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第3話 みっかめ。

 彼女に告白してきた相手は三年生らしい。

 その先輩が彼女を校舎裏に呼び出したのが、一週間くらい前の昼休みのことだったという。その時点で、わりと噂にはなっていたらしい。だけど生憎、僕はそういった話題や噂話にはかなり疎い方で、今日になってやっとその噂が耳に入ってきたのだった。


 昨日、一昨日と彼女の様子が変だったのはそのせいなのだろうか。

 休み時間、ちらりと友達と話している彼女の姿を見る。

 いつもと変わりは無い。この一週間くらいの間も、その前も、僕は何も変化を感じなかった。だけどそれは表面上のことだけかもしれない。

 ああ、何だかもやもやする。

 苛立ち、目線を移す。窓から見える外の景色が視界に入ってきた。今日は朝から雨が降っている。窓越しにでもはっきりとわかる大きさの雨粒。

 普段はあまり気にならないけれど、今日はそのことさえもうっとおしい。

 それほどに僕の心はざわついていた。

 ただでさえ、昨日あんな別れ方をしてしまったのだし。おまけに、それ以降は一言も交わしていない。


 可能ならすぐにでも彼女と二人で話がしたかった。

 その先輩の告白に対して、どういう返事をしたのだろうか。


 とても気になった。心の中のもやもやが増す。告白の場所になったとかいう校舎裏を思い浮かべると、それだけで苛立ちが募った。


 これはやっぱり僕が恋しているからなのだろうか。


 答えはまだ見つかっていない。

 だけど、このまま何もしなかったら取り返しの付かないことになる。

 それだけは確かな気がした。

 

 ……もっとも、既に手遅れなのかもしれないけれど。


 だけど、それでも。





 ――下校時刻になった。雨は小降りにはなってきていたけれど、まだ当面は止みそうには無い。傘を差した生徒達が下校していく。

 僕は校門のすぐ横にある木の下でその光景を眺めながら彼女を待っていた。

 別に約束しているわけではないけれど、僕と彼女は部活の後にここで待ち合わせをして一緒に帰る――いつの間にかそれが当たり前のことになっていた。


 ひょっとしたら、今日は来ないかもしれない。

 

 可能性はある。むしろそっちの方が大きいかもしれない。

 でも、今は待つしかない。

 そう、自分に言い聞かせる。

 ――――そして。


「お待たせ」


 人影が少なくなり始めた頃、淡い青色の雨傘をさした彼女が姿を現した。






 いつもと同じ帰り道を歩き始めて数分。

 その間、僕も彼女もずっと黙ったままだった。

 話したいことは勿論ある。けれど、なかなか口にできない。

 傘をさしている分、彼女との距離はいつもより少し空いていた。普段は気にならない、そのほんのわずかな距離の開き。それが今日はやけに喋りかけるのをためらわせていた。

 幸いにも、雨はもうすぐ止みそうな気配がしていた。そうすれば傘をたためる。もう少し近くに寄れる。話をしやすくなる。だからその時を待って――なんて悠長なことを考えていたら、彼女に先を越されてしまった。


「あの、昨日はごめんなさい」


 こっちを見ないまま呟かれた。か細い声が耳に届く。


「あ、いや……僕もその、ごめん」

「……ううん」

「……」


 言葉が途切れる。また沈黙の時間に戻りかけそうだった。

 ――だけど、それでは駄目なんだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 今しかないと自分を自分で追い込み、僕は強引に話題を繋げた。


「あの、ところで聞きたいことがあるんだけど」

「……何?」

「その……君が三年の先輩に告白されたって噂……聞いたんだけど」

「……うん、されたよ」


 それがどうかしたの、とでもいうかのような冷たい感じの声。怯みそうになるのをぐっと堪えて先を続ける。


「付き合おう、とかそういう話?」

「まあ、そんな感じ」

「そうなんだ……」


 本人から直に聞くと、殊更に衝撃が大きかった。

 だけど、ここまでは既に知っている話。

 大切なのは、ここからだ。

 

