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銀狐のアルジャーノン  作者: みょみょっくす
第一部 私の名前はアルジャーノン
8/33

廃棄場に不要なもの

夜風が覆うスラムの街並み。街灯の一つもない静寂した裏通りで、獣の咆哮が木霊する。



「そんなにアピールせんでも、アンタがそこにいることくらい把握してるっつの」



その街の中でも一際高い時計塔の上に、長い銃口を差し向ける鷹がいた。

彼の名はハーティン・ブリッツ、軟派で軽薄な旅の傭兵。長距離狙撃の名手であり、その腕は裏社会の有力者からも一目置かれる生粋のヒットマンだ。

彼の依頼は殺人鬼ミラルカ・キャロラインの捕縛ともう一つ…



「…旦那にゃぁ悪ぃが、こっちもこれが仕事なんでね…せめて苦しまずに逝ってくれ、狐の嬢ちゃん」



傭兵アルジャーノン・ヴィンプロッソの抹殺である。

彼の雇い主は保安官バーナード・グッドマンともう一人、マフィア『バッドカンパニー』の頭目、ブレッダ・ジルコニオンの二人であった。ブレッダは神経質かつ執念深い性格で知られており、以前アルジャーノンに屋敷を荒らされたその恨みを未だに根に持っていた。一組織からの莫大な報酬は大変魅力的であったが、その抹殺相手が手練れの『野良』であること、そして依頼主本人もこの街の傭兵コミュニティーに依存していた所為もあってか、この依頼を表に出すことを今の今まで渋っていた。

そこに現れたのが、この街のコミュニティーには縁遠い『流れの傭兵』である彼だった。おまけにブレッダはある伝手からミラルカの情報も仕入れており、彼女らがどこかのタイミングで衝突することを読んでいたのだ。



「…しかしまぁ、あの冷静そうな嬢ちゃんにまだ『自覚』が無かったとはねぇ…面白いモンを見せてもらったよ。アンタが今後も生きてたなら、その美貌を口説きたかったもんだ…」



少し意外、そして残念そうに溜息を吐きつつハーティンは、その引き金に静かに指をかける。

彼のスコープから覗くのは、馬乗りになったミラルカとそれを巨大な脚で絞めつけるアルジャーノン。悶えるミラルカが左右に暴れるためやや狙うのは難しいが、この角度と距離ならば、一発で同時に二人を射貫ける確信が彼にはあった。ゆっくり、ゆっくりとその指に力を入れる…。

―――――その瞬間、静かな夜空に荒い火薬の音が鳴り響いた。



「………なんだよ爺さん」

「ほほ、私も少し、夜風に当たりたくなってしまいましてね」

「ボケ老人の徘徊にしちゃあ、ちょいと物騒なモン持ってんじゃねぇか…」

「おやおや、なんのことですやら」



ハーティンの覗く先には、まだ悶えるミラルカとそれを絞め付けるアルジャーノンの姿があった。

一流狙撃手の彼が弾丸を外すなどありはしない冗談だ。事実、彼の銃口はまだ冷たいままであった。

彼は狙撃よりもまず、自分の身の周りを警戒しなければいけない状況にあった。彼の足元のほんの数センチ先には、穴が開き抉れたレンガ片と薄灰色の煙が立ち上っている。これは偶然ここに当たったものではなく『わざとここに当てた』ものだとハーティンは直感する…つまり『二発目は必ず当てる』という警告である。



