宝の山で黒猫は
日の暮れた街並みは想像以上に静かなものだ。
鼻に纏わり付いた料理の匂い、脳に染みる酒の香り、耳に張り付く客の喧騒…そういったものたちが、冷たい夜風と共に流されていく。思えば今日は長いこと店にいたもんだと感じる。
昼間に各所で出発の準備をしていた商人たちは皆既に出発したか、上流街に出て宿にでも泊まっているんだろう。それもそうだ、この地域はならず者の巣窟…夜に積荷を置き去りにでもしていたら、朝にはキレイさっぱり無くなっているだろうからな。
「…で、どこに行くってんだ?」
「え、えと、こっち…」
いつにも増してよそよそしくネロが先導する。
そりゃあ、今朝あんなことがあったばかりだ、怯えるのは仕方ないとも思うが…馬鹿がデフォルトのこいつが大人しいとこちらまで調子が狂う。呼び出したのなら、それなりに肝を据えてきてくれ…なんか申し訳なくなってくるだろ…。
ネロの指示に従い日の暮れた街を歩く。彼女の行く方角は徐々に薄暗く、より静寂が強くなっていく。次第に場を包む空気が悪くなっていく…倒れ放置されたゴミ箱、ハエと戯れる浮浪者、補装が成されていない道…ここまで来ればもう、彼女の行きたいところがどこなのかは見えてくる。
「着いて来て欲しかったのはここか?」
「う、うん」
「ハァ…相変わらず臭ぇトコだなぁ…」
『ダストボックス』…私が武器を漁りに来る、スラム街の広場に形成されたゴミの山だ。
身寄りのないガキや浮浪者共が最終的に行き着く社会の底辺、生きる方法を知らない人間が辛うじて生を謳歌する最後の楽園。そして…この泥棒猫が生まれ育った故郷でもある。
「ここにアルを呼び出して何をするんだ?」
「ちょっとこっち来て」
「まだ奥に行くのかよ…」
私が普段ここを散策するのは主に入り口付近に聳え立った鉄屑資材の中からだ。それ以外の部分は基本的にその時居合わせたここのガキどもに手伝わせている。だからあまり深部の方には入らない。
と言うか、普通の人間なら奥に入ることすら躊躇うだろう。入り口ならまだしも、奥はもうゴミとも呼べないようなヘドロの沼だ。悪臭も相当なもの、いくら洗濯しても脱臭不可能になる。ネロはそっちの方まで私を誘導する。
明かりの一つもない入り組んだ足元は、少し気を抜けばあっという間に足をすくわれる。おまけにこちとら隻腕だ、バランスを取るのすら難しい。一方、この細く長く入り組んだゴミとガレキの隙間を、ネロはスラスラと軽やかに渡っていく…もう少しこちらへの配慮はないものか…。
「…ここ、ここで話そ」
「…ほ~、奥にこんなとこがあったなんてね」
「眺めいいでしょ?」
一頻りゴミの山やヘドロを潜り抜けた先で目にしたのは、長い間放置され、無残に横たわった巨大なクレーンと、それを囲むように広がった大きな広場。広場には所々布製のゴミなどを活用して作られたテントのようなものがあり、中から光が溢れている。よく見ればその配線は全て中心のクレーンから引き延ばされたもののようだ。以前ここは業者が管理するゴミ処理場跡地だと言ったが、その時の配線はまだ生きているようだ。そしてそんな広場は景観を遮るものが一切ない。空を見上げれば、そこには満天の星が散りばめられている。
ネロは身軽にクレーンの残骸によじ登ると、ここへ来いと手招きする。私も彼女に連れられ、並んでクレーンの残骸に腰を据える。
「…で、こんなとこに呼んどいてなんの用だい?」
「あそこの家、見える?」
ネロの指差す方向には、ぺしゃんこに潰されたテントがいくつか見える。元々がゴミの継ぎ接ぎだから判別は付きづらいものの、明らかに外的な力が加えられたひしゃげ方をしている。
「…あれをやったのは今朝のヤツらなんだよ」
「なるほどね、だからアンタは仕返しをしてやりたかったと?」
「うん」
「たかが寝床を潰されただけじゃないか、お前らならすぐに立て直せるだろ?」
「そうじゃないんだ…!」
「ほう?」
「…あの家、小っちゃい子やおじいさん達が中にいるままだったんだ…!」
「………」
…成程ね。こいつが怒るのも無理はない、か。
「あの悪いおじさん達、よくここに来るんだよ…」
「なんでこんなとこに?」
「『しさつ』って言ってるのを聞いたことあるけど…来るたびにアタシの仲間に暴力振るっていくんだ」
