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銀狐のアルジャーノン  作者: みょみょっくす
第二部 ルーザーチルドレン
30/33

迷子の子猫と犬のおまわり


真っ暗な中で、絵本を読んでいた。



『キャスパリーグの物語』―――とある戦士が、魔女の使い魔の怪物を退治し、英雄となるお話。



懐かしく、そして腹が立つほど憎らしい物語。

そこに描かれた英雄譚は事実であり、しかし真実ではない。


人間は人間の都合のいいように文献を残す。そして人間以外には興味がない。

死んだ飼い主を待ち続ける忠犬の物語がある。それはそう躾けられたからそうしていた、その選択肢しか思い浮かばなかったからそうしていただけなのだ。

それと同じように、この物語には『キャスパリーグの出自』は描かれていない。

人間が討ち、怪物がなぜ"怪物"と呼ばれるほど人を憎んだか。それは後世には必要のない事柄なのだろう。





僕には生前の記憶が宿っていた。…厳密には、そうであろう内容が瞼の裏に浮かび上がる程度のものだ。

最初の記憶は山だった。産まれてすぐに他の動物に襲われ両親や兄妹を喪い、頼る宛を無くした僕は、たった独りで生きていた。

絶壁の穴倉に住み、日照りの刻は身を潜め、日没と共に動き出す。森に降り、闇夜に紛れて狩りを行う。小動物を貪っては、天敵に狙われぬよう警戒する。もし目が合ってしまったら、身を翻して一目散に逃げる。食事に在り付けなかった日は、落ちている木の実や果実を齧って飢えを凌いだ。…そうやって長いこと一人で生きていたが、自然は過酷で残酷だった。

山の急激な天候の変化は自身の体調も、山の生態系も崩し始める。実らない果実、姿を消す弱者、飢えて日夜徘徊する天敵、それに目を付けられた病患の半端者…。

黒く艶のあった毛並みもボソボソに荒れ、湿りきった泥土の上で息絶えようとしていた。

「誰か、誰か助けてくれないか」…天涯孤独を誓いながらも、情けなくそう懇願していた。



次の記憶は暖かい、揺らめく暖炉の火から始まった。

「森の魔女」―――村人からそう呼ばれていたその女性は、多くを語らず僕を連れ帰り、そして村はずれの一軒家で僕を飼いはじめたのだ。

魔女は村人から迫害されていた。確かに不気味で不愛想な部分はあったが、僕から見る分にはそんなに悪い人間には見えなかった。むしろ植物や自然と共存し、それらの恩恵に肖る為に日夜勉強を積み重ねる姿を見ると、その在り方は開拓と豪語し自然を荒らしまわる一部の村人よりは善良に見えた。何より、僕を優しく撫でるその手つきは悪に手を染めたものとは思えなかった。

初めて誰かに助けられる経験を経た僕は、その甘美に浸かるようにして彼女の庇護下に入っていった。もう暗い洞窟で寝ることも、天敵に襲われることも飢えることもない…これほど恵まれた環境にいられることは奇跡以外の何物でもない。まさに理想郷だった。

しかし、そんな奇跡の時間もそう長くは続かなかった。ある日、村の祭りに参加すると言って出ていったまま、魔女がこの家に帰ってくることは二度と無かった。

どうやら魔女は、村の者達に火あぶりにされ殺されたみたいだった。腸が煮えくり返りそうだった。それは僕を世話してくれる人が居なくなったからではなく、初めて僕を救い出してくれた優しき彼女が、ただ『魔女』だという風評だけで忌み嫌われ、挙句殺される、そんな人間の俗世に対してだった。

僕はいつしかそんな愚かな人間たちを見返そうと…『魔女』と呼ばれた彼女の使い魔として報復してやろうと、そう考えるようになっていた。



最後の記憶はその顛末。

僕は魔女の遺した書物から魔術や薬術を覚え、猫とはかけ離れた姿を取れるようになっていた僕は、魔女を殺した村を襲った。

魔女を迫害したであろう年老いた村長やその付き人、悪評を振り撒いた井戸端の婦人、魔女の家に何度も押し入ろうとした男衆……怒りや蔑みの表情で魔女と接していた者はみんな覚えている。それら全員の顔に傷をつけ、一夜にして村は壊滅した。

