわけね」
アスタロトは叫んだ。
「うっさい! ばかっ!」