Ⅲ.天使の仮面
「火事だった。家の中から三人の焼死体が見つかって、それは父さんと母さん、そして弟のものだった。ひとりになった私は親戚の家に預けられたんだけど、そこに私の居場所はなくて……。だから私はバイトしてお金貯めて、高校卒業と同時に一人暮らしを始めた。本当は音楽の勉強をしたかったんだけど、そんなお金ないから諦めたの……」
私はただ黙ってアイリスの話を聞いていた。当たり前だと思っていた日々。華の国に来てそれがいかに幸せなことだったのかを知った。私と同じ立場だと思っていたアイリス。しかし、彼女の“当たり前”はもう随分前に奪われていて……。私はとても恵まれていたのだと改めて思い知らされたように思えた。
「親戚の家は私が住んでいた街からだいぶ離れた地域にあったから友達とも疎遠になっちゃって……。私には何も残っていないんだよ。私がいなくなって困る人も悲しむ人もいない。だから私は死んだって構わない。それに天国では家族が待っている。そっちに行った方が私は幸せなのかもしれない……」
「違うッ!」
アイリスの言葉に私は思わずそう叫んだ。どうしても黙っていられなかった。今まで静かだった私が突然声を荒げたことにアイリスは驚いたように目を見開く。
「違うわ、アイリス! 貴女が死んだら天国のお父様やお母様それに弟さんが悲しむわ。アイリスは生きなくちゃ。亡くなった家族の分も。それに私は悲しい。せっかくこうして知り合えたのにアイリスがいなくなってしまったら……」
人の死を経験したことのない私が、最愛の家族の死を目の当たりにしたアイリスにこんなことを言っても全く説得力がないことなんてわかっていた。だけど、アイリスは間違っている。どんなことがあったって自ら死を望んではいけない。
私の言葉にアイリスは何を思っただろう。何もわかっていない、と彼女の怒りを買ってしまったかもしれない。しかし、そんな私の心配とは裏腹にアイリスはふっと優しい笑みを浮かべ、自らの手を私のそれに重ねた。
「アンジェリカは優しいね。だけど、私よりも君のような子が生き残るべきなんだよ。アンジェリカには家族がいるでしょ? 生きて帰らなきゃいけないのはアンジェリカの方だよ。そのためには私が生きていちゃいけない。いい? 生き残れるのはひとりだけなんだよ? 薔薇姫の生まれ変わりがふたり以上生きている限りこの争いは終わらないんだよ?」
「でもッ……! 何か方法があるかもしれないじゃない! みんなで生き残れる方法が……。最初から諦めちゃダメよ!」
諭すようにアイリスは言う。私はそれを跳ね除けるかのように強く言い返した。ここに連れて来られた当初は怯えるばかりで弱気だった私がこんなこと言うなんて自分でも信じられない。今だって恐怖と不安は拭えないけれど、私は強く思った。アイリスと共に生き残りたい。薔薇姫達と共に生き残りたい。私達は帰らなくては、生きなくてはいけない。どんな状況下だって死を望んではいけない。
「アンジェリカは本当に優しいね。ねぇアンジェリカ、ひとつお願い」
なぁに? と問えば、アイリスは私の方に向き直り、重ねた手をぎゅっと握り締めた。
「私と、友達になってくれる?」
「……? やだなぁアイリス、私達もう友達でしょう?」
一瞬アイリスはきょとんとした表情を見せた。しかし、私の言葉を認めると彼女はふわりと笑った。
「ありがとう。………でももうお別れみたいだね。最期にアンジェリカに会えてよかった」
「アイリス、何言って……」
パァンッ
私の言葉を遮るように銃声が響いた。隣に座るアイリスの身体がゆっくりと傾き、地へ倒れる。彼女の胸に赤黒い染みがじわりと広がり、真紅のドレスを汚した。
「……ア、アイリス……」
彼女の肩を小さく揺らすも反応はない。私の錯覚か、暖かいその手から急速に熱が奪われていくような気がしてならなかった。動かない。隣で微笑んでいたのがまるで嘘のように少女はもう動かない。
「探しましたよ、アンジェリカ」
不意に影がかかる。もう随分聞きなれたその声に顔を挙げるとそこにはユノの姿があった。行きましょう、と差し出される左手。銀色の銃を握る右手。アイリスを殺したのはユノ……? それを認めた途端、私に向けられるいつもと同じその微笑みがまるで張り付けた悪魔の笑みに見えた。怖い、怖い、怖い──。
「……やッ、来ないで……!」
――人殺し。
差し出されたその手を振り払い、私は一歩、また一歩と後退する。走り出そうとユノに背を向けた瞬間、彼が私の腕を掴み、それを阻んだ。
「アンジェリカッ!」
「嫌! 放してッ!」
掴まれた腕を力いっぱい振れば、その手は思ったよりも簡単に解けた。そのままの勢いで私はそこから逃げ出した。後ろから制止の声が聞こえたけれど、私はそれを振り切ってただ走り続けた。
共に生き残る、心にそう誓ったのにそれは一瞬で奪われた。――人殺し、人殺し、人殺しッ! 不意に涙が溢れる。それは悲しみか、それとも恐れからか―…。わからない。わからないけれど、まるでせき止めていたそれが一気に流れ出すかのように涙は止まることを知らず、私の頬を濡らし続けた。
人の命なんて脆く壊れやすい。儚く散った紅薔薇姫。次に散るのは何色の薔薇?