蒼い月(1-6)
「……これが、私達が蛹になった顛末よ。部屋を出た私は他の部屋に監禁されていた七零と美衣を解放したの。……うふふ、七零は最初、なかなか心を開いてくれなくて大変だったわね」
「っ……当然だろう? あの女の仲間なのかもしれなかったのだからね」
「まぁそうよね。それで美衣は……最初、【あー】【うー】としか喋ってくれなかったわね」
「うふふ~、もうとっくに~舌が無かったので~」
「……随分さらりと凄い事を言うもんだよなぁ」
日暮れ時、笑顔を交えて野外で食事を楽しむこの光景にこれ程不釣り合いな物語があるだろうか。ふと頬を撫でるそよ風に心地よさを感じながらも宗像玖耶はそんな事を思っていた。
「地上階に上がると玄関ホールの先にがらんとした大部屋があってそこにはテレビや冷蔵庫があったの。建物自体は住居用では無かったけれど仮住まい用にあの女が色々と持ち込んでいたみたい。それで、冷蔵庫から食べ物や飲み物を探して七零と美衣に分け与えながら……もっとも、美衣は食べる事が出来ないからよく指先から吸血されていたものだけど、少しずつ心を通わせていったのよ。その頃にはもう、テレパシーで美衣とも会話出来るようになっていたわ」
「うふふ~眞子の血液ってば~とっても美味しいのよ~」
「ちょっと待った、すぐにそこから脱出しなかったのか?」
「そうよ? 幸いな事にその建物には私達以外誰も居なかったし、そもそも私には返るべき場所が無いわ。それに、七零や美衣の拘束具を外す鍵も見つかっていなかったのよ」
「後で調べたところによると、あの建物は倒産した企業の資産整理の際にどさくさ紛れであの女が手に入れたものらしい。まぁあの能力を使えば容易だろう」
泉水七零の補足に加治佐眞子が言葉を続ける。
「彼女はどうやら一人で蛹化実験を繰り返していたみたいで数日の間その建物に近付く者は居なかったわ。とは言ってももちろんいつまでも居続ける事は出来ないし、だから数日経ったある日私達はここを脱出して三人で新しい人生を見つけに行こうと決めたの」
「これで大体分かっただろう。以降ボク達は欲望のままに人間を襲う蛹を処分しながら、静かな日々を送っているんだ」
「……それでも防げなかった魅翠奈の件は本当に申し訳無く思うわ」
「そんな……別に眞子さんのせいなんかじゃないですよ。ね? 魅翠奈」
うつむく加治佐眞子に対し樋口羽衣美はそう言って樋口魅翠奈の方を振り返った。
「……眞子が、居なかったら私、……とっくに死んでた。それに、あの時は本当に苦しかったけど、……今の自分は、そんなに嫌いじゃない、し。だから、……気にしないで」
「……ありがとう、魅翠奈」
樋口魅翠奈の謝辞に口元を緩め笑顔を返す加治佐眞子。そんな微笑ましい光景に、
「……よっしゃ、それじゃあこの話はこれで終いにしようぜ! せっかく、まだまだこれだけ美味そうなモンが揃ってるんだからよっ!」
「そうですよね、ささ、まだまだありますから、皆さんどんどん食べましょう!」
「……お姉ちゃん、お肉、取って」
「あらあら~、じゃあワタシはご馳走でお腹いっ~ぱいのみ~んなから血を頂こうかしら~」
「……美衣、宗像君が引いているよ」
――心地良い暖かさが庭を、全員を、包み込むのだった。
「あ……そういやさ、」
そんな和やかな食事にも終わりの時間が見え始めた頃、宗像玖耶がふとつぶやいた。
「何ですか?」
「いやその……まぁ何だ、そう言えば樋口妹ってどんな能力持ってるのかなって」
思ってはみたもののさすがに今この場で話題にする事でもないか、とすぐに考え直した彼は小声で樋口羽衣美にだけ聞こえるように耳打ちする。
「でも……そんな事、別に良いよな。……すまん、忘れてくれ」
「うふふ。……魅翠奈の能力が気になるのかしら?」
その囁きを聞き逃さなかった加治佐眞子が、面白そうに話を拾い上げる。
「え? あ、あぁ……まぁ何となく、な」
「じゃあ、……ねぇ魅翠奈。貴女の能力、せっかくだから宗像君にも見せてあげて」
「……うん。じゃあ、……手伝ってもらっても、良い?」
「えぇ、もちろんよ」
「……えぇと、大した能力では、ないけど……」
樋口魅翠奈がそうつぶやくと同時に加治佐眞子が彼女の右手首を掴み、そのまま真一文字に引く。すると、――その腕がずるりと、伸びた。
「うおおおぉ!?」
「はいはい、妙な声を上げないで。……これで終わりではないのよ」
腕全体が伸びたわけではなく、肘から先の骨がまるでスライドレールのように稼動し下腕が右手ごと五十センチ程前方に移動している。元々下腕が存在していた場所にはレール代わりであろう変質した骨とその潤滑油と思われる粘性の強い液体、そしてその二本の骨の間に、更に別の【何か】が存在しているようだった。
「そこに挟まってるのって……」
「あら、意外とめざといのね。……そうよ、これこそが魅翠奈の能力、」
「ひぅ……」
感覚が遮断されているわけではないのか、骨のレールに触れられた瞬間に樋口魅翠奈が頬を染めくすぐったそうな声を上げた。その振動で潤滑油がぺたぺたと地面に滴り落ちる。
「……短剣よ」
「マンゴーシュ? 何だそりゃ?」
「左手用短剣の事さ。ゲームか何かで聞いた事は無いかい?」
泉水七零の説明にそう言えばそんな武器もあったような、と宗像玖耶は頭を捻る。
「この短剣の刃……濡れているのが分かるかしら?」
そう言うと加治佐眞子は取り上げた短剣をゆらゆらとかざして見せた。
「あぁ……そう言われればそう見えるな」
「この液体ね……猛毒よ」
「へぇ…………って、猛毒っ!?」
「分かりやすい反応をありがとう。……そうよ、猛毒なの。だから気をつけてね? おそらく人間であれば擦っただけで致死量よ」
「お、……おうよ……」
ごくりと唾を呑む宗像玖耶を尻目に加治佐眞子は短剣を元の場所に納め樋口魅翠奈の右下腕を押し込んだ。下腕が元に戻ると彼女は軽く腕を捻りその挙動を確かめているようだった。
「な……なかなか強そうな能力だな……」
「でも諸刃の剣でもある。悪用は避けなければならない。だから、……分かっているね?」
泉水七零の冷めた目線が宗像玖耶をいとも容易く、――射貫く。
「う……あ、あぁ……もちろんだぜ……」
「……もう止めなさい七零。そもそも信用しているからこそ、此処に連れてきたのよ」
「……分かってるよ眞子。……すまなかったね宗像君。まぁ念のためさ」
いつの間にか日は落ち風が冷たくなっていた。網焼き器の残り火が頼り無くゆらめく。
彼女達も、俺等も、命が掛かっている――。
宗像玖耶は改めて、意図せずとは言え自身が覗き込んだ新世界に必要なその覚悟を噛み締めるのだった。