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    Ⅲ.偽りの光、真実の闇



 ――ねぇ



 私を呼んで?




 ――違う



 そうじゃない



 貴方が呼んでいるのは



 “私”じゃないわ―…










 +―…+†+…―+



窓の外を見ると、いつの間にか仄かな朱色を纏った闇は、全てを呑み込んでしまいそうなほど暗く深い漆黒へと姿を変えていた。私はこの国で数回目の夜を迎える。あの双子と接触して以来、私達は他族を見掛けてはいない。――このまま何も起こらなければいいのに。無理だとわかっていながらも私は幾度となく平穏を願った。この数日間は偶々何も起こらなかったけれど、いずれ他族と衝突することになる。避けたくても避けることなんてできないってわかってる。わかってるけれど……。それでも尚、平穏を願う私は愚かなのだろうか。


私は机の上に肘を付き、小さく溜息をついた。薄汚れた窓ガラスは翳った私の表情かおを映し出す。私は窓ガラス、正確に言えばそれが映し出すものを見て、もう一度溜息をついた。黒いドレスを纏った少女。ガラスに映るその姿は紛れもない自分のもので―…。嗚呼、制服を着ていた頃に戻れたらいいのに。


「……皆、どうしているのかな……?」


誰に問う訳でもないその言葉はくうに吸い込まれ消えていく。答えなんて期待していない。そもそもこの部屋には私ひとりしかいないのだから。アシルは外に行ったきりで、ユノは戦闘時以外まで武器なんか見たくないないだろうと私に気を使い、隣の部屋で銃の手入れをしている。私の言葉を聞いていた人なんてひとりもいないのだから答えなんて返って来るはずがない。


ひとりだからこそ零れたこの言葉。ひとりの時に思うのは元の世界のことばかり。――父さんはどうしている? 母さんは? ロゼは? きっと皆心配している。華の国《この世界》と人間界《私の世界》の時間の進み方には違いがあるかもしれないけれど、長い間留守にしていることに変わりはないのだから。


目が覚めた時、そこが見慣れた自分の部屋だったらどんなに嬉しいだろう。寝起きの悪い私を家政婦のモニカさんが起こしに来てくれるの。起きないと遅刻しますよお嬢様、って。ダイニングの扉を開ければ母さんが優しい笑顔で迎えてくれるの。おはようアンジェリカ、って。


これがただの悪い夢なら覚めてしまえばそこで全てが終わるけれど、これは現実という名の悪夢。覚めることなど永遠にない本当の悪夢。


またひとつ溜息が零れ落ちる。ひとりでいると駄目だ。浮かぶのは暗いことばかり。しかし、だからといってユノやアシルと一緒にいれば大丈夫という訳でもなかった。彼らとは大分親しくなったし、ふたり共私にとても優しくしてくれる。私もふたりのこと嫌いじゃない。だけど、彼らの傍にいるのは“私”じゃないから―…。


机に突っ伏し、私の中で渦巻く闇を言葉として吐き捨てる。小さく呟いたそれもまた誰に届くこともなく、空に消える──はずだった。


「ただいま、アンジェリカ」


誰もいなかった。誰もいないと思っていた。それなのにすぐ近くで名前を呼ばれた。驚いた私は悲鳴に近い声を上げ、勢い良く後ろを振り返った。その反動で椅子が傾き、派手な音を立てて椅子ごと床に倒れ込む。隣の部屋からドンッと何か床に落ちたような音が聞こえたのはその直後のこと。そして、乱暴に扉が開かれ、ユノが部屋に飛び込んできたのはその数秒後のことだった。


「姫ッ! どうしましたか!?」


血相を変え、声を荒げる。今のユノからはいつもの冷静さなど微塵も感じられない。私の声と派手な物音に驚いたのだろう。これほどにも慌てた彼を見るのは初めてだった。でも、それは束の間のこと。部屋の様子を見た次の瞬間にはユノの焦りに満ちた表情はきょとんとしたものに変わり、彼はドアの近くで立ち止まってしまった。


部屋にいるのは私とアシルのふたりだけ。他族の姿もなければ、荒らされた形跡もない。勿論私もアシルも無傷。ユノがそんな顔をするのも無理ないだろう。


「何でもねぇよ、ユノ。俺が後ろからいきなり話し掛けたから姫が驚いちゃってさ。それだけだよ」


「……ぇ」


――さっき名前を呼ばれたのは気のせい……? 後ろから聞こえた声。『アンジェリカ』と呼んだそれは確かにアシルの声だった。だけど、今、彼は私のことを『姫』と呼んだ。


「そうですか。姫に何かあったらどうしようかと思いましたよ」


「見ての通り何もねぇよ。姫もごめんな、驚かせちゃって」


「……えっ……ううん……」


戸惑いながらも私は差し出されたアシルの手を取り、立ち上がる。何でもないと知り、ユノは放置してきた銃の手入れの続きをすると部屋から出て行った。それを聞いたアシルが俺も武器の手入れをする、とユノを追う。私は呆然と彼らの背中を見送った。そして、私はまた部屋にひとり。静寂の中、『アンジェリカ』と呼んだテノールが頭の中で反響する。気のせいじゃない。やっぱりあれは気のせいじゃない。


「どうして……」


今まで私のことをそんな風に呼んだことなんてないのに……。独り言を聞かれてしまったのだろうか。いや、違う。ただのアシルの気まぐれ、きっとそう。ふらふらとベッドに近付き、私はそのまま倒れ込んだ。枕を抱き寄せ、顔を埋める。


「でも……やっぱり私は“黒薔薇姫”なのかな……」










代用の姫君、偽りの私。

私の心に巣くう闇を彼らは知らない──。



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