死が二人を分かつまでどうぞ幼馴染みを優先してくださいませ
ちょっとこねくり回してしまったかもしれません。
「カラメル!アーニャンが倒れたみたいなんだ!心配だからちょっと行ってくるよ!」
ノックもそぞろに勢いよくドアを開けたと思ったら返事も聞かずに走って行ってしまった。ドアくらい閉めて行けばよろしいのに。
「…とうとう御自分が誰の婚約者かお忘れになったようね」
隣には侯爵令嬢が座っており冷めた目で中途半端に開いているドアを見遣った。
ここは生徒会室で他にも高位貴族の方々がいらっしゃる。彼は公爵令息だから気兼ねないのだろうけど下位のこちらはヒヤヒヤする。
子供の身分だが寄子として寄親の無礼をそのままにするのはどうかと思い、周りの方々に向かって頭を下げた。
「寄子だからとあなたが頭を下げなくてもよろしいのよ」
下のものに頭を下げられても意味はありませんもの、と辛辣なお言葉を貰ったがあなたに責任はないという意味が含まれておりホッと息を吐く。
「そろそろ目は覚めまして?」
「はい。覚悟はできております」
彼と出逢った頃のわたしは愚かだった。高位貴族なのに優しくしてくれたし過分なプレゼントも気軽にくださった。
だから勘違いしてしまったのだ。
彼の心はわたしにあると。
わたしだけに寄り添ってくれているのだと。
けれどそうではなかった。今年に入ってからは幼馴染みのあの子のことばかり気にして優先する。
会わないでほしいと何度もお願いしたのにちっとも聞いてくれない。
あの子にも彼に近づかないでと頼んだがわたしのせいで病気が再発したと彼に責められた。
その日以降彼とまともに顔を合わせていない。会いに来たと思ったらあの子の容態が悪いから会いに行くと告げて去っていくだけ。公爵夫人から直接お叱りを受けているはずだけど効果はなさそうだ。
「でしたらそろそろあの方に引導を渡して差し上げましょう」
わたしの言葉に満足そうに頷いた侯爵令嬢はうっそりと微笑んだ。
◇◇◇
その日は高位貴族のみ参加できるパーティーがババロワヴァ侯爵家で行われていた。子爵身分の自分が参加できるパーティーではなかったが婚約者のパートナーとして来ている。
グラスを持ちながら失礼にならない程度に周りを見回す。行儀見習いでメイドをしているせいか裏方として動く使用人達が目に留まりやすい。卒なく動く侯爵家の使用人に流石だわと感嘆した。
その使用人の一人が壁を伝うように素早く動き控える執事に耳打ちをしているのが見えた。その執事は顔色を変えず使用人に二言三言返し主人である侯爵夫妻に近づいた。
主催の彼らは招待客であるプリンタイロゼ公爵夫妻と談笑しているところだった。侯爵夫妻の隣にはミルキューヌ・ババロワヴァ侯爵令嬢がにこやかに微笑んでいる。
しかし執事の話を侯爵から聞いたのか一瞬真顔になりそして笑みに戻しながら扇子を開いた。
その扇子と目配せですべてを理解したわたしは頷く代わりに扇子を開きヒラヒラと左右に揺らした。
「え?!なんでここにカラメルがいるんだ?」
暫くすると見覚えのある令息が派手なドレスを纏った令嬢をぶら下げてやってきた。いないと思っていたから余計驚いただろう。
それはそうよね。わたしのような者がここにいるはずないもの。
「お前は子爵家だろう?なのになぜ…」
「エッグタルド・プリンタイロゼ様にご挨拶申し上げます。ご質問にお答えしますと婚約者のパートナーとして参加しております」
「婚約者…ああ、」
そこまで言われてやっと思い出したのだろう。「仕事ばかりでお前を放置する冷血漢だったな」と鼻で笑い「よかったな。今日は連れてきてもらえて」とあたかも普段は捨て置かれているかのような物言いにカチンときて彼を睨みそうになったが学んだことを思い出し頬に力を入れ微笑んでやり過ごした。