「あの、それで何て答えたの?」


 聞いた途端、彼女の足がピタリと止まった。


「……気になる?」

「まあ、その気になるって言うか………………うん、気になってる」

「どうして?」

「それは……まだわからない。だけど気になる。とても気になってる。気になって他のことが何も手につかない。――それじゃ、駄目かな?」


 すぐに答えは返ってこなかった。緊迫した時間が流れて逃げ出したくなる。だけどその気持ちを懸命に堪えて、僕は彼女の返事をじっと待つ。

 やがて、彼女はぽつりと呟いた。


「……保留にしてもらった」

「保留?」

「待って貰ってるのよ、返事」

「それって、どのくらい」

「知らない。そこまで聞かなかったから。でも、普通に考えたらそんな何日もってわけにはいかないよね」


 くるりと、彼女はそこで僕の方を向いた。

 彼女の表情が濡れている。

 そんな印象を受けたのは、部活でかいた汗の為か、それとも雨のせいか。


「ねえ、君はどうしたらいいと思う?」


 聞いてきた彼女の声は真剣そのものだった。身体中に緊張が走る。その問いに僕は答えてもいいのだろうか? ここまで来てもなお結論を出せずにいる僕が、彼女の個人的なことにそこまで介入してもいいのだろうか。

 だけど、ここで答えられなかったら、確実にもう駄目だ。

 それだけは確信していた。そしてそうなることだけはどうしても嫌だった。

 だから僕は正直に心の中を全部話すことにした。


「断った方がいいんじゃないかな、と思う」

「……何で?」

「えっと……上手く言えないんだけど……何だかそいつが気にくわないって言うか何というか」

「気にくわないって……君、先輩のこと知ってたっけ?」


 勿論、知らない。


「……と、とにかく、そのことを考えただけで心の中がモヤモヤしてイライラするんだよ。だから……その、先輩と付き合うのは止めて欲しい」

「何それ」

「よくわかんないけど、とにかく駄目なんだ。嫌なんだよ、君が誰かと付き合うことが」


 彼女はよくわからない、といった風に首を傾げた。当然だ、僕だって自分が何を口走っているのかわかってない。

ただ間違いなくこれは、自分でも気が付いていなかった僕の本音だ。


「それって……私のことが好きってこと?」

「それも……正直、まだよくわからない」

「……」

「確かに僕は君のことが気になってる。意識してる。だけど、好きとか恋とか、そんなの一昨日まで考えたこともなかったんだ。だから、まだ自分でも自分の心がどうなのかよくわかってない。……でも、それでも、とにかく君に彼氏ができるのは嫌なんだ」


