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銀狐のアルジャーノン  作者: みょみょっくす
第一部 私の名前はアルジャーノン
6/33

月下の獣

ハーティン、ミラルカ、アルジャーノンが去った酒場オール・ド・オウルはいつもと違う賑わいを見せていた。酒を呑み交わし上がる喧騒はなく、自身達が予期せぬ状況へ陥った際に事実確認に至るためのざわつきである。

この雰囲気を色で例えるならば青。酒は手にするが口には付けず、口は走るが息は荒く、瞳は開いているが眼は泳いでいる。叫ぶ者は口を慎み、暴れる者は背筋を整え、吐き出す者は息を飲んだ。今、この酒場には客がいない。


酒気は良好

摘まみは大皿

空けた盃は数知れず


なのに客は一人もいない。

酒場とは本来、酒を呑んで意識の壁を崩し、本性を曝け出すことで無意識的に人と人との理性を融和させる場所である。しかし今この場にいる者たちは、それが出来ない。何故なら彼らには意識があるからだ。酔っているフリをしているだけで、その根底には明確に覚醒した意識があった。

人は一度波に乗ればどこまででも突き進む生き物だ。だから酔えば酔うほど酒が進む。自分が酔っていることも気付かずに。単純明快、酒が儲かる常套手段。

だが今ここにいる者たちは皆自制が効いてしまっている。酔わないのではなく、酔えない。だから酒が進まない。

つまり酒が売れないのだ。こうなればもう酒場の商売は成立しない。




「……いやはや、困ったものですね。」

「あぁ、全くだ。アイツらのせいで酔いが冷めちまった」

「バーナードさんは追わなくて良いのですか?」

「オレが追ったところで出来ることはなんも無ぇよ。金は払ったし、あとはヤツらが取っ捕まえてくれりゃ文句無ぇ」

「ほほ、そうですか」




飛び出していったまま、開けっ広げになった酒場の入口を眺めながらカウンターで会話するバーナードとモリソン。

モリソンはミラルカの存在を知らなかったが、この空気とバーナードの反応、そしてアルジャーノンとの朝の会話から推測は出来ていた。マスターは一人に肩入れしない、皆に平等に接する仕事である。他人から話を聞き出すような野暮な真似はしないのだ。




「……まあ、だが気がかりなのはアルだな」

「そうですねぇ。」

「マスターなら分かるだろ?アイツはあんな血相変えるような女じゃねぇ。もっと淡白で冷静で、いけ好かねぇ要素の塊みてぇな女だ。あんな顔、オレは始めて見た」

「……バーナードさん。少しの間、店を預かれますか?」

「んぁ? どうしたんだマスター」

「少し急用を思い出しましてね。まあ、この調子なんでお酒の注文もあまり出ないでしょう」

「え、いやそういう問題じゃ……」

「詳しいことはピナコに聞いてください。では少し席を空けますね」

「あ、ちょ、待っ……おいっ!?」




酒が売れなきゃ商売にならない。

手持ち無沙汰の梟は、気を紛らわしに夜へと飛んだ。彼は人に平等で非干渉的であったが、自分の巣が荒らされることは人一倍嫌いだった。

だが、それとはまた別に彼にはやらなければいけない急用があった。

何かを思い、何かを悟り、何かを探して夜を往く……その手に二丁の爪を携えて。







――――


―――――


――――――







「準備はいい? じゃあ最初はアタシが鬼ね!」

「好き勝手言いやがって……分かった、付き合ってやるよ」




月夜を背に、ミラルカは手にした包丁を天に掲げる。

その光景はとても幻想的なワンシーンだ。よく手入れをしているのだろう、包丁の刃は凛としていて月光を一条漏らさず反射させている。まるで東の国の伝承にある、月から降りてきた兎のようだ。

一方、私の手にあるのは寂れた刀剣。手入れもしてなきゃ元の持ち主も分からない、本来の役割すら全うできるか怪しい、光を受けて無様な姿を晒す悲しい刀剣だ。…だが、ぞんざいな武器は嫌いじゃない。


一呼吸置いてからの突撃。腋に構えた包丁をグッと前へと突き出し私目掛けて急転直下。

なんの捻りも、なんの保険も無いどストレートでシンプルな突き。避けられた後の事を全く考えていない無謀とも思える荒々しさと、その一撃でピンポイントに急所を貫かんとする鋭さが両立している。