放置されていると思い込んでいたのは本当だ。五歳差であちらはすでに財務官として忙しく働いている。そのせいでなかなか会えず、仕方ないと割り切るには心が幼なかった。
あまりにも寂しくて心細くて一人で泣いていた時にエッグタルド様に声をかけられ、その優しさに触れ惹かれてしまった。
今思い出すと恥ずかしくなるくらい幼稚だったと思う。
少し離れた場所に婚約者が心配そうに視線をくれるのが目に入り心がぽかぽかとあたたかくなった。
一時期はエッグタルド様を想っていたが浮ついた恋はもうしていない。彼の優しさは見返りを求めたもので本当の優しさではないのだ。
「その説は心を砕いてくださりありがとうございました。お陰様で婚約者との関係も良好となり、近々公爵家をお暇させていただくこととなりました。短い間でしたがお世話になりました」
「え?!」
遠縁だがプリンタイロゼ公爵と親戚関係ということで行儀見習いとして学ばせてもらっていた。これは嫁ぎ先の伯爵夫人と公爵夫人が御学友であったことや伯爵夫人が病に臥せっておられたことで起こったありえない話だった。
話を貰った当初は髪の毛一本ほどの細い繋がりしかなかった雲の上の公爵家ということで両親は卒倒し兄も家令も震えていたがわたしが一番吐きそうだった。
今はなんとか慣れたがふと我に返ると口の中が酸っぱくなるくらいには緊張で死にそうになる。
それくらい緊張していた公爵家なのに一時期でもエッグタルド様に惹かれていたのだから案外自分は図太い人間なのかもしれない。
もしくはエッグタルド様が親しみやす過ぎる気質だったか。
主人のご子息が使用人に気安く話しかけてくるなんて普通ならありえない。それを下々にも心を砕く優しさの持ち主だと勘違いしたわたしが悪いのだ。
「ですので今後は婚約者であらされるミルキューヌ様との交流も逃げずにお務めいただきたく存じます」
「え、や、その…それはちょっと、」
視線を泳がすエッグタルド様になんと情けない、と思ったが口にはしません。まだ主人のご子息なので。家格でも言える立場ではありませんが。
「こ、困るよ。ミルキューヌにはカラメルを理由にしてるんだ。お前が辞めたら言い訳ができなくなるじゃないか」
「そうでしたね。ミルキューヌ様との交流を避けるためにわたくしが倒れただの、具合を悪くしただの、熱を出しただの、早く帰ってきてほしいだの、寂しいから一緒にいてほしいだのと手紙も伝言も送っていないのにわたくしを言い訳にして帰っておりましたものね」
とても迷惑しておりましたの。と微笑むと彼の顔が引きつった。そのくせこの二年は別のご令嬢のもとに行かれてましたよね。
一年周期で新しい恋に目覚める運命の出逢いってなんなのかしらね?意味がわからないわ。
でもその多情な御心のせいでミルキューヌ様との婚約が破談になりかけたのよね。それももうお忘れになったのかしら。
「そのお陰でわたくしは使用人の分際でとその場に居合わせた名も知らぬご令嬢方から何度もお叱りを受け、奥様からもお叱りを受けておりましたの」
奥様、つまりはエッグタルド様のお母様の名が出た途端彼の顔色が一気に青褪める。一番恐れているのでしょうけど遅すぎますわ。
そして喉元を過ぎれば忘れてしまうことも奥様もわたしもミルキューヌ様もご存知ですよ。
「でしたら今後はそこのご令嬢を言い訳に使えばよろしいのではなくて?」
「ヒッ…ミルキューヌ、」
スッと現れたミルキューヌ様に深く礼と取ると直ぐ様声がかかり顔をあげた。横を見ればあの子は礼も取っていなかった。公爵令息にぶら下がってるから礼をとらなくてもいいと思っているのかしら?