「一撃必中のスナイパーに二撃警告とは…オレも舐められたもんだねぇ」

「ほほほ、現役の方からそう言って頂けるとは、誠に恐縮です」

「トボけんなよ爺さん、アンタ今オレも殺せたはずだろ?」

「例えそうだったとしても、そんなことを『お客様』に向かってする訳ないでしょう?」

「…ヘッ、客を脅す店主がどこにいんのかって話よ」

「店主としては、この場で常連さんを『三人も』失う方が怖いですからねぇ……『夜は梟が睨んでいるぞ』と、少しばかり強く出といた方がいいこともあるんですよ」

「老いぼれ梟が…黙って寝てりゃぁいいものを…」

「ほっほっほ、夜行性なんでそれは無理な提案ですねぇ」



苦い顔をするハーティンにいつもの営業スマイルを絶やさない店主モリソンだったが、その瞳は明らかにハーティンの僅かな機微をも捉えていた。

この状況で狙撃を慣行できるはずもなく、ハーティンは諦めたように、半ば安堵するように溜息をつきながらライフルから手を離した。



「…で、酒場の爺さんがこんな一御客に肩入れしていいのかよ。どんな客にも平等に接するのがいい店主ってモンじゃねぇのか?」

「ほほ、それはそうですけどね…ただ今回は『店主』としてではなく、いち個人として、さらに言うといち『依頼』として関わらせて頂いてましてね」

「へぇ、アンタも傭兵として依頼なんかとるんか」

「いえいえ、これは遠い昔の、ある友人からの口約束ですよ」

「口約束…ねぇ。一銭の得にもなりゃしねぇなぁ」

「この歳になるとね、損得とか、あまり考えなくなってくるものですよ」

「悪ぃがまだまだヒヨッコでな、その感性は分かんねぇわ」

「ほほほ、いずれ分かるようになりますよ」



次第に強くなる夜風の中、二羽の猛禽は時計塔に佇む。他愛ない会話の中には少しの敵意を仄めかしつつ、彼らの目の先は同じ二人の少女を捉えていた。



「さて、そろそろ頃合いでしょう…彼女たちの行く末を、私達も見届けようじゃありませんか」

「ケッ…人の依頼の邪魔してなに言ってるんだか…」

「今後も彼女らが生きているなら、貴方には何度だってチャンスがあるでしょう…でも彼女らには、『今しか』無いんですよ」

「そんなんは結局方便だろ、絶好のチャンスはここしか無ぇかもしれねぇのによ」

「おやおや、私が貴方の隣にいるのにこれが絶好のチャンスですか?」

「…ハァ、やめだやめ。接客が上手いヤツの相手はこれだから疲れるんだよ…」

「ほっほっほ」



肩を落とすハーティンに、モリソンは持ってきた水筒から温かいコーヒーを差し出した。






―――――






―――銀礼。どうやらそれが、私の昔の名前みたいだ。



「以前、顔も知れねぇオヤジから聞いたことがあったんだ」



身体の自由が利かない…。この非常時だっつのに、この状況を作り出したらしきクソ狼は何を呑気に独り言なんぞ言ってるんだ…。



「ある時東の国に旅に出て、そこで一匹の狐を孕ませたと聞いた。そん時ぁ本当に無責任なクソオヤジだと思ったぜ……んで、最初にお前の髪と表情を見たときに、まぁさかと思ったワケだ」

「ハァ…ハァ…まさか、アンタと私が腹違いの兄弟とでも…?」

「一目見た時からうっすらそんな気がしてなぁ!どうだい、オレを兄ちゃんと呼んでくれるかい?」

「絶っっっ対に拒否するわ……どうして私の周りにはロクな男がいないのよ…」

「そりゃあ、『ここ』がロクでもねぇヤツらのたまり場だからさぁ!!」

「……そりゃそうよね」






そうだ…最初から私はロクでもない奴だったんだ。

どこぞの神の気紛れでまともな生態系として生を受けず、人々を畏怖させてはその肉で腹を満たし、仲間からは嫌われて、そのまま間違った世界へと転生し、母からの愛は偽物で、一族からは蔑まれ、神にはいいように道具として使われて、まかりなりにも育ててくれた人達を喰い殺した…。

新たに辿り着いたここでも、仕事も中途半端にしか出来ず、自分を育てた師匠に見限られ、間違った殺害を犯し、獣のような衝動に駆られ―――



『アイツは、自分の中のバケモンに食い殺されちまったんだよ』



―――なるほど、そういうことか。

あの平和ボケ師匠の言ってた意味が漸く分かったよ。この世界では、理性を欠き衝動に身を任せた行動は、私達を文字通り『獣』へと変えてしまうんだ。今の私の左腕のように…先代の『アルジャーノン』のように…



