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銀狐のアルジャーノン  作者: みょみょっくす
第二部 ルーザーチルドレン
32/33

透明なおもいで


既に身体の殆どは黒い泥に覆われ、自分が何者なのかすら朧気になっている。

思考の隙間に、断片的に、他者の記憶が挟まれていく。それが少しずつ増え、浸透し、自分の記憶を侵食していく。あと少しもすれば、僕の人格は消えてしまうのだろう。

走馬灯のように、かつて自分が視た記憶が流されていく。僕が忘れ去ってしまった、記憶の奥底に追いやられていた記憶達も、流れていく。



――――一つ、気になる記憶があった。かつての僕が『死んだあと』に視た光景。



王都の兵士に討ち取られた後。

死してなお見開いていた僕の眼は、微かに写るその情景を瞳に焼き付けていた。

既に誰も住んでいない一軒家。森に覆われるように古びたその家は、僕がかつて見たことのある、馴染み深い場所だ。

不可思議なのはそれが、何故僕の記憶に残っているのかだった。僕が討ち取られたその場所は、かつての魔女の家とは遠く離れた場所にあった。それどころか、あの村があったのは既に百年以上も昔のことだ。この家が残っていること自体が、そもそも不自然だったのだ。



………。



…被せられた山羊の頭蓋から、僕の知らない記憶が、意思が、憎悪が、怒りが、とめどなく流れ込んでくる。もう指一本も、僕の意思では動かせない。

脳の、思考の片隅に、僕が押しつぶされていくのが分かる。さっきの記憶も、きっとこの記憶の混濁が現した幻だったのだろう。"僕"という存在が、記憶ごと蹂躙されていく。



ここで、僕の意思は潰える…きっと、そう…

それもまた、マザーへの奉仕なのかもしれない…そう思えば、悪くも…無い…



………。




…突然、視界が明るくなった。

比喩ではなく、直接的な光が射し込んでくる。被らされていた山羊の頭蓋が、持ち上げられていた。

身体を覆っていた溶けた黒い泥も、少しづつ剥がれていく。

少しずつ、失われかけた自我が戻っていくのを感じる。

霞んでいる視界にうっすらと、青黒い頭が写っている。

萎縮していた脳がキシキシと音を立て、徐々に膨張していくのを感じる。

圧迫されていた意識が解放され、それが一体誰なのか、漸く判別できるようになる…。



「まったく、世話の焼けるお兄ちゃんだよ」

「……お前は…」

「へへ、ようやく"認識"してくれた?」



妹だった。妹が僕の目の前にいた。誰もいない筈のこの空間に、何故か妹がいた。

妹が僕の頭に被らされていた髑髏を外し、僕に向かって話しかけてきた。



「お前が…なんで……?」

「"なんで"じゃないよ、まだ私が認識できないのかな?」

「…どういうことだ……ここは僕の、意識の底の筈だろう…?」

「そう。だからようやく"喋れる"ようになった」

「………?」



なんで彼女がここにいる…?彼女に思い入れなんかない筈だ…

彼女は、突然現れた妹を語る他人…少なくとも、意識に焼き付くほど、大切な存在でもないはずだ。



「そんなことないと思うよ」

「………いや、僕には妹なんて」

「いるよ。いた…お兄ちゃんが、それに気付こうとしていなかっただけ」

「僕が…気付いてない…?」

「そう。ここはお兄ちゃんの深層意識の中だよ?そんなところに"知らない妹"がいるわけないよね?」

「……違う、お前とは別に…」

「そうやってずっと、アタシを視界の外に置いていたんだよ…お兄ちゃんは"ずっと一人で生きていた"からね」

「………。」



そういえば遥か昔…僕が産まれて間もない頃…両親が獣に襲われ、命を落としたあの日…。

……そうだ、僕には兄妹がいた。共に獣に襲われ、亡くなってしまった筈の兄妹。



「…しかしお前はあの時…」

「それがいけないんだよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはずっと"そう思ってた"んでしょ?」