惨劇の最中、村から逃げていった者も残さず粛清するつもりだった。近隣の村も巡り、そして手当たり次第に襲っていく。そして『村を襲う怪物』の噂は広がっていった。

悪評が広がることは好都合だった。それが広がれば広がるほど、人間の醜悪さは際立っていく。彼らは根本的な自らの過ちを自覚せず、表面的な脅威として捉える。ある村はそれが"森の怒り"だと言い見当違いな生贄制度を作り、またある村は"村の中に怪物がいる"と噂が広がり、疑心暗鬼のなかで自滅した。

果てしない時間の中で『村を襲う怪物』には『キャスパリーグ』という名称がつき、そして、それはついに王都の高名な騎士達が出動するまでになる。

仕方ないのでそれらを迎え撃つと、王都の騎士は「これを見ろ!」とこちらに呼び掛けてきた。

王都の騎士達は誰かを拘束したままこちらに迫ってきた。その人物とは、あの時火あぶりにされたはずの魔女の姿だった。

身に覚えのあるその姿に僕は攻撃を躊躇った。これ以上迷惑をかけなければ魔女を返すと言う騎士達の交渉に応じようとした…その背後を突き奇襲を受けたことは言うまでもない。

結局、騎士達が連れてきた魔女もただの影武者でしかなかった。さらにその影武者も、奴隷を誂えさせたものだった。早い話が、その影武者でさえ消耗品だったのだ。

故人を道具のように扱った。僕に産まれて初めて手を差し伸べてくれた人間を無下にした。脅威が排除できるなら、同族を犠牲にすることすら厭わない。結局人間は、何処までいっても自分勝手だった。



「ジョン、私達の理想へは、近付いているでしょうか?」



真っ暗な中で本に夢中になっていた。背後から柔らかな声が聞こえる。とても安らぐ、聞きなれた声…長い間を共にした、愛しき母の声。

マザーは僕の隣にいて、安らぎを与えてくれる人だった。この世界に生まれ落ち、右も左も分からぬ中で僕を導いてくれた人。そしてその理想は、無意味な悪意の伴わない理想郷の創造だった。

そしてマザーも、かつて人の悪意に苛まれた人だった。その姿が、僕に手を差し伸べてくれたあの魔女と重なって見えた。だからこそ、この世界では彼女を救わなければならないと、魔女と同じ道を辿らぬようにと、そう願って彼女に付いて行った。



「ええ、マザー。貴方のお力添えがあったからこそ、こうやって『家族(レギオン)』を増やせます。あとは妹さえ家族になってくれれば…」

「貴方は妹さんを……いえ、その妹さんは私達に、どのような"理想"を見せてくれるのでしょうか」



山羊の髑髏を被ったマザーは僕に理想を問いかける。

"家族"の大半を失い、拠点を出払った僕は今、その失態の責任と今後の指針を問われている。僕が彼女に与える理想は嘘偽りないものであると、証明しなければならない。それがマザーへの、せめてもの罪滅ぼしである。



「僕の妹は…目を閉じると姿や触っているものを透明にできる"理想(ちから)"を持っています。先日僕がマザーの力添えで開発したこの薬は、使用者の能力の解釈を拡張する効果がある…今、自分もその効果を使い、視覚を通して"家族"を制御しています。この薬と妹の能力を併用すれば、"見えない国"を作ることだってできます」



"見えない国"―――外界から完璧に見えない国を作ってしまえば、他者から侵略される恐れも無くなる。それだけじゃない、運び込む物資も、新たな参入者の勧誘も透明になって行えるのだ。マザーは人々の心を統一する能力がある。人々が悪心を抱くこともなく、誰にも邪魔されず、永遠の平和を手に入れることが出来る。その平和の礎として、妹を使う。




―――妹は物心付いた時には隣にいた。

生前の僕には妹なんていなかった。だからずっと困惑していた。彼女が僕を慕っていることは分かっている。だが、だからこそ、無償で自分を慕っている彼女を、ずっと警戒して生きていた。魔女やマザーのように誰かに蔑まれた過去があるわけでもない、誰かに縋っているわけでもない。かつて僕がマザーと共に出奔する際も、彼女は快くそれを承諾した。


何故だ?