「ごきげんよう。エッグタルド様。本日はカラメル様が熱を出したからお見舞いに行くためにわたくしのパートナーはできないとのことでしたがこれはどういうことかしら?」
「…え!…あっこれは………そう!語るも切ない行き違いがあったんだ!」
「行き違い…ですか」
語るも切ない行き違いってなんなのかしら。逆に聞いてみたいわ。
「そんなことよりもなぜパートナーがいないお前が参加している!これでは両家が恥をかくじゃないか!」
「何を仰っておりますやら。主催は当家ですわよ?パートナーがいない程度でお客様をお迎えしないなどありえませんわ」
エッグタルド様はここがどこかお忘れになっていたようですわね。顔色悪く逃げるように顔を背けたがぶら下げている令嬢がいるせいで逃げることもできないけれど。
「むしろ半年前から予定を押さえドレスなどのすり合わせもすべて終わらせていたのに、前日になって『かわいそうなカラメルが熱を出したから下がるまで付き添わなくてはならない。だからパートナーはできないからお前もゆっくり休んでくれ』と連絡してきたのはそちらではありませんか」
そのカラメル様も健康な姿で参加しておられますが、と視線を寄越してきたので軽く礼を取った。
パーティーの二日前には実家に戻りパーティーの準備をしていていたのでお屋敷にもいなかったのだが彼は気にしていなかったらしい。
最近はわたしにも同じ言い訳をして隣の令嬢のもとに逃げていたから設定がごちゃごちゃになってるんじゃないかしら。
だってわたしはずっと健康で熱が出た程度で寝込むことなんて滅多にないもの。
もし出たとしても次の日には治るくらいだし穴を空けて使用人や奥様方の迷惑になるほうがつらいわ。だから健康にはとくに気を遣ってる。
それができて当然だと思っているのに一使用人が主人のご子息の予定を繰り上げさせるなんて本当なら絶対にできないし、すべきじゃない。
権利もない者がそんなやらかしをしたらクビではすまないからだ。
そこを真摯に説明してわたしの意見を信じてもらえたから首は繋がってるし職場も円満退職できるのよね。
だけどエッグタルド様は一切気にせず平気に嘘を重ねてわたしを盾にする。
そんなことをされれば淡い恋心も一気に冷めるわ。しかも言い訳の相手はミルキューヌ様だもの。誤解を解くまで生きた心地がしなかった。
生きていられるうちに誤解が解けてよかったわ。婚約者との関係も続けられてよかった。
無理だと今ならわかる当然のことをあの頃はシャットアウトしていて、エッグタルド様がわたしを幸せにしてくれるかもと信じていたのだ。本当正気に戻れてよかったわ。
心の中で自画自賛したわたしはまだエッグタルド様にぶら下がっている無礼な令嬢に目を遣った。
これが幼馴染みとか恥でしかないわね。
アーニャンは昔本当に体が弱くベッドから出られない生活を強いられていた。年齢も家も近かったので話し相手として顔を合わせたのが最初だった。
どちらにも兄がいてその兄達が友人になったからそのおまけでついて行ったという経緯だったけど。
最初のうちは仲がよかったと思う。幼い頃のアーニャンは天使か妖精と思うくらい儚い雰囲気の美少女だった。
今も美少女にはかわりないがもう病弱ではないし性格の悪さが口許や目に出てきていて悪い方向の近寄り難さが出ていた。
まだ家同士の付き合いがあった頃、アーニャンは会いたくなるとこちらの予定を無視して昼夜問わず呼び出すことを何度も繰り返した。
『胸が苦しいの』、『うわ言で何度もカラメルの名を呼んでいる』、『二人が来ないと泣き止まないんだ』と切々と訴えられれば行かないわけにはいかない。
何度か本当に具合が悪そうでお見舞いや看護の付き添いをしたりしたがアーニャンとは友人であって家族ではない。
『帰らないで…』と庇護欲唆る表情で縋られ心は揺れるがカラメルはアーニャンと同い年だ。
兄だって未成年だったし彼女が寝ているのに自分は椅子に座りながら中途半端な姿勢で手を振り解かないように起き続けなければならないなんて苦行でしかない。
このままではお互いの成長に障害が出てくると両親達が話し合ったことで夜間の出張と予定を返上してのお見舞いは断れるようになった。
というか具合が悪くなったなら医者か家族を呼べばいいだけの話だ。『あの子は二人をとくに慕ってるから』は深夜の呼び出し理由にはならない。こちらにもこちらの生活があるので。
