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予感(2-5)

「……だ、大丈夫ですか!?」

 予想外の出来事が続き惚けてしまっていた樋口羽衣美はすぐに現状を把握しその場にへたり込む予想外の男に声を掛けた。

「あぁ……大丈夫。……あぁそこ気をつけて、彼奴(あいつ)唾吐いてったからさ」

「もう……そんな事より怪我はありませんか?」

「大丈夫大丈夫、()り傷くらいだから……ったく、唾なんて汚ねーもん残しやがって……」

 そう言って身体に付いた唾を拭き取ろうとポケットに手を伸ばした宗像玖耶に、樋口羽衣美が無言でティッシュのようなものを差し出した。その表情は今にも泣き崩れてしまいそうな程に酷く(ゆが)んでいて、でもそんな顔が彼には愛おしくさえ思えた。

「サンキュー、使わせてもらうわ……いつつ……」

 ティッシュかと思い手にしたそれはティッシュよりも随分と繊維がしっかりしておりまるで不織布のようで手のひらの()り傷から滲む血がすぅ、と吸い込まれていく。

「ふぅ……さて、夏とは言えいつまでも裸体を(さら)しているわけにもいきませんな」

 宗像玖耶は急いで服を着るとズボンのホコリを払って立ち上がり彼女に手を差し伸べた。

「ほら、立てるか?」

「え? ……えぇ、だ、大丈夫です」

 うつむきながらも宗像玖耶と樋口魅翠奈に両手を支えられながら樋口羽衣美は立ち上がる。

「……ありがとう、ござ、います」

 樋口魅翠奈がぺこり、と頭を下げ淡々ながらも感謝の言葉を口にした。

「あ、あぁあ、ありがとう、ございますっ!」

 妹の行動に本来真っ先に自分達がすべき事を痛感した樋口羽衣美は恥ずかしそうに続く。

「いやいや、今日一日お世話になったからな、そのお礼だよ。大した事ないさ」

「大した事ないって、そんな……」

「ほら、とりあえず人目があるから駅に向かおうぜ。そこまでは送るよ。……ここ、真っ直ぐ行けば良いんだよな?」

「え、えぇ、そうです、アリガトウゴザイマス……」

 恐縮しながらもその言葉に甘えた姉妹は、宗像玖耶の後を歩き駅を目指す。

「……ソレにしても、急に脱ぎだした時はどうしたモノかと思いましたよ?」

 樋口魅翠奈も無言で頷いた。

「え、マジかよ!? ……ま、あーゆー時はとにかく周りの目を引くっつーか、ほら、今って誰でも携帯電話持ってるしリアルタイムで投稿とか流行(はや)ってるだろ? 街中で見るからに危ない奴等が暴力振るってるのにはノータッチでも街中に突然上半身裸の男が出現して叫んでいたら(みんな)ネタとして興味持つだろ? そんでカメラでも向けてくれればしめたモンでさ、部外者としては俺を撮ってるんだろうが奴等からしたら自分達にカメラ向けられてる気分になるだろうし、向こうも馬鹿じゃねーから画像がネットに(さら)されるのはマズいっ! てなるだろ」

「……はぁ。コレはまた随分と策士ですね……そんな方法で解決しちゃうなんて思いもよりませんでした。でもそうすると宗像さんの画像が、その、ネットに……?」

「いやぁ、ははは、そんなもんで済めば上出来だ。俺はこう見えて平和主義者だからな、暴力に暴力で向かうなんて事はしねーのさ」

 そう宣言した宗像玖耶は左手を胸に当てながら右腕を大きく広げまるで自分に酔っているかのような仕草で夜空を見上げていた。

「……まったく、イロイロと大げさなんですから。……うふふ」

 その様子を樋口羽衣美はまんざらでもない表情で見つめるのだった。


「……今日は何だか、大変だったね」

 宗像玖耶とは改札口で別れ無事何事も無く地元の駅で降りた樋口姉妹は、駅の階段を降りながら今日一日を振り返る。

「……うん」

「帰り道なんて、宗像さんがいなかったらどうなっていた事か……」

「……勇気、あったよね。正直、少しだけ、……見直した」

「……あはは、うんうん、確かにちょっと、カッコ良かったよね~」

やはり何処(どこ)彼処(かしこ)もそうなのか、酔っ払いの学生やサラリーマンが彼方此方(あちらこちら)に散見される。その様子にウンザリしながらも樋口羽衣美は言葉を続けた。

「でも、」

 その声は、――途端に冷たい感触へと変質する。

「ワタシ達だってもうあの頃のワタシ達じゃない……高校の頃のワタシ達とは……ね……?」

「お姉ちゃん……」

 樋口羽衣美は空を見上げていた。

 月がとても明るくて、悠然と浮かぶ多量の雲は星を隠し自身は月光に強く照らし出されさながら昼間のような、そんな不思議な空だった。

「だから、」

 何かを誓うように掲げた手を、ぎゅ、と握りしめ彼女は勢いよく振り下ろす。

「……お姉ちゃん、もっともっと、頑張るからね……あの頃とは違う、強くなったんだから……もっと、もっと……」

「……うん」

 そして姉妹は手を繋ぎ、煌々と照りつける鮮やかな月光の下、家路を急ぐのだった。

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