第二章 Ⅰ.黄薔薇の襲撃
黒薔薇の騎士と共に宵闇に染まる森へ。絶え間なく吹く風に無数の木の葉が揺れる。そのざわめきはまるで不吉の前兆のようで、私にはとても不気味なものに思えた。
身に纏うは漆黒のドレス。頭上を彩るは漆黒の髪飾り。姫の証だと聞かされたそれは、率直に言ってしまえばターゲットとしての目印。こんなもの脱ぎ捨ててしまいたかったけれど、そんなことは勿論許されはしなかった。
「……これからどうするの?」
「取り合えず使えそうな家屋を探そうと思います」
「……家屋? ここって人が住んでいるの?」
「住んでいた、と言った方が正しいですね。昔、ここは特別な場所で様々な種族が共に暮らしていたそうです。今は誰も住んでいませんけどね」
家屋、と聞いて私は少し安堵した。いつ終わるかわからない、いつ襲われるかわからない、そんな状況下で何日もこの広大な森の中をさまよい歩かなければいけないのかと不安だった。ユノの言葉から野宿だけはどうにか避けられそうだ。
「……どうして誰もいなくなっちゃったの?」
「内戦が始まって皆逃げちまったんだってさ。ここって薔薇族の領土に囲まれてるからさぁ。ほら、地図で見ただろ? 薔薇族が内戦してたらそりゃこうなるよ。姫だって周りが内戦してるような所に住みたくないだろ?」
「……そうね」
「まぁ、そういう訳でこの森には廃屋が至る所にあるんですよ。そのどれかを拠点にして動こうと──伏せて!!」
パァンッ
ユノが声を張り上げたすぐ後に銃声が響いた。アシルに思いっ切り突き飛ばされたのはそれとほぼ同時。突然の出来事に私の身体は反応できず、無防備のまま地面へ叩きつけられた。
「「あーあ、外れちゃったかぁ」」
ボーイソプラノが重なる。顔を上げ、声の聞こえた方を見やるとそこにはふたりの少年が立っていた。夜闇に映える金髪とシャンパンゴールドの瞳。ふたりの少年は同じと言っても過言ではない程よく似ていた。そんな彼らの唯一の違いは髪型で、ひとりは短髪、もうひとりは肩まで伸びたその髪を後ろでひとまとめにに束ねている。ふたりが身に纏うくすんだ黄色のジャケットはユノとアシル、そして銀髪の青年──ジャンのものとよく似ていた。ユノとアシルは黒、ジャンは白。ならば黄を纏う彼らは黄薔薇族であろう。私よりもまだ幼く見える少年の手には拳銃がしっかりと握られている。
そして、少年達の後ろには淡い黄色のドレスに身を包んだ少女がひとり。私とさして年が変わらなく見える彼女は、私と同じ、憐れな薔薇姫の運命を背負った黄薔薇の生まれ変わりだろう。
黒薔薇と黄薔薇。両者は相手の様子を窺うかのようにお互いを見据える。緊迫した空気の中、ふいに少年が口を開いた。
「見ろよ、セオ。バカアシルが代表騎士なんて驚きだな?」
短髪の少年は意地の悪い笑みを浮かべ、わざとこちらにも聞こえるように隣に立つ片割れに問い掛けた。
「本当だね、テオ。黒薔薇にはもっとマシな騎士はいないのかな?」
髪を結んだ少年がそれに応える。挑発するような声も小馬鹿にしたような表情も、そして、名前までもそっくり。短髪がテオ、長髪がセオ。なんてややこしいのだろう。
「……相変わらず生意気な双子だな。お前らが代表騎士だって方が驚きさ」
アシルは顔をしかめる。それはもう嫌そうに。苦虫を噛み潰したようとはまさにこのことだろう。
「生意気? 事実を述べたまでさ。なぁ、セオ?」
「そうだね、テオ。それに僕らはバカアシルと違って優秀な騎士だからね。僕らが選ばれたことは当然のことだよ」
「あ?」
「何? 聞こえなかったの?」
「しょうがないよ、セオ。バカアシルは僕らと違って耳も悪いみたいだから」
「……テメェらのその口、二度と利けねぇようにしてやろうか……?」
アシルの手は背中の大剣に伸び、静かにその柄を握った。肩は小刻みに震え、彼の怒りが見て取れる。そんなアシルの様子に、双子はニヤリと笑う。