利己的な考え方をするのが生き物ではないのか?誰かの悪辣に晒されるからこそ、誰かに優しくできるのが生き物ではないのか?昨日だってそうだ、十年近くも会っていなかったのに何故「会いたかった」と言ってくれる?あそこまで酷いことを言っておいて、何故自分の主張を通しつつこちらの提案に乗ってくれる?


はっきり言って不気味なのだ。


僕は別に、無償で慕われるような存在ではないのだ。誰かに手を差し伸べたことのない人間が、慕われるはずなんて無いのだ。なのに、彼女は絶対に、僕を慕う事をやめない。

だから、その心を試してみようと思った。僕を慕う気持ちが嘘偽りでないなら、僕が慕うマザーの理想にも従ってくれる筈だと。



「そうですか。では、その妹さんを手に入れに行きましょう」

「ええ、僕にお任せください!必ずマザーの下へ妹を、ネロを連れて帰ります」

「その必要はありませんよ、ジョン」

「…え?」



返ってきた言葉は予想外のものだった。山羊の髑髏を被ったマザーは距離を詰めると僕の左肩に手を置く。

そっと置かれた左手はドロドロと変質し、僕の左半身を包むように同化していく。



「なにをしているんですか…マザー…?」

「貴方が妹を…ネロさんを連れ帰る必要はありません。この場で、私が歓迎いたします」

「な、なにを言っているんですか…?だってマザーはまだアジトに…」

「そうでしょうね。なので私が、貴方を"家族"として迎えます」

「ちょ、どういうことですか…?僕は今まであなたの家族じゃなかったと…」

「ようやく飲んでくれましたね、私の"血"」

「っ!!」

「先程貴方が言っていましたね、"私の力添えで開発した薬"だと」

「まさか……僕のことも"家族(レギオン)"にするつもりですか!?」

「ええ、そうです。今までよく働いてくれました。これからは私と一つとなりましょう」

「ま、待って下さい…‼それじゃあ僕は……っ!!理想郷は……っ!!」



身体がドロドロと黒く変色したマザーによって浸食されていく…確かに僕はマザーの目的には賛同していた。だがそれは隣で肩を並べるために、彼女がかつての魔女のようにならないようにするためであり、決して隷属化する事ではない…それもこんな"騙し討ち"みたいな方法で……!!