「まさか……そうじゃないとでも言うのか?」

「じゃあ、アタシが今どうして"ここ"にいるのか…それを考えた方がいいよ」

「……それは……」

「認めたくないだけなんじゃない?自分が一人で生きてきたワケじゃないってこと」

「…………」

「…全く、本当に情けないよ。もう答えは出てるのにね」



そう言うと妹は僕の走馬灯を拾い上げ、目の前に映し出していく。

獲物を捕らえられず飢えに苦しんだ日、寒さに震え崖の寝床に戻った日、衰弱死寸前の中で魔女に拾われた日……そして、僕が討ち取られ死んだあの日。

僕の眼の前に偶然木の実が落ちてた日、寝床に枯れ葉が溜まっていた日、通りすがった魔女が瀕死の僕に気付いた日……死んだ僕の首が、魔女の家の前まで運ばれた日。



「不自然に思う事はなかった?自分に都合が良すぎると、そう思う事は無かったの?」

「……まさか…そうだったのか……」

「そう。アタシが、全部近くでお兄ちゃんを見てたから起こった事だよ。それをお兄ちゃんは"妹は死んでしまった""自分は孤独だ"って思い込んでたから、ずっと気付かなかったんだ」



ずっと、ずっと独りだと、そう思い込んでいたのか…周りに誰かがいることも、誰かを頼ることもしなかったから…そんな悲劇の身の上を装っていたから…。



「ずっと自分の記憶に蓋をして、私を"認識しないよう"にしてた。ずっと"孤独"を演じ続けていた…でもそういう行動をするってことは、本当は私のことを"知っていた"ってこと。今の私はその"蓋をされた記憶"が形を成したものだよ。だってここは"僕の中"なんだからね」

「……そうだった、お前は、ずっといたんだ…」

「そう。ずっといた…でも僕はそれを認めなかった。何が原因かは分からないけど、きっと大きい獣に襲われたあの日、僕たちが"いなくなってしまった"と、そう心に刻み付けてしまっていた」

「だから僕はお前を…認識することを拒んでいた……そうだ、ああ、そうだった…」

「ふふ、やっとそこに気づいてくれたんだ」

「………ああ」



気付けば僕の身体に張り付いていた泥は殆どが足元に落ち、溶けていた。

思考が以前よりも鮮明になった気がする。きっとこの"認めなかった記憶"が解放されたからだ。



「……ネロには、謝らなければならない。本当に…ごめん」



不甲斐無い…今の今まで彼女のことを異物のように思ってきた。僕の傍を付いてくる、妹を名乗る何かだと思っていた…でも違った。僕がいるべき、守るべき拠り所は、ずっと昔からそこにあったんだ。



「なに謝ってるのさ?」

「…?」

「もしかして、まだ寝ぼけてるんじゃない?ここは"僕の中"だよ?謝るなら本人に言わなきゃね」

「………」



そうだった。ここにいるのは僕の記憶の中に形作られた存在に過ぎない。なら、本人に伝えに行こう。彼女が生前の出来事を覚えているかは分からない。でも、この世界で彼女にやってしまった仕打ちは、詫びなければいけない。



