その視線は果てなき2
翌日――かどうかはわからん。気絶から目が覚めるとオレは漢方風味の粥を食って庭に出た。
庭というか、単にログハウスの外に広がっているだけの空間だ。柵も塀も生け垣もない。道路ほどには整備されていない凸凹の地面がずーっと続いている。
「んじゃ、特訓を始める」
どこからともなく師父の声がした。範囲拡大された風の声はオレの知覚範囲を軽く超えて届いている。将来的にはこの声の元を辿れるようにならなくちゃいけない。
なぜならオレは師父よりも風属性に愛されているから――らしい。
Q.急に目標立てられた? A.急や
とはいえ命が懸かっているのも間違いない。ハイエナが出たあの場所だって3才児でも行けるわけだし、なにかの拍子にクマでも出ないとはかぎらない。
身を守る術を身に付けるのは急務だろう。そもそもガキであることは脇に置いておいて。
「始めるにあたって『先に開展を求め、後に緊湊に至る』て知ってる?」
「あーケンイチで見た」
「拳児じゃないのか……ま、いいや。知ってるなら話が早い。そういうわけなので最初は大雑把に知覚範囲を広げていってオレの声を安定して特定できたら第一段階終了な」
「OK。具体的には?」
開展緊湊についてはググれ。
「こうする」
師匠の声と同時に、コツンと頭になにか降ってきた。拾って確認する。
「……雀牌?」
「そう。盲牌はできるか?」
「んー、白」
「一筒だ」
「まじで!?」
「白はこっち」
コツンと今度は後頭部にぶつけられた。拾う。
「……!? まじだ、一筒のほうがちょっとだけ彫ってある!」
「それ普通の雀牌だから。ちな二索はこれ」
スコーンと側頭部にぶつけられた。
「さっきから痛いんだけど!?」
「それを防ぐなり躱すなりするのが特訓だ。基本的に意識の死角からしか飛んでこないからそのつもりで」
「どういうこと!? それって知覚範囲広がる余地ある!?」
「ある。たとえば……」
瞬間、オレは怖気を感じて後ろに一歩下がった。
シュッと鋭い音がして、地面から雀牌が垂直に飛び出した。明らかにタマ(物理)狙いだ。
「な?」
「な? じゃねえよ! 今の完全に殺しに来てるやつじゃねえか!!」
「いや、だから殺意の感知には成功してるだろ? この間のハイエナに殺されかけたせいで、そこの経絡が通ったんだよ」
「……範囲が広がる理由にはならなくね?」
「なるよ」
また怖気がして今度は走りだした。自分でもよくわからない。わからないけど一歩ていどじゃ足りない!!
ドンッ! という音が背後で鳴った。オレは同時に前にすっ飛んで、前回り受け身で着地する。前回り受け身とか中学生以来だわ!
「ななななななな!!」
何なんだよ一体! という言葉が出てこない。さっきまでオレがいたところにはクレーターができあがっていた。
「今のはコメテオみたいなやつね」
「ど、ど、ど、どういう」
「さっきも言ったけどこの特訓は大雑把に感知範囲を広げる。そのために、まずそもそもの限界を測る。限界範囲から少しずつ距離を近づけて殺しにかかる。するとどうなると思う?」
どうって、要するに殺意が近づいてくるわけで。
「……段々近づく脅威に対して感覚のほうが追いかけるように広がっていく、と」
「そういうこと。このやり方だと限界は越えられない代わりにその範囲内で必ず伸長するというわけさ!」
「雀牌は!?」
「妨害、兼、刺激。特にお前は前世を引きずってて前以外は意識が散漫になってるからな。背後、上空、足元も同時に知覚できないと意味ない。バスケ的に言うとホークアイを身に付けろ」
「だからなんでそれ知ってんの!?」
「聞きたい?」
「いや、いいです」
腐臭がする。嗚咽をあげるレベルのそれの気配がする。
「あと雀牌使うのは普通に麻雀できないとやってけないという理由もある。盲牌も覚えような!」
「マジか……」
「あと言葉な。日本語だけど、お前の反応見る限りあんまり原型残ってなさそうだし」
「マジで!? 西諸弁かよ!」
※西諸弁……「ンダモシタン小林」でググれ
「どっちかってーと、オールドイングリッシュからミドルイングリッシュの変遷に近い気がするけどなあ。当地語と融合して意識高い感じの言い回しになってたらしいけど」
「……オレらの時代の転生者なり転移者なり多すぎじゃね?」
『意識高い』とか師父の時代にはないだろ!