無論、対策は簡単だ。ほんの少しだけ動けば当たらない。

…しかしそう思えたのも一瞬だけだった。流石ウサギと言ったところか、瞬発力が尋常じゃない。その小柄な身体ごと懐へと突っ込んでくる速度はまるで弾丸だ。私は咄嗟に右手の剣を身体の前で構えて防御体制をとる。




「アハッ! 危機一髪だね!」

「おいおい冗談じゃねえよ……っ!?」




剣の腹と包丁の切っ先がかち合う。

その衝撃は私がイメージしてたそれよりも遥かに重く、三歩後方へとたじろいでしまった。

予想より遥かに重い刺突を受け、手にしていた三本の剣のうち一本が砕け、残り二本には亀裂が入った。砕けた破片は丁度怯んだ私に降りかかるように飛び散ってくる。痛くはないが、鬱陶しい。


対するミラルカは割れた剣と剣の隙間からこちらに狂気的な笑みを見せつけると、残った二本の剣を踏み台にしてさらにどこかへと飛び去った。その跳躍の反動でバランスを崩した私は尻餅をつかされる。屈辱の極み。

私も身軽な自信はあったが、あんな曲芸紛いの芸当は出来ない。すぐさま立ち上がり周囲の様子を伺うが、既にその場にミラルカの気配は存在していなかった。




「クソッ……後手後手だ。どうしたものか……」




無理矢理起き上がった反動か、あの時の突きの余韻か、頭の片隅がズキズキと疼く。

正直私は正面切った戦いはあまり得意じゃない。よく考えてみたら本来の得意分野は奇襲や暗殺、破壊工作なのだ。しかし、なぜ白兵戦を行おうとしたのだろうか…。


…いや、そんなことは今はいい。この暗闇の中、ヤツを探し出して先手を取らなければいけない。

攻撃は単純だった。

仕掛ける瞬間お互いの存在が露呈する。

ならば先に相手を見つけた方が勝つ。

…無論、先手を取られた上に行方を眩まされてる今、私がヤツから先手を取れる出目は無い。次の一撃を仕掛ける為に、何処からか必ず睨みを効かせているだろうからな。

こうなると後は逃げの一手だ。スモークグレネードを取り出して一旦煙に巻く。御近隣住民には悪いがそんなことは知ったことではない。

目を閉じ、耳を立て、白煙の中、いつも通りに気配を辿る。相手もまさか白煙が炊かれるなんて思いもしないだろう。動揺しているならそれで方角くらいは分かるかもしれない。


…という短絡的な安心は期待外れだった。

この一帯、感じれる範囲のほぼ全域に充満する殺気。何処からでも殺す、何であろうとも殺す、そういう気概の狂気すら覚える禍々しい殺気。

普通の人間ならばここまで強い殺気を放つことはない。理性的で理知的で、思慮深く計算高い、人間にとって刃は胸の内に秘め隠すものだ。

だがこいつは違う。全身全霊を以て本能的な殺人衝動、まるで理性無き獣のようだ。

気配を辿るだけ無駄だ。煙が明ける前に動く。立ち止まっていては文字通りの的である。




「みーぃつけた!」

「っ!! ……嘘だろ」




煙の中に響く声。周囲を囲っていた殺気が渦を巻くようにして一点に集束する。


上。

真上。

私の真上。


明ける白煙の切れ間から銀色の刃が覗く。いつ移動した、いつ跳んだ、いつ構えた、私が気付いた時には既に見上げた私の眼前、頭上に切っ先が降ってきていた。




「危ッッねぇ……っ!!」

「あれゃ? なーんだ残念。」




間一髪、身を返して刃を躱す。あと気付くのが一秒でも遅ければ脳天を穿たれていた。

結果的に気配を追う能力は役に立った。相手を索敵する用途ではなく、己の死を予兆する用途として…つまり今私はこの状況で、どう考えても捕食対象ということだ。

そして、これで判ったことがひとつある。斬りかかる、殺しにかかる瞬間だけ彼女の殺意は『分かりやすく』なる。何処にいるかが分からずとも、この瞬間に備えれば対処は出来る。