「頭の中はスッキリした?そろそろ歩けるかな?」

「…大分軽くなってきた。でも完全に洗い流していくわけにはいかない」

「持っていくんだね」

「ああ、さっき流れてきた"コレ"は、僕が受けるべき罰だ」



剥がれ落ち、既に殆どが溶けて消えた泥…それが僅かに付着した、足元に転がっている山羊の頭蓋。

拾い上げたそれを再度頭に被る。もう先程のように泥に塗れることも、マザーが現れることもない。ただそこに残った微かな記憶が、ほんのりと頭を圧迫する。



「無理はしない方がいいんじゃないかな?」

「これは僕自身に刺す楔だよ。もう逃げない…それに、きっとこれから何かの手掛かりになる」

「なるほどね…じゃ、私の役目はここまでだね。頭の中に帰らせてもらうよ……もう忘れるなよ?」

「ああ、ありがとう。漸く僕は僕の、果たさなきゃならないことを見付けたよ」

「言ったな?じゃあ期待しておこう。あとはその先を目指すだけ…その道だって、願われなければ途絶えてしまうんだからね」

「……そうか。少しホッとしたよ。それじゃ、僕は戻る」



いつの間にか、妹の姿は消えていた。暗闇の中に一人取り残される。

僅かな光が暗闇に射し、一本の道筋を作る。山羊の頭蓋を剥がされた時、僕の眼球を刺すように煌めいた光…きっとここの、意識の外を示すもの。



きっとこれは、僕が進むべき道に戻れる最後のチャンスかもしれない。意を決して、歩みを進めた―――――――。





――――――――――――





「………………眩しい………。」



眼球が痛い。鼓膜が開いていく。ぼうっとした頭が目覚め始め、ぼやけている視界の焦点が定まっていく。

血が走り、手足の先に熱を伝えていくのが分かる。肺に空気が送り込まれ膨らんでいく感覚が目覚める。身体が徐々に、生命活動を再開していく様が伝わってくる。

自分の頭が身体の目覚めを知覚すると同時に、四肢に蓄積された痛みが湧いてくる。きっと今は肩すら揺らすことが出来ない。

そして最後に、頭部に強烈な鈍痛を受ける。心臓の鼓動に合わせるようにガンガンとその痛みを主張する。

ああ、僕は生きて帰ってこれたのだ――。



「お兄ちゃんっ!!」

「漸く目覚めたか!」

「なんだ、起きたんだ」



聞いたことのある声が聴こえる。そのうち一つは先程も少し聞いたような高い声である。

鮮明になった視界の端からその声の持ち主が僕の顔を覗き込んできた……ああ、よく知っている妹の顔だ。



「……ネロ……すまない…」

「なにがすまないよ!!ずっと看病してたのよ!!もう少し言うこと無いの!?」

「え、あ……」



ただでさえ喉が痛いのに喋らせることを言わないで欲しい…痛みが響く脳を動かし、答えとなる返答をなんとか絞り出す。…きっとこの解答でいいはずだ。



「…ありがとう………ずっと待っていてくれたんだろ…?」

「当たり前じゃないっ!!全く、世話の焼けるお兄ちゃんなんだからっ……!!」



そう言うとネロは僕の胸に突っ伏して泣き出した。身体に響く泣き声が各部の痛みを刺激する。そもそも肋にゴリゴリと頭を擦りつけないで欲しい。……だが、きっとこれでいいはずだ。

漸く久しぶりにちゃんと再会できた妹は、僕の胸の上で顔を埋めた。

漸く動くようになってきた右手を持ち上げ、目の前にいる妹の頭に手をやる。



「…僕を助けてくれてたのはお前だったんだな…本当にありがとう」

「うん…教えられなくて、ごめんね」

「…いや、いい…そうだったのか……本当に、今までごめんな…寂しい思いをさせてしまった…」

「ううん……気付けなかったのも無理ないよ、アタシも…」

「?」



何かを言い淀むとネロは、僕の右手を払い、神妙な面持ちでこちらに向き直る。

暫く言葉を溜めていたネロが口を開いた。



「……実はね、アタシもお兄ちゃんに言わなきゃいけないことがあるの」

「…どうした?」

「…多分ね、偶然だと思うんだけど、お兄ちゃんあの時、アタシを庇ってくれたんだ」

「あの時…?」

「うん。お母さんたちを襲ったあの獣がこっちに来た時、お兄ちゃんが威嚇してくれたの」

「………。」



言われてみれば確かに、そんなことをした記憶がある。

あの時は必至で、生き延びることしか考えてなくて、周りの事なんか殆ど気にしていなかった。



「…あのあと、結局アタシは死んじゃったんだ…でもね、精神は生きてたの。『生きてるか死んでるかわからない状態』を、人間は"シュレディンガー"って言うらしい。きっとそんな状態」

「シュレ…ディンガー…?」

「アタシも風の噂で聞いただけだから本当かどうかは分からないんだけど…でもカッコよくない?」

「ああ…うん」



格好良いか良くないかで言われれば確かに格好いい響きだが…それは果たして本当にその使い方で合っているものなのだろうか…?



