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霧と繭(1-1)

「あ……あ……」

 震えている。

 声が。

 体が。

 信号の無い小さな交差点に差し掛かった宗像玖耶の眼前にはパチ、パチと音をたて点灯する壊れかけの街灯に蒼白く照らされた樋口羽衣美が立ち尽くしておりそしてその異常性はすぐさま彼に伝わるところとなるのだった。

 彼女が身に纏う色鮮やかなはずのジャージが、――黒い。斑模様に黒く塗り潰されている。

 ――黒い?

 違う。きっと違う。あの黒は、――黒色なんかじゃない。

信じたくない直感が、宗像玖耶を責め立てる。

「ひっ……樋口っ! 大丈夫か!?」

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 必死に臆病さを押し殺し、宗像玖耶は悲鳴のような声を上げた。

「あっ……あ……宗像……さん……」

 振り返る樋口羽衣美の顔は恐怖に引きつり涙でべとべとに汚れていた。斑模様だった背面側と違い正面側はほぼ黒一色に塗り潰されている。

「どうしたっ!? 何があったんだ!」

「あ、あの……あ、……アレ……」

 嗚咽のような声を振り絞った樋口羽衣美の指先が指し示すその先――道路を挟んだ向こう側の歩道には一人の男とその男からダラリと垂れ下がる影法師が見て取れる。宗像玖耶の存在に気づいたその男が振り向くとその影法師にも街灯の光が照らされていき、――そこでようやく彼は今まさにこの瞬間、自身の命すらも危機に晒されているのだという事実を知るのだった。

 男に抱きつかれるような形で力無くゆらめく影法師の少女――樋口魅翠奈にはまず明らかな違和感があった。宗像玖耶は最初、その違和感は自身の勘違いに起因すると思っていた。そう信じたかった。

 そう、――彼女の左腕が無いように見えるのはきっと影のせいだ、たまたま見えない位置にあるんだと信じさせて欲しかった。

 しかし残念ながら左上腕からとめどなく垂れ落ちる(あか)い液体が、かつて肘や下腕が存在していた部位に今はもう何も無い事を明確なまでに示していた。そのあまりの分かりやすさに背筋を伝う冷たい何かが一気に首筋を通り脳を冷やす。


 ……こひゅー。こひゅー。

 声が出ない。

 宗像玖耶は間の抜けた音をたてながら口呼吸をする事しか出来ない。

 何をすべきなのか? ……何も分からない!

 視線を外す事すら出来ず、唯々呆然とする二人に対し男は嘲るようににんまりと口を大きく広げると樋口魅翠奈のTシャツを引き千切り首筋から肩にかけてを大きく露出させ、ゆっくりと天を仰ぎ、そして自身の顔面を彼女の首下に叩きつけた。

 ぎゅり、ぎゅり、ぎゅ、ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ

 不快な音が淡々と、ステップを踏むように聞こえてくる。

「あぐっ……」

 途端、涙と唾液に塗れたまま今までぴくりともしなかった彼女の顔が醜く歪んだ。絶望に服従し艶を完全に失った黒体の虹彩が眼球の大半を占め両の瞼は千切れんばかりに極限までこじ開けられている。

「……かはっ……ぎ……ぎぎぎぎぎぃ……あぁぁぁぁ……」

喉で力任せにすり潰したかのような喘ぎ声が、立ち尽くす二人の耳に纏わり付いて離れない。

「やめ……やめ……て……」

 隣で立ち尽くす宗像玖耶ですら全くと言って程に気づかない、そんなか細い声で樋口羽衣美は懇願し続けた。しかし男は決して樋口魅翠奈の首筋に食い込ませた犬歯を抜こうとはせずやがてすぐに緋色の体液が男の歯を染めるのだった。

「あぁ……あああああ……あああ……あ……」

 既に樋口魅翠奈は意図的に声を出す事すら叶わず、四肢を痙攣させながら壊れかけのラジオのように断続的なピンクノイズを肺から絞り出していた。滴る血潮が自身の顔を伝い左眼球を紅緋色に絵取る。焦点の定まらない視線が儚く漂い時折二人と目が合った気がした。


「もう……やめてぇ……やめてよぅ……」

 崩れ落ち両手で顔を覆う樋口羽衣美の悲嘆に暮れたその祈りは、例え天には通じてもこの男には届かない。

 こわい。こわい。こわい。こわい。こわい。こわい。こわい。こわい。こわい。こわい。

 もはや具体的な対象に対してのみではなく今この場におけるありとあらゆる事象が恐怖の原因と成り得る。たとえ樋口魅翠奈が助けを求め必死に手を伸ばしてきたとしても宗像玖耶にとっては既に得体の知れない不気味な行動としか理解出来ないだろう。

 

 ――ざり。

 ……何の音だろう。

 錯乱の最中(さなか)、宗像玖耶は意識の隅に音を捕らえた。

 ――ざり、ざり、ざり。

 ……まただ。まだ聞こえる。近い。すぐそばだ。

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