Ⅳ.姫と私
あの日──ユノとアシルに出逢った日から私はずっと独りだった。いつも彼らが傍にいたけど、私は独りだったの―…。
彼らが見ているのは
彼らが呼んでいるのは
彼らが護っているのは
彼らの傍にいるのは
“私”じゃないの
ユノとアシルは“私”を通して“姫”を見ている。ふたりだけじゃない。この国の人全てが“私”を通して“黒薔薇姫”を見ている。私はお姫様の代わりでしかないの。生まれ変わりだか何だか知らないけれど、私は本当の姫じゃない。それ以前にこの国の住人ですらないのだから。私は読心術なんて使えないから彼らの本当の気持ちなんてわからないけれど、私にはこれがただの思い違いだとは考えられなかった。
――だって、そうでしょう? 初めて逢った人間を自らの身を危険にさらしてまで助けるはずがない。だけど、彼らは私を助けた。私の名前を知っていたくらいだから、もしかしたら、ふたりは以前から私のことを知っていたのかもしれないけれど、逢ったのはあの時が初めて。それなのに彼らは私を助けた。
理由は簡単。私が黒薔薇姫だから。
私が黒薔薇姫の生まれ変わりじゃなかったら彼らは私を助けただろうか? いや、それ以前にいきなり命を狙われるようなこともなかっただろう。
黒薔薇が助けたのは誰?
白薔薇が殺そうとしたのは誰?
それは“姫”であって“私”じゃない。
ユノとアシルに『姫』と呼ばれるたび、胸の奥がズキリと痛む。だけど、名前で呼ばれたところで何も変わらないのだと気付いてしまった。あの日、アシルが私のことを『アンジェリカ』と呼んだのはやはり気のせいではなかった。あれから彼は私のことを徐々に名前で呼ぶようになり、気付けばユノまでも私を『アンジェリカ』と呼ぶようになっていた。『姫』ではなく名前で呼んでもらえれば少しはこの気持ちを誤魔化せるのではないかと思った時期もあったけれど、表面だけ繕ったって結局は何も変わらない。ただ虚しいだけだ。
――ねぇ、貴方達のその笑顔は誰に向けられているの?
“私”の価値って何?
“私”の存在理由って何?
私はその答えを見つける術を知らない。
だけど、たとえユノとアシルが“私”を見ていないとしても私は彼らを信用している。これは嘘じゃない。だって、私が黒薔薇姫である限り、彼らは私を絶対に裏切らないから。
――歪んだ考え方だって? そんなこと自分が一番よくわかっている。本当は純粋に彼らを信じたい。だけど、私は強くないからこんな歪んだ考え方しかできないの。信じて信じて、それでも裏切られたら? そう、これは傷付かないための自己防衛。私は弱い人間だから。
どうして私が姫の生まれ変わりなのだろう。これは偶然? それとも必然? 私である必要があるの? だって、もし他の女の子が黒薔薇姫なら貴方達はその子を護るのでしょう? もし、私が黒薔薇族以外のお姫様だったら貴方達は私を殺すのでしょう? それなら誰でも同じじゃないか。私が黒薔薇族のお姫様である必要なんてどこにもない。偶然の運命になんて振り回されたくないの。
でも、もしそうでないなら……何故私が姫の生まれ変わりなの?
全てを知りたい。
何も知らないままでいたい。
矛盾していることはわかっている。でも、もう自分で自分がわからないの。
ユノとアシルは“私”のことをどう思っている? 彼らにとって“私”の存在って何? その答えを知りたい。でも、全てを知ってしまうのが怖い。そんな風に思うのは、きっと心のどこかで僅かに期待をしているからなのだろう。ふたりが“姫”じゃなくてちゃんと“私”を見てくれているのではないかと。全てを否定する私と淡い期待を抱く私。交錯する想い。本当の想いはどこにある?
――私は、何を信じたらいいのかな……?
この時の私は何も知らなかった。彼らの本当の気持ちも、彼らの私に対する想いも、そして私達に忍び寄る蒼い影があることも──。