「視察…ねぇ。」
「だからみんな怯えてる…アイツら、アタシたちを人として見てない…!」
あのガキどもが怯えてたのはこういう事か…。
確かに、ここにいる奴らは皆、人間としての最低限の生活すら贈れない哀れな奴らだ。しかしそれを咎めることは誰にも出来ないし、やってはいけない。ここの人間は逞しく生きている、それはあのガキどもの顔を見ればわかる。それを踏みにじったことを、ネロは許せなかったんだろう。
「ガズベルグは何とかしてくれなかったのか?」
「ガズ兄ちゃんは…こっちの相手をしてくれない。忙しいんだって」
「ハァ…アイツらしいというか、卑怯な奴だな。んで、アンタがここをなんとかしないとって思ったのか」
「うん」
「なるほどねぇ。だからガキどもを連れ出してまで、あんなことをやったのか」
「…うん」
「それで、どうなった?」
「……」
ネロは俯いて黙りこくってしまった。
そりゃそうだ、結果として仕返しは失敗。偶然私があそこにいなけりゃ、ネロは最悪殺されていたかもしれないんだ。そうなった場合、ガキどもの心の傷はより深いものになる。報復は報復を呼ぶ…その連鎖を、最悪あのガキどもが担っていたかもしれないんだ。それを一番悲しむのは当の本人だろが…。
「気張るのは良いが、今のアンタにはなんも出来ないだろ?自分を高く見積もり過ぎだ」
「…でも、そうしないとまたみんな虐められる。ガズ兄ちゃんは頼れない、お金がないからアル姉ちゃん達にも頼めない。ここの人たちは、ここの人たちでなんとかしないといけないんだ」
「だからと言って、全部お前が背負い込む必要もねぇだろ?」
「ここの人たち、みんな後ろ向きなんだ…未来に向かって生きてない。みんな牙を持ってない」
「だからお前しか動かなかったのか?」
「うん…大人はみんな『別にいい』って言ってた。アタシは、それは可笑しいと思うんだ…」
「負け犬根性が染み渡ってんのかい…」
底辺を歩む人間は、最終的に全てを『諦め』てしまう。
その諦めは自分の惨めさからか、はたまたその境遇からか…理由は山ほどあるだろうが、そうなった人間は自身を主張する術を失う。行動力を失う。そして、学ぶ術を失う。あとは生存にのみその思考を働かせる。無知ゆえに希望を持つ子供と違い、無知ゆえに思考を放棄するのが大人だ。そんな大人を見て子供は育たない。だからここのガキどもは、希望と行動力を手に入れたこいつに懐いているのだろう。
ただ、同じガキならやれることも限られる。今、こいつは無力でしかない…歯痒いだろうなぁ。
私は気を落とすネロの頭にそっと手を乗せた。
「…気を落とすな、お前は正しい」
「でも結局、みんなを危険に…」
「だが正しいことが全てじゃない。時には耐えなきゃいけないこともあるし、頭を使わなきゃいけないこともある。お前がガズベルグといる時上手くいくのはアイツの知恵があるからだ。『おかしい』と思える気持ちがあるなら、お前はまだまだそれを身に着けられる」
「アル姉ちゃん…」
「最終的にここのゴミ山とガキどもを引っ張ってくのはお前なんだ。大人の意見は無視しろ、お前はお前が思うように強くなれ」
「あ、ありがとう」
「ただ、まだまだお前はひよっ子だ。今日みたいな勇み足だけはするなよ」
「わ、わかった…」
「それでいい」
慰めて、気持ちを前向きにさせながら釘を刺す。今私に出来んのはこれくらいだ。
あとはこいつが一旦心を落ち着かせて、またいつもの調子に戻ってくれればいい。さっきのが効いたのか、少し瞼を張らせながらいつもの笑顔が戻ってきた。
「ねぇ、アル姉ちゃん」
「どうした?まだなんか言いたいことでもあるのか?」
「アタシ、ここに孤児院を作りたいんだ」
「はぁ?何を唐突に…」
「こっち来て!」
肩を並べて暫くして、突然ネロがそんなことを言い出した。
突拍子もない提案に呆気に取られたが、それを他所にネロは立ち上がってクレーンから飛び降りる。まるでこっちの事なんぞ気にしていない。
クレーンを降りると、ネロはスタスタと小さなゴミ山へと向かう。その中は絶妙なバランスで形作られた空洞になっているようだ。ゴミ山の一部をくり抜き、その中へと入っていく。
「見て、これ!」
