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    Ⅱ.黒の包帯


「……ねぇ、本当に大丈夫?」


「だーいじょうぶだって。姫は心配性だなぁ」


「……だってぇ……」


もう何度目かになるこの会話。私は馬鹿の一つ覚えみたいに『大丈夫?』と繰り返す。アシルの右腕に刻まれた痛々しい傷。怪我をしたその腕で無理をして大剣を振るったせいか、真っ赤な血は今もまだ流れ続けている。決して軽いとは言えない傷なのにアシルは大丈夫だと言い張り、その傷を放置したままだった。私を庇ったがためにできた傷。アシルは私に非はないと言うけれど、どうしても責任を感じずにはいられない。そんな想いが溢れ出し、言葉となって唇から零れ落ちる。『大丈夫?』──この言葉を何度繰り返したって意味をなさないことくらいわかっているけれど……。せめて止血だけでもできればいいのだが、生憎包帯は勿論、今はハンカチすら持っていなかった。――嗚呼、どうして制服のポケットにハンカチを入れっぱなしにして来ちゃったのかしらっ!


ないとわかっていながらも私はポシェットの中を探った。その手に触れるのはユノとアシルに半ば強引に渡された拳銃とナイフだけ。何となくそのナイフを取り出し、手の中で転がす。──こんなもの何の役にも立たないじゃない。所詮人を傷つけるためだけの道具。それは人を癒すことなんてできない。手の中のナイフに八つ当たりしたい気持ちを抑え、それをポシェットに戻そうとしたその時、私にあるひとつの考えが浮かんだ。こんなものでも役に立つかもしれない。


「姫ッ!? ちょっと待て! 何してんだッ!?」


私は突如立ち止まり、ナイフでドレスの裾を切り裂いた。布の裂ける音が静かな森に大きく響き渡る。ユノもアシルも私の突然の奇行に驚いたようで、慌てた様子を見せた。


「ほらアシル、しゃがんで」


動揺するアシルを有無を言わせぬ強い口調でしゃがませ、彼の腕につい先程までドレスの一部だった黒い布を丁寧に巻きつける。不格好な包帯だけど、何もしないよりはマシだろう。


「俺は大丈夫なのに……。姫のドレスがボロボロになっちまったじゃねぇか」


「ちょっと丈が短くなっただけよ。このドレスは私のものなんでしょう? だったらどう使おうと私の勝手だわ。……はい、終わり」


私が布を巻き終えるとアシルはありがとう、と呟いた。照れたようにはにかむ彼はちょっとばかり可愛く見えた。










 †



「これなら大丈夫そうですね」


「はぁ……やっと、ね……」


あれから暫く歩き、私達は漸く石造りの簡素な家を見つけた。小さめなその家にはベッド、テーブル、椅子など必要最低限の家具が備え付けられている。埃っぽいけれど、長年放置されていた割に傷みはそれほど酷くはなかった。実はここに来る前に数軒、木造の家屋を見つけていたのだけれど、どれも傷みが激しくてとても使える状態ではなかった。そのせいで相当な距離を歩く羽目になり、足がパンパンになってしまった。もうこれ以上歩きたくない。私はこんなにも疲れているというのに、涼しげな顔のユノとアシルに僅かに苛つきを覚える。


「大丈夫ですか、姫?」


「ちょっと大丈夫じゃないかも……」


私は近場にあった椅子の埃を払い、それに腰掛けた。大分埃を被っていたから多少抵抗はあったけれど、そんなことよりも早く座りたいという気持ちの方が大きかった。


「あまり無理しないで下さいね。あの時も遠慮しなくて良かったんですよ?」


「いや……あれは……」


ユノの言う“あの時”とは何軒目かの廃屋を見つけた直後のこと。既に疲労がピークに達しかけていた私にユノがある申し出をしてくれたのだけど……。










 +―…+†+…―+



「柱が腐りかけてますね……」


「また、ダメなの……?」


「そうですね、これではちょっと……」


「うそぉ……」


歩き始めてからどれくらいの時間が経ったのか、時計を持っていない私には正確な時間なんてわからない。だけど、その時間は決して短いものではないということだけは確かだった。休むことなく歩き続けてきたのだから歩いた距離だって勿論短くはない。