「…なあ、そうだろ『アルジャーノン』」



左腕は私の意思とは関係なく動いている…痛みも感じない。こいつはもう、既に私の理性とは関係ないものへと変質しているんだ。殺意が高まれば高まるほど、理性を欠けば欠くほど、この身体はこの『獣』に浸食されていくんだ。



『殺せ、銀礼』



……思い出したが、この世界は『廃棄場』と言ったか。

私たちがもと居た世界、その世界で不要となったもの、存在しないことにされた者が辿り着く、『不要な歴史の集積所』。私達みたいな、歴史という名の生ゴミに与えられた最後の楽園…。

―――もし私が仮に、もう少し『私』でいたいなら、これが最後のチャンスなのかもしれない。



『殺せ、銀礼』



どうしようもない歴史しか無いが、何も残らないのは釈然としないよな…。

私はまだ生きているし、生きている限りゴミのカスでも残せる筈だ。産まれてこの方不名誉な人生だが、『獣』に堕ちて自分が消えるより、最後まで自分のままで死にたい。



『殺せ、銀礼』



―――うるさい。

お前の歴史は、もういらない。

人に畏怖され、憎しみに満ちた獣の歴史はもう終わりだ。






「私は……私は……っ!!!!」



力を振り絞り、傷ついた右腕を動かす。もう感覚すら朧気だが、辛うじて肩は上がる。

制御不能の左脚は相変わらずミラルカを絞め続けている…早くしないと、私はミラルカを殺してしまう。

そうなった場合、多分、もう私は戻れない…。



『銀礼』

『銀礼』

『銀礼』

「ちがうっ!!」



脳内に響く声―――これは私が殺した稲月たちの叫びだろうか、それとも私を利用した九天の声だろうか…でも私は、それに応えることは出来ない。



『銀礼』

「私……は…っ」

『銀礼』

『銀礼』

「私はっ!!!!」



精一杯の力で、血だらけの右腕を左脚の結合部にあてがう。

身勝手かもしれない、我儘かもしれないが、私はまだそっちに行くことは出来ない。罪を償うことは出来ない。…私はまだ、人として生きていないんだ。だからほんの一瞬だけでもいい。

―――私を人として、産まれさせてくれ。



「私はっ!!!!アルジャーノン……ッッ!!アルジャーノン・ヴィンプロッソだっ!!!!!!」



あてがった右腕に先折れした剣を取り出し、それを左脚の付け根に思いっ切り突き刺した。

付け根はまだ浸食が甘い。激痛が走る。痛い。痛い。死にそうになる。でも、ここで獣になるよりマシだ。

飛びそうな意識の中、必死に自分の名前を連呼した。

その名前は青白い狐でも、銀礼でもない。

新しく人間として産まれかけた、この世界での私の名前。

新しい夢の中で、私を人として育てようとした男が付けた、適当でいい加減な名前。

それが、私の名前―――。



「あああああぁあ!!!!ああああああぁぁああああぁっ!!!っっ!!」



突き刺した剣を無理矢理に左右へと抉りまわす。もう正確な意識なんてない。ただこの忌まわしき左脚を切り離すことしか考えていなかった。しかしそこに衝動は無かった。脳内は至って冷静で、理性のタガは外れていなかった。

それと同時に、剣で抉れば抉るほど、脳に響き渡る幻聴は遠退いていった。

そして、最後の筋線維がブチンと切れる…。



『…またね、アルジャーノン』



最後に聞こえた幻聴は、銀礼時代の私の母、稲月蜜葉の声だった。

彼女は最後の最後に優しい声で、今の私の名前を言った。

私はとうとう、私の中の忌まわしき獣、銀礼と決別した。





―――――




「あ………う………」



切断した左脚から力が抜けていく…その反動で、今まで絞めつけられて態勢を保っていたミラルカがグラリと崩れ始める。彼女の手からは包丁が抜け落ち、仰向けの私に覆いかぶさるように倒れ込んできた。