…だが、それが判ったところでその代償はまあまあデカい。




「………やってくれんなぁお嬢ちゃん……っ!」

「うーん、でも出来栄え的には30点くらいかなぁ」

「ははっ……1000点満点じゃないことを祈るよ」




流石に完全に避けきるのは不可能だった。

右腕を削がれた。

傷口自体はそこまで大きくはない、だが深い。指先、末端が少し痺れている。きっと末梢神経を擦った。

血が滴る。動かない訳ではないがマトモな武器の運用は難しいだろう。特に正確な投擲は手が濡れたのもあってほぼ不可能か。つまり私に残された戦力は左腕だけ…ちょっと不味い状況だ。

ひとまず少しだけ距離を取る。背を向けないように後方へとステップを重ね、ヤツが攻撃を仕掛けやすいように距離を広げる。




「まだまだ逃げちゃダメだってばぁ!」

「この状況で逃げない方が可笑しいっての」

「ん~……わかった、じゃあ追い付く!」




案の定、ビンゴだ。

さっきと同じように脇に包丁を構えて膝を曲げ、突撃体勢をとった。

私がヤツより優れている点は攻撃の択の広さだ。それを最大限に活かすにはヤツの間合、ペースから離れる必要がある。逆に、向こうは殺し慣れてはいるが戦い慣れている訳ではない。先手必勝一撃必殺、ヤツの戦い方はそれを体現しているものだ。手の内を隠している恐れもあるが、今のところ猪突猛進な感じは否めない。ならば御すのは簡単だ。流れを断ち、不意を突く。


三度目の特攻。

相変わらず飛距離、速度、鋭さ、どれを取っても頭一つ抜きん出ている…だが、来ることが分かれば対処は容易だ。

後退りしながら左手にサブマシンガンを取り出しトリガーを引く。無論、片手で扱っているから精度は劣悪、反動も受け止めきれない、狙って当てるようなことはほぼ不可能。

しかし、こちらに一直線に突っ込んでくるヤツが相手なら効果は充分。数発の弾丸がミラルカを掠め、突撃の勢いを殺し、逆に後方へと弾き飛ばした。迎撃成功だ。


あくまでこれは防衛手段の一つ、多少傷を負わせることは出来れど致命傷には到らない。案の定、高笑いしながら包丁を杖がわりに起き上がろうとしている。化け物かなにかかアイツは…。

しかしその立ち姿に先程のような攻勢は見受けられない。幸か不幸か、どうやら足を負傷したようだ。

体勢を整えるなら今のうち。正面から戦っても勝ち目は薄い。追う足がない今こそ好機。

全力で逃げる、距離を取る。




「ハァ……ハァ……このままじゃ、ちっと不味いか……」




暗い町の中を走る。路地裏へ逃げ込み、ヤツが追って来ないことを確認する。

辺りはさっきとは打って変わって静かだ。ずいぶん走ったし、突撃をかけてくることはまず無いだろう。

正直なところあまり銃は使いたくない。弾薬費を食うのは当たり前だが、何より部屋が散らかるからだ。


私の能力は『自分の部屋にある物を手元に転送する』能力だ。

厳密には自分の手元の空間を部屋に繋げる能力だが、この能力が私の生命線。私が部屋に武器を貯め込んでるのも、普段から袖の広い服を着用しているのもこの為だ。お陰で付いた渾名が『武装愛好者(アームズフィリア)』。悪い名だとは思わんが、別段いい気分にもなりはしない。

こいつを初めて見る奴は驚く筈だ。なにせ何もないところから無尽蔵に武器が溢れてくるように見えるのだから。しかし実際は有限、おまけにどういう仕組みかは分からんが取り出す事は出来るのに取り入れる事は出来ない一方通行仕様ときた。剣やナイフ、手榴弾とかぶん投げられる物ならそれで良いが、銃は捨てられない。

銃の扱いには苦労したもんだが、ある時完全に取り出さなければ元に戻すことが可能だと発覚した。だから銃火器を扱う際は、その銃身を『半分だけ』取り出すことにした。銃口だけニョキっと取り出して、そこから後ろを部屋に繋げておく。これなら銃を扱う際のデメリットは無い…そう思った際にさらなる問題が発覚した。銃口だけを表に出して発破すると、必然的に薬莢やらなんやらが部屋に飛び散るのだ。

元からゴミ屋敷みたいな部屋だがあそこには必要な物しか置いていない。部屋が散らかるのは嫌いだし、最悪火事にでもなったら能力ごと使えなくなる。この後家に帰ったら粛々と散らばった薬莢を搔き集めることになるのだろうと思うと、心底うんざりする。