「「できるならね? お馬鹿さん♪」」
綺麗にハモったその一言でついにアシルがキレた。柄を強く握り大剣を引き抜く。アシルが一歩踏み出し、双子も銃を構えた。ついに始まる、そう思った刹那、ユノがアシルの肩を掴み、それを制した。
「なんで止める?」
大剣は構えたまま、アシルはチラリとユノを振り返る。いつもより低い声とその表情からアシルの機嫌の悪さが窺えた。
「そんな頭に血が上った状態では黄薔族薇の思う壺です。すぐ彼らのペースに飲み込まれてしまいますよ。それに利き腕がそんな状態で満足に戦えるんですか?」
辺りが暗いとはいえ、何故今まで気が付かなかったのだろう。驚いた私は両手で口元を覆った。アシルの右腕には痛々しい傷。きっと先程の銃弾から私を庇った時だ。大したことない、とアシルは言うけれど、私には大怪我に見える。思わずその痛みを想像してしまい、私は自分の身体をギュッと抱きしめた。
「今回は僕に任せて下さい。まだゲームは始まったばかりですよ? 無理にやり合って何になるんですか?」
その言葉にアシルは押し黙る。ユノの言うことは正しい。それ故にアシルは何も言い返せず、わかったと一歩下がった。
「ではアシル、姫をお願いしますね」
「……ああ」
アシルは庇うように私の前に立ち、絶対に離れるなと言った。彼の背中は大きく、私の視界の大部分が覆われてしまう。私は彼の背中から少しだけ顔を出し、静かに辺りの様子を窺った。
「どちらが相手をしますか? それともふたりで掛かってきます?」
ユノの声色が変わった。初めて会った時と同じ、殺気を含んだ低音。場の空気も一気に重みが増し、緊張が走る。
「なめられたものだね、セオ」
「まったくだね、テオ。僕らはふたり掛かりで向かって行くほど弱くもないし、バカでもないさ」
「僕らが姫から離れたら絶対にこの子を狙ってくるもんね。それくらいわかってるさ。そう簡単に姫は殺らせないよ? なぁ、セオ?」
「勿論さ」
「そうですか。では、どちらが先に地獄を見ます?」
ユノは笑みを湛えたまま双子に問う。しかし、目は笑っておらず、張り付けたようなその笑みは私に向けられる穏やかなそれとは全くの別物だった。
「なぁ、セオ?」
「わかってるよ、テオ。やりたいんだろ?」
「流石だね、セオ。姫をお願いね」
「任せといて、テオ」
「僕が相手をしてあげるよ、ユノ。地獄を見るのはどっちかな?」
短髪の少年──テオは銃を構える。張り詰めた空気。呼吸をすることすら躊躇われるように思えた。
「怖いか?」
「……え」
アシルに言われてハッとする。無意識の内に私は彼のジャケットを握り締めていた。小刻みに震えるその腕は何とも情けない。
「……怖くないって言ったら、嘘になるわ……」
「大丈夫だって。ユノは強ぇし、俺だってついてるから」
その言葉に私は小さく頷いた。だけど、この恐怖をそう簡単に拭い去ることなどできない。アシルが私の不安を和らげようとしてくれているのは十分に伝わってくるのだけれど、頭に浮かぶのは良くないことばかりだった。
銃を構え、彼らは相手の様子を窺う。どちらが先に動くのか、どちらがこの戦いを征するのか。心臓がドクンと脈打つ。
パァンッ
先に動いたのはテオだった。耳をつんざくような銃声が空気を震わせる。ユノはその一撃を軽々と避け、右手に握った銃を唸らせた。暗闇の中、両者は躊躇うことなく引き金を引く。飛び交う銃弾。絶え間ない銃声。鉛の雨は止むことがない。
「なぁ、アシル。僕らも遊ぼうか?」
セオがニヤリと笑う。彼は後ろに少女を庇ったままこちらに銃口を向けた。引き金に指をかけるのが見え、私は反射的に頭を引っ込めた。
銃声が響くのと同時にアシルが動いた。彼はその身の丈程もある大剣で銃弾を見事に弾き飛ばす。金属がぶつかり合う嫌な音が空気を震わせた。
