ハガン候
しかし、異世界人の体力はおかしい。二日程不眠不休で走り続けて息一つ切らしていない。これでは二十四時間走り続けても感動を呼べないだろう。異世界を愛で救う為には二十四時間では足りそうもない。その二日で俺達はメニチェに到着した……らしい。と言うのも、松尾さんとルゥが到着したと話をしていたからだ。ちなみに、三人の中では背負われていただけの俺が一番疲労困ぱいだったりする。揺れて結構体力を使うし、二日ほど寝てないのだから、地球人なら仕方がないよね?
「メニチェって街ですよね?」
色々とあり過ぎて確認を忘れていた。そこは辺り一面の銀世界。人っ子一人いないし、ここがメニチェなら地域全体を指してメニチェと言うのかもしれない。
「うむ。父上の屋敷もあるぞ」
ルゥがどこか誇らしげに答えた。
「どうでもいいが、お前はいつまで俺に乗ってるんだ」
同時に松尾さんに振り落とされた。雪に尻餅を着く俺。さすがに山の上ほど雪は深くない。
「あ、こりゃルゥ様にお見苦しいところを」
そして我に返りルゥに謝る松尾さん。ホント、貴族に弱い人だな。……俺も『様』を付けた方がいいのかな?
「別に構わんぞ。付いて参れ」
「え? この恰好で?」
思わず、俺が反応してしまった。はっきり言って、俺達は汚い。山に入ってからは、体すら拭いていない。さらには大量の荷物。人を訪ねる恰好ではない。
「遠慮するな。我が良いと言っておるのだ。風呂もあるぞ」
俺と松尾さんは顔を見合わせてしまったが、ハガン候の娘が良いと言っているのだ。大人しく付いて行くことにした。
雪が降り積もるなか、付いて行ったのはいいのだが、人家が一つもない。
「メニチェって街ですよね?」
間抜けな事に同じ質問をしてしまった。
「うむ。父上の屋敷もあるぞ」
そして同じ答えが返ってきた。
「こっちは……」
松尾さんが何かを言いかけるが言葉を飲み込んだ。貴族に質問をするのは失礼とか考えたのかもしれない。
歩くこと数十分。ようやく石造りの建物が一つ見えてきた。
「あそこじゃ。あの別荘に父上がおるぞ」
別荘に向かっていたのなら、そう言って欲しいものである。
別荘は石造りのしっかりとした物であったが思ったよりも質素であった。平屋建てで剥きだしの石材。華美な装飾など一切なく、無骨と言ってもいいだろう。お嬢様の屋敷とは真逆であるためなんとも新鮮である。
「父上はどこじゃ」
ルゥは出迎えたメイドに挨拶も早々、父親に紹介しようとする。この格好のままでいいのか?
「応接間でございます」
「うむ。丁度良い。付いて参れ」
メイドさんは俺達の事を聞こうともしない。なんとも習慣が違っていていけない。
そして、案内された先には椅子に座る大男と周りに立っている数人の男。
この大男の雰囲気が圧倒的だった。おそらく二メートルかそこらであるはずなのに、十メートルの大男がそこにいるかのような圧倒的な存在感であった。もし、ライオンの檻の中に一人放り込まれたら、こんな感覚になるのかもしれない。もっとも、ライオンくらいならこの世界の連中なら倒しそうだが。しかし、地球人である俺は、部屋に一歩踏み込んだ瞬間から、少しも動けなくなっていた。
武力:2346e+9
なんか数値がバグった。
「父上! 今帰ったぞ」
そんな俺の恐怖とは違い、ルゥはさすが娘と言った感じでフランクである。
「うむ」
娘の外泊に対して随分と寛容な父親だ。もし俺が親だったら、娘が外泊の上に男を連れて帰ってきたら軽いショック状態に陥る自信がある。
「土産じゃ。面白いのを連れてきたぞ」
ルゥの紹介に合わせて椅子の男、おそらくはハガン候にチラリと見られた気がした。蛇に睨まれた蛙と言うべきか全く動けなかった。
「バトラーの……縁者か?」
「そうなのじゃ、流石は父上なのだ!」
この世界の連中ってなんで一目見ただけで、色々とわかるのかね。詐欺師とか居ないんだろうなぁ。
「そうか! よく来た、歓迎しよう。そんな所にいないで来い」
入り口で棒立ちとなっている俺と、いつの間にか跪いていた松尾さんを呼び寄せる凶獣。怖くて動けないって。
「おい。行くぞ。大旦那様からの貢物も渡さないといけないんだからな」
松尾さんに耳元で注意されてしまった。仕方がなしに、一歩、また一歩と近づく。そしてある程度近づくと、松尾さんに袖を掴まれて、強制的に跪かされる。
「マサラ子爵竜安寺貴子の使者にして、竜安寺商会会長である竜安寺富蔵の----」
「そんな堅苦しい挨拶はいらん。おい!」
松尾さんの挨拶を中止させると、部屋の外に向かって大声を出す。突然の大声にビビった。
「なんですか、旦那様」
先ほどのメイドがやってくると、軽く一言「歓迎の宴をする準備しておけ」と言い付けた。
「畏まりました」
当のメイドさんはそそくさと消える。
預かった貢物とかを渡しそびれてしまった。どうしたものだろうか。
「そっちの若いの」
そして突然に呼びかけられた。
「もっとこっちに来い」
うわぁ、嫌だなぁ。とはいえ、断る訳にも行かずに近寄る。咬まないで欲しいなぁ。
無い勇気を振り絞って近づいた俺をマジマジと見るハガン候。なんだか獲物を見定めしているかの様な感じである。
「あの、これ! 貢物とか色々です!」
恐怖に負けて、無我夢中で荷物を差し出す。
「ん? ああ、そうか」
ハガン候は興味なさそうにそれを受け取ると、無造作に横の男に渡す。
「それよりも一つ、手合わせでもしてみるか?」
なに、その死刑宣告。軽い一撃で臓物をブチ撒けますって。
「こっちの男はダメダメなのだ。まだ向こうの男の方が頑張ってたのだ」
ルゥが道中の結果報告。命がかかっているだけに助かる。
「うん? そうなのか? あのバトラーの関係者なのにか?」
ごめんなさい。俺だけはダメダメなんです。
「父上は二言目にはバトラー殿であるな」
「当り前だ。奴こそは吾にとって唯一の宿敵にして、友」
なんだか、世紀末漫画の強者みたいな事を言っています。
「あの時は勝てたが……また闘いたいものよ」
なんですか? この人は戦闘民族か何かなんですか? それとバトラーさんでも負けるの? さすがは数字がバグるだけのことはある。
その後は、宴が開かれて、何やら豪勢な食事などが出されたものの、何を食べたかなんて憶えていなかった。だって、ハガン候がフランクに肩を組んで酒を勧めて来たりするんだもの。俺、未成年なのに。もちろん、断れずに飲みましたよ。気が付いたら意識を失っていたくらいには。
そして翌日、俺達は馬橇を借りて、帰った。二日酔いで頭がガンガンするし、吐き気もしたが、俺個人としては逃げる様にメニチェを後にしたといった感じである。その後、途中で馬車に乗り換えて、数日後に今井さん達と合流。ここでようやく人心地をつけた。
松尾さん達に馬車の中で文字の勉強をさせられながらも考えた。今回って、俺が一緒に行く意味があったのか? 普通に足を引っ張っただけなのだが。
俺の無力感とは裏腹に、馬車は力強く走り続けるのであった。




