第三章 Ⅰ.蒼の影、赤と黒の舞台
揺れる木の葉。頬を撫ぜる夜風。下を見れば、暗闇の中に仄かな明かりの漏れる小さな家が浮かび上がる。固くゴツゴツした感触。遥か下の方に見える地面。私は今、高い高い木の上にいる。隣にはユノ。別の木の上にはアシル。木の葉に身を隠し、私達は息を潜める。
――何故私達がこんな所にいるのか。それは数時間前まで遡る。全てはユノのあの一言から始まった──。
+―…†…―+
『青薔薇族に気付かれたかもしれません』
今朝、一番に聞かされたのがこの言葉だった。私が寝ている間にユノが何者かの気配を感じ取ったらしい。彼によるとそれは青薔薇族のもので間違いないだろうとのことだった。
青薔薇族の姿を見た訳でもないのにユノがそう断言できる理由、それは彼らがその場からすぐに退いていったからだという。だから私のことも起こさなかったのだと。私には何故それだけのことでそう言い切れるのかいまいち理解できなかったけれど、ユノとアシルが言うにはこれが彼らのお決まりの戦法らしい。
青薔薇族の代表騎士であるエルヴァとラウルは相手に気付かれず敵を見つけ出し、ターゲットがそこからすぐには移動しないと踏むとその場から一旦離れ、日が沈んでから暗闇に紛れて奇襲をかけるのだという。今まで多くの人々が彼らの手によって地獄を見てきたらしい。しかし、これは黒薔薇族の代表騎士達にとっては殆ど意味のないこと。何故なら彼らは人の気配を察知することに長けているから。先に気付かれてしまってはこの戦法は全く意味をなさない。
休戦中にも拘わらず薔薇族の間では有能な騎士を狙った奇襲が後を絶たなかったという。理由は只ひとつ。そう、全てはローズゲームのため。ローズゲームが始まる前に代表騎士になり得る者を始末してしまおうという訳だ。そのため、エルヴァとラウルもこの方法でユノとアシルを仕留めようとしたのだけれど、その時は見事に失敗したらしい。
+―…†…―+
だから今回も返り討ちにしてやろうって訳だ。青薔薇を刈り取るために私達はこんな所で彼らを待ち構えている。一度失敗しているのだから今回も同じ方法を取るとは限らないのではないか、初めはそう思ったけれど、彼らの失敗は一度や二度じゃない。彼らはこの方法で幾度となく黒薔薇を討ち取ろうとし、そして幾度となく返り討ちにされてきたらしい。それでも彼らがこの戦法で多くの人々を仕留めてきたのもまた事実。頭がいいのか悪いのか、よくわからないふたり組だと思う。もしかしたらただ意固地なだけなのかもしれない。
「アンジェリカ、来たみたいですよ」
不意にユノが私の耳元で囁いた。見れば、深い青のドレスを纏った少女と群青色の髪のふたりの青年の姿が。いや、ひとりは『青年』というより『少年』といった方が正しいかもしれない。
ひとりは背が高く、体つきもがっしりとして、どことなく威圧感があった。この位置からではよくわからないが、ユノやアシルよりずっと大きいと思われる。青年の手に握られた拳銃は、恐らくユノや私が持っているものと殆ど大きさは変わらないのだろうけれど、彼が持つことでそれはとてもとても小さく見えた。それに対し、もうひとりの騎士は随分と小柄だった。もしかしたら隣に立つ少女よりも小さいかもしれない。男とはいえ、その小さな身体のどこにそんな力があるのか、彼は自分より遥かに大きな斧を軽々と担いでいた。この場合、普通武器は逆ではないだろうか。少女を挟むようにして立つふたりの騎士はどう見てもアンバランスだった。
「あれが青薔薇……?」
「はい。背の高い方がラウル、低い方がエルヴァです。因みにエルヴァはあれでもアシルと同い年です」
「えっ……!」
以前聞いた話ではアシルは確か17歳。私が『少年』と称した彼がアシルと同い年とは驚いた。背が低い上に童顔なものだからてっきりか13か14程度だと思っていた。ユノの言葉があまりにも意外で、私は青薔薇族に向けていた視線を思わず隣にいるユノに向ける。
声を潜めながらとはいえ、彼といつものように会話をすることで少し気持ちが緩んでしまったのかもしれない。一瞬でも油断してしまった私が悪いと思う。だけど、ほんの少し青薔薇族から視線を外した間にまさかあんなことが起こるなんて誰が想像できよう。
何の前触れもなかった。いきなりユノに抱きすくめられ、私は訳もわからず彼の腕の中へ。
――刹那。
派手な爆発音。
激しい爆風。
それは一瞬の出来事だった。恐る恐る下を見ればそこには炎に飲み込まれた小さな家が。驚いたなんてもんじゃない。本当に心臓が止まるかと思った。
「……ばく、だん……」
「はい、これが彼らの戦法です。全く……今回も派手にやってくれましたね。今夜は野宿になってしまいそうですが、我慢して下さい」
呆然とする私にユノは後で迎えに来ます、と笑いかけると銃を握り、木の上から飛び出していった。
パァン
拳銃が唸り、銃弾が放たれる。狙うは青薔薇姫。ラウルが身を挺して少女を庇うも僅かに避けきれず、少女の頬を銃弾が掠める。
パァン
放たれた二発目。ラウルの腕から迸る赤い赤い鮮血。続けて別の木の上で待ち構えていたアシルが大剣を振り上げ、切りかかる。落下のスピードを利用し、いつもより威力の増した刃で青薔薇姫を狙う。
キンッ
間一髪。ギリギリのところでエルヴァが斧で大剣を受け止めた。しかし、勢いのついた剣は重く、彼は少女共々地面へ倒れ込む。
「なっ! お前ら、なんで……!」
「残念だったなぁ。家の中には誰もいねぇよ」
「くそっ……!」
耳をつんざく銃声。
甲高い金属音。
恐怖に染まる少女の悲鳴。
迸る鮮血。
燃え盛る炎。
赤と黒が支配する舞台で彼らは残酷な不協和音を奏でる。恐怖劇の唯一の観客は私。特等席で物語の行く末を見守る。
息を殺して。
じっと動かないで。
音を立てては駄目。見つかったら私も役者の仲間入り。恐怖劇の主役なんて絶対に嫌。
黒薔薇優勢。青薔薇は姫を護ることで精一杯。鮮やかな赤が舞い、青薔薇は少しずつ赤に侵蝕されてゆく。黒薔薇の勝利は時間の問題だと思った。それなのに──。
「きゃっ……!」
突然吹いた強い風。その風に煽られ、バランスを崩した私。足場をなくしたその身体は重力に逆らえず、下へ向かう。――落ちるっ……! 枝を掴もうと私は咄嗟に腕を伸ばした。幸いにもその手は枝に届き、身体が地面に叩きつけられることはなかった。だけど、安心はできない。だって……。
役者がひとり増えた。さぁ、主役交代の時間が訪れる。
「見ぃつけた」
青薔薇は私を見据え、不敵な笑みを浮かべた──。