その者、遥か高き孤高を夢見て。
翌日、僕は学校に行っても、僕は襲われなかったし、黒羽四葉が、僕に話しかけてくることもなかった。
昨日の威嚇が功を奏したようではなかった。
何故なら、今日僕は、確かに黒羽四葉から話しかけられることはなかったが、それとは別のアクションが、いや、厳密には、前々から見られていた様子があった。
授業中だろうが、休み時間だろうが構わず僕を、尊敬の、―――畏敬の眼差しで見つめてくるのである。恐怖でも否定でもなく、尊敬の、畏敬の眼差しである。僕はそれを、勘違いだろうと思っていた。もしくは憐憫の感情からくるモノだと思っていた。
でも違った。明らかに、明確に、違っていた
これは明らかにおかしい。普通の人間であれば、あんな物を見れば、恐れおののき、僕をクラスから排除しようとしようが、社会的に抹殺しようとしようが、おかしくないのである。
しかし現実は小説よりも奇なりて、僕は彼女から恐怖に類する感情を受けてはいないようだ
おかしい。
僕はほんの少しだけ湧き出た安堵の感情への嫌気とともに、ため息をついた。
別に彼女に、信仰の兆しは見えない。つまり彼女は僕を、鬼を、オカルトを崇拝する人間でもなければ、化物を、人と異なるものを歓迎するものではないはずだ。クラス内ヒエラルキーのトップに君臨するような女であるしな。
では何故か。なぜ黒羽四葉は、僕に恐怖していないのか。恐れに怖れていないのか。なぜ畏れ、敬っているのか。
と、僕は何も語らぬ帰路に、住宅街の道路に、問を投げかける。
―――わからん。
そういえば、今読んでいた本には、こんな一文があった。
円に加わるものは誰しも、誰よりも、点に憧れている。と、
「・・・あ。―――本、忘れた。」
なんたることだ。家で読もうと思っていたのに。
取りに行くのもめんどくさいなぁ。でも取りに行かないと、家で暇だしなぁ。つまり逆説的に、今取りに行く暇も手もあるということか。
僕は来た道に振り返る。
「―――取りに行くか。」
そうして僕は、歩を進めた―――はずだった。
その筈だったのに、なぜだろう。
僕は今来た道を見ているのだが、何故かそれとともに、本のことを思い出さなければ進んでいたはずの道も、一緒に見えていた。
―――胸部と背中の鈍痛とともに。
「か・・・っは!?」
何が起きている。何が起きている?何が起きている!?
思考しようにも、肺が潰れ、呼吸ができず、思考もまとまらない。
でも、肺が潰れた程度なら、―――肺が潰れた程度なら、僕は、僕は大丈夫だ。非常に気持ち悪く、それこそ本当に死にたいくらいに憎たらしいが、僕は、肺が潰れたくらいなら死なない。それよりも、状況の把握を・・・・!!
僕は周りを見渡した。
見たところ、僕は現在、来ていた道を進んだ先の突き当りに、何故か砕けて、その先の庭に、簡単に入れそうになっている石の塀だったもの、つまりはその残骸に、鉄骨に背中を預けていた。
ッ・・・・・!?車にでも轢かれたのか僕は!?
しかしそんな思考をする余裕も、すぐに無くなった。失われた。お亡くなりになられた。最近の延命治療は、中々貧相であるらしかった。
何故なら、喧騒が、―――住宅街の人々の気配が、無かった。失われてもいない。無かった。最初から無い。無だ。
閑静な住宅街であるとは言え、人が50m程度を一秒未満で飛行して、塀に、石に激突するほどの轟音が響いたとなれば、誰かがカーテンや窓を開け、叫び声を上げても無理はない。不思議ではない。というか当然で、道理であるはずだ。
なのに聞こえない。感じない。
―――何も。
・・・いや、聞こえた。
足音が、―――一つだけ。
そう、一つだけ。一つだけだ。
そしてその一つの主は、見知った顔だった。
おかしい。不可解だ。異常だ。アブノーマルだ。
そして―――不快だ。そんなアブノーマルな存在である自分が、こんな異常と遭遇してしまう自分が、不快だった。
僕は、人間だった筈なのに・・・・。
―――これも報いというものか。
あの時の、あの時の狂った僕への、―――罰。
だったらその罰は、償わなきゃなぁ。償って、いかなくちゃなぁ。
僕は、僕と同じく異常の仲間入りを果たしてしまった優しい者に、これから僕と同じ過ちを犯そうとしてしまっているバカ悪女へ、治ってしまった、万全に戻ってしまった体で立ち上がりつつ、口の端から垂れている血を拭い、鮮血を想起させるであろう、禍々しい赤色と化した瞳を向け、同意を求めた。
「なぁ・・・・黒羽四葉。」
人が持つにはあまりに凶暴な、濁った赤に輝く双眸と、人の額にあるはずのない、その一本の芯を天に向け、その鬼は、黒羽四葉は、咆吼した。
高く高く天高く。―――遥か高みへと、届くように。