「理想郷は…大願は私が成します。貴方はそれの礎になってくれればいい」

「それは…っ!別に僕を操らずとも……っ!」

「不安の種は摘み取るのが最善です。真の平和、悪意なき平等は思想の瑕疵があっては成り立ちません」

「そんな……僕がそんなことするとでも…!?」

「…正直、貴方が一番厄介だったのです。過去の記憶に従い、妄信的に拠り所を求める者はいずれ拠り所に牙を向く…私は、貴方の"憧憬の代わり"ではありません」

「…………っ!!」



マザーが頭の髑髏を脱ぎ、そして僕に被せてくる。

髑髏の裏側に広がるのはかつてのマザーが経験した断片的な記憶の渦…それが頭に流れ込んでくる。その中で僕は初めてマザーの"素顔"を見た。

自分の意識が上書きされていくのが分かる。いままで"家族"にされた何百という人も、こうだったんだろう。薄れ行く意識の中、僕は懇願した。



『誰か、誰か助けてくれないか』



―――情けなく、そう懇願した。






―――――――――





「「うおォォォォぉぉォォォ!?!!!!??」」



突然血を吐き、叫び声を上げるナイル。

背中から生えた三本の尻尾が大きく暴れまわり、窓ガラスを叩き割る。

頭から生えた角がギリギリと軋り、まだ生身の残る右手が頭を押さえ悶える。

その様子を見て唖然とするミラルカと、冷や汗をかくネロ。



「…さっきなにやったの?」

「……多分だけど、さっき胸に刺してきたアレ、たぶん抗生剤」

「そんなものどうやって」

「…さっきね、まだ貨物室にいた時ね、一瞬だけど"視た"の。赤い錠剤と、赤い薬が入った注射器……それと一緒にポケットに入ってた透明な薬のアンプル」

「それって…」

「多分あの透明なアンプルが、もしもの時に使う為の非常措置…!お兄ちゃんはきっと、意識が無くなる直前に、アタシにそれを"送って"くれたんだ!」

「なるほどね。じゃああの人を殺さずにすむかもね。見て」



改めて異形のナイルに向き直る二人。膝を付き抱えた頭から伸びる角がより巨大に伸びている。そして背中から、さらにもう一本、先程とは違う青黒く細い尻尾が伸びている。



「今、たぶんあの人の中で二つの魂がせめぎあってる。ひとつは元からあるやつ、もうひとつは横入りしてきた『獣』のやつ」

「あの角が…?」

「そう。たぶんアレが"本体"。アタシの目的は『獣』を殺すこと」

「…わかった!じゃあアタシはお兄ちゃんを助けるね!」

「うん、行くよ」

「オァァァぁぁァァァァあああッッ!!!!!!」



一本の尻尾が薙ぎ払うように二人を狙う。二人はその場から消え、そして救うべき、殺すべき対象の頭上に飛び出した。






―――――――――







貨物車内に乗客を入れないように内側から全力で盾を押し込んでいた私達だが、いつの間にかジリジリと、なだれ込む乗客に競り勝っていることに気付いた。今までは盾の隙間からでも乗客の腕や足が伸び、掴まれたり、叩かれたりしていたがそれもない。



「…群衆の統率が乱れてる?」

「てか、数減ってねぇか?」

「ああ…『なんか』が起きたみたいだな」

「どっちにしろ結果オーライか、この機を逃す手はねぇ、突っ切るぞ!」



そう言うとバーナードは盾を離し、貨物室の奥に駆け込んだ。いくら群衆が減ったとはいえ、私だけで持ちこたえられるようなものじゃない。徐々に私に掛かる重圧が増えていく。



「おい!一体なにやってんだ!?」

「こお……すんだよぉ!!」



貨物室の奥、先程私が寝ていた小麦粉の麻袋を手に持ち、勢いを付けて放り投げてきた。

麻袋は低い放物線を描きながらこちらに向かって飛んでくる。



「さっさと退けアル!巻き込むぞ!」

「言われなくても…っ!」



抑えていた盾を離し横へと飛び退く。

次の瞬間、群衆にぶつかった麻袋は盛大に弾け飛び、中の小麦粉を大量に周囲に散布する。大量の粉が顔に張り付き身動きが取れない群衆は互いにぶつかり合い、そしてバタバタとその場で倒れていく。