私がこの能力を使えるようになった経緯は正直言って不明だ。少なくともレンドロスに拾われた時から何故か使えていた。レンドロスも『触った物に炎を纏わせる』能力を持っていたが、彼自身もその能力を習得した経緯は覚えていないらしい。まあ、突然変異的なモノなのだろう。

…そして最も厄介なのが、ヤツも何かしらの能力を持っているってコトだ。どんな能力を持っているか分からない以上、戦いを長引かせるワケにはいかない。しかし一方私は思いっきり能力を露呈している。流れを掴んだと言っても、俄然不利な状況であることに変わり無い。

なるべく今この間に次のプランを練らなければならない。認めたくは無いが奇襲の腕はヤツのが上だ。嗅ぎ付けられたら負傷したこの右手じゃあ捌ききるのは難しい。

落ち着け私。考えろ、ヤツに有効打を与えられる方法を。




「いろんなもの出せるんだねっ! 面白い! おねーさんは手品師なの?」

「……全く、そういうあんたは曲芸師かよ」




聞き覚えのある声に思わず溜め息が出た。路地裏で隠れていた私の頭上から声が響き渡る。見上げた先には屋根の上からこちらを見下ろすミラルカ。雨も降っていない筈なのにぽつぽつと見上げた顔面に水が滴り落ちる…よく見りゃ血だ。さっき私が付けた銃痕から流れ出た血だ。

そんな足でどうやってそこまで登った?いや、そもそもどうやって追い付いた?片足負傷なら早くても5分分は掛かる。だがまだ2分すら経ってない。




「ねぇおねーさん? かくれんぼじゃないよ?」

「わーってるよそんくらい! これだから子供は嫌いなんだ、飽きるまで手放しちゃくれないからな……ちょっとくらい休んでもいいだろう?」

「えー、ダメ」

「硬てぇコト言うなよクソガキ、じゃあどうやったら諦めてくれるのかしら?」

「モチロン! アタシが飽きるまでっ!」

「あーなるほど、そりゃつまりアルに死ねって言ってるワケだ」

「アッハハ! やっぱおねーさん面白いね!」

「こっちもガキの相手するほど暇じゃねぇんだよ…ちょっとくらい考える時間寄越せって…」

「え?なんで考える必要あるの?」

「あん?」

「だって、おねーさんが狙ってるクソガキは目の前にいるんだよ?」

「…………。」




ゾワッとした。

そうだ、私は何をやっている?何故、目の前に標的がいるのに考え込むようなことをしている?

疲れたから?作戦を練りたいから?それとも傷が痛いから?違う…。




「アタシ不思議だったんだよね。なんで逃げたりしないのかなって」

「……全くだな、無駄口叩く暇があるんならさっさと逃げりゃ良かったよ」

「でも多分さ、そんなこと全然考えてなかったよね?」

「……そうだなぁ、全然頭が回ってなかったよ」

「さっきさ、諦めてほしいって言ってたよね?」

「……言ってたっけなぁ、そんなこと。昔のことだから忘れちまったよ」

「でもさ、諦めないのはおねーさんだよね?」

「どうしてそんなこと分かるんだい?」

「だって今のおねーさん、すごい楽しそうな顔してる!」

「…………フフッ」




ああ、ようやく自分の本心が分かった気がするよ…全く、こいつはどこまで見透かしてくるんだ…。

酒場で会った時から…いや、バーナードから依頼を聞いた時から思ってたんだ。久しぶりに面白いヤツが出てきたって。しかもそいつが私の事を狙ってると知った時、どんな事が起きるのだろうと期待していた。だが、私はその感情に気付いてはいなかった…いや、気付かないフリをしていた。

何故なら私は傭兵だから。私にとって戦闘も交渉も金のやり取りが発生するビジネスでなければならない。個人的な情念が発生してはならない、ただ依頼人のためだけに任務を遂行しその報酬を得る、それが私の思う理想の傭兵であり、目指す目標そのものであるから。私情や衝動を糧とした戦闘はただの犯罪であり無法者の証である。

