蒼い月(1-11)
「どうだ? ……少しは、……落ち着いたか?」
それは時間にして一分少々だったろうか。やがて彼女の呼吸は律動を取り戻した。
「……はい」
その返答に対し、宗像玖耶はつい先程までより強く頭を撫でる。
「……ワタシ……もし魅翠奈が居なくなってしまったら、どうすれば良いんでしょう……」
「……」
「魅翠奈が居ないとワタシ……一人ぼっちなの……かな……」
数分前とは異なるその言い回しに呼応し宗像玖耶は心中で語尾に疑問符を添えた。
「……一人ぼっちになる事なんて、無いだろ」
「でもっ……でも、魅翠奈はもうにんげんじゃなくて……ワタシ、魅翠奈がいつか眞子さんのトコロに行ってしまうんじゃないかって、それでもう戻って来ないんじゃないかって……」
「……もし、さ。仮に、仮にだぞ? ひ……魅翠奈ちゃんがそうなったとしても、」
普段とは違う妹への呼称に対し何故そんな呼び方になったのか、その理由に彼女は期待する。
「……俺が、そばに居るよ。俺が……羽衣美のそばに居る。ずっと。ずっとだ」
すると宗像玖耶は強引に樋口羽衣美を引き剥がし、自身の正面に据えた。
――まだ、まだ肝心の言葉を聞いていない。
彼女は敢えて呆けた表情で繕い、その一言を待つ。
「好きだ」
鼓動が高鳴る。
「大好きだ」
対面に座す女性の肩を掴む両手が震える。
「俺と、……付き合ってくれ」
呼吸だけが、妙な落ち着きを払っていた。
……俺って普段こんな風に息してんのな。
思考能力と関係しない脳内の片隅で彼はそんな事を感じていた。
そしてとにかく直球で、気持ちを、伝えた。
――好きだ。
――大好きだ。
その言霊はしかし未だ、樋口羽衣美の内までは響かない。
待っていた言葉のはずなのに、その雰囲気を十分に感じ取っていたはずなのに、そんな経験の無い彼女にとってそれはまだ何処か他人事としか理解出来なかったのだ。
「……えっと、」
思考と感情の差異に戸惑いを隠せない彼女は、それでも応えたいと必死に言葉を紡ぐ。
「ソレはつまり、……えぇと、ワタシ今、もしかしてなんですが、告白され、……ました?」
「あ、あぁ……その、つもりだ……いや、……そうだ……告白したんだよ。羽衣美に」
引き攣った笑みを浮かべながらも、しかし宗像玖耶は曖昧な表現を断ち切り肯定に特化した。
「あ、はい、そう……ですよね……こ、告白されてしまったんですね……えぇっと……」
段々と、実感が沸いてくる。
勘違いなんかじゃ、ない。
ワタシは今告白され、その返事を相手は待っている。
えっと、えっと、えっと、えっと、
ワタシ。ワタシ。ワタシ、ワタシは、どうしたいの?
ワタシにとって宗像さんは、どんな人?
優しくて、ワタシと一緒に居てくれて、慰めてくれて、
でもそんなの、今までだってそうじゃない?
悩みとか、苦しみとか、戸惑いとか、きっときっと、全部受け入れてくれるワケじゃない。
いくら恋人だからって、理解して貰えない事だってある、例えば――
でも、……ワタシは今、ほんわか幸せを感じてる。
ココロがぽかぽかと温かくて、ワタシ、宗像さんとずっと一緒になりたいって思ってる。
じゃあ――
「その……俺、待って……」
「……よろしくお願いします」
「……へ?」
今この場で無理矢理結論を出さなくても良いと、そう伝えるつもりで口を開いた宗像玖耶を樋口羽衣美の凜とした静かな言葉が遮った。
「……もう、宗像さんったら。自分から言ったんですから、そ、その……ちゃんと聞いていてくださいよ……」
その少し呆れた声には、あふれそうな程に豊かな優しさが織り込まれていて――
「……ですから、よろしくお願いします。お付き合い……させていただきますっ!」
再び彼と目を合わせ、樋口羽衣美ははっきりとそう断言した。
その満面の笑みは、思わずその場で右腕を天高く掲げ叫んでしまいそうな程の破壊力。
「あ、あぁ……あぁ! ありがとう、これからもよろしくな!」
「えぇ、はい、よろしくです、そ、その、それでですね……」
「……? どうした?」
「あ、あの……ちょっと、近いです。あの、そんな近くだと、ワタシ……」
愛の告白が終わり感情の極大値を迎えた宗像玖耶はそのもじもじとした言葉でほんの少しだけ冷静さを取り戻し、そして瞬時に二人の位置関係を把握してしまう。
「っ! ……お、おう、そ、そうだな……」
慌てて腕を伸ばし十センチ程更に距離を取るが、その手を肩から外しはしない。
肩から、指を通し、手を通し、腕を通し、恋人の脈動が伝わる。
その距離は未だ、果てしなく近いのだ。
悪戯好きな魔性の月が真正面からではなく少しだけ角度を付け二人を照らし、その影同士の口元は完全に重なって――
……唇が、熱い。
斜め下に目を伏せた樋口羽衣美はこれまでよりもこれからの出来事を予期し頬を染めているのだろう、きっと相手も望んでいるという自身の直感を確証に代えた宗像玖耶は彼女を引き寄せようと再び腕に力を込めた。
「あ……あの……」
自然と二人は向き合い、そして――