その蒼は限りなき1
気合を込めてアッパーカットを放つ。
3歩ほど離れたところから竜巻がとぐろを巻いて飛んで行く。
庭の南のほう――太陽らしき光源のあるほう――に広がる荒野へ絶望的な速さで飛んで行く。
「裂破風陣拳は完璧にできるようになってるな」
久しぶりに姿を見せた(オレには視えないけど)師父は無邪気に際どいことを言った。
「というか開展のほうは“もうどうにでもなあれ☆”って感じか」
「どんな感じか、さっぱり伝わってこねえけど、せっかく師父がいるんなら試したいことがあるから防御を頼む」
「んん?」
オレは風の起点を上空へと持っていった。
「マジかよ!」
それだけで師父は察したようだった。
轟々と天が唸る。
ぐるぐると雲がめぐる。
ひゅるりと冷たい風が吹いた。
その風が呼び水になったように、寒風が真上から落ちてくる!
「うおおおおおおお!!!!!!」
師父の咆哮をかき消すように、その風は-90度の冷気をもたらした。
ビシビシと空気中の水が凍る音が聞こえてくる。
ダイヤモンドダストだ。
無理やり氷結させられた細雪がうっすらと荒野に降り積もる。
もしも水があればきれいに凍りついたことだろう温度だ。
「秘技! 趙公明殺し!!」
なぜか師父が技を叫んだ。しかも際どい。
「でもこれは禁止だ。環境破壊著しい」
「それには同意する。もう少し範囲を狭めて運用しよう」
師父の防御でも寒さを感じる。
ほとんど常春のこの地の人間からすれば大寒波だろう。
「寒い……」
本性が蛇であるエリザベスも今にも眠りそうだ。
オレは雲を吹き飛ばすと風を集めてレンズを作り、それで日光を集めてエリザベスを温めてやった。
「ぬくぬく」
さすがに遠距離で燕返しを決めるほどの繊細な操作はムリだけど、普通の戦闘に使う分には楽に習得できた。風属性に愛されているって意味がようやく理解できた。
「高低差射程はもうお前のが上だな」
「マジかよ」
「オレじゃ地上から中間圏は届かないからなあ」
しみじみと師父は空を見上げた。
「届いても使わねえだろうけど」
「なんかオレのせいみたいに言うのやめてくれる?」
「そういうつもりはないけどー、バタフライエフェクト的な因果関係はあるんじゃないのー?」
「なんの話?」
エリザベスが首を傾げた。
それに答えるように、ソレはひゅるると空を切って空から降ってきた。
べシーンと一回バウンドしころころと転がってきたソレは。
「……サバ? ブリ?」
「マグロ?」
オレとエリザベスの疑問に師父が答えた。
「バハムートだ」
うっそだー。
空から降ってきたのはどう見ても(見えてないけど)陸に打ち上げられた魚だった。
◇
それは実に旨そうな魚だった。
目が見えないのになんで旨そうなのか自分でもわからないがとにかく旨そうだった。
色つやではなく、匂いとか活きとかを感知しているんだろう。
ただ残念ながらオレはあんまり食う気がしなかった。
ついに歯が抜けそうなのだ。まだ前歯が一本だけだけど、これからずんどこ生え替わっていくだろう。
「あとこいつ、言葉わかってるっぽいよな?」
「バハムートは竜種のひとつだしなあ」
「竜なの?」
「竜種な」
「なにが違うのよ」
「お前の言う竜は混成獣の一種。竜種は各系統の生物の頂点」
「バハムートは魚の頂点?」
「そう」
「空飛んでるのに?」
「まっくら森みたいだよな」
そういう問題じゃねえ。
「バハムートは稚魚でなくなればどの空気組成でも生きられるから竜種なんだよ。死ぬまで成長を続けるし」
「え、魚が空にいる事情はスルーなの?」
「深海魚がなぜ深海にいるのか、みたいな問題だからなあ。世界が違うとしか」
「世界が違う」
「ここは異世界だということを早く自覚するんだ」
「それは知ってたけど」
「知ってるということと実感としてあるということは別問題だよ」
「そうだね」
「そういうわけなのでこのバハムートが生きられる環境を成魚になるまで作り続けて差し上げろ。緊湊にはちょうどいいだろ。燕返しほどの精密さはいらないし」
この話の流れならそうなるよね。
オレはバハムートの周りの空気の気圧を下げる。
どんどんバハムートは元気を取り戻していく。
「生息圏の空気組成ってどうなってんだろ。こいつオレの感知圏外から飛んできたから、検索しようもないしなあ」
「オレもさすがにそのレベルの知識はないなあ。熱圏から順番にいろいろ試したら?」
「それしかないか」
「熱圏にも届くのかよ」
しれっとカマかけるのやめてくれるかな。
◇
「いやーほんまに助かりましたわー」
西諸弁かと思うほどなまった異世界語に比べるとはるかに現代日本語に近いけど何故関西弁なんだろ。
バハムートはぷかぷか浮かびながら流暢に身上を話し始めた。組成の調整がうまくいったのだ。
「なんやワイは他の兄弟に比べたら体が小さいらしゅうて、お座なりに育てられとったんですわ。ほんであの嵐でしょ。もうね死ぬか思いましたわ。親も親で「お、ラッキー、事故死じゃ!」みたいな顔しよりましてね。ネグレクトですわ」
ネグレクトってそんな意味だっけ?
「しかもバハムートの稚魚言うたら高級食材でしょう? こらあかんと思いましたよ、ほんまに」
地味に食われる存在だっての自覚してるし。これは根深い……。
「とどのつまりオレが飼えと」
「いやいやそんな! そんな厚かましい!! お願いできまっか!!!」
「……主な食事は?」
「基本は空中に飛散しとるゴミと光合成ですわ」
「光合成するのか……」
「せやけど下界で暮らすときはなんぞ食わせてもろたら思います。上界と違て光合成しにくいさかいに」
「ほれ」
エリザベスにしてやったみたいに空気レンズで温めてやる。
「むおおおおおおお!!」
それは鳴き声なのか雄叫びなのか。
「いや、素晴らしい! 素晴らしき日光でっせ兄さん!」
「誰が兄さんか」
とはいえ確かにこれはけっこうな訓練になるなあ。
空気組成のほうは腕立て、レンズのほうはY字バランスみたいな感じだ。
風の精密操作の前段階としては大正解だろう。
◇
なんか、うねうねしてる。
一本目の歯が抜けて、二本目も抜けようかというころ、オレはバハムートを見てそう思った。
普通のブリとかマグロみたいな魚だったのに(それもおかしな話だけど)、その背びれとか胸びれあたりからイソギンチャクみたいなうねうねがうねうねしてる。
「キモい」
「あかんで! アカンアカン!! そういう言い方が言葉の乱れと一緒に風紀の乱れも呼ぶんやッ! もっとちゃんとした言葉で言うて! いじめんといてっ!」
「よお似おてはるわー、そのうねうね」
「京ことばで褒めるのもやめてッ!」
「文句多いな。なんなのそのにょろにょろみたいなそれ。ひとりクマノミなの?」
クマノミはイソギンチャクに隠れる魚ね。なんでイソギンチャクに刺されないのか女子高生が発見したやつ。
「知らん。今朝起きたら生えとった」
「自分で動かせるのん?」
「意識せんかったらふよふよしとるけど、どれもまあまあ動くで」
「これ持てる?」
オレは牌を差し出した。
「持てるで」
未来の世界の猫型ロボットみたいな感じだけどたしかに持ててる。粘液でべたついてるとかもない。
「よし」
これからは三麻だな!