小麦粉が風に流され外を確認すると、入り口を中心に放射状に爆発した小麦粉が通路部分に白い半円を描き、その周囲に余波で巻き込まれた乗客達が山を作って気絶していた。



「ふぅ~~…ウマくいったぜ。ウマく行きすぎたかもしんねぇな」

「アルも巻き込まれるところだったんだが…?」

「退けって忠告はしたハズだぜ?」

「ギリギリにな。…しかしこんな思いっきり破れるモンなのか?麻袋って」

「……そんなモンなんじゃねぇの?ラッキーパンチってヤツだラッキーパンチって」

「…………。」



いや、嘘だな。絶対に嘘だ。

そもそもそんな景気良く爆発するなんて普通あり得ないんだ。具体的に何かは知らないが、バーナードは今、確実に自分の能力を使った筈だ。



「しかし、何人か放り出されてないか心配だな…」

「そこは安心しな、力加減は抑えたからよ」

「…そう…『力加減』……ね」

「な、投げる時の勢いの話だ…それより今がチャンスだ、ガキどもに合流するぞ!」

「はいはい、言われなくても、ね」



山になった乗客を上り、まだ右往左往している群衆を掻き分け、時には殴り付けながらミラルカ達が飛んだであろう客室を目指す。



「…なあ、走りながらでいい」

「ああん?どうした」

「折角二人になったんだ、一つだけアルの質問に答えてくれ」

「なんだ?吊り橋効果で秘密の告白か?オレはいつでもウェルカムだぜ?」

「今だけはとぼけるなよクソ犬。これは真面目に、アルの心に折り合いをつけるための質問だ」

「…いいぜ、聞いてやるよ」



正直に言えば、別に今じゃなくても良かった。だが一つ、バーナードに聞いておきたいことがあった。

それを確認しなければ、今後彼との関係は破綻する。そう思ったからだ。



「…なんでガズベルグと組んで『麻薬』なんて運ばせたんだ」

「…あの依頼の話か」

「ああ。元々ロクでもねぇ奴だとは思ってたが、アンタはその一線は越えないと思っていた」

「…そーだな、確かにそうだ。普段ならあんなことはしねぇし、却下する」

「じゃあ、なんで…」

「世の中にはな、汚ねぇ手を使ってでも遂行しなきゃいけない正義もある。そういうことだ」

「はぐらかすな。…知ってるだろ、アルや師匠…は、それが嫌いだって」

「ああ、知ってる。だから気付いてほしくなかったんだ」

「…気付いちまったんだ、仕方ないだろ。それに渋ってる以上、アンタにもそれをした理由があるんだろ」

「…まぁな。これ以上追及されんのも面倒だし、今巻き込まれてるこの事態がそれに関係あんなら、粗方オマエにも教えといて良いだろう」



貨物車を抜け、これから客室に入るというところ。入り組んだ鉄骨の通路を渡り終え、乗客達の襲来も一息付いた。一旦体勢を立て直すと共に、お互いに重要な会話をしたい。

走りながらでいい…とは言ったものの、客室の扉を開けるその前に、私達の足は完璧に止まっていた。



「あの依頼で運ばせたのは公安で管理してる禁薬、それのダミー品だ」

「…ダミー品?」

「そうだ。本来厳重な法と機密の下で運用されなければいけない薬品の情報を、公安から流出させた馬鹿がいる」

「そりゃ、アンタんとこのお腐れ組織だったらそんなヤツが一人二人出てもおかしくないだろ」

「それに関しちゃ否定は出来ねぇが……禁薬に関する事項はトップシークレットだ。製造法もブラックボックス、現存するかどうかすらも怪しい。"だからヤバい"」

「…?どういうことだ」

「いいか?そもそもそんな真偽不明の薬品の情報が、そこら辺の木っ端保安官なんかに分かるわきゃねぇんだよ!だから"ダミー品"なんだ!」

「……ッ!そうか、それを"あることにされる"のがマズいのか!」

「そうだ、それがバラ撒かれれば公安の信用は地に落ちる。…それに加え、仮にその製法をでっち上げていた場合、実物と全く効能の異なるじゃじゃ馬が世の中に流布される…一番危険なのはこっちだ」

「なるほどな…アンタがそのダミー品を危惧してることは分かった。だがそれが前回の依頼に繋がるとは到底思えねぇ、むしろ真逆だ!アンタはそのダミー品をアル達に運ばせたんだろっ!?矛盾しているだろそれはっ!!」



言っていることが無茶苦茶だ。これじゃ言い訳にもならないし、これを正当な行為だと言い張るならそれこそただの人格破綻者だ。

だがバーナードの顔は至極真面目だ。いつものように皮肉めいた煽り顔をしているわけでもない。感情的になっていたが、その顔を見てまだ一応は話を聞いてやろう、そう思った。

ここからは長くなるのを悟ったのか、一度気分を落ち着かせる為にタバコを吸うバーナード。吐いた煙が風に流れ、私の鼻腔を掠めていく。



「ハァ~…突っかかって来るとは思ったさ。…いいか、ここまでが前置きだ」



一服を終えると手摺にタバコを押し当て火を消し、そのまま落として足で蹴り退ける。しなしなに縮んだタバコが連結部の隙間に落ち、一瞬にして視界から消える。



「…オレは極秘裏にその”情報を流布した馬鹿”を炙り出すよう上層部から任務を受けていた。んで、粗方の目星を付けるとこまでは調査を進めた……そこまでやって、そこまでやってだ。上層部は突然捜査を打ち切ったのさ。何故だと思う」

