朝の教室
朝の教室には誰もいなかった。休日などではなく、俺が早くついたのだろう……きっと。
時刻は7:30。もちろん例の数字によるものだが、この学校の開始時間がわからない。ただ昨日よりはかなり早く屋敷を出たつもりだし、屋敷の同僚たちが「もう行くのか?」と言っていたので、きっと客観的にも早かったのだろう。
なぜ早く出たかと言うと、これは簡単な話で休み休み行く予定だったのだ。だって、あの後スクワットやら、腹筋やらを限界までやらされたのだ(もっとも松尾さんは限界だと信じようとせず「本気でやれ!」とかなりのお冠であった)。そんな訳で太ももがパンパンで、とてもじゃないが一時間も歩き続けることは出来そうもなかったのだ。
加えて朝食。ハードトレーニングで胃が受け付けない所に塩茹でされた大豆の山。何故かパンがない。スープも無い。要するに大豆の山のみの朝食。しかも美味しくない。こんなの聞いてません。話が違います。おかずの追加じゃなくて朝食の変更じゃないか。そして残さず食べろとの命令付き。最後はガチムチな使用人たちに体を押さえつけられて、漏斗で無理やり流し込まされた。俺はガチョウか! 最後は肝臓をパテにでもされるのではないかとの疑惑が浮かぶ。
そんな感じで疲労と吐き気で休み休み行かないと登校は無理と判断して早く出たのだった。
ところがいざ登校してみると案外あっさりと行けたのである。ベアトリクスさんが「気休め程度だけど」と、疲労回復と消化促進の魔法をかけてくれたからだろうか? 便利だな魔法。俺のこの数字が出る能力と交換してもらえないだろうか。
そんなことを教室で一人ぼんやりと考えていると、大きな欠伸が出てきた。今日は早起きであったし、しかも散々に運動させられたし、大量の食べ物も流し込まされたので眠くならない方がおかしかったのだ。よし、暫く寝よう。俺がそう決めた途端、教室の引き戸が開けられた。タイミングを逸した感じである。
「あら、馬野さん。おはようございます」
声の主は鞄と花を手にした安寿であった。
彼女は席に鞄を置くと俺の方を向いた。
「馬野さんって随分と早く登校するんですね。今まではこの時間には誰もいなかったんで、少し驚いちゃいました」
そして少しはにかむ。
「話し相手が出来て嬉しいです。あっ、ちょっと花瓶のお水を交換してきますね」
安寿はそう言い残して、花瓶とはさみを片手に教室を出て行った。う~ん……今日はたまたま早く来たとは言いだせない雰囲気である。って、俺の仕事は安寿とくっつくことだから、業務的には早く登校するのが正しいのか。53万を前にすっごく無駄な足掻きだけど。
教室に戻ってきた安寿と暫し話し込む。
「あの後、病院には行きました?」
安寿が心配そうに聞いてくる。行っていません。バトラーさんに一瞥されて「問題ないですね」と言われただけです。ベアトリクスさんは「良かったね」なんて言っていたが、明らかに診る気がなかった。無理やり食べ物を流し込まれたりもしたし……人権をください。
「あの……」
俺の沈黙がどう捉われたのか、心配そうに顔を覗きこまれた。
「あ、ああ。大丈夫だって。治してくれてありがとうね」
そして、お礼の品を持って来れば良かったと軽く後悔。
「ああ、よかった」
対する安寿は満点の笑顔。他人の為に笑える人は素敵だと思います。
「今日の嬉しい事の二つ目です」
「二つ目?」
「うん。嬉しい事があったら数えることにしているんです。そうしたら毎日の感謝が具体的になるでしょ?」
嬉しい事が無かったらどうするのだろうと思いつつ、一つ目の嬉しい出来事のことを聞いてみた。
「あのね。今朝は玄関にお馬さんの……ううん。これは内緒」
安寿が恥ずかしそうにして言いよどんだ。おかげで重要なことを忘れていることに気が付いた。
今日は馬糞を置きに行っていない!
うん。迷惑行為はやっぱりダメだな。かといってお嬢様の言いつけに逆らう訳にもいかない。一方で安寿は恩人だし……明日からは馬糞は適当な所に棄ててこよう。
それよりも仕事をサボったとして怒られないだろうか?言い訳を考えているうちに、教室には生徒たちが満ちていた。