相当な力で絞めつけられていたのだろう…白目をむき、口から泡を吹いてはいるが、辛うじて息はある。



「…なぁ、ガズベルグ」

「どうした?妹よ」

「……アルにミラルカを嗾けたのは、アルの『獣』を起こす為か…?」

「三分の一は正解だなぁ」

「あと…三分の二は?」

「『お節介』と『漁夫の利』だねぇ」

「ハン…お前らしい」

「お褒めに預かり光栄だぜ、我が妹よ」



なんだか気に障る発言がいくつも聞こえるが、もう突っ込む気力も無い。

こういう時に反応してもしなくてもすぐ煽りに来るのも知ってる。でも流石に今の私を見て、今回は控えてくれているようだ。気が利くんだか利かないんだか…。



「…なぁ、一つ聞いてほしいんだが」

「何の提案かな?」

「……このウサギ、アルが引き取ってもいいか…?」

「…ほぉ、こいつぁ意外な提案だな。自分を殺しかけたガキを引き取るなんて」

「…こいつもきっと『獣』なんだ。だからアルが『人』にしてやらねぇといけない気がしてよ」

「…テメェを捨てた師匠の真似事か?」

「馬鹿言うな、アイツより上手くやってやるよ」

「ソイツはオレに何のメリットがあるって?ソイツを隠蔽する際のオレが根回しする報酬は?」

「…だから黒猫に盗ませたんだろ?アルが『人になった』記念だ…盗んだ報酬全額持ってけよ…」

「ヘヘッ、毎度ありぃ」

「ま…その金は全部駄犬のなんだけどな…」



気が付いたら私の身体の上で、ミラルカがスゥスゥと眠っていた。さっきまでの苦しそうな表情はもうそこにはなく、とても穏やかな表情だった。

私の左腕も、気が付いたら傷口が塞がっていた。ほんのちょっと残っていた『獣』への浸食が、どうやら傷口を塞いだらしい。右腕は相変わらず痛くて動かせないが、さっきよりはマシだ。

血の巡っていない思考回路が朧げな会話を紡ぐ…霞む視界の向こうには、夜明けの青が映っていた―――。




――――――




「ほほほ、どうやら常連は皆死なずに済んだようだ」

「そうみたいだな…お陰でオレは商売あがったりだがよ」

「どうします?今ここで始末しますか?」

「興が冷めたよ…朝日も昇り始めたし、ここで撃ってもなんの利益も無ぇしな」

「そうですか。じゃ、帰って朝の仕込みでもしましょうか」

「爺…眠らなくていいのかよ」

「仕方ないでしょう、この後お腹を空かせた育ち盛りの娘さんたちや、裏町のお兄さんが来るんですから」

「そうかいそうかい。じゃ、オレはこれで…」

「あれ?貴方も来るんじゃないんですか?」

「あ?」

「ほほ、美味しいコーヒー、用意しときますよ」




ノリに乗って第八話の投稿です。

今回の話をもちまして、第一節の大枠の締めとなります。

エピローグや補足情報等はまだまだ書きますので終わりませんがね。



今回ので一通りの伏線回収と言いますか、この世界のシステムのようなものが粗方説明できた気がします。まあ、腑に落ちない点はいくつかあったりだとか、自分でもまとめきれてない部分は多いんですが、とりあえずアルジャーノンさんにやらせたかった事は大体こなせた気がします。

あとは今後、さらにお話を広げていく際に色々盛らせていければと思います。アルジャーノンのお話は、まだ始まったばかりなのです。



次回はエピローグになるようなものを一本書いて、一旦シメようかと思っています。第二節は構想中故、あるかないかは気分次第です。

では、次回もお楽しみにお待ちください。


何か感想や評価等々ありましたら、是非是非よろしくお願い致します~。それではまた!

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