「曰く流行ってたって話だけど。まさか『小説家になろう』がそこまで大きくなるとは」
あ、これうざいタイプの懐古厨だ。あと2004年までは健在だったのか。
「ともかく、死角からの一撃も射程外からの狙撃も等しく躱せ、と」
「そう。殺意に限らず他者意識の感知って最初のうちは予知に近いんよ。それを感知に近づけるのがうちの流派の聴勁の鍛え方。たぶん中国拳法の聴勁とは進む方向が逆なんよね」
それは感覚的にわかる。
自分を流れる気を感知する力を表出させていく――内から外に広げていくのが元来の聴勁。
わけもわからず自分の外にあるなにかを自分の中に迎えにいく――外から内に入り込んでくるのがこの聴勁。もちろん、迎えにいく以上、内から外への広がりもあるわけだけど。
「やってるうちに釣り合うから、そこを基準に完成した感知範囲を広げていって、オレを見つける、と」
「目標タイムは?」
「いや、さあ?」
「さあ、て」
「そもそもこの辺は四季がはっきりしてないし、周期性は把握しててもそれが一年のうちでどのくらいの期間なのか、そもそも一年超えてるかもしれんし、そういうカレンダー的なものはさっぱりわからんのよ。街に行けばわかるけど」
「あー……いや、天体運行の測量とか」
「やった。結果、この世界は天動説が濃厚。あとそれは普通に街の連中の仕事。余剰生産の範疇」
「余剰生産て。そういうレベルなのか……」
マジ田舎。田舎すぎ問題。
時刻どころかカレンダーも要らんのか……。閉鎖的すぎるだろ。
「いったん、歯が生え換わるくらいを目標にしたら? 肉体的にはこっちの人間も地球の人間と大差ないし。……そういう意味ではこっちの一年も地球の一年と大差ないのか」
そこは微妙じゃねえかなあ?
「でも、めんどくせーから同じという前提でこの身体が3歳として、3~4年くらいか。そうな……」
それくらいが妥当な気もする。7つまでは神のうち、とも言うしちょうどいいくらいか。
「わかった。がんばる」
◇
テクノブレイクは当然だが思春期に発生しやすい。例外は認めつつ、やはり男子たるもの20歳を回ると精力体力に陰りが見える。少なくとも「死ぬほどオナニーしたい」なんて精神力は失われる。
そこを暇にあかせてオナニーし続けた結果、死亡しここにいるのがなにを隠そうこのオレである。
もともと偏執狂のケがあったことは自覚している。そのケはここでも遺憾なく発揮し、オレは急速に感知範囲を拡大しつつあった。
まだまだ死角からぶつけられる雀牌は躱せないし、師父も見つからないが、遠くのことはよくわかるようになった。
ここは陸の孤島だ。
オレの感知範囲が今どのくらいの規模で展開しているのかよくわからんけど、少なくともここログハウスの庭から例のオレが捨てられていた帝國の児捨て場、その崖の上までは余裕で射程に入っている。
ということは、最低でも帝國の国土の端っこをかすめているわけ。それなのにまったく人の気配がしない。児捨て場だけあって、本当に田舎にあるらしい。
途中で通った雑木林の逆方向も延々森が広がっているだけ。一部暮らしている人たちがいるのは確認できたけど、師父は居なかった。
そしてログハウスから雑木林のある方向と逆側にはまじで平野というか荒野しか広がってない。雑木林をぐるっと回りこむと児捨て場あたりのサバンナにつながる。
要するに、平野が高台にぶつかるその境目辺りにこのログハウスは建っているのだ。
こつんと雀牌が頭に当たる。
「クソァ!」
拾って盲牌。
「九萬!」
「正解。盲牌はできるようになったな」