「バカアシルにしてはやるじゃん? でも、いつまで耐えられるかな?」
「姫ッ! 頭引っ込めてろ! 絶対俺から離れるな!」
意地悪い笑みを浮かべ、セオは容赦なく引き金を引く。しかし、放たれた銃弾はアシルの見事なまでの剣捌きで全て弾かれた。怪我をしているというのにアシルの手元は少しも狂うことがない。
「……ちくしょう、これじゃ切りがねぇ」
防御は完璧。だけど、こちらには攻撃の術がない。剣と銃、遠距離戦ではやはり銃の方が有利だ。アシルひとりなら銃弾を防ぎながら距離を詰められるかもしれないけれど、今は私がいる。そのせいでアシルはこの場を離れられない。傷を負ったその腕で身の丈ほどもある大剣を振るい続けるのは限界があるばず。今は完璧な防御でも崩れるのはきっと時間の問題だろう。
「……ちぇッ、弾切れか」
セオがマガジンを素早く交換する。しかし、その銃身から再び銃弾が放たれることはなかった。セオの驚いたような声と共に彼の手から銃が弾き飛ぶ。銃弾が途切れた一瞬をつき、ユノがセオの銃を撃ち落としたのだ。
「セオ! 大丈夫か!?」
「余所見なんてしていていいんですか、テオ?」
テオの腕から鮮血が迸る。テオがユノから目を離した一瞬のことだった。悔しそうに顔を歪めるテオに対し、ユノは余裕の笑みを湛える。
「テオ! 誰かこっちへ向かって来る! 厄介だから一旦退こう!」
ハッとした表情を見せたセオは突然声を張り上げた。誰か来る、彼は確かにそう言ったけれど、そんな気配は微塵も感じられなかった。
「わかったよ、セオ。ユノッ!! 次会った時はボッコボコにしてやるからな!!」
テオはベッと舌を出し、捨て台詞を吐くと少女を連れてセオと共に闇の奥へと姿を消してしまった。――逃げた? 強気だった黄薔薇族。しかし、不利になった途端、彼等はこの場から離れた。そのため私にはどうしても彼らが逃げたようにしか見えなかった。
「姫、怪我はありませんでしたか?」
銃を収め、ユノは私達のもとへ歩み寄る。声色も笑顔もあの穏やかで優しいものに戻っていた。同一人物とは思えないこの変わりよう。――どちらが本当の彼なのだろう? どちらも本当なのかもしれないし、どちらも本当ではないのかもしれない。
「大丈夫よ、アシルのお蔭で無傷だわ。ユノは?」
「大丈夫ですよ」
そう言って微笑んだユノはかすり傷ひとつ負っていなかった。彼が無事だったことに私は安堵する。それと同時に激しい銃撃戦の末無傷で帰ってきた彼に驚いた。
「なぁ、ユノ。取り敢えずさっさとこの場を離れよう」
「そうですね。まだ近くにはいないようですが、他族がこちらへ向かっている可能性が高いです。この暗闇の中で奇襲をかけられては厄介ですから」
辺りを軽く見渡し、ユノはアシルに同意する。双子の言葉はただ単に逃げるための口実ではなかったのだろうか。
「ねぇ、“誰か来る”って……あの子達の言葉、逃げるための口実じゃなくて本当のことなの……?」
「あの双子、耳だけはいいんですよ」
「耳……?」
ユノの答えを私は怪訝な顔で聞き返す。どれだけ耳が良かろうと人の聴覚など高がしれている。辺りに人の気配を探してみても耳につくのは木の葉が風に揺られる音ばかりで足音ひとつ聞こえない。
「詳しくはわかりませんが、集中すればかなり遠くの場所の音でも聞き分けられるそうです。きっと足音でも聞こえたんでしょう。負けず嫌いの彼らのことですから逃げるための口実ではないと思いますよ」
三キロ程度なら余裕なんじゃないですか、とユノは言った。私の予想を遥かに超えたその答えに私はただ一言そう、と返すことしかできなかった。
耳に残る銃声。目に焼き付いた鮮血。不安、恐怖。私の中で膨らむ負の感情。だけど、これはまだ序章に過ぎない。残酷劇は始まったばかり──。