で、暫くはアーニャンに悩まされることなく過ごせていたのだけどある日突然アーニャンから兄との婚約の打診が届いた。
何度もお見舞いをしてくれて寂しい夜も手を握って何時間も付き添ってくれた優しい兄なら結婚しても幸せにしてくれるでしょ?だそうで。
いやそれ全部わたしがしたことですけど。
兄は子供でも異性だからわたしや男爵家の誰かと一緒にしか寝室に入れなかったし時間も短く限られていた。
熱で朦朧としていたとしてもその辺のマナーがないと思われたのは心外だったしわたしの苦労はなんだったの?と憤った。
跡取りだった兄は考える間もなく断り父も跡取りが生めない体の弱いアーニャンには子爵夫人は無理だと断った。
結構あけすけに断ったので交流はなくなるかも、と父が言っていたのに対しアーニャンは諦めなかった。
出逢った頃から兄に運命を感じていた。
わたし達は結ばれる運命だ。
カラメルよりも可愛い自分を手元に置いたほうがお得だ。
わたしをこき下ろしながら家族になりたいと手紙でアピールしたりお茶会に招待したり予定をガン無視して呼び出したりし続けた。
そのせいで兄はノイローゼになりアーニャンが元気に外を歩き回れるようになるのと同じくらいに王都の全寮制へと逃げて行った。
そこからパタリとアーニャンの手紙も姿も見なくなったが兄を追いかけたのではと危惧した両親は兄への接近禁止命令をアーニャンに出した。
とりあえず兄は無事のまま婚約者と結婚し領地に戻っている。今回の顛末を聞いたら兄は悲鳴を上げるかもしれないわね。
「ところでそちらのご令嬢はなんなのかしら?エッグタルド様はわたくしのパートナーとして招待しましたけど、わたくし以外のパートナーを連れて入場するのは侯爵家に対して無礼なのではなくて?」
「いや、その…これは…」
きっとアーニャンにパーティーに行ってみたいと強請られたのでしょうね。
台詞は『わたし、そういう華やかな場所に行ったことがなくって…その、記念に一度だけ参加してみたいのです。綺麗なドレスを着てエッグタルド様と踊れたらこれ以上の幸せはないと思います』かしら。
その予想は大当たりでババロワヴァ侯爵家のパーティーならこじんまりしてても品位を損なわずアーニャンを傷つけず楽しませることができるだろうと思ってのことだった。
……扇子の骨が折れる音が聞こえたわ。なんで御自分の家のパーティーに誘わなかったのかしら。
ああ、公爵夫人に見つかれば叱られるだけではすまないからでしょうね。
視線を遠くにやれば公爵夫妻が無表情でこちらを眺めている。その視線にぶるりと鳥肌が立った。
今回のパーティーは確かに小規模だが侯爵家の家門しかいない。部外者はプリンタイロゼ公爵家とわたしとカラメルの婚約者くらいだ。
そして伯爵位以上だから更に厳選され、並んでいる品質も最高級のものが多い。
子爵や男爵では一生お目にかかれないかもしれないようなものがずらりと並んでいるのだ。それを恐縮せず有り難がりもせず当然と思っている顔をするアーニャンの頭が理解できない。死にたいのかしら?
同じくまったく理解していないエッグタルド様にも溜め息しか出ない。
親ではないけどどうしてこうなってしまわれたのか。アーニャン…アーニャンのせいなの?
「お義姉様!タルド様に失礼ですよ!タルド様は病弱なわたしを楽しませるためにこのパーティーに連れてきてくれたのです!…ああ、懐かしいわ!わたしが男爵家に売られる前と全然変わってない!」
「「……は?」」
思わずエッグタルド様と声が被ってしまったわ。何を言ってるの?と青褪めた顔でアーニャンを見ているとミルキューヌ様が疲れた溜め息を零した。
「聞き捨てならない言葉が聞こえたけど誰に誰が売られたのかしら」
「わたしが、第二夫人のあなたのお母様に売られたんです!」
は???
誰もが驚きアーニャンを凝視した。ババロワヴァ侯爵夫人は第一も第二もない。お一人だけだ。
それだけでも不敬極まりないのに第二夫人とこき下ろし人身売買したかのようなことを言うなんて。
死にたいの?とアーニャンを見たが、彼女は自信満々に第一夫人で侯爵にもっとも愛されているのは自分の母親で、自分は本物の侯爵令嬢だと宣った。死にたいのかしら?