 息が続かなくなり、そこで一呼吸。それからすぐに残りを喋りきった。そうしないとこのまま言えずに終わってしまう気がした。


「だから断って欲しい」


 それが唯一、僕の中ではっきりと結論の出ている気持ちだった。恋がどうとかいうのはまだわからない。だけど彼女を誰かにとられるのは嫌だった。我ながら何て自己中心的。

 そんな僕を彼女はどう思っただろうか。

 様子を見る。

 案の定というかなんというか、とても呆れたような表情をしていた。


「……凄いワガママ」

「だと思う」

「自己中」

「否定はしない」

「そんなに、私が誰かのものになっちゃうのが嫌なんだ?」

「それは……嫌だ」

「好きかどうかもわからないのに?」

「……好き、なのかもしれない」

「かもしれないって……」


 答えると同時に、彼女は大きな溜息を吐き、それから暫く黙り込んだ。

 何かを考えているように見える。

 そして。


「じゃあ、一つだけお願いを聞いてくれたら考える」


 彼女は再び口を開くと、そう告げた。


「うん、わかった」


 即答する。

 ここで頷く以外の選択肢なんて論外だろう。

 黙って、その先にある言葉を待つ。

 彼女は空気をすうっと吸い込み――そして言った。



「私にキスして」



「――え」


 あまりに衝撃的な一言。思わず持っていた傘が手から離れて地面に落ちた。

 ぽつ、ぽつ、と止みかけの雨粒が顔に当たる。

 冷たい。

 その感触のおかげで、ようやく正気に戻ることができた。

 ついでに、頭も冷えて、冴えてくる。

 ――これは恐らく昨日の続き、というかやり直しだ。


「別に唇にじゃなくていいよ? ほっぺたでもいいし、おでこでもいいし、どこでも構わない。――とにかく私にキスをしてくれたら、それでいい」


 まっすぐに僕の目を見据えて言う。真剣な眼差しに心が突き刺されたように感じられた。

 ……っ!

 事の重大さに再び尻込みしそうになる。

 だけど、もう後には退けない。退きたくもない。


「わ、わかった……」


 僕は覚悟を決めると、ゆっくり彼女へと近づく。

 同時に彼女はすっと目を閉じた――。






 朝から降り続いていた雨はついに止み、雲もほとんど見えなくなった。今、夜空に見えているのは一つの輝く月と、無数に煌めく星の数々。

 その下を、僕と彼女は一緒に歩いていた。

 傘をさす必要が無くなったので、さっきまでより距離が近い。 


「ふふっ」


 彼女が笑った。さっきから何度も思い出し笑いを繰り返している。その度に顔から火が出そうな程に恥ずかしくなる。

 勘弁して欲しい。

 さっきから、何度もそう言ってるのに。


「だって、まさか手にされるなんて思わなかったんだもん」


 僕が口をつけた箇所をひらひらとさせながら、彼女が笑う。

 それならどこにされると思っていたのだろうか。今の状態で唇なんて論外だし、頬とおでこも恐れ多い。首筋とかじゃ逆に一足飛びな感じがするし。

 それで結局、彼女の手を取ってその甲に口をつけたわけなんだけど――――どうやら、その行為がツボにはまってしまったらしい。


「どこでもいいって言ったじゃないか」

「それはそうだけど……ふふっ」


 文句を言っても聞いてくれる気配がない。

 まあ今は成り行き上、あまり文句を言うわけにはいかないけれど。

 本当、マジで勘弁して欲しい。

 ――けれどまあ、それはさておくとして。 


「ところで……その、先輩への返事の話なんだけど・・・・・」


 くどいと言われようと何だろうと、ここはちゃんと確認しておきたかった。

 ところが。



「うん、安心して。ちゃんともう断ってるから」



「――え」


 一瞬、耳を疑った。


「だからね、もう既にゴメンナサイしちゃってたの」

「……おい、じゃあ今までのは」


 何だったんだよ、本当に。


「まあいいじゃない。――さあ、さっさと帰ろ~」


 愉快そうに笑って、彼女が歩く速度を少し早めた。


「ちょっと待て。いつだよ、いつ断ったんだ?」

「さあ、いつだったのかな~。……ふふっ」

「だから『ふふっ』じゃなくてっ」


 そこ、大事なところだから。

 楽しげな彼女に対して、尚も食い下がろうとする。

 

 と、その時。

 

 何故か急に、彼女の声のトーンが落ち着いたものへと変わった。


「――ねえ」


 立ち止まる。

 そして、ふて腐れ気味になっていた僕の方へと振り返り。

 彼女は告げてきた。



「私は好きだよ。君のこと」



「っ!」


 ……このタイミングで言うか、その言葉を。

 瞬間的に顔が熱くなる。

 急速に頭に血が上っていくのを感じる。全身から汗が滲み出る。

 彼女は僕のそんな反応を楽しむかのように、意地悪っぽい笑みを浮かべた。



「……答え、待ってるからね?」



〈了〉



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