予感(3-2)
「いらっしゃいませー、何にいたしますかー?」「「っさいませー!」」
そしていよいよ午前十時。
大学祭の開始を告げる放送が流れ、途端に各出店から威勢の良い声が上がる。
周囲の出店に焼き鳥屋台がたまたま少なかった事が幸いしたのか平日午前中のわりには集客があり、手探りの接客で樋口羽衣美が次々と注文を受けていく。隣に立った宗像玖耶が網焼き器に立ち向かい、じゅうう、と肉を火にかけた。表面が焼けタレは焦げ、途端に食欲をそそる匂いが一帯に広がる。
「うぉ、うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
目の前で完成していく自らの作品に触発されさらにテンションを上げていく宗像玖耶。
「……何か、急にキャラ変わってない……?」
「あぁ、アイツ結構練習してたらしいからなぁ」
朝イチの準備から解放されひとときの自由時間を手に入れたクラスの他の面々は遠目で宗像玖耶の活躍を見守るのだった。
「ふん! ふん! ふん! ふんっ!」
もはや彼の右目・左目・右手・左手はそれぞれ個別に行動を始め十数本はある網上の串を同時に管理している。屋台には他にも数名のクラスメイトが居るのだがその数名が徐々に手持ち無沙汰になる程の気合いの入れようだった。
「へい、おまちぃぃぃぃぃぃ!」
幸か不幸か客は入れ替わり立ち替わりで注文が途切れない。そのリクエストに応じ宗像玖耶は焼く。肉を焼く。ただひたすらに淡々と、延々と焼く。一人肉を焼き続ける。
北海道の六月。蒸し暑いという事は無くとも灼熱の網焼き器に身をかざすその行動が多量の汗と疲労を伴う事は言うまでもなく、本日の彼の姿は大学祭のロゴが入った黒Tシャツにジーパン、肩からは手ぬぐいを提げ頭にはねじりはちまき、そしてもちろん手には軍手という定番のお祭りスタイルである。目つきの悪さが災いしねじりはちまきによってオールバックとなったその姿は外見だけで言えばその筋のテキ屋さん的な風格が漂っていた。
「宗像さん、焼き鳥まだですか!?」
開始から四十分程経過した頃、午前十一時からスタート予定である二つ隣の出店でのイベント参加者――どうやらインターネットを利用した生配信を行うらしいと宗像玖耶達は聞いている――が周辺の出店にも顔を出し始め相変わらずその売り上げは右肩上がりを継続中だった。
「おう! もうすぐだから……よっしゃ、出来たぜ! ほい!」
樋口羽衣美との阿吽の呼吸もかみ合い始め注文から受け渡しまでの流れが淀みなく行われるまでに発展を遂げようとしていた、その時である。
――ふと、宗像玖耶は気づく。
……あれ、人数はいるはずなのに、俺しか肉焼いてなくないか?
彼の記憶に間違いが無ければこの屋台には彼自身を含め四人いるはずなのだ。
……なのに、樋口が注文を受けて俺がひたすら焼く? じゃあ他の奴等は――
そんな今更過ぎる思いを胸に、ふと彼は周囲を見回した。
そこにはクラスメイトである織田や横井が確かにおり、しかし彼らは焼き上がった食べ物をパックし保冷ボックスに入っている缶ジュースを取り出す役に徹していた。
「……っておいおい! 何で俺だけ汗塗れなのっ!? おい織田、オマエも焼けよ!」
その両手は相変わらずの串さばきながらも宗像玖耶は鋭いツッコミを織田に差し向ける。対する織田はいつの間に着替えたのか、朝の準備時とは違い白いVネックのTシャツに黒いテーラードジャケットという装いで応えた。
「何を今更……最初から君が全部仕切ってくれているじゃないか。それに、僕はTシャツにねじりはちまきというのはちょっと、ね。せっかくの服が汚れてしまうし……あ、はいどうぞ。時間があったらまた来てくださいね」
憤慨する宗像玖耶を横目に織田はお客様である女子高生に商品を渡していく。
調和の取れた服装、整った顔立ち、宗像玖耶と同じ金色でありながらも艶を失わず整えられた髪、その完璧なまでのトライアングルに加えその仕草は実に優雅で余裕があり、受け取った女子高生が立ち去る際に何度か振り向いていたのが全員の印象に強く残る程だった。
「……って、こらー! シフトなんて前もって決まってたんだからちゃんとそれ用の服着て来いやー! おい横井、オマエは焼いてくれるんだよな!?」
「え? ……いやぁ、ははは。もうすぐシフト終わるし、慣れてる宗像が最後までやった方が良いよ、そっちの方がきっと売り上げも良いって!」
「おいー! そう言いながら客に色目使って商品渡してんじゃねー! 俺にもスキンシップさせろー!」
「はいはい、じゃあこれをそこで待ってる女の子に渡して来てよ」
宗像玖耶の欲望の根源を目の当たりにした織田が軽くため息をつくと、しょうがないね、と言った仕草で望みの通りに焼き鳥の入った袋を渡す。
「っと、へへへ、そうこなくっちゃな、任せろってんだ!」
そう言って勇ましい決めポーズを見せ織田から袋を受け取った宗像玖耶は、嬉しさのあまりその袋の大きさと重さの意味に気づかない、――いや、気づけない。
「へへっ、すいません、お待たせしまし、……っ!?」
餌を持って近付いたその刹那、――あぁ何と言う事か、飢えた獣達の眼光が矢継ぎ早に哀れな生け贄を射貫くのだった。
「「うぃぃぃぃぃぃぃっすぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」」
ドスの利いた声が地を揺るがし、彼は影を縫い付けられてしまったかのように動けない。
……馬鹿な。俺は女子校生に焼き鳥を渡そうとしただけだったはず。一体何が起こった?
哀れな子羊の視線先には、午後一時から行うデモンストレーションのアピールのためにメインストリートを回っている女子プロレス同好会の屈強な面々が待ち構えていたのだった。
まさか学内にこんなサークルが存在していたとは。宗像玖耶は今更ながら自分が通う大学のそのスケールの大きさと未知なる領域の存在に、薄れゆく意識の中で驚愕するのだった。
「……まったく、宗像さんったら……はぁ」
樋口羽衣美のそんなつぶやきなんて彼はもちろん知る由も、無い。
そんな経験を得た宗像玖耶がふと意識を取り戻すと、時間はすでに十一時。次のシフトメンバーが揃っており彼は残念ながらつい数分前に経験した修羅場に対する怒りを織田へとぶつける間も無く引き継ぎに当たるのだった。ちなみに、既に織田はこの場には居ない。
引き継ぎはすぐに終わり、朝からのメンバーはこの瞬間から晴れて自由の身となった。それぞれが思い思いの場所へと霧散していく中、樋口羽衣美だけが一直線に目的地を目指し人混みの霧の中を突き抜けていく。おそらくは所属するサークルへと向かったのだろう、そんな事を考えながらぼんやりとその後ろ姿を宗像玖耶は眺めていた。
「……はぁ」
彼のそんなため息もまた、華やかな雑踏の中へと消えていく。する事も無く途端に燃え尽きてしまった男は一人、焼き鳥を手にメインストリートを歩きまもなく始まるメインステージでのバンド演奏、そのリハーサルに耳を傾けながら自然とそちらの方に足を向けるのだった。