「公然の秘密とはいえ、こうも堂々と両親の醜聞を暴露するとは…ドーフィン男爵家は余程没落したいのですね」
「「「…え?」」」
しまった。今度はアーニャンとまで声が重なってしまったわ。
とはいえまるで肯定するような言い回しにミルキューヌ様を見るとアーニャンの家族の容姿はどうだったかわたしに問いかけた。
「往生際が悪いですよ、お義姉様。似た髪色の家を選んだのだからカラメルなんかにわかるわけないじゃないですか」
そんなわけはない。アーニャンは両親のいいとこ取りでそっくりだったし彼女の兄も母親にそっくりだった。それにアーニャンはよく自分の髪を自慢していたが確かに綺麗なピンクブロンドだった。
男爵夫人と嫡男が錆色だったのもありとくに目立っていたがあの髪色は父から受け継いだのだと言ってなかっただろうか。
その父である男爵は綺麗なローズピンクの髪色だった……その色はババロワヴァ侯爵家の髪色とそっくりでミルキューヌ様も美しいローズピンクの髪色をしている。
そこに気づきブワッと血の気が引き嫌な汗が噴き出た。
今すぐアーニャンを殴って黙らせたい。公然とは言っていたが表立って言ってはいけないものだ。最悪首がとぶレベルのとんでもない話に胃がグルグルしてきた。
下手をすると話を聞いただけでも罰があるくらいヤバい話なのになんで平気な顔で暴露してるの?!なんで侯爵家にケンカ売ってるの?!頭おかしいんじゃないの?!
「…ご家族全員とてもよく似ております」
「ほら。カラメルは目が悪いから色も容姿も見分けられないのよ」
「とくに男爵の髪色は美しいローズピンクでした。夫人の髪は錆色です」
こき下ろすアーニャンに負けないようにお腹にぐっと力を入れて答えるとミルキューヌ様がにっこりと微笑んだ。
「ええ。ドーフィン男爵はわたくしの父の兄でした。既に除籍されていますが。伯父は愚かにも婚約者様を衆人環視の中冤罪を突きつけ破棄なさろうとしたのです。
その冤罪はすぐに覆され婚約は白紙となり伯父は廃嫡。本来ならばもっと重い刑罰が与えられるはずでしたが元婚約者様の温情もあり浮気相手だった男爵令嬢の家に婿入りしたのです」
うわぁ。あの夫婦やらかし夫婦だったのか。
それでアーニャン…と嫌な納得をしてしまった。
本人の気質だと思ってたけど両親の育て方もよくなかったのだろう。でなければこんなわけのわからないモンスターにはならなかったはずだ。
「あなたが侯爵家の記憶があるとしたら伯父様が金子の無心に来た日でしょうね」
たった一回の数時間であたかも何年も住んでいたような言い回しをしたアーニャンが恐ろしくなり二歩ほど下がった。
「違います!お義姉様は自分にしか興味ないから覚えていないでしょうがわたしは侯爵家で生まれたのです!だけどお義母様が意地悪をして病弱なわたしを男爵家に売ったの!わたし本当に大変だったんだから!」
「けれど今は随分とお元気そうね」
「タルド様がわたしのことを大切にしてくれてるからよ。タルド様ってはとっても優しいの!具合が悪くなると飛んできてくれるし、どんな時もわたしを最優先にして看病してくれるのよ。だからすっかり治っちゃった」
ね!とエッグタルド様に微笑むアーニャンだが彼は引きつった顔で微笑んだ。いや、歪ませただけで笑みになってるかどうか。彼はしっかりと腕を掴まれているから逃げられないものね。
どこが病弱設定なのかしら?ああすっかり治ったから今はいいのね。
「あ、そうだ。カラメルがしたことも許してあげるね。反省してよ〜あの時本当に怖くてわたし発作起こしちゃったんだから」
発作とは。そんな病は患ってなかったはずだけど。
アーニャンの中で話は終わったのか楽団を見つけたことでそちらに気が逸れたようだ。
礼もなく挨拶もせず(というか紹介も自己紹介もしてないのよね…)エッグタルド様の腕を引っ張りダンスがしたいと強請る。
とうとうパーティーの進行まで壊そうとしてるわ。