「でね…実を言うと、ずっとお兄ちゃんに付いて行ってたんだ…そん時は、自分がそんな状態だと思ってなかったから…いつか気が付いてくれるって思って、ずっとお兄ちゃんにちょっかい出してた」

「………」



知っていた。知っていたさ…姿が見えなくたって、お前を認識できてはいた…それを認めなかったのはこっちだ。



「アタシがこんな状態だって…死んでも生きてもいない状態だって教えてくれたのは、偶然森に来てくれてた魔女さんだった。あの人だけは、アタシのことを認識できていたみたいだった」



そうか…そうだったのか。

"見えなくなっていた妹"と"それを認識していたけど、見ないふりをしていた僕”…やっぱり、彼女が謝る責任なんて何処にもない。彼女を孤独に追いやったのは、結局僕なのだから。



「だからね…この世界に来て、お兄ちゃんに"見てもらえる"ってなった時、凄く嬉しかったんだ…でもよく考えたら、ちょっと強引だったよね…"知らない人"が妹を名乗って、ずっと付いてくるんだもんね…」

「…いや、違うよ…本当は、僕が気付かなきゃいけなかったことだ…僕が死んだあの日、僕の頭を魔女の家まで運んだのは、お前だろう?」

「っ!!なんで…そのことを……?」

「それだけじゃない…僕が"独りで生きていく"中で、ずっと助けてくれていた…本当は気付いていたんだ、お前がいることを。それを僕自身が、認めようとしていなかったんだ…本当に、ごめんな」

「……バカ兄貴…バカ兄貴~~~!」

「ちょ、ま…痛い痛い…!」



両拳が僕の胸をボスボスと叩く。力は込められていないが、満身創痍の全身には響く。

だが、和らいだ緊張はお互いに笑みを取り戻させる。途中からクスクスと笑い出した妹の顔は、とても晴れやかだった。



「…フフッ…やっぱり似たモノ同氏なのかも…やっぱアタシらは"兄妹"だよ」

「……そうだな。これからは――――



その刹那だった。陽の光を降ろしていた窓に一瞬黒い影が過ぎると同時に、ガタゴトと小気味良い音と振動を奏でていた地面が、急に大きな音を立てて傾いた。ギャリギャリと車輪が空転する音が聞こえ、横から強い衝撃が掛かる。

僕を見下ろすような姿勢だったネロは大きく転がっていき、それを静かに見守っていたであろう他の二人もぐらつく足場に足を取られ、声を上げる。

瞬間、頭の片隅に強烈な頭痛が生じた。キリキリと脳に隙間を開けられるような感覚が劈いていく。金切声のような高い音が耳に響き渡り、視界が真っ赤に染まる。――――ああ、そうだった。まだ日常に帰れるわけがなかったのだ。



一旦の衝撃が収まり束の間、見開いた眼に映る天井に穴が開き、一筋の赤い閃光が、僕へと降ってきた。



お久しぶりでございます&明けましておめでとうございます。

暫くぶりですがアルジャーノン更新となります、大変お待たせいたしました。


今回は全編通してナイルくん懺悔質です。ナイルくんが自分の罪を認め、そして意識の底から回復、念願のネロちゃんとの仲直りです。

クロノワール兄妹は何かしら猫モチーフの怪物に関連付けようと思っていたので、キャスパリーグとシュレディンガーを宛がっています。シュレディンガーの猫が怪物や妖怪ではないのはまぁ、そうなんですが…まあ「マクスウェルの悪魔」とか「フランケンシュタインの怪物」とかの例もあるので、良いでしょう


時間が空いたこと、キャラが暴走しがちな事のせいでナイルくんのパーソナルがかな~りフワフワしているのは許して下さいませ。きっと今後、ちゃんとキャラが固まっていくものだと思います。


一旦VSナイルは完結したものの、まだまだ波乱な展開が待ち受けております。列車も止まってなければ諸々の問題の一切が解決していません。なんか降ってきましたし。今後も期待しない程度にお待ちいただければと思います。

ではまた次回でお会いしましょう~

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