…だが、そんな私の前にそいつは突然現れた。そいつは私の本性を見透かした上に、私の予想を軽々と凌駕した。そうだ、そうだ、こういうやつだ。この戦いは自衛を目的とした正当防衛、そんな言い訳を建前にした一個人的な殺し合い。当然、金のやり取りは発生しない。ただただ、私が心の底で望んでいた衝動からのぶつかり合い。私が望む傭兵とは相反する非情な行い。だが『仕方がない』。こんな奇跡的な出会いを、手放すわけにはいかないじゃないか。

私は、ただただ己の衝動に従い、面白いヤツと戦いたいだけだったんだ。




「……アルの何処が面白そうだって?」

「ん~、フインキかなぁ」

「なるほどね。良いだろう、後悔しても知らないよ!!」




戦闘を再開する。

左腕を振り上げて投げナイフを三本飛ばす。一本はミラルカの顔を掠め、一本は包丁に弾き落とされ、もう一本は屋根の縁に突き刺さった。突き刺さったナイフに括り付けられていたスタングレネードが光を放ち、周囲一帯を白く包み込む。会話の中で仕込んでいた次の一手。

狭所は私に分が悪い。走ってその場を離れる。依然としてこちらが不利なことに変わりはない。返す刃で致命打を与えるか、罠を張って姑息に削るか…なんて考えてる暇は無さそうだ。




「まだまだ楽しもうよっ!」

「楽しみたいなら時間をくれよっ……!」




また出てきた。今度は前方、二時方向の物陰からの奇襲。振り切った筈のヤツが相も変わらずそこにいる。神出鬼没、その言葉がよく似合う。だがヤツが移動する様は何度も見た。対処できない訳じゃない。

猶予を貰えないなら臨機応変に。これは依頼ではなく殺し合いだ。ならば計画を立てる必要性は無い。その場その場の直感に従え。

思えば開始直後の白兵戦もだ。知らず知らず無意識のうちに本能が選んだ最適解、だからあの時剣を選んだ。逃げても駄目、撒いても駄目、なら殴り合う他道はない。どちらかが倒れるまで、フルオートで身体を回す。

セオリー通りの奇襲を仕掛けるミラルカに対し、私は左手にハルバードを取り出す。単調にして直線的、然れど殺意は一級品、一発貰えば御陀仏確定だろうその攻撃を、避けることなく受け流す。前述した能力のお陰で私のハルバードは伸縮自在の武器へと変わる。無論重さはそのままだ、あくまで取り回しが向上しただけ。だが長柄を振るう際、その向上は革新的だ。

腕を突き出し柄を伸ばす、その距離およそ3メートル。直線軌道を穿つように、その穂先をヤツの切っ先に叩き付ける。よろめいたミラルカを、今度は鉤爪に引っ掻けて転倒させる。当然ヤツもタダじゃ転ばない。手にした包丁をこちらへと投擲する。距離的に重量のあるハルバードを手にした状態では到底躱すことは出来ない。




「……っぐぅ……ッ!!」

「アハッ、当たった! 当たった!! 当たりにいったっ!!」

「…痛ってぇじゃないか……クソガキ……!」




どうせ使い物にならないならせめて盾として使う。負傷した右手を包丁の軌道上に置き勢いを殺す。右手は串刺しになったがヤツから得物を奪い取ることは出来た。…しかしまあ、痛い。

度重なる右手の負傷とその激痛の反動で頭がフラフラする。マトモな思考状態じゃ無いがヤツを追い込むには今しかない。左手のハルバードを多少強引に振り回し、スッ転んでるミラルカに柄をぶつけて路地裏へと吹っ飛ばす。

上手いことゴミバケツに突っ込んだミラルカに、今度はハルバードの柄を短くし手斧として振り降ろす。もう冷静な判断力なんて無い。ただただ前の相手しか見えてない。全っ然スマートじゃない。

だが、それもまた面白い。




「危ない危ない!」

「そろそろオネムなんじゃないのかっ!」

「違うもん! まだまだ遊び足りないわっ!」




そう言うとミラルカは体制を起こし、持ち前の脚力で振りかぶる私の腹部を蹴り飛ばす。一瞬目の前が真っ白になる程の衝撃を直に受け、思わず口から色々な物が出そうになる。いや、血は少し出た。

勢いよく後方へと吹っ飛ばされ、その反動で左手に掴んでいたハルバードがすっぽ抜ける。腕と袖の隙間からズルズルと長大な棒が引き抜かれていく様はミラルカをしてさぞ不思議な光景として映ったのだろう。