腕を引っ張られながらエッグタルド様はミルキューヌ様と交互に見遣りアーニャンの言葉を信じた。
「侯爵家令嬢のアーニャンがダンスを所望だ!演奏を始めろ!」
あの二人終わったわね。
「あら、わたくしが入場していないのにもうダンスを始めるというの?」
輪を作るように広がっていた人集りが真っ二つに割れ、その花道から一人の淑女が優雅な仕草でやって来た。その方が誰かわかった者達は一斉に深く頭を下げる。王族に対してする礼だ。
視界の隅っこでアーニャンが見えたが「え、何々?誰?」とエッグタルド様に聴いている。
近ければ腕を引っ張るなり頭を掴んで床に平伏せさせるくらいしたけれどその役はエッグタルド様がしてくれたようだ。
「いったぁい!タルド様!痛いってば!」
「うるさい!黙れ!!」
聞いているだけで胃がキリキリして吐きそうだわ。
許可を得て顔を上げると早速エッグタルド様が頬を染めうっとりした顔で挨拶をした。
公爵令息だから間違ってはいないけど何の感情も込めない声と外された視線にエッグタルド様はショックを受けたような顔をした。
「ようこそお越しくださいました。テルシーモーア様」
「招待ありがとうございます。ミルキューヌ様。先に話した通り殿下は来られないのでわたくしだけ来ちゃったわ」
「次期王太子妃殿下もお忙しいでしょうに、御足労いただき感謝いたしますわ」
「まあ、あなたとわたくしの仲じゃない。気軽に呼んでほしいわ」
成婚したらそれこそ気軽に会えなくなるでしょうから。
お二人は幼馴染みで仲のいい友人だ。しっかりと握手する光景に胸を打たれた気持ちになりそっと胸を押さえた。
わたしはお二人に感銘したがエッグタルド様はテルシーモーア様しか見えていないようだった。
その執着は十二歳の頃から始まり一時は他の令嬢に移ったものの十五歳になりまた彼女を追いかけ回した。
テルシーモーア様もエッグタルド様を『犬みたいで可愛い』と仰り時々彼の手綱を締めてくださったが今年学園を卒園されたことでエッグタルド様のタガが外れてしまった。
その結果がアーニャンなのかと思うと頭が痛い。もっと早く正気に戻っていればアーニャンをどうにかできたはずなのに、と思わずにはいられなかった。
「あら、あなた…」
再会を喜んだ二人がエッグタルド様達と向き合うとテルシーモーア様の表情がストンと落ちた。
アーニャンを見る目が冷たくなるのを見てああやっぱりと思った。
「あなた、なぜミルキューヌ様と同じ色合いのドレスを着ているの?不相応に華美だけど用意したのはエッグタルド様かしら?」
「えっや!その、」
「ええ、そうです!わたしに似合うからとタルド様がプレゼントしてくれましたの!」
「へぇ。そう、」
アーニャンのドレスを上から下に目を動かし細くなるのを見てアーニャン以外が冷や汗をかいた。
基本として主催者と同じ色のドレスで参加するのは厳禁だ。しかも本日の主役はミルキューヌ様なのでサイドの配色で誤魔化すのも憚られる行為となる。
招待状にミルキューヌ様のお衣装と色が書いてあったのは『当日その色と型は避けてご参加ください』という意味だったのに。
エッグタルド様はそれをすっかり失念して婚約者に使う交友費でサイズだけ変えて同じものをドレスメーカーに発注したのだろう。
誰も指摘しないからわたしには同じに見えるけど皆さんは違うと思っているのかな、なんて思ったりもしたけどそんなことはなかった。わざと言わなかっただけだった。
「エッグタルド様。あなた、見ないうちに随分といろんなものが欠けてしまわれたのね」
「え、あ、その、」
「パーティーに参加する際主催者と色やデザインが被ってはならない。もし難しい場合は事前に許可を得ること。主催したことがある家なら知っていて当然のことですよ」
「は、はい」
「次にあなたの婚約者は誰ですか?」
「……あ、えと、ミルキューヌ、です」
「では、あなたの腕に絡みついている令嬢はどこの誰ですか?」