というか頭に当たった時点でほぼ確信してる。ぶつけられる牌は全部違うものだけど、精度が高くて同じ牌はほぼ同じ重さだ。当たったときの衝撃の差でわかる。
逆に言うと師父は全部同じ威力で当ててるわけで。
「バケモノかよ」
「なにについてかはともかく、それがわかるお前も充分バケモノだからな?」
いつまで経っても躱せない雀牌にオレは地団駄を踏んだ。
致命傷を与えてくる攻撃に対しては全方位で感知できる。でも、スキを突いた、ただ当てるだけの攻撃には未だにまったく対処ができていない。
「変な話、お前は心の目で見過ぎだ」
「まあなあ……」
自覚はある。
見えるものがシミュレーションゲームのマップの光点というたとえに間違いはないけど、それは俯瞰したマップに映る点というよりも、扇型の視界を示したマップに映る点に近い。
要するに背後がガラ空きなのだ。
これを防ぐには俯瞰が必要だ。
わかってる。
が、できない。
「ちょっと発想を変えてみるか」
師父が不意に告げた。
オレは今までに覚えたことのない危機感に全力で走り出した。
「が! ダメっ……! 魔王からは逃げられない!!」
師父の魔王宣言と同時、突風が吹き荒れた。
「嘘だろ!?」
オレの身体はふわりと浮き上がり、そのまま上空へとさらわれた!
安全バーもなければ、スカイダイビングしているわけでもない。
ぐるぐると洗濯機に突っ込まれたように乱気流に揉まれて、上下左右の感覚がなくなっていく。
それどころかまともに呼吸ができなくて意識すら飛びそうだ。
それなのに!
「クソァッ!!」
オレは声にならない声で吠えた。
正確にオレを前後左右上下――六方向から狙う雀牌が飛んできている。
ご丁寧に一九牌だけで揃えられたこれらは「当たって痛い」なんかじゃ済まない。子どもの骨なんか余裕で貫通する魔弾だ。
カウント7秒。
オレはまずできる限界まで脱力した。下手をすれば吹き飛ばされている風圧だけで骨が折れる。凧みたいに風に任せるしかない。
カウント6秒。
ほんの1秒で1キロ近く動いているはずだが、一九牌はまったくズレなくオレを追跡している。到達予想地点へ先回りしているわけではない、てのが気になる。
カウント5秒。
逆説的に師父はオレを基点として相対位置を保つように雀牌を制御しているのかもしれない。本当に風を操ってるのか?
カウント4秒。
この仮説が正の場合、オレは直前で躱すか、こちらから撃ち落とすしか対処のしようがない。普段なら躱すけど、この状態でどうやって?
カウント3秒。
死の気配が濃密に漂ってくる。迫ってくる。死の確信へと姿を変える。さながら奇術師のトランプのように。
カウント2秒。
オレは身体を大の字に広げた。くるくる回って安定しないが関係ない。
カウント1秒。
6つの牌は正確にオレの上下左右前後を飛んでくる。
カウント0。
オレは両手から空気を放った。
左右バランスの取れていないそれはオレを一瞬で左方向へと身体2つ分ずらした上で、左右から迫る一萬と九萬を逸らすのに成功した。
乱気流のおかげで上下方向の一索と九索もギリギリ外れた。
けど、前後方向の一筒と九筒は右腕をかすめていった。
かすめたと言っても子どもの細腕だ。ほとんど削り取るように直径の半分近い肉が持って行かれて今にももげそうだ。
「ああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
激痛にオレは声を上げた。
烈風が声を殺す。
血を吸い上げる。
鮮血が空に舞う。
……赤い空の下でオレはまたしても気を失った。