何とかしてこの勢いを殺したい。しかし私の後方には建物も障害物も何も無かった。叩き付けられてでも姿勢を正さなければ、地面に落ちて私を待つのは馬乗りからの追撃だ。

果たしてどうしたものかと身体を捻った瞬間私が感じたのは、低空の何もない空間で何かにぶつかる衝撃だった。私はその『何か』に突っ掛かり、幸か不幸かその場で地面に墜落した。




「ふんぎゃあ!」

「っ痛ぇなクソ……あんた黒猫か?なんでこんなとこにいる!!」

「あ…あはは、あははははっ! …ニャニャ~……」




空中で接触した『何か』それはこの街で悪名高いスリ女、ネロ・クロノワール。

スラム暮らしで筋金入りの小悪党、誰彼構わず金を盗むその手癖の悪さだけは一流だ。元々私が受け取る筈であっただろうバーナードの金もこいつが盗んだらしい。大変迷惑な話である。

そしてこいつも『野良』の一人だ。詳しくは知らないが、姿を消す能力らしい。音速でもなけりゃ、透明な壁にぶち当たるなんてまず無いからな。




「た、たまたま通りかかっただけ…」

「タマタマもクソも無ぇだろ、あんたがここにいるって事は『アイツ』もここにいるって事だ!!」

「にゃ、にゃんのことかしらね~…」




そしてどうやら私は厄介な事に巻き込まれていたらしい。こいつは小悪党だがこの通り根っからのバカだ。だから悪事は出来てもそれを巧妙にする手段を知らない。そしてそれを理解しているから、こいつはいつももう一人の人間と行動を共にしている…そいつがここに来ている場合、それは偶然ではなく意図的だ。つまり一連の流れが全てシナリオなんだ。

そう思えた途端、さっきまでの白熱した衝動は一気に消え失せた。つまり私は踊らされるだけ踊らされていたのだ。こいつらの水を差すような行動で、全てが台無しになった気分だ。




「余所見はいけないよっ! おねーさんっ!」

「っ! ぐおっ!?」

「アッハハ、つっかまーえた♪」




完璧に油断していた。ネロに気を取られて注意が疎かになっていた。さっきのゴミバケツに埋まっていたミラルカが突然私の頭上に現れた。粗方予想はついていたがやはりこいつは転移系の能力者だった。

落下してきたミラルカはそのまま倒れた私の上に馬乗りになり、右手で持っていた包丁を無理矢理剥ぎ取り私の首へと突き付けた。包丁からは私の血が滴り落ち、これから刺されるであろう喉元に先に血溜まりを作っている。さっきの予見がそのまんま形になってしまった…流石に万事休すかもしれない。全く、つまんねぇ終わり方だ。




「…………あ、あれっ?おかしいな…っ!?」

「……?」




包丁を握った両手には相当な力が込められているように見えるが、何故だかミラルカはそれを突き刺そうとはしない。それほどまでに覚悟が必要なのか?しかし10件以上の障害を起こした彼女に未だにそんな観念があるとは思えない。

何かしらの事情があるのだろうが、兎に角私の執行猶予が延びていることに変わりはない。


「殺るなら今だ」


今が好機…そう思った途端、脳裏から囁きが聞こえる。いい加減生きてるのも不思議なくらいには疲弊した。幻聴くらい聞こえるのだろう。私はその声に誘われるように、知らず知らずと左手にクロスボウを準備していた。




「……ねえ、ちょっとなんで?なんで刺せないの!?」




そんな悲痛な叫びが響く中、奥の物影からのそのそと一人の男が現れた。




「どうやらお困りのようだからカワイイ兎ちゃんに契約内容を教えてあげよう。

第一条.契約者、及びその同伴者への攻撃を含む裏切り行為を禁止する。

第二条.契約者との合意を除き、自ら契約を破棄することは出来ない。

第三条.目標への確定的な殺人行為を禁止する。

…ほらぁ、ちゃぁんと『契約書』に書いてあるでしょお?」

「ウソッ? 聞いてないっ!! そんなはなし聞いてないっ!! おじさんはいい相手がいるって言ったじゃないっ!!!」

「『良い相手』とは言ったけど『殺しOK』なんて一言も言ってないよ?ま、精々文字が読めなかった自分を呪うんだな、オジサンは意地悪なんだ」




現れたのはガズベルグ。やはりと言うかなんと言うか、ミラルカに話を持ちかけたのはこのクズ男だったようだ。

ガズベルグは『契約書に書いてある事柄を強制的に順守させる』能力を持った『野良』だ。だからヤツには従えないし、逆らえない。今まで致命傷を免れていたのもこいつの能力が作用していた可能性が高い。つまり今、ミラルカは私を殺せない。


