予感(3-5)
午後三時。朝のシフトが終わってから結局特にする事も無く出店で飲食物を買いあさりダラダラとメインステージでのバンド演奏を聞いて時間を潰した宗像玖耶がクラスの出店に戻って来ると、同じく午後三時からのシフトに再び当たっていた樋口羽衣美の姿はまだ見えなかった。
「……しゃーねーな。まぁ、忙しいんだろうし……おら、交代の時間だぜっ!」
そう言って網焼き器の前に立ち串に刺された鶏肉を再び手慣れた手つきで炙り始める。
「いらっしゃいませー! ご注文は?」
受付係の樋口羽衣美が居ないので注文は宗像玖耶や他のクラスメイトが片手間で受ける形となった。もっとも朝イチならではの賑わいは既に引いており次のピークはおそらくオープンキャンパス代わりに訪れる学生が増える午後五時以降と思われ、そしてその予想通りに特段混乱する事もなく受付と各自の分担作業を全員で難なくこなしていくのだった。
「ごめんなさい~、遅くなりました~!」
「お、お疲れさん。大丈夫、俺達だけでもまだ普通に回ってるよ……って、あれ、樋口妹は?」
「あぁスイマセン、サークルの後片付けをやってまして……もうすぐ来ると思います」
「あぁそうなのか。ご苦労さん、樋口もちょっと休んでて良いんだぞ? とりあえずピークはまだみたいだし」
樋口妹も入学当初はお姉ちゃんにぴったりとくっついて離れなかったのに成長したんだなぁと余計なお世話心を働かせながらも宗像玖耶はねぎらいの言葉を掛けた。
「そ、そうですか……ではスイマセン、お言葉に甘えてちょっと座らせてください……」
そう言って彼女は出店の奥に置かれたパイプ椅子へと腰を下ろしスタッフ休憩用の缶ジュースに手を伸ばして喉を潤す。
……きゅるるるるるるー。
そんな時だった。おそらくは全人類共通であろう、空腹を示す合図が外部に漏れたのは。
――だ、誰にも聞こえてな、ないですよね!?
そんな樋口羽衣美の切なる望みは、
「お、誰かお腹でも空いたのかー? まぁこんな美味そうな音と匂いがしてたらしょーがねーよな、うんうん!」
メインストリート側を向いたまま振り返らずに感想を述べた宗像玖耶によって無残にも打ち砕かれた。
……ぽんぽん。
「? どうした?」
肩を叩かれようやく振り向いた彼は、クラスメイトの呆れた表情とパイプ椅子周辺に漂う負のオーラを目の前にしてようやく自身の失言に気づく。
「あ! ……いやその……」
沈黙。沈黙。沈黙。
誰一人として言葉を発さず辺りに響くはただ肉の焼ける音のみ。運悪く注文は途切れ、このままでは会話の流れを中断する事すら出来ず場が悲惨な雰囲気一色になってしまうと思われた、その矢先。
「……どうか、したの、……お姉ちゃん」
「「うわぉうっ!!!」」
クラスメイトの視線が完全に二人へと集中していたその隙に乗じ、さらりと樋口魅翠奈が顔を見せた。
「……? お姉、ちゃん、はい、……コレ。サークルの子が、どうぞ、って」
「あぁうん……アリガト。ワタシチョウドイマ、オナカスイテタノ……」
まるで台本を読んでいるかのようなその固い口調が、樋口魅翠奈以外の涙を誘う。
「……?」
「あ、魅翠奈ちゃ~ん! やっほ~!」
各々が元の作業に戻るも出店内にはまだ若干硬い空気が漂うそんな時、背が高く足は細く胸はある、正にお姉様という言葉がしっくりくる女性がレジにいる樋口魅翠奈に声を掛けて来た。
「あ……どう、も、こんにちは」
「あはは~、相変わらず~可愛いわね~」
その外見と独特の間延びした甘ったるい声に出店内男性の意識が集中し、もちろん宗像玖耶も例外ではない。
「……あの~、どちら様で?」
「……加治佐、さんの、お友達……さっき、サークルの、喫茶店に、来てて」
「そ~なのよ~、も~、二人とも可愛くて可愛くて~! こっちのお店にも居るって話を聞いてじっとしてられなくて~、……あ~、羽衣美ちゃ~ん! やっほ~、コッチにも来たわよ~」
「あぁどうもです……ありがとうございます……」
出店の奥から手を振り応える樋口羽衣美は、相変わらずの低空飛行だった。
「? ど~したの~?」
「いえ……何でもないです……」
「そ~ぉ~? え~と、じゃあ焼き鳥も注文しちゃおうかな~……あ、眞子、七零~! 何本くらい食べる~?」
「……やれやれ、まだ何か欲しいのかい? ボクはいらないよ」
「私もいらないわ」
香山美衣から遅れる事数分、泉水七零と加治佐眞子が到着しさっそくその提案を却下した。
「え~何でよ~一本くらい頼んでよ~、そ~じゃないとワタシ注文出来ないじゃないのよ~」
「そうは言ってもね……」
「仕方ないわね、じゃあ焼き鳥二本と、あと飲み物をちょうだい」
「わ~い、じゃあ注文は~ソレでお願いしま~す!」
「あ、はい、少々お待ちくださいませっ!」
何となしに気の抜けていた宗像玖耶が気合いを入れ直し網焼き器に鶏肉を並べていく。
「……よっしゃ、出来たぜ! はい、お待ちっ!」
「どうもありがと…………ん……」
加治佐眞子は串を受け取ると肉を横から咥え、一気に串から引き抜く事はせずに少しずつ咀嚼していくのだった。一噛み毎にごくり、と小さく喉の鳴る音が聞こえる。その一挙一動を何故か事細かに見入ってしまうクラスメイト達は男女を問わずまるで時間が圧縮されてしまったかのようにその一瞬一瞬を永遠と感じていた。
「……あら、意外と美味しいじゃない」
「だ、だろ! 焼くのはちょっと自信あるんだよ俺! ……って、あれ? 香山さんは食べないんですか?」
加治佐眞子の言葉に自信を少しだけ取り戻した宗像玖耶はふと、焼き鳥を食べる二人をただ見つめるだけの香山美衣に気づいた。
「え? えぇ、ワタシはえっと、そう、ダイエット中だから~、飲み物だけで良いのよ~」
「……そう、言えば、喫茶店、でも、紅茶、だけ」
「そ~なのよ~、よく覚えててくれたわね~、お姉ちゃん嬉しいわ~!」
「これで満足かい、美衣。じゃあ行くよ」
「あ、七零~、ちょっと待ってよ~! ……じゃあね~、魅翠奈ちゃ~ん! また明日も行くからね~! あ~、羽衣美ちゃんも元気出してね~!」
そう言葉を残して、嵐のようにやって来た香山美衣と二人は嵐のように去って行くのだった。
「……じゃあ、何で注文したがってたんだよ……」
そんな宗像玖耶の言葉を受け、一同は大いに頷くのだった。
そうやって彼等のシフトは終わり、樋口姉妹は再びサークルの喫茶店へと戻っていく。宗像玖耶は初日のシフトが全て終わりあとは特にする事も無く自身の失態を反省しながらも夜までダラダラと時間を潰すのだった。
百合喫茶は第二幕も大盛況で相変わらず香山美衣は樋口姉妹を可愛がり、その樋口姉妹は二日目も朝から準備があるとの事で第二幕が終わると早々に後片付けを済ませ特に祭りを楽しむ事も無く帰宅した。
そうして、大学祭一日目は何事も無く団円を迎えるのだった。