空洞の中には大量の硬貨の山が積み重なっていた。ガルバ、ベルグ、リーベル、それ以外の特殊貨幣も…こんな光景、大航海時代の書物でしか見たことがない。
「これは…全部お前がスッた金か!?」
「確かにそうだけど、殆どガズ兄ちゃんとのお仕事で受け取った奴だけだよ」
「ここに貯めてたのか…どおりでお前、普段金使ってるとこ見ない訳だわ。幾らあるんだ?」
「分からない…でもガズ兄ちゃんは『ここの土地を買うには安すぎる』って言ってた」
まあ確かに、これだけの量じゃ家の一件も買えないだろう。
だが、どうやら私が心配する必要もなかったようだ。こいつは既に、自分で考えその行動を起こしている。どれだけ長い道のりかは分からないが、彼女は立派にここを守ってくれるだろう。
…まあ、頭と手癖が悪いのは何とかしてほしいが。
「アタシ昔さ、小さいとき、シスター・アンに育ててもらったんだ」
「シスター・アン?」
「そう、シスター・アンネリーゼ。旅をしながら小さい子を育ててる修道女さんだよ」
「ほぉ~、そんなのがいたのか」
「本当に小さいときに少しだけ、ね。その時はまだお兄ちゃんも一緒で…」
「ちょっと待て、お前兄がいるのか!?」
「え、知らなかった?」
「初耳だった…」
さっきから知らん事がポンポン出てくるな…まあ、私もこいつの事を知ろうとしなかったのも事実だし、そこは仕方ないか。こいつは巷では悪名高きスリ常習犯だ、煙たがられて当然の存在だったんだ。だが、さっきの話を聞いててこいつへの偏見は少し揺らいだ気がした。
いい機会だし、いろいろ聞いておきたい。
「で、兄はどこ行ったんだよ…?」
「その時にね、シスターについて行っちゃったんだ」
「そのアンネリーゼとかいうのの旅に同行したってことか?」
「うん。お兄ちゃんはすっごいシスターに懐いててさ、出ていくときも『シスターの支えになれば』って言ってた」
「…お前を置いてったのか」
「いーや、違うの。アタシから残ったの」
「残ったって…このゴミ山にか?」
「うん。その時もアタシより小さい子が沢山いてさ、その子たちの事を放っとけなくて…」
「なるほどねぇ…んで、そいつらはどうしたんだよ?」
「みんな死んじゃったりここを出てったりしたよ…でも、今みたいに小さい子はいっぱいいるからさ」
「そうか、お前は昔からここの『おねーさん』なんだな」
「うん。だってそうじゃないと、みんなの面倒見る人いなくなっちゃうからさ」
話を聞けば聞くほど、こいつへの価値観を改める必要が出てくる。
こいつはただ手段が悪手なだけで、心根はあまりにも純粋なやつなんだ。そしてその悪手でさえ、彼女の中で最適な方法で、且つこの街、身分で生きるための最適解なんだ。
彼女がスレずにこのゴミ山で生きていること…それがシスター・アンネリーゼとやらの教育の賜物なのだろう。
「じゃあ、結果としてお前がなりたいのって…」
「うん、シスター・アンみたいになりたい。シスター・アンみたいになって、ここをもっといいところにしたいんだ。だからまず、ここを良くするために家を建てるんだ。そして、少しでもみんなが安心して暮らせるようにしたい」
「…ッフ、そうか。これからも頑張れよ」
「うん!」
「まあ、精々チンピラに絡まれないようにするんだな。そこのゴミ山も、もう少しちゃんと隠しておかないとバレるかもしれないからな」
「アル姉ちゃん…な、内緒だよ!?」
「どーだかなぁ?うちも食費が無いから持ってくかもしれねぇぞ?」
「そ、そんなことしたらアル姉ちゃんから盗むからね!?」
「出来るもんならやってみるんだな~」
夜風は色々なものを洗い流す。怒りも、悩みも、悲しみも。
そこにいた黒猫の顔からは、今朝の険しい表情は消えていた。
世間が煙たがっているその少女は、ただ不器用なだけの、心優しい少女だったのだ。
第二部第三話の投稿になります。
今回は、今まであまり触れられて来なかったネロちゃんのエピソードから。
じつはここまでのお話を『過去の残り香』で纏めたかったんですが、書いていくうちに長くなってしまいズルズルと引きずることになってしまいました。
ここまでで、第二部のプロローグは終わりとなります。次回からまたいろいろ事が起こっていくので乞うご期待です。
それでは、次回もよろしくお願いします~。