「殺るなら今だ」


「殺るなら今だ」


「殺らねばならない」


「殺らなければ殺られる」


「殺れば終わりだ」


「殺るしかない」


…頭痛がするほどの囁き。私の気分が冷めれば冷めるほど、その囁きは多く大きくなっていく。流石に血を流しすぎたか、どうやら私の意識もそう長く持たないようだ。混濁した意識の中で、私は言葉に操られるように矢をつがえたクロスボウを彼女の背面に回す…。




「いやだっ! 殺す! 殺さなきゃいけないのっ! なんでできないの!?」

「だーからダメって言ったじゃない。あ、でも良いこと教えてやる。殺さなければどれくらい切っても平気だから」

「…じ、じゃあ、腕ならイける…よね?」

「さあねぇ、やってみてからのお楽しみじゃね? ……まあ、ソイツの腕が『本物』って確証は無ぇけどな」




ズダンッ…という音が聞こえた。初めはクロスボウの引き金を引き、矢を命中させた音だと勘違いしていた。霞む視界に写っていたのは、嬉々として包丁を落としたミラルカだった。

ああ、なるほど。それに気付いたのは少し間を空けてからの事だった。どうやら矢を射る直前に、左腕を切り落とされたらしい。負傷した右腕、切断された左腕、もう戦える力も残ってない。

調子に乗って依頼でもない相手を狙い、策略にハマったことを知って意気消沈。我ながら自業自得の末路だ。なかなかどうして、傭兵として死ぬには癪に触る最期かもしれない。



…。



ところで身体を欠損した場合、いくらアドレナリンが分泌されていようともそれ相応の痛みは感じるものである。


その異常に気付かなかったのは、腕の痛みを感じなかったから。

その異変に気付いたのは、腕の痛みを感じなかったから。



「そなたは獣、殺める獣、厄災を身に宿し、生者の灯火を喰らう者」


「殺るなら今だ、『銀礼』」




…。




先程の幻聴で意識を取り戻す。

目覚めるとそこにあったのは、何故か泡を吹いて苦しがるミラルカと、切断された感覚の無い左腕。


左腕は確かに切断されていた。だが、その切断面からは私の腕とは異なる『脚』が生えていた。灰銀の毛皮を纏ったその『脚』は大きく伸び、私の上で馬乗りになるミラルカを鷲掴みにしている。


そして、この『脚』を見て思い出した。自分が誰なのか、何者なのか、何故此所にいるのか……





―――『妖狐 禍津銀礼』

神の世に生まれ、世界に仇なす者としてその身を穿たれた『存在しない神』。

その名を知られることさえ叶わず、神話の淵より抹消された『存在してはならない神』。


―――――それが、私。

皆様お久し振りです。


前回投稿からおよそ半月くらいでしょうか、お待たせ致しました五話目になります。


今回はざっくりと戦闘&能力説明、及びジャーノンさんの身バレ回となります。裏で何やらコソコソしてるおっさんチームの動向も気になりますね。

正直なところ、戦闘描写の難しいこと難しいこと。本当はもっといろいろとアクションさせたいところなのですが、漫画と違い一挙手一投足に逐次説明を入れていかないと何が起きているのか分からなくなる恐れがあるので、二人とも漫画栄えするようなオイシイ能力持ちなのに地味~な絵面になってしまいました。まだまだ精進の余地アリです。


今回ジャーノンさんの能力について説明が入ったとおり、彼女の能力は非常に便利なものです。今までの話の中で何もないところから道具を取り出したりしているのはこの能力を使っているからです。



さて、次回の投稿はまた半月ほど後になると思われます。ストックも尽きてしまい、いよいよ本腰入れた執筆作業です。なるべく早く出そうとは思うものの、納得のいく出来にするためにはちょっとばかし期間を設けたいなと。平行してキャラ設定も書いていたりいなかったり。


ともかく、今後もいつも通り過度に期待せずお待ちくださいませ。ご感想やご指摘についても、よろしければどんどん書いていって下さいまし。

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