「…………………アーニャン・ドーフィン嬢です」
アーニャンの家名が出た途端、周りが一斉に騒がしくなった。
「ドーフィン?!」、「嘘でしょう?なんでそんな者が」、「社交界を出禁になったのではないのか?」、「娘だから見逃されていたのでは?」、「だがあれでは…」、「自分が犯した罪の大きさをわかっていない顔だな」……。
先程ミルキューヌ様が漏らした声も聞こえていただろうからわざとだろう。わざと騒いでエッグタルド様の愚かさを突きつけたのだ。
ざわめく貴族達にミルキューヌ様が扇子を閉じるとピタリと止んだ。
騒然としたただならない空気に臆したエッグタルド様が恐る恐るミルキューヌ様にどういうことかと問い質した。
「わかりませんか?あれだけテルシーモーア様の後をつけ回していたのに」
「つ、つけ回してなどいない!交流をしていたんだ!」
「ならその交流で知り得た情報があるでしょう」
彼女が何を疎み嫌っていたか。それも知らないのですか?と問われエッグタルド様の顔から大量の汗が流れ落ちた。
「わたくし、母のことがとても大好きですの。ですから気兼ねなくお過ごしいただけるように王都と領地、そして社交界を綺麗に保つよう一層励んでおりますのよ」
とくに虫が大嫌いなテルシーモーア様は成婚された暁には徹底的に駆除なされるおつもりだと微笑んだ。
「でもあなたにはガッカリしたわ。エッグタルド様。女性なら誰でも尻尾を振る駄犬ならまだ許せたのに見苦しい毛虫になってしまわれたのですもの。もうわたくしの言葉も理解できないのでしょうね」
「え?!あ!そんな!テルシー様!!」
ミルキューヌ様が閉じた扇子を振ると控えていた警備が現れエッグタルド様とアーニャンを捕らえた。
「え?!ちょっと!なんでわたしまで!」
「お前は母親そっくりな羽虫ね。光を求めて飛び回る悍ましい蛾でもいいわ」
放してよ!と藻掻くアーニャンにテルシーモーア様は蛾を見るかのように嫌悪を露わにして見つめた。
穏やかで慈愛の微笑みを浮かべるテルシーモーア様しか知らないエッグタルド様は驚愕した顔で固まった。
「え?蛾?…なん、あなた、わたしのお母様を知ってるの?」
「ええ。わたくしの母はあなたの父親の元婚約者だったの。今は幸せに過ごしているけれど母の心の傷は一生癒えないでしょうね。ですからわたくし達家族は母の心を乱す者達を排除するのよ」
後から聞けばやらかしたドーフィン男爵夫妻は社交界への出入りを生涯禁止されており、アーニャンも卒園後は社交界を出禁になることが決まっていたらしい。
そりゃまあ次期王太子妃様が目を光らせているのだから下手なことをする前に出禁にしたほうが早いでしょうね。
あとはエッグタルド様を誘惑して多方面に迷惑をかけたのがトドメとなった。
アーニャンと接触するようになってからミルキューヌ様は幾度となくエッグタルドと話し合いの場を設けようと頑張ってくれたし、プリンタイロゼ公爵夫妻からもそれとなく話をするように言われていたが彼は聞かなかった。
わたしと話をしてくれればアーニャンは虚言癖があるとんでもない女だと知ってもらえたのにその機会もなかった。
その頃にはもうわたしに飽きていたのだろうけどアーニャンに負けたと思うと少し悔しい。いや目の前を見ればそうでもないけど。
ひと通り話が終わったのでプリンタイロゼ公爵夫妻とババロワヴァ侯爵夫妻がこちらにやって来た。そこでエッグタルド様は廃嫡、除籍となりミルキューヌ様の婚約も彼有責で破棄となった。
そして新たな婚約者にはエッグタルド様の叔父の息子が養子入りして結び直す運びとなった。
取りもったのはテルシーモーア様で「有能なのは保証するわ」と自信満々に微笑んだ。その後ろでエッグタルド様が情けなく半泣きの顔をしておられたが見向きもされなかった。
そしてアーニャンも学園の退学と王都追放が言い渡され。進退は彼女の両親に任せるが貴族として残っても社交界には一切出入りできないものとすると明言した。