「……何故って、そもそも捜査を中断するメリットはない筈だろ」

「普通はそうだ。自分の組織の機密情報を漏らしたヤツなんぞ罰せられて当然だ。だが、それは恐ろしく不自然に打ち切られた……恐らくは"上からの圧力"だろうよ」

「圧力……バッドカンパニーか!?」

「十中八九そうだ…しかし、捜査の打ち切りが馬鹿の吊し上げをやめる理由にはならねぇ……単刀直入に言えば、オレがやり玉に挙げられたんだ」

「そんな…!?信じられんな…」

「きっと今までもこうやって面倒な事を処理してきたんだろう、だからテメェらみてぇなのと連んでる不良保安官を足切りせずに残しといたんだろうよ」

「………。」



有事の際は素行不良の人材を切る…それなら内部の心象も悪くならないし、外向けには堂々とポーズを取れる。実際私達の知る公安はバーナードを通して見せられていた側面が多く、彼の素行がアレなのもあって"公安そのもの"へのヘイトは向いていなかった…カンパニーに媚び諂ってる以外は特に表立った不祥事も聞かなかったが、それがここまで酷いものだったとはな…。



「まあ、まだ業務は残ってるし大組織がそう易々と決断できるワケでもねぇ。少なくともこの仕事が終わるまではオレは公安所属さ」

「…アンタも大概だと思ってたが、想像以上の腐敗っぷりだな」

「だろ?だがお陰でひとつハッキリしたことがある……流布された情報がバッドカンパニーの系列に流れてるってコトだ。そうじゃなきゃ調査を打ち切る意味はねぇからな」

「わざわざ向こうから尻尾を出してくれたってワケか」

「そういうことだ。オマケに馬鹿の方も自動的に特定が出来る…案の定、オレが目星を付けていた当人で間違いないようだった。オレはそいつを管理下に置き、同じ業務に当たらせた…それが今回の『列車強盗事件』の調査だ」

「っ!」

「オレはこの事件の調査を行う傍ら、ホシが尻尾を出すのを観察した…だが、ソイツは既にこっちの状況を把握していた。かなり無茶苦茶な方法を使われて取り逃がしちまった」

「詰めが甘いんじゃねぇのか?そこまで分かればさっさと取り押さえられるだろ」

「上を説得するには確実な証拠ってのが必要になる…それに、やり玉に上がってる以上迂闊な行動はむっしろ逆効果だ。オレの立場を悪くしちまう」

「お役所仕事ってのは面倒臭いな」

「オマエらみたいなアウトローとは違うんだよ。んで、どうしようかと考えていた時、ガズベルグから持ち掛けられたのが…」

「………『麻薬の運搬』」

「そうだ。カンパニー直系の製薬企業、レッドソイル社で作られた新薬…つまりダミー品をカンバスタで売り捌く建前で、麻薬を強奪するアナグマを利用し、列車強盗団の根城を暴き出す」

「それはガズベルグからも聞いた。だが、だからと言ってアンタがそれを依頼する理由には…」

「ここからは公安じゃない、オレ個人の私情が入る」



バーナードが二本目のタバコに火を点ける。もういい加減ミラルカ達に合流しなければいけないが、それはそれとしてこの話は聞いておかなければならない。



「……まだ長くなりそうか?」

「あと少しだ、手短に行こう」

「さっさとしろ」

「了解…まあここまで言っといてナンだが、オレはぶっちゃけ公安の汚職やら隠蔽やらはどうでもいいんだ。オレも同じようなことやってるワケだし、自分にやられても文句は言えねぇ…だが、公安という社会秩序を守るシステムが機能しないのは解せない。カンパニーの一声でそれを牛耳られるのは頂けねぇ。だからこそ、この件を大事にして、"見て見ぬふり出来ねぇ状態"に持ってこうとしたのがオレの魂胆だ。だから"オレ個人"の名義での依頼にしたんだ」

「…アンタが自ら騒動を公にして引っ掻き回そうとしたのか?」

「そんなとこだ……その為に、現地調査には何も知らねぇオレの同僚を送り込んだ。クソ真面目なアイツなら、ダミー品による被害もそのまま上に伝えるだろう。そうなれば公安としては動くしかなくなる」