「もう……いつになったら見つかるのよ……」


いつまでも進歩のないこの状況に私はガックリとうなだれた。ただでさえ疎らにしかないというのにそのどれもが使えないとなるとだんだん嫌気が差してくる。


「すいません。こんなに歩かせてしまって……」


疲れたかと問われ、私は素直に頷いた。まだ頑張れるから大丈夫、とでも言えればよかったのかもしれないけれど、そんな余裕すらない程に私は疲労していた。


「それなら──」


「……え?」


ユノは私のすぐ側まで来ると私の肩とひかがみに腕を回した。次の瞬間、私の足は地を離れ、ふわりと身体が浮き上がる。顔を上げれば、すぐ近くにユノの顔が。


――そう、俗に言うお姫様抱っこだ。


「い、いいよっ! こんなことしなくて! 降ろして降ろしてっ!」


「でも、お疲れでしょう?」


「そ、そうだけど……でも、大丈夫だからっ!」


私は顔を真っ赤にしながら必死に訴えた。その姿は滑稽に見えたかもしれない。でも、この状況にどう対応していいのかわからなくて、私にはこれが精一杯だった。


私が通うのは名の知れたお嬢様学校。男子禁制のため先生も全員女性。そんな女学園に幼稚舎から通っている私は親と親戚以外の男の人と殆ど関わったことがなかった。


――つまり、こういうことに免疫がない。


この状況は初めてじゃない。城に連れて行かれた時もそうだった。だけど、あの時の私と今の私とでは置かれている状況が違う。ここがどこなのかわからない。彼らを信用していいのかわからない。先の見えない未来に怯え、抱えきれない不安に押し潰されそうだったあの時の私には周りなんて見えていなかった。今の状況も決して良いものとは言えない。寧ろ悪い方向へ進んでいる。でも、今は信用しても大丈夫だと思える人が傍にいる。それだけでほんの少し気持ちにゆとりが生まれたのかもしれない。気恥ずかしさを感じるのはきっとこのせいだろう。あの時にそう感じなかったのはそこまでまで考えている余裕がなかったというだけの話だ。歩かなくてもいいなんてかなり有り難い話。その上、その有り難い申し出をしてくれたのが羨ましいくらい綺麗な顔立ちの青年となれば、本当なら文句のつけようがない。だけど……熱くなる頬、大きくなる心音。何だか無性に恥ずかしくて、そんな自分に堪えきれなかった──。










 +―…+†+…―+



だから私は疲れた身体に鞭打って無理矢理ここまで歩いてきた。私のことを気遣ってくれたユノの気持ちは嬉しいけれど、あんなことされたら心臓が保たない。一度座ってしまうともう立つ気にはなれず、私は椅子に腰掛けたままぼんやりとふたりの会話に耳を傾けた。


「なぁユノ、これからどうすんだ?」


「しばらくは様子を見ましょう」


「こっちから仕掛けねぇの?」


アシルはベッドに積もった埃を払いながら会話を続ける。片手で口元を覆っているため声が籠もり、聞き取りづらい。バシバシと叩くようにして払うものだから彼の周りには大量の埃が舞い上がっていた。それ程広くない部屋だからか、窓を全開にしているにも拘わらず、それは忽ちに部屋中に広がっていく。余りの埃っぽさに私は思わず顔をしかめ、両手で口元を覆った。


「この近くで他族を確認した場合は仕掛けましょう。ですが、探してまで仕掛ける必要はないかと。探すとなるとどうしてもここを離れなくてはいけません。姫から離れるのは危険ですし、かといって連れて行っても危険な目に遭わせてしまう可能性が高い──って、アシル!もう少し加減してはたいて下さい!」


次々に舞い上がる埃にユノも口元に手を当て、綺麗な顔を僅かばかり歪める。口元を覆っているとはいえ、平気な顔をして埃を払い続けるアシルが私には不思議でたまらなかった。


「……ねぇ、逆に仕掛けられた時って大丈夫なの? 出口を塞がれて、火でも付けられたら……」


彼らの話を聞いていてふと思った。家の中って一見安全そうだけど、本当にそうだろうか。火を放たれればきっとひとたまりもない。窓の近くにいたら外から狙撃される可能性だってある。


「御心配なく。アシルと交代で見張りをしますし、それに完全に気配を消せる人なんてそうはいませんから。仕掛けられる前に気付くことができればいくらでも手の打ちようはあります」


「ユノは僅かな気配でも察知できるんだ。俺もユノ程じゃないけど、人の気配を察知するのは得意な方だから安心していいよ。そんなことよりさ、少し寝たら? 疲れてるだろ?」


アシルはそう言って、先程まで乱暴に叩いていたベッドを指差す。近づいてみるとそれは意外と綺麗だった。


「……貴方達は? アシルとユノだって疲れてるでしょ……?」


「僕らは交代で眠りますから大丈夫ですよ。僕らのことは気にせず、ゆっくり休んで下さい」


「そうそう、俺達は大丈夫だから」


「そう……? ありがとう。じゃあ……少し眠らせてもらおうかな」


彼らの言葉に甘え、私は柔らかいベッドに身を委ねる。疲れのせいか、横になると私はすぐに夢の世界へ墜ちていった。










現実はまるで終わりの見えない悪夢。それならば……お願い、せめて夢の中では優しく穏やかな世界を──。



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