それは構わないのだけどアーニャンが領地に帰ったら兄が衰弱死する可能性があるので、パンナコルタ子爵領の出入りも出禁にしてほしいと願い出た。
アーニャンは悲鳴をあげそれでも親友かと詰ってきたがそんな事実はない。
婚約者も一緒になってアーニャンのせいで義兄が早世するのは困ると訴えたことによりババロワヴァ侯爵が嫁ぎ先を適当に見繕ってくださると約束してくれた。
そうすれば家族共々子爵領から離れるし監視しやすいところに隔離すればこちらの手間も省けるだろうと。是非にとお願いした。
「カラメル!私にはお前だけだ!お前は私を愛していただろう?!」
引っ立てられそうになったところで我に返ったエッグタルド様がわたしに縋ってきた。隣にはわたしの愛する婚約者がいるのに彼には見えていないらしい。
わたし達を運命だとか唯一の相手だとか言ってるけどそれではまるでわたしが誑かしたみたいじゃないですか。
愛があれば使用人で下位のわたしを道連れにしていいなんて、本当なんでこんな人に惹かれたのかしらね。
「わたくしがあなた様に仕えていたのは主人のご子息様だったからです。そこに敬意はありましたが愛情はございません。エッグタルド様をお慕いしているのはわたくしではなくアーニャンです」
「…いや!そうかもしれないが。だが!…」
「ですので、死が二人を分かつまでどうぞその幼馴染みを優先してくださいませ」
読んでいただきありがとうございました。
誤字報告ありがとうございます。
仕様にてそのままのものもございます。ご了承ください。
――――――
■カラメル・パンナコルタ子爵令嬢
プリンタイロゼ公爵家の家門で親戚ということで行儀見習いとして使用人をしている。
政略結婚先のペズペルソンヌ伯爵家は夫人が病弱で婚約者も財務官で忙しく滅多に会えず寂しい思いをしている。そこをエッグタルドにつけ込まれた。
アーニャンと幼馴染みだったがやっと縁が切れそうでホッとしている。
婚約者との結婚式準備があるので速やかに迷惑な二人を忘れる予定。
■ミルキューヌ・ババロワヴァ侯爵令嬢
エッグタルドの婚約者だった。
エッグタルドの尻拭いをしてきたし最初の頃はカラメルを敵視していた。正気に戻ったあとは可愛がっている。
■エッグタルド・プリンタイロゼ公爵令息
恋多きアホ。ミルキューヌが強くて怖いから結婚したくなかった。優越感に浸りたくて浮気を始める。
9歳 ミルキューヌと婚約
10歳 王女に惚れる。他国の王子が婚約者だったので諦めた。
11歳 優しい王宮メイドに惚れる。伯爵令嬢が行儀見習いで入ってた。間違いが起こらないように配置換えし早々に寿結婚させた。
12歳 包容力のあるテルシーモーア公爵令嬢に惚れる。王子と婚約していたので仕方なく諦める。
13歳 ミルキューヌの友人に惚れる。同格侯爵令嬢で次女、婚約者がおらず野心家の家だった。ミルキューヌはその友人と絶縁する。
14歳 泣いていたカラメルに惚れる。使用人と知りつけ回すようになる。お気に入りとして周知させようとして両親から叱られる。専属にしようとして叱られる。ミルキューヌを避ける理由としてカラメルを利用するようになる。
15歳 また同じ公爵令嬢に惚れる。
16歳 ババロワヴァ侯爵家に行儀見習いに来ていた使用人に惚れる。身の危険を感じたため予定を繰り上げ即行寿結婚したらミルキューヌがいじめて追い出したと勘違いし一方的に責め立てケンカ勃発。婚約解消の危機に陥ったがテルシーモーア公爵令嬢が間に入り継続。
17歳 テルシーモーア公爵令嬢が卒園し駄犬が自由となる。アーニャンと出逢い仲良くなる。優しくて持ち上げてくれて全肯定してくれる彼女にベタ惚れする。
■アーニャン・ドーフィン男爵令嬢
嫁ぎ先募集中のお花畑。
その後家族丸ごと地方にドナドナされる。果たして兄は逃げきれるか。