「広い視点で見れば、公安の襟を正させるために一役買って出たってとこか…まあ、言い分は分かった」

「理解してくれたか?」

「理解出来ないな!結局それは薬による被害が出ること前提のクソみてぇな独善じゃねぇか!大を救えるなら小を犠牲にしてもいいのか⁉だったらネロだけ助けに来んじゃねぇよカスがっ!!」



不思議なものだ。私は自分でも気付かぬうちに、バーナードに怒声を浴びせていた。

どうやら私は心の内で、彼の言い分が自分を納得させるに足る内容であると期待して、そう確信したうえで彼の話を聞いていたようだ。馬鹿なもんだ、そんな確証は何一つも無かったのに、勝手に信じて、勝手に裏切られた気になって、勝手に怒鳴っていた。

そして、そんなことを口に出してしまった後で考えたところで、流れ出てしまった言葉も感情も止まらない。今湧き上がってしまったこの気持ちを吐き出すことでしか整理がつけられそうにない。



「…さっきも言っただろ、世の中には汚ねぇ手を使ってでも遂行しなきゃいけない正義がある。より大多数を救えるシステムを元に戻すんなら汚れ役を買ってもいい」

「それがアンタの正義だってのか!?ふざけるな!巻き込まれてる奴らのことも考えろ!!」

「…報いは受けるつもりさ。どっちにしろ、この仕事が終わればオレは独房行きだ」



一丁前に神妙そうな面持ちで詭弁のような言い分けを並べるバーナードが苛立ちに余計な拍車をかける。



「やり切った顔して逃げるんじゃねぇ!!結局全部他人任せじゃねぇか!!大体そのダミー品ってのは一体…ッ!!」

「それは…」



ガシャアアアァ!!



目を逸らそうとするバーナードの襟元に掴みかかったその時、前方車両で大きな音がした。

一拍置いて、透明な礫のようなものがバチバチと私達に降りかかる。礫が流れてきた方向に目をやると、前から3両目の客室の窓ガラスが弾け飛んでいた。間違いなく、夜に私達が騒ぎを起こした車両である。

収拾のつかない口論を窘めるのはいつだって何も知らない第三者の介入だ。ヒートアップしすぎた私の脳みそも優先順位を改め直す。ここでこんなろくでなしにキレている場合ではない。



「…オレはオマエの質問に答えた、それをどう受け取ろうとオマエの勝手だ。急ぐぞ、アルジャーノン」

「…………ッチ、今回だけだ。この鉄道から降りるまでだ、仕方ないからそこまで手を貸す……」

「…割り切って行こうぜ、お互いによ」

「…そうだな」



どちらにせよ、この状況はこいつと手を組み続けないと脱出できない。ミラルカとネロの安否も気になる。浪費した時間も含め、藪をつついて蛇を出しちまったのは私の方だ。

あんな質問するんじゃなかった…そんなこと言っても後の祭りだ。



「…行くぞ。悪い予感しかしない」

「アレで悪い予感以外がしたらそいつはイカれてるだろうぜ」

「それもそうだな」



鉄道が大きく緩いカーブを走る。前方に見える客室は、まるで汽車のように禍々しい赤黒い煙を噴出している。鉄道も更に加速している。

私だけが立ち止まっていた。今はただ、余計なことは考えずに、前を向いているしかないのかもしれない。




お疲れ様です、みょみょっくすです。

今回は前回の続き、ナイルの深層世界での出来事と、バーナードの目的の二本立てです。


ちょっと時系列がごちゃごちゃしてますが簡単にまとめると


ナイル、薬に手を出し深層世界で問答

→薬の影響でマザーに精神乗っ取りをかけられる

→ナイル、薄れ行く意識の中でネロに抗生剤のビジョンを飛ばす

→それを把握したネロがミラルカと共にワープ

→ミラルカとナイルが戦うどさくさに紛れてネロがナイルから盗み傷口に押し込む

→ナイル悶えはじめ"家族"の制御が崩れる

→アルジャーノンとバーナード、貨物室から脱出成功

→アルジャーノン、バーナードからいろいろ聞いてブチギレ


といった流れになっております。

さて、これでそろそろVSナイルのゴタゴタもクライマックスへ……?

一先ず次回もまたよろしくお願いいたします~

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